2019冬:冴えが違う

 そんなわけで皆さん調子はどうですか。お元気ですか。そもそも生きてますか。もう死んでしまいましたか。罪を犯して服役しましたか。大丈夫ですか。俺の方は大丈夫ではありませんがとりあえず死んでませんし罪も犯しておりません(猥褻物何とかは所持しております)。しかしこのまま何事もなく過ぎて行くとは思えません、必ずや試練が俺に降りかかる、おお神よ。

 話がそれましたが最近「ラブコメ政治耳鳴全日記」で検索するとまずツイッターが出てくるようになりました。まあ更新頻度を考えたら当たり前なんですが、しかしツイッターはあくまで「別館」でありまして、こちらが本館であります。この本館は2005年に始まりましてもう14年の月日が経ちました。2005年は俺にとって第二の人生が始まった年でもありまして、この年の1月に本ブログを立ち上げ、4月に就職と同時に東京へと移り住み、6月に「永神秋門攻防戦」は始まって、兵庫県糞田舎で鬱屈した人生を送るはずだった俺の人生は花開いたわけですが、それから14年が経ってまだ東京にいるとは思わなかった、お気楽にのほほんと働いてラブコメ・政治・その他の趣味に全力投球して人生を謳歌するはずがいつの間にか管理職にさせられ支店・工場・子会社には「本社のえらいさん」と陰でこそこそ言われる身になってしまった。おかしいおかしい、俺こそ地方の片田舎で「本社のえらいさん」について気楽に愚痴を言う側の人間のはずだ、なぜこうなったのだ、これが試練か、おお神よ。

 またしても話がそれたが今や全国各地でインフルエンザが大流行で我が社も無縁ではない、1か月前から部長→課長→副部長→(他部署の)部長、という風に順繰りにインフルエンザで倒れる人が続出で、もちろんインフルエンザであるから薬を飲んで熱が下がればいいというわけではなく3~5日は強制的に会社を休まなければならず、それは大変魅力的なものだ、3日も休みがあればあの本もこの本も一気に読んでしまえ、そう言えば俺も何となく頭が重いような熱っぽいような…と思いつついつものように昨日は22時過ぎまで残業して、退社して家に帰る途中に定食屋で「ざるそばとミニカレー」セットを食べて、家に帰って風呂に入って歯磨きをして寝たのであり、朝7時頃に起きて体温を測ったところ35.9度といつもの平熱であった。おお神よ。

 話がそれた、いやそれはもういいか、とにかく今日は休みで明日も休み、おお連休ではないか神よ、久し振りの連休なのだ、そうであれば2018年には結局できなかった「永神秋門攻防戦」をそろそろやろうではないか、俺は「世界のラブコメ王」であり「18きっぷで本屋古本屋図書館巡りをする変なおっさん」であり「幼稚な書評、というか下手な文章を書くアホなおっさん」であるが、「一日で永田町・神保町・秋葉原門前仲町を自転車で駆け回るキチガイ」が本当の姿なのだ、やはり老いてもファイティングスピリットを忘れてはならない、風を切り空を飛び火を放ち水を浴び土に還るのだ、それこそが「永神秋門攻防戦2019」だ…というわけで俺が晴海通りを北上すれば銀座も日比谷も警視庁も国会議事堂も阿鼻叫喚、人々は恐ろしい形相の俺を見て(寒いからね)一目散に逃げ出し、やがて開かれる国会図書館の扉。

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 もちろん国会図書館には1~2ヶ月に1回の割合で来ているが「永神秋門攻防戦」の一環での国会図書館は何か違うものを感じる、それは俺の意気込みが違うからだ、人々は恐ろしい形相の俺を見て(醜いからね)逃げ出し、俺は悠々とトイレに入って小便をして手を洗ってマスクを取ってうがいをして(インフルエンザ予防…いや予防したらあかんがな)、6階の食堂に入ってまずは昼飯で図書館カレー。

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 うーん。ご飯と肉と紅ショウガの組み合わせがよろしいので気が付けばご飯が半分以上なくなってしまっていたのでカレーのルーがかなり余ってしまった。お前アホとちゃうかというわけでいつものように新館3階の新聞資料室に移動、今日の日付にちなんで22年前の1997年の毎日新聞を読んでみよう。昭和もいいが平成もいい、現在も未来も辛い、優しいのは昔だけだ。

   

<2月1日(土)>

・1面で「オウム真理教破防法適用せず」。

・橋本首相、今日フジモリ・ペルー大統領と首脳会談。「ペルー政府とゲリラの直接交渉」を早期に開始するよう要求する方向。

松本智津夫被告出席による第24回公判。東京地裁104号「教祖の法廷」全記録。

<2月2日(日)>

・橋本首相とフジモリ大統領がカナダ・トロントで首脳会談。テロに屈せず、事件の平和的解決と人質の全面解決に一層努力する事を確認。

<2月3日(月)>

シラク・仏大統領とエリツィン・露大統領が首脳会談。シラク大統領、ロシアがNATO拡大に反対している事について「ロシアの懸念には理解」。

ホワイトハウス主催のコーヒーパーティーに詐欺事件で有罪判決を受けていた人物が正体されていた事が判明。ホワイトハウスは「不適切だった」と謝りを認めた。

<2月4日(火)>

・オレンジ共済事件で、東京地検特捜部は新進党に捜査協力を要請。友部議員が1995年参議院議員選挙比例代表名簿の順位を引き上げるため、複数の新進党幹部に金品を配った疑惑で。

   

 結局2月5日まで読んだところで時間が来たので後はパラパラと頁をめくっていると我が社の名前が目に入ってきた。全くもう、こんなところまでついてくるつもりか、油断も隙もない、俺は既にハーレムを築いているのだ(意味不明)というわけで新館の1階または2階の角にあるフカフカのソファーでゆったり読書…もいいが14年も同じ事を続けるのはさすがに無理があるので本館へ引き返して、第一閲覧室に入って真面目に調べ物というかコツコツとノートに会社のあれとこれについて書きためる事にしよう。いやあ、やっぱり長い事会社にいるとしがらみというかね、できてしまいますわなあ…。

 とは言え長々と滞在しては次の神保町秋葉原を爆破できなくなるので16時の館内放送「即日複写の受付は…」が流れたところで縋る女を振り切って国会図書館を出て、うう寒い、よく考えたら長い「永神秋門攻防戦」の歴史の中でも真冬の2月にやった事はないのではないか、しかしまあ来週はまた実家に帰省するしなあ、その次の週もそのまた次の週も出張の関係で前泊せなあかんしなあ、長い事会社にいるとしがらみがね…というわけで愛(自転)車「クイーン・ウィルコム」を走らせて轟音をとどろかせて最高裁判所・皇居・大英帝国大使館・靖国神社を通って登り坂で転び下り坂でも転んで傷ついて神保町へと向かいます。次の天皇は俺だ。

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 神保町に着いて、靖国通りの「共栄堂」がある方の通りから書泉グランデの方の通りの横断歩道を自転車でチンタラ移動していると目の前の小太りのおっさんがわざとらしく「チッ」と舌打ちをしたのでこちらもわざとらしく「ああん」と言ってやって、三省堂書店と「はるやま」の間の位置に愛(自転)車「クイーン・ウィルコム」を休ませて世界一の古本屋街を闊歩しよう、まずは小宮山書店だ。

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 ん?「3冊どれでも500円」は見えるが…「1冊100円」のやつはどこに行った…ああこっちか、移動したんかいな…でいつものように物色、やはり「永神秋門」での神保町だと気の入り方が違う、のほほんと18きっぷに乗ってのほほんと古本まつりに行くのとは違うのだ、それが「永神秋門攻防戦」そしてラブコメ政治耳鳴全日記、俺もお前もラブコメ政治耳鳴全日記。 

少女探偵は帝都を駆ける (講談社ノベルス)

少女探偵は帝都を駆ける (講談社ノベルス)

 

 で、今までは「小宮山書店・ブックス@ワンダー・古書モール(古書かんたんむ)」に行っとればよかったわけですが古書モールはなくなってしまったので今までの何となくの時間配分ではいかんわけですが、まあそのあたりはね、俺も14年の実績、35年の人生経験と女遊び(この前、検査したら陰性でした。良かった良かった)があるので心配はいりませんよ…というわけで軽快に靖国通り沿いの店を冷やかしたり見入ったりして、とりあえず矢口書店でも買う事にしよう。

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 ↑は、左が矢口書店で買ったもの(100円)、右がブックス@ワンダーで買ったもの(324円)です。

 続いてブックス@ワンダー。ここはもう鉄板ですな。

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 時刻は17時を既に過ぎて陽も傾いてきたが本棚の上にある電球電灯は光る気配がないので仕方なく恐るべき形相で物色して、結局中に入って、あんまり2階には行きたくないんやけどなあ、喫茶店みたいな感じになっとるしなあ、落ち着いて本見られへんしなあ、でもSFマガジンSFアドベンチャーがあったなあ…で2階に上がって、テーブルとイスがあっても客は一人もいないのでSFマガジンやらSFアドベンチャーやらミステリマガジンやらが固まっている箇所の前に立って物色、やはり「永神秋門」の時の俺は冴えが違う、今までの古本生活の中でSFアドベンチャーの何年何月号を買って、何年何月号を買っていなかったのか全く覚えていないので鞄からメモ帳を取り出して確認するのであった。

 さて時刻も17時半をとうに過ぎてしまった、ここ神保町を18時に出て秋葉原に向かうルールなので(どうしてそんなルールなのかは俺が聞きたい)今度は裏側のさくら通りを通って三省堂書店方面へ移動して、なるほど11月で「古書モール(古書かんたんむ)」は閉店して今や跡形もなくなってしまった。人の世の常ですなあ…。

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 しかしながら俺は攻防戦の最中なので三省堂書店前の自動販売機でコーヒーを買い、飲み、三省堂書店に入って2階のトイレでそのコーヒーもろとも小便として出して、10分ほどブラブラと店内をうろついていると18時となったので愛(自転)車「クイーン・ウィルコム」は主人の元へとやって来た、そら来た、攻防戦のメインである秋葉原だ、靖国通りを東に、ちょうど都営新宿線の上を走るように電車よりも早いスピードが出せるのは俺が新天皇だからだ、ずいぶんとまあ滅茶苦茶だが世の中の大半は滅茶苦茶なのだ、砂上楼閣たるラブコメであっても構わんのだそれがラブコメ政治耳鳴全日記だ、欲望渦巻く秋葉原だ。

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 いつもの場所に自転車を置いて、今や完全に鬼神となった俺を恐れてある人は道を開け、ある人は我関せずを決め込み、その他大部分の人が…何やあれは、中国人の集団か?先頭に旗を持っている人がいて…はあ秋葉原に観光ですか、まあせいぜいエロを堪能されるがよいですよというわけでまずはとらのあな

