性魔訶不思議/石濱淳美[彩図社]

 そうは言っても多くの日本人にとって、セックスとは後ろめたい事である。少子化がこれだけ深刻になり、高齢化がこれだけ深刻になっても、なお生活におけるセックスの問題は日本では話題にしてはならないものである。しかし作者は92歳(2006年当時)の産婦人科医でありその道60年の権威として、そんな世間の風潮などどこ吹く風で淡々とその弊害を指摘する。性がタブー視され、性に関する情報も乏しく、性教育がなされていない事によって人生を謳歌できなかった人々が日本には多くいるが、それはあまりにももったいない事である、と。

 そもそも人間は健康であれば死ぬまで飯が食えるし、セックスもできるのである。「人間はいつまでセックスができるか」という質問は「いつまで飯が食えるか」と同じくらい馬鹿げた質問であって、歯が少なくなったり食欲が昔ほど旺盛ではなくなっても飯を食う事はできるのであるから、セックスについても工夫さえすれば何歳であってもできるのである。動物にとっては生殖こそがセックスの目的であるから、生殖機能がなくなればセックスがなくなるどころか生命そのものがなくなってしまう。しかし人間にとってセックスとは生殖だけでなく情動行為としての「ふれあい」「情緒安定」「安らぎ」も目的としている。実際、セックスには脳を活性化させ人間そのものを若返させる効果がある。またセックスはストレス解消の最良の方法でもある。人生八十年、百年時代と言うのならば、生活の中のセックスの問題を解決しなければ、老人は無味乾燥な生活の中でただ老いていくだけでないか。

 という事が産婦人科医によって淡々と書かれているのが本書であり、俺は気に入った。さすが一つの道を極めた人の書く言葉は説得力がある。それに長年に渡って患者と接してきた経験が文章に味わいを与えている。人間はセックスや性欲と上手に折り合っていく事ができる稀有な存在なのであり、それを過剰に抑圧したり、徹底的に無視したり、或いは商業的な扇情さだけを取り出しているから苦しむのである。「独身男女の性欲拡散用のロボットを開発したらどうか。そうしたロボットを抱いて寝るだけで、性犯罪の何割かは減るのではあるまいか」「若者の性犯罪やストレスによる暴力行為を減らす役にも立ち、よっぽど有益なはずだ」「セックスは情緒安定やリラックスに最大の効果がある行動なのだから、このストレス全盛の時代において、その効果を有効に引き出していかなければならない」等、等、味わい深い言葉で書かれた本書を是非皆さんにお薦めしたい。そしてもっとセックスに励む事だ。我々は動物ではなく人間なのだからな。

 

 なぜ最近はこんなにセックスレスが増えているのだろう。昔から日本では俗に二十代は二日に一回、三十代は三日に一回、四十代は四日に一回、五十代は五日に一回などと言われており、三十代の夫婦では一週間に三回はセックスをしているものと考えられていた。

 セックスの中枢である脳が、パソコンやインターネットなどの急激な普及でストレスを受け、やられてしまったのであろうか。或いは近年騒がれている環境ホルモンの影響もあるのかもしれない。先進国の男性の精子数は減少しているらしいから、そのような事も関係し、セックス回数が減っているのであろうか。いずれにしてもセックスレス夫婦が増えている事は事実であり、これはゆゆしき事である。

 今や日本は一億総ストレスの時代と言われているが、このストレスこそが脳の性中枢を直撃し破壊するのである。ストレス解消のためのセックスをする以前に性中枢が破壊されていては、どうする事もできない。

   

 痛みに耐えながら続けなければならないセックスなど、女性にとって苦痛以外の何ものでもない。挿入を焦ったりせずに、潤滑ゼリーを用いてみたり、或いはいつもより時間をかけて刺激しあえば、性交痛は軽減されるはずだ。お互いを労わる気持ちが根底になければ、いつまでも「大人のセックス」をする事はできない。

 

 男は月給に支配され、女は月経に支配される。

テレワーク、カノジョの宅配便、第2波

2020年4月〜



   


   

   

   

   

   

2020年5月〜

   

   

   

   

   

2020年6月〜

 

   

   

   

昭和の宰相(1)犬養毅と青年将校/戸川猪佐武[講談社]

 

