素顔の昭和 戦前/戸川猪佐武[角川書店:角川文庫]

 さてもうすっかりお約束となってしまったが本書を買ったのは2007年9月15日であり読んだのが時を越えて2008年2月である。そんな半年近くも読めないのなら買うな買うなということで今年に入ってまだ一回も神保町や古本祭りに行ってないが、それはそれで寂しいものがあるなあと感傷に耽るような顔かお前はとお叱りを受ける俺の自堕落読書感想文シリーズは続きます。まあ会社で完全に居場所がなくなったり7年ぶりの大風邪をひいたりで俺の私生活は死の予感だからね。
 というわけで本書は俺が好んで取り上げてきた昭和戦前史ものの一つであるが、本書の特徴はその年における政治・経済・社会・文化の諸事件を一まとめに記述しているところであろう。つまり昭和2年なら昭和2年に政治はこういう状況であり一方経済はこんな感じでところが世相の方はうんぬんかんぬんと、同時代的に昭和戦前のあらゆる側面を解説してくれているわけである。
 とにかく昭和史というのは事件事故の宝庫であるから退屈しないが、豊富過ぎて「政治」「経済」「社会」といった枠で括らないと整理ができないのであって、ところがそのような形で整理してしまうと今度はそれぞれの関係性や同時代性とも言うべき臨場感がなくなってしまって無味乾燥なただの「歴史」になってしまっているように俺には見受けられるのである。これは非常に勿体無い話であって、昭和時代というのは江戸時代や明治時代と違って生活や思想レベルにおいて現代とそう変わらない、つまり我々が容易に感情移入できる時代なのである。その時代を「歴史」という教科書的な世界に閉じ込めてしまうからいかにも面白くないのであり、そのあたり本書では昭和戦前の政治経済のみならず社会・世相・文化まできめ細かに描写しており、当時の人々の息吹さえも感じられる非常に臨場感に満ちた良作と言えよう。
 たとえば本書を頼りに昭和8年について追ってみる。時の首相は五・一五事件の後を受けた斉藤実である。ただし斉藤は軍人と言えども英米協調派であり、時代がはっきりと軍部独裁へと流れるのは二・二六事件以後であるからこの頃の日本社会にはまだ余裕があったと言える。しかし2月20日にプロレタリア作家小林多喜二が警察の拷問によって殺され、それから1週間もしない2月24日には国際連盟脱退が決まる。4月には滝川事件が起こり、5月3日には大阪市に地下鉄が開通(梅田〜心斎橋)、6月17日にはゴー・ストップ事件が起こり軍部と警察の一大抗争に発展。8月には「東京音頭」が爆発的に流行し、時を同じくして突如謎のヨーヨー・ブームが起こるのである。いやあ、これぞ昭和というやつですなあ。
 また本書では戦時中の日本人の困窮ぶりが詳細に書かれており、特に大手新聞がいかに阿呆くさい大言壮語を並べていたかが繰り返し記されていて大変参考になった。なるほど確かにマスコミにも戦争責任というものを考えてもらいたいですなあ。「(軍需物資の確保のために神社・寺の鐘を徴用することについて)戦争は金属の戦いともいえる。弾丸!戦車!軍艦!大砲!銅、鉄の金属を除いては形成できない。ガダルカナルの死闘を我々は血涙をもって想起しよう。鉄、銅がいま全国の溶鉱炉へ急ぐ。『諸行無常』の響を伝えた懐かしい鐘が、一個の兵器と化し、突撃せんとしている」