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 地下1階に下りて、えーと先々週はとらのあな立川店に行ったんだったな、更に前だととらのあな宇都宮店とメロンブックス宇都宮店に行ったわな、日本ラブコメ大賞2019は今年もやらなあかんわな、ライフワークですからな…というわけで見本誌を読んで、勃起して、見本誌を読んで、勃起して、とりあえずこちらを買おう。

しすたーずサンドイッチ (ムーグコミックス)

しすたーずサンドイッチ (ムーグコミックス)

 ここでのスケジュールですが19時半~20時頃には秋葉原を発たなければなりません。日本有数の観光地である秋葉原にそんな短時間しかいないのは全く贅沢な話なのですが、「永神秋門」の時の俺は冴えが違う、鞄に買った本を押し込んで、自転車を運転して光よりも速く移動するものですから疲れてきた、これはもう長くいればいるほど疲れてくる事が長年の経験で俺にはわかるのであるというわけでメロンブックス

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 この階段の横にあるクレーンゲーム機械の前で50歳前後と思われる白髪のおっさんがお目当ての人形が取れなかったのかわざとらしく「チッ」と舌打ちをしたので俺はまた「ああん」と言ってやって、さて日本ラブコメ大賞2019のために物色、俺は戦うために生きてきたのだ(意味不明)というわけでこちらを買おう。

色めき出す世界 (BAVEL COMICS)

色めき出す世界 (BAVEL COMICS)

 日本ラブコメ大賞成年編2017の1位の実績がある作者の、日本ラブコメ大賞2019の大本命であります。

 で、これで終わると思ったら大間違い、続いてブックオフへと移動すれば人々は俺を恐れてある人は道を開け、ある人は我関せずを決め込み、その他大部分の人が…はて今頃気付いたがマスクをしていないがどこへ行ったのだ、ポケットにもない、いやそもそもいつからマスクをしていないのだ、国会図書館でマスクを取ってうがいをしたのは覚えているが…よしこのまま風邪をひきインフルエンザに直行だ、なに「永神秋門攻防戦」はもう大成功間違い無しなのだからな。

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 「都内最大級!」「6階建て!」のポジティブな謳い文句はともかく、狭い上にやたらと空気が乾燥しているというか何か嫌な感じやなあ、こんなところにずっとおったらそれこそ風邪ひいてしまうわい…と思いつつ品揃えの方はまあ文句なし、先々週の立川店に勝るとも劣らない、いやあ目移りしちゃうねえ、日本ラブコメ大賞2019やねえ、世界のラブコメ王やねえ。

 

宇崎ちゃんは遊びたい! 1 (ドラゴンコミックスエイジ)

宇崎ちゃんは遊びたい! 1 (ドラゴンコミックスエイジ)

 

 秋葉原も順調に終える事ができたか、やはり今日の俺は冴えが違う、ここまで買った本を鞄にギュウギュウ押し込んで結構重くなって肩が痛くなってきたか、さすが35歳もうすぐ36歳だ…というわけで任務完了すればすぐにその場を離れよう、去る者は追わず(意味不明)。神田駅~三越前を爆走して日本橋で急カーブで周囲の建物は無残に壊れたものの気にせず永代通り永代橋を更に爆走で今や暴走、そしていつもならブックオフに行く前に中華料理屋に入るところだが別に腹が空いているわけでもなし、というか昨日も会社の上司先輩と中華料理屋に行ったしなあというわけで一目散にブックオフ江東門前仲町店。

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 やあ、やっぱりこういう街中にポツンとあるブックオフが一番落ち着くというか俺に合ってるね、庶民派だね、しかしそれは庶民に愛されたいだけで本当に庶民の中で生活したいわけではないのだ、自分だけは贅沢したいし庶民を犠牲にしても自分だけがスポットライトを浴びたいだけなのだ、所詮人間は良く思われたいのだ、悪役などまっぴら御免なのだ…と話題が会社の事になりそうなのでとりあえずこれを買おう。 

手品先輩(1) (ヤングマガジンコミックス)

手品先輩(1) (ヤングマガジンコミックス)

 

  さてこれで「永神秋門攻防戦2019」も俺の大勝利となった事がここまで読んだ諸君にはおわかりのことであろう。やはりラブコメ政治耳鳴全日記とはツイッターではなくこのブログがメインなのであり、このブログのメインは「脱走と追跡の読書遍歴」でも「日本ラブコメ大賞」でもなくこの「永神秋門攻防戦」なのだ、というわけで俺はまだまだやるぞ、ようやく腹も空いてきたのでマクドで最近はまっているフルーリーと共にまた会いましょうごきげんよう

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筒井書店、俺は播磨人、札幌

2018年11月~

  • 昨日の神戸の古本祭りでの3冊。 そう、俺は播磨人、ガラは悪いし気も荒い、そのくせ鷹揚で呑気…。 pic.twitter.com/f6BTopHh7b posted at 00:24:03
  • 新入社員の教育とか相手とかをもう7〜8年くらいやっているとよくわかるんですが、やっぱり若ければ若いほど本に対する執着心というか愛着がないんですね。 と言っても電子書籍とかの事じゃなくて、今はコンビニコミックとか復刻版とかで、 posted at 14:12:14
  • 「昔の名作」「幻の名作」がすぐに手に入るので、俺みたいにわざわざ古本市に行って、わざわざ汚いボロボロの本を買うのがもう、理解できないらしいです。 あと、ブックオフとか古本屋に本を売るのもね、俺らくらいまでは「もう売ってしまったら(手放してしまったら)二度とこの本は読めない」 posted at 14:18:10
  • っていう恐怖みたいな感情に襲われるわけですけど、それも理解できなくて、「そんなわけないでしょ、こんなに図書館とかブックオフがあるんだから、どこでも読もうと思えば読めるでしょう」って言われて、ああそういうもんかと思ったりしましたね。 posted at 14:24:53
  • @shomotsubugyo 確かにねえ、便利なんですけどねえ…。 それで大丈夫って割り切る事もできなくてねえ、まあ…今からまた古本屋に行くけどね。 posted at 16:04:44
  • 故郷から東京へ戻る途中も悪行三昧・その1・一色文庫(100円棚がいい本ばかりで困った) pic.twitter.com/4iWl9r1D0J posted at 22:36:51
  • 故郷から東京へ戻る途中も悪行三昧・その2・メロンブックス大阪日本橋店(一色文庫さんから歩いた、足が痛くなった pic.twitter.com/uhPW6uUbKF posted at 22:40:11
  • 会社での話。 残業も厭わず、周りへの気遣いを怠らず、且つ嫌われ者も引き受けてくれた人がいて、その人は気さくな人だったので俺は親しみをこめて「おっさん」と呼んでいたんですが、その人は定年が近づいてくると「俺は定年(60歳)になったらすっぱり(会社を)辞める」と言ってまして、 posted at 23:39:17
  • 宣言通り60歳になってすっぱりと辞めたのが1年半前で、最後に飲みに行った時に「これからは趣味の釣りをとことんやれる」と言っていたのが印象に残ってまして、ところがこの「おっさん」は3か月ほど前に急性の心筋梗塞で亡くなっていた、というのを昨日知りました。 posted at 23:43:57
  • それを聞いて何がびっくりしたって、4か月前、つまり亡くなる1か月前に、俺はそのおっさんとその他数人で軽く昼食を共にしたんですが、その時は少し痩せたかなあという程度で、全く何にも変わってなかったんですね。しかもその時「今は週1~2で釣りに行っている」って嬉しそうに言ってたんですよ posted at 23:48:05
  • で、そのおっさんは結構古い考えの人というか、「若い頃は嫌な仕事やしんどい仕事もやるべきだ」とか言う人でして、「好きな事とかやりたい事があるなら、それは大事に自分の中にしまっておいて、今は与えられた仕事を一生懸命やれ」って言っていたのも思い出しました。 posted at 23:53:44
  • だから、まあ、そんな事言うんだったらもっと長生きして、5年でも10年でも釣りばっかりしてくれやおっさん、残された俺らはたまらんで、という感じですが、世の中そんなもんと言えばそんなもんなんかなあ…と。 posted at 23:59:41

気弱な芸能記者/ケヴィン・オールマン[早川書房:ハヤカワ文庫HM]

気弱な芸能記者 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

気弱な芸能記者 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

  誰しも一度はジャーナリストになりたいと思った事があるはずだ。世の中はめまぐるしく動き変化の連続である、その変化に時に追いつき時に追い越し、問題点をえぐり出し、未来に向けて提言をし、弱者に寄り添い、巨大な組織と巨大な悪にたった一人で立ち向かうジャーナリストとなって、光り輝くような人生を送ってみたい。しかし世の中はそううまくはいかない。本作の主人公は肩書きこそジャーナリストだが担当は芸能全般で、コラム「タキシードを着て夢のパーティ」を受け持ってはいるが、所詮は虚業の世界であるから29歳にもなればややうんざり、いや、かなりうんざりしている。とは言えこの仕事はそれほど悪くはない。「嫌いとは言えない仕事をして、何とか生活できるのだから、恵まれている方かもしれない」のであり、「ブルース・ウィルスがにやけた笑いを1回見せるだけで普通の教師が一生かかっても稼げないほどのギャラをもらう事に責任すら感じる」が、そういう時は小難しい時事雑誌やお堅い小説を読んで気を楽にすればよい。

 とりあえずは「80になる女性が29歳に、12歳の少女が29歳に見られようとやっきになる」世界であっても、「有名人がプールで泳いでいるところを撮影される場合、メイクに4時間はかける」世界であっても、「娼婦と家出娘は視聴率調査会が番組のランキングを行うのになくてはならない存在で、放送局はこぞって、路上で客引きをする売春婦についてお決まりの扇情的なレポートをする」世界であってもいいのである、いつかは憧れるジャーナリストになれるはずである、浮浪者と言われる事は慣れているのである。人と深く関わりたくない主人公にとってはバイセクシャルの彼女とつかず離れずの関係の方がいいのである。落ち込んだ時は「カラマーゾフの兄弟」を読む事にしているのである…という愛すべき主人公芸能記者君はネタ探しに「ハリウッド女性協会」の受賞パーティーに出席する(ネタ探しでもなければそんなものに出席しない)のであり、ミステリーのお約束に則って受賞者の死体の第一発見者となり、第一発見者の特権として遺書らしきメモを手に入れ、被害者が単なる自殺なのか自殺に見せた他殺なのか真相を追うことになるが、もちろん主人公芸能記者君は単なる芸能記者であるから、できる事と言えば関係者(被害者の夫、同僚、仕事上のパートナー、通っていた心療内科の医者)から話を聞き出すことだけで、そこでズバッと事件を解決できればいいがやや不自然な点があるだけで自殺は自殺でしかないのであった。大体関係者へのインタビューも「留守電マラソン」状態であって、おんぼろアパートの家賃は払えず、バイセクシャル彼女から金を借りる事で二人の関係は不安なものに変わってしまうのであった。もう真相を追う事などやめて「リビドーが旺盛なマリブの高校生達を主役にした夜の娯楽ドラマに出演中の32歳の女優」の伝記を書くか健康保険も預金もない貧しいパーティーめぐりの芸能記者生活に戻るかと逡巡しているうちに事件の糸口が掴めるのであった。と言っても被害者が浮気していたからそれがどうなのだ、女ってのはイカれているのだ、もううんざりだ、大人になりきれない10代の若者のように生きる事がうんざりで、自分の人生にうんざりなのだ。

