「政治空白」とは何か

 解散するのか・しないのかと騒ぎ続けてもう3ヶ月は経つ。まあ解散権は日本でただ一人麻生のみが持っているのだから結局は「麻生のみぞ知る」でありそれはそれでいいが、気になるのは「選挙で政治空白が生まれるのはよくない。選挙をしている場合ではない」などという言葉が落選危機にある自民党の議員だけでなくマスコミ等からも聞こえてくることである。
 そもそも「政治空白」とは何か。選挙をすれば首相も大臣も官僚も市役所の窓口係も社会保険庁の苦情係も清掃局のおばさんも東京証券取引所のおっさんもみんないなくなってしまってもうどうにもなくなって途方に暮れるしかないのなら「政治空白」状態なのだろうが、そんなことが起こるわけがないし誰もそんなことは思っていない。立法を担う国会議員はいなくなるがそれも2ヶ月ほどの話であって、それで日本が大混乱に陥る可能性は天文学的な低さである。そもそも去年の参議院選挙以来国会は二つの権力に分散され混乱しているのであり、分散させたのは他ならぬ国民である。「政治空白」という言葉の意味も考えず何となく「政治空白はいけない」と言えば真っ当なことを言っていると思い悦に入って、それで結局どうするのだろうか。「選挙しない方がいい」などと言う民主主義国がどこにある。官民を通じてのこの国の政治の低レベルさにはうんざりする。
 麻生は第二次補正予算について、「来年1月の通常国会にて提出する」ことを表明した。未曾有(いや「みぞゆう」か)の金融危機だというのにこちらの方がよっぽど「政治空白」であるが、そこには麻生の戦略が透けて見える。つまり新給油法案が12月20日で衆院可決後60日となり自然成立した後、いわゆる金融救済法案や第二次補正予算民主党が審議に応じないとわかるや解散、「民主党は審議に応じない」「自民党が負ければ二次補正予算はなくなりますよ」として選挙を有利に進めるつもりなのである。
 だがこの麻生の挑発に小沢民主党が乗るのだろうか。幾多の修羅場をくぐり抜けてきた小沢のことである。粛々と否決し、あるいは部分的に賛成するのかもしれぬ。そうなれば解散の大義名分はなくなってしまう。これまで散々「政局より政策、選挙より景気対策」と言っていた麻生のことであるから、次に解散できるのは21年度予算案が成立する3月以降となってしまうだろう。だが7月の都議選を控え公明党自民党に全面協力するとは思えない。ただでさえ定額給付金を巡って自民党公明党はギクシャクしているのである。かつて、同じく地域振興券という愚策を公明党のゴリ押しによって余儀なくされた時、当時の自民党実力者野中広務が「こんなばかばかしいことをやらないといけないのか」と吐き捨てるように言ったことが思い出される。
 或いは解散すると見せかけて解散せず、それによって民主党の戦力を消耗させようとする戦術なのかもしれぬ。高い事務所費や人件費やそれに付随する支出にどの候補者の財布も泣いている。だが「自民党結党以来の危機」に自民党候補者も何もしないわけにはいかない。結局自軍の戦力も消耗させているのである。日本の選挙史上極めて特異な、延々と続く消耗戦。真っ二つに分かれた「国権の最高機関」。麻生は完全にタイミングを逸したとしか思えぬ。
 3年前、郵政解散直後の小泉への支持は決して磐石なものではなかった。国民の郵政民営化への支持は五分五分であった。しかし小泉の「殺されてもやる」という不退転の情熱があの大勝をもたらしたのだ。「勝てるか負けるかわからないから戦わない」というリーダーに誰がついていくものか。もし年末解散、1月総選挙ができないのなら、その時こそ麻生政権は死に体となり、いわゆる「政治空白」が訪れるかもしれない。何度も言うように、麻生がやるべきは総選挙によって民主党に政権を明け渡すか、参議院民主党を分断させ再び権力を取り戻すかの二つしかないのである。