- 作者: 筒井康隆
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/01/20
- メディア: 単行本
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とにかくその殺人描写たるやここに書き切れない。「ハンマーは頭頂を直撃した。彼はくるりと眼球を裏返した」「彼女の咽喉から鮮血が噴出した。カッターナイフで切ったのである」「刃物で左耳の下を切り裂いた。扇状に吹き出た鮮血で上半身、前半分が真っ赤になった」「脇腹に、ナイフを深々と突き刺した。眼球を突き出させ、大きく開いた口からだらりと長く赤黒い下を出した。激痛で呼吸することすらできないようだ」「夫婦は互いの肩を左手で引き寄せるようにして、一、二の三で、互いの心臓めがけて包丁を突き刺した。しかし、タイミングがわずかにずれた。どちらも力が弱かったため、致命傷にはならなかった。しかし、ひどい痛みであった」「振り向いた男の頭頂めがけてシャベルを縦に振りおろした。男の頭が額まで割れた」「腹に力を込めて刃先を刺し、横に掻っ捌いた。みゅるみゅるみゅると下腹部からは腸がのたくり出し、その切断面から大便が蛇のようにくねり出た」「象の巨大な足で腹部を踏み潰された。内臓が口から出て風船のように膨らみ、眼球が視神経の白い糸を引いて眼窩から飛び出した」…。
もっともっとどきつい描写はいくらでもあるが、そのようにして殺し合いは続いていくのであり、最初は何とか家に閉じこもって生き延びようとした老人たちもバトル期限が終わりに近づくに連れて殺されるのは嫌だが複数人生き延びて結局殺されるのも嫌だと発狂、そこに象がやってきたりして(老人の中に象の飼育係をやっていた者がいたのだ)殺し合いは最高潮を迎えるが、ここまで読むともう感覚が麻痺してきて老人たちが死ぬ事がごく普通のことのように思えてしまう。そして潔く死んでいく者も未練たらしく命乞いをして殺される者も呪いの言葉を吐きながら殺される者も発狂して死んでいく者も皆死ぬその瞬間までは70年以上の長い歳月をかけて様々な経験をしながら「生きていた」のであり、しかし死んでいくのだ、もう死んだのだという事が読者に強烈に意識されて、日常で感じる「生と死」とは全く違う「生と死」を目の当たりにするわけである。そしてバトルに生き残り、その後の危険にも生き残った主人公が最後に「死に損なっちまったよう」と言うその弱々しさは、強烈な印象を残して死んでいった者たちを前にして現在生きている者がいかにちっぽけな存在かを知らしめてくれる。これぞ上っ面だけのヒューマニズムを完膚なきまでに叩きのめした筒井文学の真骨頂と言える。今の社会が老人たちをできるだけ長く生きさせたいのか早く死なせたいのかわからないし老人たち自身も老いや病気に苦しみながらも長く生きたいのか老いや病気に苦しむぐらいなら早く死にたいのかわからない。わからないままいつまでも憂鬱に悩み続けついに暴発した未来がこのシルバー・バトルである。そのため老人たちは死の恐怖に慄きながらもこのバトルを渋々受け入れ、しかしいざ死の危険に直面するとその死の恐ろしさに慄然しそれでもむごたらしく死ぬのであり、それを読む読者も老人たちの生き様を渋々受け入れながらも戦慄する事になる。この合わせ鏡の地獄のような体験によって読者は強烈に「生」と「死」と「老い」を経験するのであり、その経験によって、「命」というものがもっと醜悪でもっと神々しいものであることに気付くのである。これぞ筒井文学だ。
「おやおや。今さらのように『良識』ですかい」九一郎は大声で言った。「その良識の名のもとにこんな状態になったんじゃなかったのかね。あの、間の抜けた介護制度なんてものは、良識による悲劇の最たるものだったんじゃないのかな」
「同感ですなあ」と猿谷も言った。「まだ歩ける老人に車椅子を与えて、歩けないようにしてしまう。自分で炊事ができる老人に飯を作ってやって、自分で炊事ができないようにしてしまう。結局は何もできない老人の氾濫だ。一事が万事、ああいう良識こそがこのバトルの遠因ですよ。老後の金を貯め込んで使おうとしない老人からも金を取らなければ景気は回復しない、だから一律に税金や利息を取ろうというのも良識だったんですかな。あははは」