 とは言え事件は解決する。もちろん主人公の努力と苦労と情熱によって解決するのではない。少しは主人公も努力し、苦労し、解決に貢献はしただろうが、ほとんどは成り行きであった。だから人生はうんざりなのだ。夢溢れる華やかなアメリカの芸能界を見てきた主人公芸能記者君が言うのだから人生はうんざりなのだろう。しかし1年に1度は必ずアカデミー賞の授賞式がある。「世界中の人々がアカデミー賞の行方を、まるで人生の一大事のように知りたがっている」が、「それが彼らの人生とどう関わっているか」はわからない。「現場にいる私(主人公芸能記者君)にすら、この催しが自分の人生とどう関わっているのかがわからずにいる」のである。それでも芸能記者君はしばらくは華の芸能界で生き続ける、読者もまた華の現実社会で生き続ける。いつしか主人公芸能記者君と読者の姿は重なる。幻想に満ちたショーが終わり、本物の夜が始まるであろう。

日本ラブコメ大賞2018:Ⅳ 教えてくれるのは今や

10位:花園の雌奴隷肉そうきゅー。ジーオーティー:GOT COMICS]

 さて今から成年版ラブコメを始めるわけだが、一般部門ラブコメのような難しい条件はない。「地味で平凡で冴えない男」が主人公で、その主人公がヒロイン達を獲得し、ヒロイン達が主人公(=読者)に対して性的に積極的に奉仕し、その事自体に喜びを見出す姿を見て主人公(=読者)が勝者の喜び、支配者の優越感、無限の快楽を感じる事ができればそれでよい。

 しかし短編ならば性交渉の熱気と勢いでそれら「勝者の喜び、支配者の優越感、無限の快楽」を感じる事ができるが、長編ではそうもいかない。殊に本作のような、「小汚いおっさん」「冴えない中年事務員」が「人生逆転ハーレムドリーム」を築き上げるのだからかなりの準備が必要となる。と言っても「催眠」を使えばすむ話だが、ではその催眠等のお膳立てを導入部でどう処理するか、が問題となる。都合良くひみつ道具が出るわけではないのであり、ではどうするか。その催眠ハーレムへと移行する展開こそ一番の評価ポイントなのである。

 しかし本作はやや難があって、「レイプ願望のあるヒロイン」はいいとして「支配され罵られ犯される、それこそが女性が最も美しく輝く瞬間」と信じて疑わないから主人公(=読者)がハーレムを作るのに協力し、且つ自分もそのハーレムの一員になって主人公(=読者)に犯される(「精液浣腸十連発」)、他のヒロインが主人公(=読者)に犯されるのも進んで強力する、という女が登場するが、そうなると主人公(=読者)がヒロインに操られているような感じもしてやや戸惑ってしまった。もちろん主導権はヒロイン側が握っていてもいいが、最後の最後、生殺与奪の権は主人公(=読者)が握っている事を読者がはっきりと明確に意識できなければ、読者は性欲を十分に解消する事ができない。催眠のきっかけのみヒロインに明け渡し、その後は「催眠→性奴隷化→催眠が解けた後も性奴隷化を維持」で素直にやればまた違った印象を見せたであろう。また「ポプリクラブ」出身の作者の絵は明らかにライトで淫靡さが感じられず、結果主人公も「小汚い中年のおっさん」感がなく、またヒロイン達も「雌奴隷として堕ちた」感がない。しかし作品世界上は明らかに「小汚い中年のおっさん」の「雌奴隷となった」のであり、読者は更に戸惑う事になる…などと言いたい放題書いているが、もちろん本作は成年版ラブコメとして及第点であり評価するに値する。最後のハーレム性交渉場面(「みんな主人公様のお気に召すよう、思い思いの衣装を選んだんですよ」「私達は主人公様の雌奴隷ですもの、お好きなおまんこをお好きなだけ貪り犯して下さい」「主人公様のためなら悦んで、ここは主人公様の雌奴隷が通う花園なのですから」)は迫力があり、なるほど「人生逆転ハーレムドリーム」であった。次回作に期待している。

 

9位:てんぷてーしょんRecoワニマガジン社:WANIMAGAZINE COMICS SPECIAL

 「地味で平凡で冴えない男」が主人公で、その結果、対するヒロインが積極的になるのがラブコメである。つまりエロ漫画においてはヒロインが積極的に主人公(=読者)を誘惑し身体を開くわけだが、大事な事は「主人公(=読者)に対してのみ」積極的になる事であって、元々そのような積極的、開放的、或いは「男なら誰でもいい(棒なら何でもいい)」淫乱女だったから主人公(=読者)と性交渉に至った、は駄目となる。最もそのような淫乱女との性交渉漫画などそもそも買わないわけだが、注意すべきは「ただ何となく」性交渉へと至る場合であって、ヒロイン側からの明確な愛の告白なく性交渉へと至った場合、それはラブコメかと言えば否である。もちろん「主人公側から愛を告白し、その結果ヒロインも愛を告白した」パターンも駄目であって、あくまでヒロイン側から仕掛けなければならない。かと言って淫乱女であってはならない。ヒロインは主人公(=読者)の事が好きだから身体を開くのであって、それ以外の男にはまるで興味がない、という事をはっきり意思表明してこそ(それを読者も認識してこそ)、主人公(=読者)は欲望を放出する事ができる。

 翻って本作はと言えば各短編は基本的にヒロイン側から仕掛けてはいるが、仕掛ける側の葛藤や内面描写がない場合もあり、その場合の主人公(=読者)はやや手探り的に性交渉へと移行し、その中でも性交渉の過程で愛を告白されるパターンもあれば何もなく終了するパターンもあり、まさに玉石混交というところであった。これらはつまるところ「都合のいい女」という存在の奥深さを作者を含めた制作側が消化できていないからで、例えば土下座して「私とセックスして下さい」とヒロインが言ったところで実際に性交渉へと至る事はないのであるから(ムードも何もないから)、やはり性交渉の前段階がしっかりしていないとただ性交渉場面を描くことに意識が行ってしまい(エロ漫画である以上当然だが)中途半端なものとなる。ヒロインが主人公(=読者)に身も心も支配されたいと心から願い、またそれを全身全霊で表現するところからラブコメは始まるのである。

 と言いたい放題になってしまったのはそれでも本作の良さが揺るがないからで、玉石混交の「玉」の短編は単体なら1位や2位になってもおかしくない素晴らしさであった。主人公(=読者)のために頑張るヒロインは念願の性交渉が叶った後も「彼女にして欲しいなんて言わないので、またえっちしてくれませんか」と健気に振る舞うのであり、同棲中のヒロインは忙しい主人公(=読者)のために「今日はもう遅いからお風呂でしてあげますね」と至れり尽くせりの奉仕をするのであり、年下どころか10以上も年も離れているヒロインから「付き合わなくてもいいので傍に居させて下さい」と言われた主人公(=読者)はそうは言ってもその可愛さいじらしさに負けて濃厚な性交渉へと至る(「どうしてそんな大事そうに飲むの?」「飲むと主人公さんのものが身体のなかにあると思えて、すごく嬉しいんです」)のであった。素晴らしい。次回作に期待している。

 

8位:ふにちちているかいづかジーオーティー:GOT COMICS

ふにちちている (GOT COMICS)

ふにちちている (GOT COMICS)

 当たり前だが最後は「総合力」がものを言う。部分的に優れていても、全体的な成果が出なければ意味がない。上手い絵、美しい絵、感心するような絵、等、等を描く人はたくさんいるが、それを物語として提示し、読者に感動を与えるのがゴールである。そし成年版ラブコメであれば「地味で平凡で冴えない男」が「美人で胸も大きくてスタイルも良くて性格もいい云々な女」と性交渉へと至り、しかしその性交渉は無理やりではなくあくまでヒロイン側の意思によるものでなければならず、性交渉も形式的なものではなく主人公(=読者)を癒しつつ性的な欲望を解消させつつ、主人公(=読者)にとって負い目とならない(ヒロイン側からの要請による性交渉なのだから、いかにケダモノ的な欲望を叶えようともよい)という力強い物語を提示しなければならず、それさえ満たせば画力など大した問題ではない。

 というのも本作は画力一般については明らかに10位、9位の作品より劣るからで、もちろん十分読むに値するレベルであるし作者は過去に別の作品でもランクインしている(2015年9位「エローライフ」)立派な中堅であるが、時々主人公やヒロインの顔が雑に描かれているところもあり、間違いなく自慰には使えない(であろう)。しかしラブコメとして見た時にヒロインの主人公(=読者)に対する仕掛け、性交渉へとなだれ込む過程が絶妙であり、構図としては

①ヒロインはやや単純な性格

②何らかのきっかけ・事故・偶然によって主人公とヒロインの関係が深まる

③ヒロインは単純なので、深まった事によって「じゃあ性交渉まで行こう。元々好きだった(気になっていた)し」と主人公側に持ちかける

④性交渉後は「ここまで深まったのだから、これからも宜しくね」

 を踏まえており、非常にスムーズに終わりながら読後感は爽やかなものとなっている。つまりヒロインから主人公(=読者)へのアシスト、パスがうまいのであり、後はその流れに乗って主人公(=読者)は性交渉へとゴールすればよく、またそれによって主人公(=読者)は達成感を味わう事もできよう。言わばヒロインは主人公(=読者)を立てているのであり、更に見逃せないのがそれによってヒロインが実利を得る事まで描写している(「このお兄ちゃんの大きいおちんちんで、ちゃんとお嫁さんにして下さい」「ちゃんと赤ちゃんできるかな、そしたら先生に責任取ってもらうんだ」)事である。スムーズに終われば、性交渉後の余韻も十分楽しむ事ができるのである。

 画力がそれほどではなくても立派なラブコメであれば大いに評価する、という俺の方針にドンピシャな作品であった。作者には感謝したい。

 

7位:隣のJKエルフさん/なるさわ景ヒット出版社:SERAPHIM COMICS]