  1926年(大正15年)12月25日、大正天皇が47歳で崩御した。「大正」が終わり「昭和」が始まり、時の首相は若槻礼次郎、政権与党は憲政会である。昭和元年が6日で終わり、翌昭和2年が始まって4か月が経った頃、若槻内閣は「台湾銀行救済緊急勅令案」を枢密院に否決された事からこれ以上の政権運営は困難として総辞職する。さて次の首相をどうするか。大日本帝国では首相が国会議員である必要はなく、全ては天皇の任免による。だが天皇が実際に人選するわけではなく(それでは任命責任、つまり政治責任が問われてしまう)、「最後の元老」である西園寺公望首相候補者を奏請し、天皇がその首相候補者に組閣の大命を下すのである(大命降下)。「藩閥」「軍部」が跋扈する大日本帝国下にあって十年間政党(立憲政友会)の党首を務めた西園寺は政党政治を確立するため、憲政会総裁である若槻の後継に立憲政友会総裁である田中義一を首相に奏請。2年後の昭和4年、田中内閣が「満州某重大事件」処理の不手際で退陣すると西園寺は迷わず立憲民政党(憲政会と政友本党が合併して成立)総裁の浜口雄幸を首相に奏請した。この慣習が続けば大日本帝国下であっても政党政治が根付くかと思われたが、浜口首相や後の犬養毅立憲政友会総裁)首相は凶弾によって倒され、政党政治は儚く消え去り、大日本帝国は破滅へと突き進んでいく事になるのである。

 相次いだ首相暗殺は突発的に行われたものではない。「政党政治は財閥や特権階級を擁護し、自らも腐敗堕落し、近隣諸国への軟弱外交に徹し国防を危うくし、農村の疲弊や都市労働者の困窮を顧みない」という世論・時代の雰囲気があり、「政党政治や財閥に代わって天皇親政による軍部独裁政権を確立し、国家社会主義的改造」を行う事が日本を救い世界平和にも寄与すると本気で信じていた者がこの時代には多数いたのである。それが本書にて繰り広げられる「浜口首相狙撃事件」「三月事件」「十月事件」「血盟団事件」「五・一五事件」等の原因であるが、更に忘れてはならないのはこのような不穏な空気に政党勢力側にも同調した人間が多数いたという事であって、浜口首相狙撃事件の原因になった「統帥権干犯問題」では「政党内閣が海軍の編成権を握る」事により軍部をコントロールする絶好の機会を得るはずが野党・政友会はこれを糾弾するのであり、後の犬養内閣(政友会内閣)では犬養首相自らが関東軍の暴走を抑えるため独自に中国側と停戦交渉を行うも内閣書記官長(今の内閣官房長官)である森恪(政友会で一、二の親軍派)によって妨害されるのであり、単純な「政党勢力対軍部」の構図とはならなかった。結局のところ大日本帝国では首相は国会議員でなくてもよいのであり政党は必要ないのであり、「統帥権天皇に属する」という名目で軍部エリートが力を持つのであった。政党は大日本帝国下では弱い存在でしかなかったのである。本書を読むとその事が痛いほどよくわかる。

 その制約の中で懸命に戦った浜口も犬養も殺され、それを目の当たりにした政党勢力は「軍部といかに妥協するか」が課題となっていくのであった。西園寺は犬養首相の後に海軍軍人・斎藤実を後継首相に奏請し、以後政党内閣は終戦まで二度と表れなかった。残る政党勢力の大物である高橋是清(元立憲政友会総裁。田中内閣、犬養内閣の蔵相)は二・二六事件で殺され、唯一残った若槻は失望のまま虚しく余生を過ごす事となる。そして五・一五事件が起こった昭和7年当時、その13年後に大日本帝国が崩壊する事は誰一人知らない。ああ大日本帝国よ、お前もまた弱い存在でしかなかったのだ。

   

「年若い警官の村田君が駆け込んできて、『総理、大変です。暴漢が乱入しました。早くお逃げ下さい』と叫んだ。私(犬養毅の子息、犬養健)の妻は、直ちにその場を去るべくしきりに促した。しかし父は『いや、逃げない』と言った。また『あいつ達に会おう。会って話せばわかる』と言った。私の妻は苦悩の限りであった。しかし、なまじ逃げ回っても醜態になると、直観的に考えたそうである。乱入者と父とは、(首相公邸の)食堂において、ばったりと顔を合わせた。いきなり一人が父に向って発射した。しかし不発であった。すると父は右手をあげて、ゆっくりと上下に動かしなだめながら、『まあ待て、射つのはいつでもできる。あっちに行って話を聞こう』と言った。

 父は無造作に立って、乱入者を十二畳の日本室の客間に案内していった。父は懐手しながら、食堂から客間までの距離を1分7秒程かかって歩いていったらしい。父が客間に入った」

 日本間に入った犬養は、ゆうゆうと床の間を背に座った。

「諸君、靴ぐらい脱いだらどうかね」と言った。三上(海軍中尉)は、真正面から拳銃を擬しながら、

「我々が何のために来たかわかるだろう。この際、何か言い残す事はないか」

 犬養がテーブルに手をついた姿勢で、上半身を前に乗り出し、喋ろうとした時、一人が、ものの気に憑かれたように、

「問答無用!撃て!」と叫んだ。

ラブプラス、デレマス、感染列島

2020年1月~

 

