- 作者: 佐々木邦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1996/07
- メディア: 文庫
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しかしながら組織には良い側面もある。「あいつは能力がないくせに上司に取り入って偉くなった」というのは陰口の決まり文句だが、それは「能力がなくても上司にうまくゴマスリすれば偉くなれる」ということでもあって、能力がなくても上司へゴマをすっておけば出世してお金がたくさんもらえるのである。能力に応じて地位や給料が決まるような理想の世界が存在するものか、ここはアメリカではなく日本なのだ、日本人はそうやってここまでやってきたのだ。特に本書の舞台は昭和5年であり、グローバル経済という弱肉強食の世界で学歴も資格も当てにならず拠るべきものが何もない荒野な平成時代ではないのだから、功成り名を遂げたのでもう仕事はほとんど下に丸投げする愛すべき社長の相手をしておけば会社の地位は保証されるのである。もっとも60を過ぎて金も名誉も手に入れた人間がすることと言えば「自分はまだまだ若い者に負けないことを若い者に見せつける」であり、「常に若者を叱り、自分がどんなにすごい人間かを自分にも他人にもわからせる」であり、「自叙伝を残して自分という人間がいたことを後世に永遠に伝える」であって、そんな人間の相手を強制させられてはたまったものではないが、すさまじきものは宮仕え、今日も社長の義太夫を日付が変わっても聞かされ(しかも欠伸をすると怒られる)、「精神修養」話を聞かされる。これはたまらんが、まあ、これを我慢すれば今月も来月も給料をもらえるのだし社長も根っからの悪人というわけではない。それに社長に取り入っておべっかを言うだけで会社の地位は安泰で給料も上がるのだから差し引きで益だ、そうだそうだというサラリーマンの哀歓と微苦笑が文章の端々ににじみ出てページをめくる手が止まらない。85年前のサラリーマンとは言え同じ日本人、本書を読んで現代にも通じる光景の連続にフフフと笑って戦前独特のモダンで古臭くて穏やかでユーモラスな世界に酔いしれよう。
「量は第一回としてこれで結構だよ」
「はあ」
「内容に少し註文がある」
「ははあ」
「我輩の精神をもっと濃厚に現して貰いたい。この『阿蘇の煙』を『阿蘇の炎』と改めたらどんなものだろう?」
「成程」
「背景も従って未曾有の大噴火にして貰いたい」
「宜しゅうございます」
「何かの前兆だろうと触れ歩くものがあって、人心恟々たるところへ我輩が呱々の声を上げると、さしもの大噴火がその朝から静まる」
「ははあ」
と私は覚えず驚きの声音を洩らした。
「どんなものだろうな?」
「分かりました」
「分かったではいかん」
「はあ」
「分かったではいかんよ。作としてどんなものだろうかと訊いているんだ」
と社長は共鳴しないと直ぐお冠を曲げる。
「無論結構でございます。社長の奮闘的御精神は煙とするよりも炎とする方が如実に現れます」
「そこさ」
「一体社長は書が巧いのかい?」
「相応書くよ。殊にこの頃は先生を呼んで習っている」
「そんなに註文があるのかね?」
「社外のことは知らないが、少し目端の利く社員は皆書いて貰っている。近頃は講話と揮毫が病だから、そこへ取り入るのさ」
「書いて貰うと信用が出るのかい?」
「そう覿面の効果もないが、少なくとも存在を認められる。僕は去年軸物を書いて貰った」
「巧くやっているね。それでこの春昇級したんだろう」
「そうかもしれない。兎に角損はないぜ。立派な絹表装にして桐の箱に入れてくれる。字さえ書いてなければ、三十円ぐらいの値打は充分ある」
「悪いことを言う奴だな」
「社長は書を頼んだ人間を決して忘れない。帳面につけておく。廊下で行き会っても、『や、稲垣君、忙しくて未だ書かないが、そのうち必ず…』とニコニコする。他のことで社長の頭にこれだけ印象を与えるのは先ず不可能だ。これが一番手っ取り早い」
「成程ね」
「それから表装まで出来上がると、給仕を寄越す。僕は何か叱られるんじゃなかろうかと思って、恐る恐る出頭したが、やっぱり揮毫の件さ。『稲垣君、到頭出来たよ。今夜取りに来給え』と頗る御機嫌が好い。講話の恨みなんか忘れてしまう」
「それはそうだろうとも」
「晩に伺うと、『今夜は暇だから、まあ話して行き給え』と来る。僕達平社員は当たり前なら社長と没交渉だから、斯ういう機会を利用しなければ、何年たっても存在を認められないぜ」
「好いことを聞いた。僕も早速頼んで一級上げて貰おう」