 こちらも9位と同じく「都合のいい女」に分類されるヒロインが出てくるが、それよりも「棚ボタ」的ヒロインと言った方が正確であろう。特に理由もなく主人公とヒロイン達は性交渉を始め、ヒロイン達は異種族(エルフ、サキュバス)であるから、ラブコメがいつも悩まされる「どうしてこんな地味で平凡で冴えない男が美人で胸も大きくてスタイルも良くて性格もいい云々な女と簡単に性交渉ができるのか」という問いにも「異種族(エルフ、サキュバス)だからしょうがない、地味で平凡で冴えない男と性交渉する事にも抵抗がないのだ」と答える事ができよう。但しこれは諸刃の剣であって、そのような常識から逸脱した「異種族(エルフ、サキュバス)だからこそ性交渉を行う事ができる」という事は、主人公(=読者)は「異種族(エルフ、サキュバス)」ぐらいの異質な存在としか性交渉できないという事にもなろう。やはり異種族だろうが人間だろうが好きな時に好きなだけ性交渉ができる、しかし今は異種族を選んで性交渉を行っている、という事を示さなければならない。それによって異種族ヒロイン側は「人間を選ぶ事もできるのに、わざわざ私達異種族を選んで下さった」となって、主人公(=読者)へ忠誠を誓い奉仕に精を出す事になろう。

 話がそれたがそのようにして主人公は棚ボタ的に異種族ヒロインと性交渉を行うのであり(「飲み会で酔い潰れた勢いで、冗談交じりにイチャ付き合っていただけで…」「サキュバスは定期的に精液を必要とする」)、ラブコメにおいて必要な「ヒロイン側→主人公(=読者)の仕掛け、誘惑、愛の告白」がなくいきなりな展開となるわけだが、しかしヒロイン達は主人公(=読者)にその身体を完全に差し出し、主人公(=読者)は容赦なく膣内射精を行い、しかしヒロインは一度や二度の射精では飽き足らず貪欲に主人公(=読者)を求め、しかしそこに「異種族」或いは「淫乱」といった異常な感覚は醸し出されず、それでもヒロイン達はあくまで主人公(=読者)の欲望を受け入れ、受け入れた事に歓喜し、その歓喜の波がまた新たな快楽を呼び覚ますのであり、言わば主人公(=読者)に完全に屈服しているのであった。

 「屈服」とは言ってもその性交渉はマイルドであり、仲睦まじい恋人同士の甘ったるい雰囲気で包まれている。それは支離滅裂なただの淫乱となる恐れのある「異種族ヒロイン」を、非常に可愛らしく愛らしく描く事を作者が意識しているからであろう。また複数のヒロインの使い分けも効いていて、前半のエルフものにしろ後半のサキュバスものにしろそれぞれのヒロインと主人公(=読者)の性交渉を丁寧に描きつつ、調味料的にそれぞれのヒロインの痴話喧嘩を挿入し(「ちょっと二人とも、晩御飯食べたばかりなのに」「だってお姉ちゃんは帰り道で主人公にしてあげたんでしょ、ずるいじゃん」「ずるいですよ二人とも、帰った途端始めちゃうなんて、いくら私だって妬けちゃいます」)、それによってヒロインはより一層主人公(=読者)の欲望に応えようと過激に身体を開き、より旨味が出るのであった。

 しかし最初に言ったように、ヒロイン達は「異種族」であるから、屈服させたとしてもそれは「異種族だから」とも言えるのであり、興奮度としてはそれほどではない。世の中うまい事いかんが、しかしいいラブコメである。

 

6位:義妹とスル?志乃武丹英富士美出版:富士美コミックス

義妹とスル? (富士美コミックス)

義妹とスル? (富士美コミックス)

 さて日本ラブコメ大賞成年部門編恒例となった義妹シリーズ、もう何作目か忘れてしまったがとりあえず過去の作品は以下となる。

・2014「義妹処女幻想」→2位

・2015「義妹禁断衝動」→3位

・2016「義理なら兄妹恋愛してもいいよね」→5位

・2017「義理の妹なら溺愛しちゃう?」→4位

 という事でおめでとう、今後もそのストイックさを崩す事なく、力の許す限り義妹もので我々を楽しませてもらいたい…という事なのだが、今年のメインである「父の再婚で娘ほど年齢の離れた義妹ができた」「バツイチで独身の俺」「別れた妻との間に娘が一人」はひねり過ぎ、こすり過ぎであろう。いくら何でも高校生の娘がいる身分で、「娘ほど年齢の離れた義妹ができたが、その義妹と性交渉を行う」は倒錯的であり、なるほどエロ漫画とは倒錯的なものであるから駄目とは言わないが、しかしこれは…と世界のラブコメ王も少し悩んだが、そうは言ってもこれまでの義妹シリーズで言及してきた「清楚な雰囲気を持ちながらもその台詞から仕草まで全ては『お兄ちゃん(=主人公=読者)が好きで、お兄ちゃんに抱かれたい』を表現している」「義理とは言え妹であるため躊躇している義兄(=主人公=読者)を何とか誘惑しようと健気に拙い努力をする」「義兄に全力でぶつかりつつもキュートさを失わないその愛くるしさは遊んでほしそうに寄ってくる子犬か子猫のよう」は本作でも健在で、そこに父親を慕う娘のような錯覚も混ぜ合わせる事でほのかに倒錯性を匂わせ、しかしヒロインには「父親」的な言葉は一切言わせずひたすら「お兄ちゃんお兄ちゃん」と言わせる事で主人公は若返ったような感覚となり、読者は「バツイチで子持ちで、それでも娘ほど年齢の離れたヒロインを抱く」主人公と一体化できなくても、主人公の若返ったような感覚、自分を欲し愛してくれる女性がいる(「お兄ちゃんの赤ちゃんがいつか欲しいって、本気でそう思って、そう思ったら直接言いたくて」)と認識した時の力強さを感じる事はできよう。成年版ラブコメの目的の一つに「読者が明日を生きる希望、勇気を感じる事ができる」があり、見事に本作はそれを達成しているのであった。

 とは言えこの「バツイチの俺に義妹ができた」話はメインと言っても全体の3分の1程度であり、その他は普通に高校生の主人公と義妹ヒロインの間で甘美な一時が展開される。それも露出プレイ、アナル拡張プレイ、新体操プレイと盛り沢山であるが、全ての義妹はひたすら義兄主人公(=読者)のためにややアブノーマルな世界に足を踏み入れるのであり、いかにアブノーマルであってもその根底には義兄主人公(=読者)への一途な想いが溢れ清々しさを感じさせ、またその清々しい性交渉を通じて義妹ヒロインと義兄主人公(=読者)の関係は家族以上に家族的な絆となっていくのであった。これも「読者が明日を生きる希望、勇気を感じる事ができる」であろう。日本ラブコメ大賞に不可欠となった義妹シリーズ、来年も宜しくお願いしたい。

 

5位:あいとかえっちとかね榎本ハイツコアマガジン:ホットミルクコミックスシリーズ]

 優れたエロ漫画はラブコメよりラブコメ的である。性交渉という、男と女が最も赤裸々に自分という存在をぶつけ合う姿を描く事で二人が背負う愛と人生を謳い上げる事ができるからで、一般のラブコメであれば性交描写はエロ漫画に比べ淡白にせざるを得ず、淡白であるから主人公とヒロインの関係を描く上で性交渉が何らかの役割を果たす事はないが、エロ漫画であれば、幾多の困難を経て性交渉へと至り、また性交渉を繰り返し行う事で二人の絆を深くしていき、困難に立ち向かう事ができる。それによってラブコメの使命である「希望、癒し、救い」を読者は深く感じる事ができよう。

 と言っても本作は少々複雑で、主人公は金持ちであった。しかし親の愛を知らずに育ったため何でも金で解決しようとするが(「僕の周りは皆金目当てです」「家族なんてくだらないですよ」)、かと言って金の力で何でもかんでも屈服しようとするわけでもなくただ無気力に日々を生きているだけである(但し一人暮らしなので家事は得意)。言わば贅沢者であって、ラブコメの主人公は「地味で平凡で冴えない男」なわけであるから当然貧乏人を想定しており減点にはなる。

 とは言え本作の魅力はヒロインにある。良く言えば恵まれない、悪く言えば甘えているだけの主人公に対してヒロインは「仲良く愛を探求していこう」と言って純粋に愛らしく身体を開くのであり、半信半疑で性交渉を繰り返す主人公に対してなお一途に優しく包もうとするのであり(「私が一肌脱いでやる、私のおっぱい吸ってみてくれ」「宇宙で一番大好きなんだぞ」)、やがて主人公の心を開き相思相愛となった、とわかった時のヒロインは激しく乱れ快楽に打ち震え(「チンポがレベルアップした、太い太い太い」「主人公のチンポでかき回してほしいんだよ」)、それでもヒロインにはエロ漫画特有の淫靡さや下品さがなく可憐さ愛らしさが失われないのは、ヒロインが愛を知り愛そのものとなったからである。そのため主人公に試練が立ちはだかっても(主人公の義母による妨害)快楽に飲み込まれそうになっても、最後に主人公はヒロインの元へと帰るのであった。なぜなら主人公の求める愛はヒロインそのものだからで、そうなれば「僕の子供を産んで下さい」となるのもごく自然な成り行きであろう。愛と性交渉は新たな命の誕生へと繋がるのであり、「人間にはお金より大事なものがある」事を人は知るのである。それが人生というものだが、それらを教えてくれるのは今やエロ漫画もしくはラブコメだけになってしまった。ただ表面的な綺麗さや華やかさだけを求めて世の中はずいぶんと殺伐になってしまったが、本作のような作品に出会うと「生きてて良かった」と思うのである。ラブコメ万歳。

 

4位:ギャル姉社長とハーレムオフィス辰波要徳ジーウォーク:ムーグコミックス]

 とにかくまあ、すごい巨乳・爆乳であり、すごい巨乳・爆乳でありながらヒロイン達の腰は締まり脚は細く長く、プロポーションは完璧、しかしこの世のものと思えない巨乳・爆乳であり(しつこいな)、その驚異的な画力をドドーンと開陳して読者を鷲掴みにしている。エロ漫画として真っ当な方法であるが、もちろん俺が優先すべきはラブコメであり、胸の大きさは関係ない。しかしまあすごい巨乳・爆乳である(しつこいな)。俺はおっぱい星人だ(知らんがな)。

 主人公は弟で正ヒロインは「姉で、ギャルで、女性用ファッション(エロ水着やエロ下着)の社長」であり、エロ漫画のセオリーに則って姉は弟(=主人公=読者)を溺愛し「(姉弟だけど)いつまでもこうしてセックスしてあげる」のであり、しかし姉弟では公然と付き合う事はできないからと社内の同僚部下の女たち(社内は弟以外全員女)に弟(=主人公=読者)との性交渉の機会をプレゼントし(「アプローチし放題状態よ」)、そうは言っても弟(=主人公=読者)が実際に同僚部下の女たちと性交渉を繰り返し深みにはまっていく様を見せられると嫉妬してより激しく弟(=主人公=読者)を求めるのであり(「しばらくエッチしてなかったから我慢できなくなっちゃった」「こらー、誰かとヤッてたな」)、姉として弟の将来を心配しているという優しさと、しかし弟が他の女と仲良くすると我慢できないという女性ならではのいじらしさ可愛らしさがうまく表現できている。また姉ヒロインもその他のヒロインもすごい巨乳・爆乳でスタイル抜群な上に主人公(=読者)との性交渉にぞっこんなのだから、読者は大いに優越感を感じ、欲望を放出する事ができ、更に姉の嫉妬によって自分がいかに愛されているかを確認でき安心感に浸る事ができよう。