  

  

2020年2月~

  

  • 次に発症するのは俺か君かで図書館古本屋①姫路市立図書館花北分館(じいさんが大声で「コロナコロナでなー、姫路マラソン中止になってもうてなー) pic.twitter.com/4Fro4bvBEi posted at 22:02:39
  • 次に発症するのは俺か君かで図書館古本屋②ブックオフ姫路増位店(ここはなぜか品揃えがいい上に目の前にバス停があるので便利でねえ) pic.twitter.com/xcFaFAy1XA posted at 22:05:50
  • @shomotsubugyo やあこんばんは。 そうですねえ、「特殊なラブコメが好きで、地方の図書館やブックオフに出没するのが趣味で、2005年夏事件以来の書物蔵さんのお友達」というところでしょうか。 ちょっとわかりづらいかな… posted at 22:54:58

  

  • 「もうこうなったら日本全国どこにいようが感染する時は感染するよ」と思いながらもまだ感染者がいない(発表されてないだけかもしれませんが)ところにいると…まあ安心感がありますな。これがレッドゾーンとグリーンゾーンか。 とは言え悲しきサラリーマンは休暇を終えて東京に戻るのですが。 posted at 19:39:25
  • 東京に戻って感染するのは俺か君か①古書もっきりや(60過ぎくらいのおっさんがゴホゴホゲホゴホゲホゲホ) pic.twitter.com/PVv54cLg47 posted at 22:47:28
  • 東京に戻って感染するのは俺か君か②まんだらけ梅田店(泉の広場が変わっとったなあ) pic.twitter.com/GyFagac610 posted at 22:49:17

   

2020年3月~

  

  

   

急がなければならない理由

 新型コロナウイルスによる未曾有の国難の中で検察庁法の改正案の審議が行われている。金、人、時間、持てる力の全てを投入してこの未知なるウイルスと戦わなくてはならない時になぜ審議するのか。なぜ急ぐのか。それはどうしても急がなければならない理由があるからである。

 安倍首相の自民党総裁としての任期が1年と半年を切り、いよいよ首相の座を退いた(或いは退かざるを得なくなった)時、自身に何が起こるか。加計、森友、桜を見る会の疑惑も首相でいる間は自分に累が及ぶ事はないが、首相を退いた後ではどうなるかはわからない。首相を辞めた後に疑惑を糾弾された政治家と言えば田中角栄であるが、それ以外にも中曽根、竹下、細川と権力者の地位を下りた後であれば検察の出方はわからない。ましてや後継首相が自分の政敵であれば検察は遠慮なく降りかかってくるだろう。そのため今から自分の身の安全を考えなければならない。

 それが強引な定年延長の閣議決定とつながる。とは言え延長の閣議決定をした1〜2月頃はまだ余裕があった。総裁四選が最も理想的だが、それが無理でも長期政権による実績を誇示すれば影響力を残したまま後継に譲る事も不可能ではない。そうすれば検察が疑惑を盾に自分に牙を向く事はないだろうが、念のため検察官の定年を延長させる手筈を整えていた。ところがコロナの影響で東京オリンピックが延期になり、経済は急落してアベノミクスで培った(と思っていた)好景気は見る影もなくなり、かつて「希望の党」騒動で死んだと思われていた小池東京都知事が息を吹き返した。つまり自らの地位が磐石ではなくなったのである。そして磐石ではないと知った時、今までの権力者は早々に辞任する事で被害を最小限に抑えてきたが、現在の権力者である安倍首相はあまりに長く権力に守られ、その過程で数々の疑惑を起こし、もはやそれらを封じ込める事ができずただ「現在権力者の地位にあるから」というそれだけの理由で追及がストップされているに過ぎない。それでも自殺者が出るなど実害は徐々に表れてきており、自分の身は安全ではない。それをわかっているからどれだけ強引と言われようと検察庁法の改正に突き進むのである。

 しかし昨年の「桜を見る会」から顕著だが、もはや安倍首相を守ろうという気概が政府や党の中枢から感じられず、そのため安倍首相は官邸の「お友達官僚」に頼らざるを得ない。とは言え所詮は官僚なので、アベノマスクのようなトンチンカンへと走ってしまう。今回の検察庁法改正ではこれまで以上に自民党は強硬採決の姿勢を取っているが、これはむしろ安倍首相の強引さを印象付けようとすら思える。いよいよ「安倍1強」に地殻変動が起こっているのである。