気弱な芸能記者/ケヴィン・オールマン[早川書房:ハヤカワ文庫HM]

気弱な芸能記者 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

気弱な芸能記者 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

  誰しも一度はジャーナリストになりたいと思った事があるはずだ。世の中はめまぐるしく動き変化の連続である、その変化に時に追いつき時に追い越し、問題点をえぐり出し、未来に向けて提言をし、弱者に寄り添い、巨大な組織と巨大な悪にたった一人で立ち向かうジャーナリストとなって、光り輝くような人生を送ってみたい。しかし世の中はそううまくはいかない。本作の主人公は肩書きこそジャーナリストだが担当は芸能全般で、コラム「タキシードを着て夢のパーティ」を受け持ってはいるが、所詮は虚業の世界であるから29歳にもなればややうんざり、いや、かなりうんざりしている。とは言えこの仕事はそれほど悪くはない。「嫌いとは言えない仕事をして、何とか生活できるのだから、恵まれている方かもしれない」のであり、「ブルース・ウィルスがにやけた笑いを1回見せるだけで普通の教師が一生かかっても稼げないほどのギャラをもらう事に責任すら感じる」が、そういう時は小難しい時事雑誌やお堅い小説を読んで気を楽にすればよい。

 とりあえずは「80になる女性が29歳に、12歳の少女が29歳に見られようとやっきになる」世界であっても、「有名人がプールで泳いでいるところを撮影される場合、メイクに4時間はかける」世界であっても、「娼婦と家出娘は視聴率調査会が番組のランキングを行うのになくてはならない存在で、放送局はこぞって、路上で客引きをする売春婦についてお決まりの扇情的なレポートをする」世界であってもいいのである、いつかは憧れるジャーナリストになれるはずである、浮浪者と言われる事は慣れているのである。人と深く関わりたくない主人公にとってはバイセクシャルの彼女とつかず離れずの関係の方がいいのである。落ち込んだ時は「カラマーゾフの兄弟」を読む事にしているのである…という愛すべき主人公芸能記者君はネタ探しに「ハリウッド女性協会」の受賞パーティーに出席する(ネタ探しでもなければそんなものに出席しない)のであり、ミステリーのお約束に則って受賞者の死体の第一発見者となり、第一発見者の特権として遺書らしきメモを手に入れ、被害者が単なる自殺なのか自殺に見せた他殺なのか真相を追うことになるが、もちろん主人公芸能記者君は単なる芸能記者であるから、できる事と言えば関係者(被害者の夫、同僚、仕事上のパートナー、通っていた心療内科の医者)から話を聞き出すことだけで、そこでズバッと事件を解決できればいいがやや不自然な点があるだけで自殺は自殺でしかないのであった。大体関係者へのインタビューも「留守電マラソン」状態であって、おんぼろアパートの家賃は払えず、バイセクシャル彼女から金を借りる事で二人の関係は不安なものに変わってしまうのであった。もう真相を追う事などやめて「リビドーが旺盛なマリブの高校生達を主役にした夜の娯楽ドラマに出演中の32歳の女優」の伝記を書くか健康保険も預金もない貧しいパーティーめぐりの芸能記者生活に戻るかと逡巡しているうちに事件の糸口が掴めるのであった。と言っても被害者が浮気していたからそれがどうなのだ、女ってのはイカれているのだ、もううんざりだ、大人になりきれない10代の若者のように生きる事がうんざりで、自分の人生にうんざりなのだ。

 とは言え事件は解決する。もちろん主人公の努力と苦労と情熱によって解決するのではない。少しは主人公も努力し、苦労し、解決に貢献はしただろうが、ほとんどは成り行きであった。だから人生はうんざりなのだ。夢溢れる華やかなアメリカの芸能界を見てきた主人公芸能記者君が言うのだから人生はうんざりなのだろう。しかし1年に1度は必ずアカデミー賞の授賞式がある。「世界中の人々がアカデミー賞の行方を、まるで人生の一大事のように知りたがっている」が、「それが彼らの人生とどう関わっているか」はわからない。「現場にいる私(主人公芸能記者君)にすら、この催しが自分の人生とどう関わっているのかがわからずにいる」のである。それでも芸能記者君はしばらくは華の芸能界で生き続ける、読者もまた華の現実社会で生き続ける。いつしか主人公芸能記者君と読者の姿は重なる。幻想に満ちたショーが終わり、本物の夜が始まるであろう。