 つまり本作は成年ラブコメとしては百点満点に近かったが、やはり「ギャル」を持ってきたためか弟(=主人公=読者)と姉の間で物語を回収するためか、やや痴女的な雰囲気も醸し出されてしまっている(「そろそろウチのセフレチーム入りして複数プレイとかしてみちゃう?」「他の男と一緒はちょっと…」)のが惜しい。ハーレムだからと言って理由もなく(ただ気持ちよくなりたいから性交渉をする)主人公とヒロインが性交渉をしては駄目なのであって、それぞれのヒロイン達がそれぞれの理由によって(一目惚れ・何となく好きになった、でもよい)主人公と性交渉を重ねなければならない。それによってハーレムとしての重みが増し、快楽は2倍にも3倍にもなろう。

 などと注文をつけたが、最後のシーン、際どい水着での各ヒロインとのハーレムプレイとその直後の姉ヒロインの必死の告白(「主人公を誰かに取られたくないよ、他の子といくらセックスしてもいいから、付き合うのはお姉ちゃんだけにして」)はそんな細かい事など全て払拭してしまう力強さであった。なるほどこういう風にして(「主人公君の心は姉ヒロインのもの、主人公君の身体は皆のもの」)ハーレムを正当化する事もあるのだ。人生日々勉強ですなあ。

 

3位:宵はじめこっぽり生ビールワニマガジン社:WANIMAGAZINE COMICS SPECIAL

 何度も言うようにラブコメとは「地味で平凡で冴えない男」に「なぜか女が寄って来る」というありえない物語であり、成年版ラブコメともなれば「寄って来る」などという甘っちょろいものではなく女が自ら望んで身体を開き股を広げてくるわけだが、それを違和感なく展開させる事ができるかどうか(読者に違和感を感じさせないかどうか)がポイントとなる。

 そこで本作であるが、性交渉前→性交渉→性交渉後の一連の流れに違和感が全くなかった。もちろん何度も読めばいわゆる「都合の良い」部分に気付くが、構成としては、

①主人公とヒロインはごく自然に会話

②いつの間にかいい雰囲気(或いは淫猥な雰囲気、甘ったるい雰囲気)となる

③お互い気になっている、好き合っている事はわかっている

④性交渉

⑤性交渉後も濃密な二人の世界を維持

 となって、立て板に水のように全てがスムーズなのであり、なぜこのようにスムーズなのかと言えば作者の目的意識が明確だからで、作者はエロを描こうとしているのではなくエロの前と後にある二人の物語を描こうとしており、年頃の男と女の物語を描けば必然的に性交渉となりエロ漫画となり、その男を「地味で平凡で冴えない男」にして、女から積極的に身体を寄せてくればそれがラブコメとなるのである。

 大事な事なので何度も言うが、主人公が「地味で平凡で冴えない男」であればそれだけでラブコメとして成立するのは、対するヒロインが「地味で平凡で冴えない男」の相手役である以上「女から積極的に身体を寄せてくる」とならざるを得ないからである。本作のヒロイン達もやや奥手な主人公に積極的に性交渉へと導くが(「本当に温めたげてもいいんだよ」「主人公君と二人っきりになれるところがいいな…」「主人公が今考えてる事…する?」)、それは主人公を「地味で平凡で冴えない男」に設定した以上自然な流れであり、誰でも描こうと思えば描けるが、しかしそれを実際に描く者は少ない。だが作者は躊躇なく描いたのであり、それは正当に評価されるのである。奇抜な設定を駆使しなくてもよい、ラブコメとは市井の人々に寄り添うものである事を本作は証明してくれているのであった。

 但しスムーズさに意識を集中させているせいでヒロインが美人かどうかの言及がないのが惜しい(胸が大きくてスタイルが良いのは見ればわかる)。もちろん二次元であるからどうとでもなるのだが、「こんな美人」なのに自分のような「地味で平凡で冴えない男」に抱かれて喜んでいるとわかった時、読者は欲望のタガを外す事ができるのである。しかしそんな事は瑣末な事で、文句なしの良作であった。

 

2位:純愛まにあっく~RePure~あゆま紗由[文苑堂:BAVEL COMICS]

純愛まにあっく ~RePure~ (BAVEL COMICS)

純愛まにあっく ~RePure~ (BAVEL COMICS)

 さて日本ラブコメ大賞2018も本作とあと一作なので、やはり「愛」の問題を考えたい。タイトルにもある「純愛」とは何かという事だが、もちろんエロと純愛は基本的に関係ない。エロがなくても純愛は成り立つし、性的な意味を含まない「純愛」は世の中にたくさんある。また性的な意味を含んだ「純愛」にも「エロ」という後ろめたさはない。困難を乗り越えてゴールインしたカップル…というような大げさなものでなくても、例えば教会で愛を誓う新婚夫婦に「エロ」は感じられない。しかし夫婦にしろ恋人同士にしろ性交渉は不可欠で、性交渉にはエロが不可欠である。ところが多くの場合「エロ」は純愛を否定する。純愛という言葉がもたらす「清く正しく美しい」世界から歪んだものが「エロ」だからである。

 しかし純愛とエロが成り立つ場合がある。それはその2つの相反する概念の間に「恋」がある場合で、「恋」がブリッジとなって純愛とエロを繋ぐのである。抽象的な言い方になってしまうが、「恋」とは通常女性特有のもので、男にはその裏側に必ずどす黒い欲望が貼り付いてるが女性の「恋」にはどす黒い欲望の姿かたちはない。ただ純粋に、恋する男と同じ時間・同じ場所を共有したいというピュアな感情で成り立っており、その「ピュアな感情」はピュアゆえにやや暴走して主人公(=読者)へと向けられる。いわゆる「乙女心ゆえの暴走」となるわけだが、そこにエロ漫画的な表現が加えられる事で「ピュアな乙女心」をベースにヒロインは主人公(=読者)へとアタックし、主人公(=読者)は何の後ろめたさもなくヒロインに欲望を解放する事ができよう。エロ漫画において主人公(=読者)は汚い欲望を吐き出すためそこに汚らしさが発生してしまうが(その「汚らしさ」ゆえに性的効果は一層向上するが)、「ピュアな乙女心」に端を発する性交渉には恋する女性特有のかわいらしさが作用し、それが主人公が背負う汚らしさを一切感じさせず浄化するのである。

 そのようにして本作では少女漫画さながらの目が大きく描かれた顔、丸みを帯びた身体を備えたヒロイン達が主人公へ恋する気持ちを暴走させるのであり(「風紀を乱す生徒なら風紀委員の先輩に見てもらえる」「衣装を脱いだら私も普通の女の子ですよ」「いちゃいちゃするぞこらー」)、その暴走は女性特有の甘さと愛らしさを伴って描かれ、また繰り返し主人公への愛を表現してもそれが少しもくどくないのは、主人公(=読者)への愛がヒロインには溢れており、それをはっきりと読者に提示できているからである。そして性交渉が終われば主人公とヒロインの仲は「純愛」となる。なぜならその性交渉はエロに端を発したものではなくあくまで「ピュアな恋心」によるものだからであり、しかし性交渉にはエロが含まれる。恋するヒロイン達を描く事で「エロ」と「純愛」を両立する事に成功していた本作はラブコメエロ漫画が求める一つの頂点である。素晴らしい。来年もまたこのようなエロ漫画に出会いたいものだ。

    

1位:君想ふ恋ゲンツキ[文苑堂:BAVEL COMICS]

君想ふ恋 (BAVEL COMICS)

君想ふ恋 (BAVEL COMICS)

 またしても抽象的な話となるが、エロ漫画など青臭い童貞、素人童貞、或いは女性経験の少ないオタク等が読むものである。そしてそのような「青臭い童貞・素人童貞・女性経験の少ないオタク等」は性交渉一般そして女性というものに対して幻想を抱き憧れを抱いている。女性とはすべからく美人で胸も大きくてスタイルも良いのであり、母性に溢れ、弱く儚い自分・世間に対してひねくれねじくれてしまった自分を優しく包んでくれるのであり、且つ進んで身体を開き自分の汚らしい欲望を解消してくれる存在であって、そうではない女性など女性ではない、どこかにきっとそんな女性がいる、自分のいる学校や会社にたまたまそのような女性がいないだけだ…と信じているのである。

 当たり前だがそのような女性はどこにもいないので昔の男達は早々にあきらめてさっさと結婚して子供を作っていったわけだが、平成の時代を生きる我々には二次元のエロ漫画がある、あきらめる必要はない、なぜなら本作にはまさにそのような理想的なヒロインばかり登場するからで、透き通るような細く流麗な線によって描かれた各短編のヒロイン達はいずれも気高さと美しさを維持し、且つ胸が大きく腰は締まり脚は細く長く、華やかに輝き、そのようなヒロイン達は自分の弱さやだらしなさを自嘲する或いは自嘲する事に酔っている主人公(「触れようとして壊してしまうくらいなら、せめて優しい思い出として焼き付けておけるように」「限られた時間を有意義に過ごすには合理的は判断が不可欠」「頼ってばかりいる自分が不甲斐なかった、だからずっと、僕を選んでくれた事を素直に喜ぶ事ができなかった」)に優しく声をかけ、奮い立たせ、奮い立たないようなら性交渉OKのサインを送るのであり(「他の誰かのところに行っちゃ…困る」「お姉ちゃんは好きな人のためなら…平気だよ」「私は主人公が好き、それだけは何があっても…変わらない」)、そこまでしてやっと性交渉へとなだれ込む事ができた主人公をヒロインはやはり優しく包み、欲望を受け止めた上でヒロインは歓喜の声を上げるのであり、性交渉の終わりと共に主人公(=読者)は永遠の愛を保証されるのである。まさに至れり尽くせりというか、主人公(=読者)は女神のようなヒロインを手に入れる事ができたのだから読者は無上の快楽に酔い痴れる事となる。

 また本作はとにかく「綺麗」の印象が強く他のエロ漫画とは別格であった。象徴的なのが31頁3コマ目(下記参照)で、ぎこちなく意識している幼馴染の主人公とヒロイン(共に高校生)が自転車に乗っている姿と対比して仲のよさそうな小学生の男の子と女の子を配置する描写はとても美しい。このようなエロ漫画が現われ、またこの日本ラブコメ大賞に加えられた事で生きる希望が湧いてこよう。f:id:tarimo:20181123104358j:plain

 

日本ラブコメ大賞2018:Ⅲ 最後まで戦い抜く

 第10位:恋はママならない片桐兼春秋田書店ヤングチャンピオンコミックス] 

恋はママならない (ヤングチャンピオン・コミックス)

恋はママならない (ヤングチャンピオン・コミックス)

 

 何度も言うようにラブコメには「地味で平凡で冴えない男」を受け入れるようなヒロインが登場する。そしてそのヒロインは特別に慈愛に満ちた女性でなければならない。と言ってもボランティアに熱心だとかマザーテレサのような考えを持っている女性ではない(そんな女性はむしろお断りだ)。主人公(=読者)をほとんど無自覚、無目的に受け入れる女性でなければならない。

 もちろんそのようなヒロインを用意する事は至難の業であるが、では「母親」という存在を使えばどうなるか。即ち、我が子に対して無限の母性(愛情)を注ぐ母親が、その無限の愛情の中に性的なものが含まれていたとしたら…となると話は日本ラブコメ大賞成年編に行ってしまうのだが、とにかく主人公(大学生、20歳前後)は友人の母親ヒロイン(41)に目をつけるのであり、二次元であるから41歳のヒロインは熟女としての魅力を帯びつつ母性的な優しさを醸し出しつつどう見ても20代なのであり、ヒロインにとって主人公は息子の友人なのであるから、最初から好感度が高いわけである。そしてラブコメであるから主人公は友人の姉に無理やり好意を向けられつつも(「私のおっぱい両手で揉んだ」ので「主人公君を好きになっちゃったんだもん!」)母ヒロインからも満更でもない好意を向けられるのであり、紆余曲折を経て友人も友人姉も主人公と母ヒロインのために動き、主人公と母ヒロインの物語は1巻完結で小じんまりと終わるのであった。

 本作は熟女ヒロインとしての魅力を帯びつつどう見ても20代な身体を主人公(=読者)が堪能して快楽を貪る、というところまでいかなかったのでこの順位となったが、それでも主人公(=読者)にとってヒロインは大幅に年上であり、子供に優しい母親であり、しかし「寸分の狂いもなくかわいい」「ワキと横乳とブラが見えてすげーエロ」であるから主人公(=読者)は大いに癒されラブコメとしての魅力も保証され、しかし母ヒロインは「そういう経験がない」という初々しさも描かれているので主人公(=読者)の加虐性を煽る事にも成功し、優れたラブコメとなったのであった。ここまで用意されたなら、「恋人同士なのにいつまでも『○○さん』は寂しいわ」「これからもいっぱいいっぱい、色んなことしてあげる」というセリフにも素直に悶える事ができよう。いいものだ。

「お前が出たところに俺は入る!」

 

9位:民法改正~日本は一夫多妻制になった~/あかほりさとる竹内桜白泉社:JETS COMICS] 

 さて原作はあかほりさとるであり、この男のおかげで90年代のラブコメは間違った方向に行ってしまったわけで、俺などこの男に何度煮え湯を飲まされたかわからない。しかしまあ、このような男に踊らされたのだから90年代など所詮大したことはなかったのだ…という事でもういいではないか。今や2018年も終わり2019年なのだ。

 というわけで本作でもその間違った方向、つまり「主人公を人間味のない『いい人』」にしてしまう」という間違いを部分的に犯してしまっているが(「酔っ払いの絡みなら問題ないだろ」「悪い人はいないって思いたいだけなのかもね」)、そうは言っても主人公は安月給サラリーマン(「毎日残業も厭わず働いていますが一向に給料も反映されません」「主人公、これしか稼いでないの!?」)なので、90年代によくいた「勇気・熱血・友情」を備えた唾棄すべき人間ではないので良しとしてやろう。世界のラブコメ王は寛大なのだ。

 それはともかく民法改正により一夫多妻が可能になった世の中でたまたま遭遇した事故によりたまたま英雄となった主人公に与えられた一夫多妻制の権利の下で主人公には三人の女が群がるわけだが、そもそも主人公には事故に遭遇する前から彼女がいたわけであり、元々「人間味のない『いい人』」的な性格をしているのでラブコメの大原則である「主人公=読者」として主人公に感情移入するには少々難があるが、それでもこの順位となったのは資産家でもない「庶民」である主人公が一夫多妻的状況になった事による戸惑いを丁寧に描いているからで、ハーレムじゃ肉便器じゃと快楽のるつぼ的に処理せず、ヒロイン1(本命恋人)、ヒロイン2(良家のお嬢様)、ヒロイン3(病気の弟を支えるホステス)と平等に向き合い、支え、もしくは支えられ、一方で経済的な問題(安月給ながら三人の妻を抱えている)も描く事で現実味が出てきており、特に3巻で「一夫多妻を制度化する事により、どの妻から産まれた子供にも相続税が課される」等と急に現実的な話が出た事で「人間味のない『いい人』」という悪印象が薄らぎ、巻が進むほどに楽しくなってくるのであった。

 もちろん二次元とは言え妻が3人もいて、その状態に妻達が納得するには理由が必要である。1巻完結の短期間ものなら曖昧に処理できても、複数巻の長編ならば「金」「快楽(性交渉による満足度)」といった明確な理由を提示しなければ「家族」として一つ屋根の下に住む事に違和感が発生するのであり、本作ではその違和感を消すためヒロインそれぞれが主人公に真剣に想いを吐き出し、それでいてシリアスにならない絶妙な間合い(下記参照)を描写する事で「家族」と「ハーレム」の均衡を保っており、こちらも巻が進むほどに安心して読む事ができた。ハーレムとは荒唐無稽なものだが、しかし工夫すれば十分読み応えがある。それがラブコメだ。

 

ヒロイン1「ヒロイン2が月・水、ヒロイン3が火・木でしょ、なら私は金・土・日でいいんじゃない」

ヒロイン2「何で週末独占なんですか!?」

 

ヒロイン2「(1度あたり3回ですか?)はい、私は若いんで、主人公さんも張り切ってくれたんだと思います」

ヒロイン3「あら、私の時はもうちょっと多かったような」

ヒロイン1「どういう事!?何でみんな軒並み私よりたくさんしてるのよっ」

 

8位:うちのヨメはん/小島巧[三月書房:ダッシュコミックス]

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 さて日本ラブコメ大賞恒例の「『古き良き時代』のラブコメ」シリーズ(2015年4位「まあ失礼ね」、2014年3位「追伸 二人の手紙物語」、20122013年12位「劣等生クラブ」他)、昨年・一昨年はサボってしまったが今年はちゃんと見つけてきました。見つけるのに毎年苦労するが、それでもやめないのはラブコメとは「女から相手にされないみすぼらしいオタクが、せめて二次元の中だけは相手にされたいという現実逃避」のためのものではない事を証明したいからであって、ラブコメとは名もない庶民でも主人公となる事ができ、周りが必ず振り返るような美人のヒロインとロマンスを繰り広げる事もできる、或いは美人なヒロインではないがそれなりにいいヒロイン(情が深い、献身的に尽くす、等)を得てそれなりに幸せになれる…という事を読者に提示する物語であり、そのような物語は昭和の昔から現存して当時の名もなき庶民達を鼓舞してきたのである。とは言えiPhoneやSNSにどっぷり浸かってしまった我々はもう昔には戻れない。しかし強制的に戻らされたら戻らされたで別に構わないような気もする。電話もTVも新聞も本屋もトルコもあるのだから、本作発行時の昭和56年にタイムスリップしたっていいではないか。

 話がそれたが、「ふたりエッチ」等に代表される夫婦ものラブコメは別に目新しいものではない。それどころか歴史は古くて、昭和30~40年代の週刊誌や「漫画読本」を読んでいると「倦怠期の夫婦の夜の生活、こうすればもっと刺激的に」等の記事が載っていて、平成の時代に生きる俺の方がびっくりする。しかし昔は適齢期になれば結婚するのが当たり前で、且つ不倫など考えもしなかったから夫婦仲良くセックスする、倦怠期を乗り切るために工夫する事が即ち家庭の平和だったのだ。それがおかしくなり始めたのは高度経済成長が終わって中流意識が完成して浮かれ騒ぎの時代へと入った80年代後半からだが、それはともかく「純情可憐でセクシーで、明眸皓歯でグラマーで、おきゃんだけれどハイセンス」なヨメはんは今日も安月給の旦那さんに報いようと夜のお勤めに精を出すのであり、時には仕事(及び仕事上の付き合い)の疲れで元気がない旦那さんのためにきわどい下着・きわどいシチュエーション等を提案し(「最近マンネリ気味だから、ポルノ映画でも見てきて」「お隣の夫婦は二人の愛の記録を撮っているんですって。私達も…」)、旦那さんはそれに応えたり逃げたりして、かくも平和に安穏に夫婦生活は行われていく…というそれだけの漫画が本作であるが、この夫婦に横たわる安定感をどう表現したらよいか。「普通に暮らしていれば結婚できる」「不倫や離婚など考える事さえない」「給料は安い、おエラい人の考えている事はわからない、でもまあ悪い事さえしなければ何とか楽しく暮らしていけるだろう」という時代の中で日本人は安穏を味わっておけば良かったのだ。まだラブコメという言葉がなかった時代にもラブコメは確かにあったのだ。しかし今やそんな時代は過ぎた。いつの日かラブコメは「女から相手にされないみすぼらしいオタクが、せめて二次元の中だけは相手にされたいという現実逃避」として駆逐されるだろう。もちろん俺は最後まで戦い抜くが、ああ、昔は良かったなあ。

 

7位:初情事まであと1時間ノッツADOKAWA:MFコミックスフラッパーシリーズ 

 さて大事な事なので何度も言うが、ラブコメとは「地味で平凡で冴えない男」に対してヒロインの方から積極的に身を寄せてくる事が基本となる。つまり情事(性交渉)においてもヒロインが主導権を握る事になる。と言っても女性上位であってはいけない(騎上位の事を言っているのではない)。

 ではなぜ男が主導権を持ってはいけないかと言えばそこにリスクが発生するからで、リスクとは、

①レイプ犯として訴えられる

②これから先、「自分(=男)から性交渉を持ちかけた」として常に相手(=女)に対して負い目を感じなければならない(自分がこの女を傷物にした)

③「自分(=男)から性交渉を持ちかけた」ことにより、パワーバランス的に不利になる(あなたが私を傷物にしたのだから私の言う事を聞いて当然だ)

 のどれかであり、情事(性交渉)の前段階でこれらのリスクを払拭しなければ主人公(=男=読者)は安心して情事へと移れない。即ち、

①両者合意の上での情事である(レイプにはならない)。

②ヒロイン側から性交渉を持ちかける(或いは主人公から性交渉を持ちかけるよう、ヒロイン側が仕向ける)

③ヒロイン側から性交渉を持ちかける(或いは主人公から性交渉を持ちかけるよう、ヒロイン側が仕向ける)事により、今後も主人公側にパワーバランス上の有利さが保証される(ヒロインが性交渉をしたいと言ったから性交渉へと発展したのであって、こちらは負い目を感じずにすむ。或いはこの先、他に魅力的な女ができた場合にはその女もハーレムに引きずり込む事ができる)。

 が必要となってくるが、いざ情事(性交渉)となればそのあたりを一つ一つ点検する事もなくうやむやのまま性交渉へと流れ、結果主人公側が後悔する事もしばしばある。しかし本作は「情事までの1時間前~直前」にストーリーが限定され、しかもそれが「初情事」、何度も身体を重ねている状態ではなく恋人同士となって(或いは出会って)直後の初情事なのだから、①~③を検討する時間は十分にあるという、実にラブコメ的なものであった。

 もちろん本作のカップルの形態は多種多様であり、ラブコメ的に相容れないものもあるが(積極的な男と消極的なヒロイン)、どちらかと言えば男(=主人公=読者)は「どうすればスムーズに、つまり女を傷つけず、かと言って淡々と終わらず快楽を最大限に享受できるか、または自分が童貞である事を隠して性交渉できるか」悩み戸惑う一方で、女(=ヒロイン)の方は悩んではいるものの「主人公が好きだから、まあヤッてしまってもいいだろう」とアタックする展開が多い(「酔ったフリしてスキを見せる!」「童貞でも童貞でなくても先輩の魅力は変わりません」「お休みのチューして」「意識してほしくてやったんだよ」「相変わらずガード堅いですねえ、でもそういうところも好きですよ」「ウガウガウガウガガウガ…」)ので、やはり結果的にラブコメ的なのであった。それでいい。ラブコメの形は色々なのである。

 

6位:ギャルごはん太陽まりい白泉社:JETS COMICS 

ギャルごはん 4 (ヤングアニマルコミックス)

ギャルごはん 4 (ヤングアニマルコミックス)

 

 さてこれからやたらと「ギャル」が出てくるので、「ギャル」というものを整理する必要がある。35歳の俺にとってギャルな女子高生とは即ち「約20年前(90年代後半)の自分が高校生だった時に見聞きしたギャル」でしかないからであり、時は流れ平成も終わろうとしている現在、ギャルの姿も形態もすっかり変わってしまったからである。とは言えギャルであろうが非ギャルであろうが女子高生は女子高生である。そんな彼女達の特徴だが、昔は

①いわゆるジャニーズ系に代表されるアイドルに夢中

②スポーツができる男か、イケメンに夢中

 の2点しかなかった。そのためほとんどの男子高校生(昔の俺も含め)にとって、すぐそこにいる女子高生は「すぐそこにいるのに遥か遠い存在」でしかなかった。しかし時は流れ平成も終わろうとする頃、何かが変わってしまって女子高生は以下に分類できるようになった。それは

①いわゆるジャニーズ系に代表されるアイドルに夢中

②アニメ・漫画・ゲームオタク(腐女子を含む)

③ギャル

 であって、もちろん「①と②」型、「①と③」型もあろうが、③のみの女子高生も存在するようになり、本作のヒロインはその単独③型である。つまり「スポーツができる男か、イケメンに夢中」な女子高生はいなくなり、代わりに「②アニメ・漫画・ゲームオタク(腐女子を含む)」が出てきた。そして「いわゆるジャニーズ系に代表されるアイドルに夢中」にも「アニメ・漫画・ゲームオタク(腐女子を含む)」にも属さない女子高生、即ちギャルが出てきたのであり、そこで「地味で平凡で冴えない男」というラブコメ主人公との接触が可能となり、やむなく料理せざるを得なくなったギャルヒロインは教師としての使命に燃える主人公の誠実さに触れて惹かれていき、そこはギャルであるから(服装は常に胸元を強調)果敢にアタックし、そのアタック力は女子高生ならではのパワー並びに純粋さが溢れ(下記参照)、「ジャニーズ系に代表されるアイドルに夢中」或いは「スポーツができる男か、イケメンに夢中」な人間にありがちな「いわゆるジャニーズ系、スポーツができる男・イケメン、以外は全てキモイ」と言った露骨な差別意識がないところに爽やかさも感じられるのであって、主人公(=読者)はヒロインの積極さを存分に味わう事ができよう。

 しかしながら主人公は教師なので立場上ガードは堅くならざるを得ず、また正ヒロインの対比として登場する副ヒロイン(真面目な委員長タイプ)が脇役以上の存在感を出しているため上記のギャルの特徴が薄まっているところも惜しい(はっきりとハーレム展開になるならともかく、非ギャルに焦点が当たる事でギャルの出番及びギャルの魅力が減っている)。しかし優れたラブコメである。今夜はギャルに乾杯!

  

「ウチら付き合っちゃう?あたし意外と尽くすよ」

「あたしの水着姿にドキドキしちゃった?」

「今日は惚れ直しちゃった…なんてね」

「このまま料理上手になったら将来料理人なれるかな?それか主人公のお嫁さんとか?料理上手なギャル嫁って良くない?」

「主人公のお嫁に行く準備はバッチリだね」

  

5位:今宵、妻が。佐野タカシ日本文芸社:NICHIBUN COMICS] 

今宵、妻が。 2

今宵、妻が。 2

 

 さて何度も言うようにラブコメとは通常「地味で平凡で冴えない男(=主人公=読者)」と「美人で可愛くて胸もでかくてスタイルが良くてその他完璧な女(=ヒロイン)」が結ばれ、つまり結婚するところで終了となる。そして「こんな地味で平凡な男でも、こんな美人で可愛くて云々な女と結婚できる」のだ、良かった良かった、と癒され、励まされ、希望が持てるのである。そして晴れて夫婦となり社会的に公認された存在となったのだから、どれだけ変態的な性生活を送ろうが誰からも文句を言えない、しかもラブコメのセオリーに則ってヒロイン(妻)は主人公(=読者=夫)にぞっこんなのだから何の問題もない。日々ケダモノになればよいのである。

 しかしそうは言っても世の中は危険がいっぱいであって、それだけ魅力的なヒロインなのだから人妻となっても男の視線からは逃れられない。むしろ毎日の性生活が充実すればするほど女体としての存在感が増し、乾いた部分がなくなり、淫猥の香りがするわけで、しかし悲しいかな男は社会に出て働かなければならず、会社や上司やその他世の中の理不尽なあらゆるものと戦わなければならず、性欲丸出しの高校生ではないのだから24時間365日淫乱な妻の要求に応えるわけにはいかない。しかし淫乱な妻の要求に応えなければどうなるか。もしかしたらもしかしたらもしかしたら、他の男の手に落ちるかもしれない、世の中は何が起こるかわからないのだ…という事で主人公(33歳)は暴走し妻(23歳、とびきりの美人)を組み敷くわけであった。

 妄想の中をさまよう夫(=主人公=読者)は「妄想の中の妻の淫らな姿」を思い描くうちに現実の妻との区別がつかなくなって嫉妬に悶え苦しみ(「その清楚で清純な良妻の仮面の下に、そんな淫らな願望を飼っていたとは…!」「俺は、お前の全てが俺のモノでなければ我慢ならん小者なのだ!」「清楚ぶった化けの皮を今から剥がしてくれるわ!」)、自分(=夫=主人公=読者)なしでは生きていけない身体にしてやろうと激しく妻の身体にその欲望を放出し更に放出し、そのような夫(=主人公=読者)の要求に応えるべく妻もまた淫らに応える事で(首輪、青姦、スクール水着、欲情メスサンタ)夫(=主人公=読者)は大いなる安心感と支配欲を満たす事ができるのであるが、しかしそうすると妻はますます淫らに輝くのであり、嫉妬に狂う夫はやはり全てのエネルギーを持って妻の身体を征服するのであった。

 つまりこの一連の流れ自体が夫婦二人のプレイなのであり、いささか変態的とも言えるが、しかし夫婦であるから牧歌的ですらある。また幾多の性交渉の中で妻は夫に強く身体を攻められる(責められる)事に悦びさえ見出すが(「下さいっ、欲情妻にお仕置きしてっ」「卑しくて恥ずかしい、至らない妻でごめんなさい」)、それによっていかに妻が夫に依存しているかを読者(=夫=主人公)は認識する事ができ、優位に立てるどころか支配の感覚すら味わうことができよう。通常の恋人関係で「支配の関係」となるとタブーの感覚が浮上し身構えてしまうが、夫婦という社会的に認められた関係であればタブーを感じることはなく、しかしケダモノのように性交渉に没頭でき、夫婦の絆は強固になるのである。なるほど「結婚がゴールインではない」とはよく言ったものだ。

   

4位:やんちゃギャルの安城さん加藤雄一少年画報社:YKコミックス 

やんちゃギャルの安城さん 2 (ヤングキングコミックス)

やんちゃギャルの安城さん 2 (ヤングキングコミックス)

 

 またしても「ギャル」の登場であるが、6位との違いは本作の方がギャルの持つ突破力が上である事で、6位で述べたように「女子高生」の中の「ギャル」の中に、「ジャニーズやイケメン」的なものに興味がない人種が現われたのである。これは画期的な事であって、それによってギャルの非常識さと「地味で平凡で冴えない男(=主人公)にもガンガンアピールする」がリンクする事になった。つまり本来なら「女子高生はジャニーズ、イケメン、スポーツができる男しか認識しない。それ以外の男は全てキモイもの扱いする」が常識であったが、ギャルは非常識な存在であるから、それら常識の逆を行くのである。その昔、ルーズソックスやガングロなどのおかしなファッションが流行した時も彼女らは「別に他人にどう言われてもいい、どうでもいい」と意に介さなかった。だから「地味で平凡で冴えない男(=主人公)と仲良くする」という、一昔前の女子高生ならば考えられなかった「おかしな事」も、「別に他人にどう言われてもいい、どうでもいい」のである。

 つまりギャルの非常識さという突破力がラブコメとリンクしたのであり、6位の場合ヒロインの相手(=主人公=読者)は教師(大人)であったが、本作のヒロインの相手(=主人公=読者)は同級生でクラスの日陰側の人間、「要領悪くて勉強くらいしかやる事のない情けない」人間であり、ギャルはそんな主人公に興味津々にやってきてはちょっかいを出し、主人公は嬉し恥ずかしの青春を送るのであった。

 何度も言うようにラブコメとはヒロイン側が積極的に出なければならない。なぜなら主人公(=読者)は「地味で平凡で冴えない男」であるから、積極的に女にアタックするわけにはいかない。しかしそれでは彼女ができず、灰色の青春となってしまう。そのため本作ではギャルヒロイン側から主人公(=読者)に話しかける事から始まり、ちょっかいをかけることになり、買い物に付き合う(デートする)事になり、「今日、ウチに泊まりなよ」と言われるのであり、屋上で二人だけで水着になるのであり、夏祭りデートする事になり、主人公(=読者)は戸惑い表面上は迷惑な風を装いながら、しかし満更でもないのであった。またヒロインは「人目を気にしない非常識なギャル」であるから、「人目を気にしない非常識なギャルだから振り回されてもしょうがない」として自身(=主人公=読者)の下心を納得させるのも容易であって、読者は歓喜しつつ、失われた青春を十二分に取り戻す事ができよう(具体的には下記参照)。素晴らしい。ラブコメとは希望であり癒しであり、救済なのである。女子高生でジャニオタ・腐女子・ギャルの三択なら迷わずギャルを選ぼう。

   

「本当の事言ってくれたらキスしてあげるよー」

「せっかくだからこの状況楽しもうよー、カップルみたいにさー」

「けっこー料理とかするからね。隠し味とか入れちゃうし。主人公への愛情」

「(漫画を見て)この女の子の中でどの女の子が一番好きなのー」

「(下着の)フリフリのカワイー系でも、ヒモみたいなセクシー系でも、主人公の好きな下着つけてあげる」

「私と付き合ったらそういう事するつもりなんだ」

「あーあ、私のはじめて(初間接キス)主人公にあげちゃった」

「補講回避できたら、夏休みに私の事好きにしていいから」

「主人公は私が他の男を泊めて何をするのが嫌なのー」

「主人公の匂い嫌いじゃないかもー」

「私の胸、見たくなった?」

  

3位:Re:まりな原田重光瀬口たかひろ白泉社:JETS COMICS 

 さて何度もいうようにラブコメとは「空から女が降ってくる」ものでもある。なぜなら「地味で平凡で冴えない男」が「美人でかわいくて胸もでかくてスタイルも良くてとにかく完璧な女」を手に入れるためには想像を絶する努力と苦難を余儀なくされるが、しかしそれらの努力と苦難によっても手に入れる事はできない可能性が高い。つまり無駄な労力と時間を使い果たし、やがて朽ち果てて死んで行くのが現実であって、その悲劇を救うための「空から女が降ってくる」なのである。これによって悲劇の再生産を止める事ができる。日夜、会社に勉強に、その他社会の理不尽な現実と立ち向かう我々が、どうしてたかが女の機嫌を取るために粉骨砕身、捨て身の努力しなければならんのだ。だからこそ昔は「お見合い」というシステムがあり、男は仕事に邁進し社会を変える事ができたのだ。現代に生きる男達は内なる家庭をどう獲得するか、に相応のパワーを振り向けなければならないのだ、これは現代の悲劇だ…という事は置いといて本作だが、

①空から女(美人で爆乳)が降ってくる

②その女は「未来からやってきました」「未来では私とあなたは結婚しています、つまり私とあなたは夫婦です」

③「イチャイチャしましょう」

 という事で、「空から女が降ってくる」だけでなく、その後の関係についても徹底した省略が行われているのであった。苦しみと痛みを経由して得られる幸せの「苦しみと痛み」の部分を省略して、その先にある幸せだけを享受しようというのだから大変なものであるが、しかしラブコメならそれも許されるのである。

 とにかくヒロインは「既成事実です」「(未来の)あなたが言い出した事なんですよ」という事で「ごはんを一緒に食べる事、お風呂に一緒に入る事、一つの布団で一緒に寝る事」「朝起きたらおはようのチュウ、帰ってきたらお帰りなさいのチュウ、寝る前にはおやすみなさいのチュウ、毎日何かにつけて10回はキスしてました」「たとえ夫婦でもたまには口に出して伝えないと、愛してるって」「夫婦喧嘩をする時はイチャイチャしながらしましょう」として主人公(=読者)とイチャイチャする事を最優先にするのであり、他人であった男女がそこまでの関係を構築するには大変な努力が必要であるが、しかし主人公(=読者)はそれを何のコストも払わずに得られるのであり、本来なら迷わず1位とすべきだが、ここからが16歳童貞高校生主人公の限界で、「未来の俺を好きになったから今の俺も好きだ、じゃなくて今の俺のままお前(=ヒロイン)を振り向かせてやる」として「捨てるべき童貞が守るべき童貞に、抱えているコンプレックスが自らのアイデンティティそのものになってしまっている」、つまり主人公はこじらせ童貞となってしまうのであった。惜しい、実に惜しいが、しかしそこはラブコメなのでヒロインはやはり主人公(=読者)の傍を片時も離れず、キスの嵐が降りかかるのである。読者は主人公となってその嵐に身を任せよう。ラブコメは全てを包み込んでくれるのである。

  

2位:間くんは選べない板倉梓双葉社:ACTION COMICS 

 さて普段「ラブコメとはハーレムが基本」「複数のヒロイン達が主人公を取り合う、争奪戦を繰り広げる事が基本」とは言っているものの、もちろんそれは二次元世界の話であって、実際の現実でありえるのは複数の女にいい顔をする、もしくは同時並行的に付き合うという「二股」ぐらいなものであろう。しかし「二股」というのは男側(=主人公=読者)のみの事情(都合、勝手)によるもので女側(=ヒロイン)は合意していないのだから、いわゆる「ゲスの所業」となる。

 しかし世の男にとっては危険ながらこれほど魅力的なものもない。なぜなら「美人で可愛くて胸も大きくてスタイルも良くてとにかく完璧」な女はこの広い世の中にわんさかいるのであり、そのうちの1人をゲットしたならば、それ以外の全ての「美人で可愛くて胸も大きくてスタイルも良くてとにかく完璧」な女をあきらめなければいけないからである。とは言え自分は他人とは違う、自分こそは「美人で可愛くて胸も大きくてスタイルも良くてとにかく完璧」な女を2人でも3人でも4人でも手に入れて見せる…と奮い立つのが悲しい男の性であって、二兎を追う者は一兎も得ず、あちらに色気を出せばあちらだけでなくこちらも逃げられるかもしれない、しかしいざその状態(二兎を同時に得るチャンス)に置かれたらどうなるか、特に本作の主人公のような「26歳・童貞」ながら少しの勇気と多くの幸運によってほぼ同時に別々の女から告白された人間がそのどちらかを「選ぶ」事などできるわけがないではないか…。

 そのようにして主人公(=読者)は「同い年ながらバリバリのキャリアウーマン、仕事ができて大人の女性、美人で胸も大きい」彼女と「年下の現役女子高生、純粋で一途、自分(=主人公=読者)がすごく好きで、初々しくて守ってあげたくなる」彼女を手に入れたのであり、我が世の春を謳歌する(「恋人がいると世界が違って見える」「ただの夕日だってこんなに綺麗に見える」)のであり、両方の彼女とデートを重ね性交渉を重ね、いかに自分にとって両方の彼女の存在が贅沢なものかを痛感した主人公(=読者)は

①「二股」というのはどちらかが「本命」でどちらかが「浮気」である

②しかし自分にとってはどちらも「本命」である

③その証拠に、彼女Aと会っている時は彼女Aの事だけを考えており、彼女Bと会っている時は彼女Bの事だけを考えている

④つまり、彼女Aと彼女Bと同時並行的に付き合う事は自分の中で矛盾しない

⑤世間的な糾弾は自分が引き受けよう

 というやや強引な論法でスケコマシ街道をひた走る覚悟を決めるわけで、それによって読者は「複数の女を手に入れた」事による満足と征服欲を満たされるだけでなく、孤高の戦いに挑む男の気持をも味わう事ができるのであった。とは言え所詮は「地味で平凡で冴えない男」であるから綻びが出てきて(彼女Bが風呂場で彼女Aの髪の毛を発見、主人公「妹だよ」、彼女B「じゃあ妹さんに会わせて下さい」)、嘘を嘘で固めていく事で窮地に追い込まれていく主人公、やはり二股などするものではない…と読者は身に沁みて世にも恐ろしい最後(の手前)となるのであった。ラブコメは色んな事を教えてくれます。二兎を追う者は一兎も得ず。

   

1位:ギリギリアウトソウマトウADOKAWA:電撃コミックスNEXT 

ギリギリアウト (4) (電撃コミックスNEXT)

ギリギリアウト (4) (電撃コミックスNEXT)

 

  で、1位となりましたのでもう一度言いますが、ラブコメとは「地味で平凡で冴えない男」を主人公とするもので、それだけでよい。「地味で平凡で冴えない男」が主人公となれば、対するヒロインは「美人で積極的」になり、また主人公は「地味で平凡で冴えない」のだから自分から騒動・事件・事故を起こすわけでなく、周囲で自然に騒動・事件・事故が起こり、しかし主人公であるからその騒動・事件・事故に巻き込まれ、主人公はその騒動・事件・事故の鍵を握る重要な人物となるのである(主人公だから当然である)。そこで「騒動・事件・事故の鍵を握る重要な人物」だからと主人公を超能力者にしたり超人的能力を持つ者にしたり性格破綻者にしたりスケコマシにしたりすればラブコメとして失格なのであって、あくまで「地味で平凡で冴えない」というルールを踏まえた上でストーリーを展開させ活躍しなければならないのである。

 とは言え主人公(=読者)を「被害者」にしてはならない。騒動・事件・事故に巻き込まれる事だけ見れば確かに主人公は被害者的な立ち位置にあるが、その後もずっと翻弄され続けていては主人公たる意味がない。あくまでストーリーの中心は主人公でなければならず、しかしくどいようだが「地味で平凡で冴えない」人間ではストーリーを引っ張る事はできないからヒロインの存在がクローズアップされ、しかしそのヒロインが常に主人公側を向いている事で、ヒロインの先にある主人公がクローズアップされるのである。そこさえ守ればラブコメは現代劇のみならずSFにもファンタジーにもミステリーにも時代劇にも通用する大変便利なものなのであるが、それはともかく本作はそのような「被害者」的な立ち位置としての主人公と、同時にヒロインを助ける存在としての主人公の描写が非常に行き届いていた。

 ラブコメとは「地味で平凡で冴えない男」と「美人でスタイル抜群なヒロイン」というありえない組み合わせが懇意になるわけだが、懇意になるには理由が必要であって、その懇意になる理由はできるだけ普遍的、誰にでも起こり得る偶然的要素が大きいものであればあるほどよい。間違っても「主人公がイケメンだから」「スポーツができるから」「金持ちだから」等の特殊事情ではいけない。それでは主人公=読者の構図が成り立たず、その構図が成り立たなければラブコメは成立しない。そこで本作は「緊張するとお洩らしをする呪い」にかかってしまったヒロインが主人公と触れあう(手を繋ぐ等)事で尿意がおさまるという、何とそれだけで、主人公は何もする必要がないわけであるから普遍的であると言えよう。そしてヒロインは二次元のセオリーに則って美人で巨乳で学業スポーツ共に優秀なのであり、そんなヒロインが「目立たない場所を探すのが趣味」な主人公(=読者)の助けを必要として日々主人公に付きまとうのであり、それによって主人公の存在はクローズアップされ、「ヒロインに常に頼りにされている主人公って何なの?」という事でスポットライトを浴びるわけであるが、主人公は何もしていない(とりあえず手を繋げばヒロインの尿意がおさまる)のであり、しかしヒロインからは感謝され次第に異性として意識され(「呪いに対抗する私の守り神!」)、ヒロインのライバルである副ヒロインからも意識されるようになるのであり、上質なシチュエーションコメディとなるのであった。快楽にまみれたハーレムだけがラブコメなのではない。ラブコメの基本・原則を律義に守った本作こそ1位にふさわしい。素晴らしい。やっぱりラブコメっていいもんですねえ。