民主党代表選挙と「スキャンダル狂い」

 民主党代表選挙の結果は今現在の日本政治の実態を極めて正確に表すものだった。「政治は選挙が全てではないが、選挙には政治の全てがある」というのはなるほどその通りだと納得させられた。
 蓋を開けて見れば結果は菅721ポイント・小沢491ポイントで菅の圧勝であったが、国会議員票は菅206票・小沢200票であった。民主党内は「反小沢」と「小沢」に分かれているのである。また地方議員票、党員・サポーター票も得票率では6対4であった。前回も書いた通り、「負ければ小沢の政治生命は終わる」とは全くのデタラメであり、小沢には党内のほぼ半数を左右する力が残されたわけである。そしてもし小沢が勝ったとしたらマスコミは罵詈雑言の嵐を浴びせていたであろう。「国民の意識と乖離している」「起訴される可能性のある人物が首相になる」と。衆愚政治を回避しムードに流されないための間接民主制は人類の英知であり、最高裁によって刑が確定するまでは「推定無罪」であることなどこの国では関係ない。
 今回の代表選において俺は新聞・TVにおいて編集されたいわゆる二次情報に頼らず、インターネット上でノーカットで放送された公開討論会や立会演説会のみを見たが、いずれも小沢の方が演説に迫力があった。小沢が「積極財政」路線を打ち出して来年度予算の一律10%カットを批判するなどに対し、菅は「一に雇用、二に雇用、三に雇用」と言う他は小沢と似たようなことを話して最後に必ず「政治と金」の問題を持ち出した。「政策論争を期待する」というマスコミも結局はそこに飛びつき、その甲斐あって菅は党員・サポーター票で300票中249票を得て地滑り的大賞となった。この国では「政治と金」こそが最大の関心事なのである。
 マスコミが自由に活動する先進民主主義国において政治家のスキャンダルはよくあることだが、それによって政治生命や政権を失うことはほとんどない。政治家の仕事は「国家と国民を守ること」であり、日本のマスコミ風に言えば「より良い政策に取り組むこと」だからである。しかしながら日本ではスキャンダルが命取りとなる。「ニューズウィーク」はその現象を「日本のスキャンダル狂い」と断言している。「この国は政治スキャンダルに対して病的なまでに執着し、飛びつく」「スキャンダル(とおぼしきもの)に見舞われた政治家を完膚なきまでに叩く」「日本が直面している経済・外交の深刻な問題よりも、政治と金というスキャンダルを追求することの方が重要」「政治家のスキャンダルを追及すれば、視聴率や売上げ部数が稼げる。メディアは血に飢えた鮫のように、新たな餌食を探し続ける」などと言われるとさすがに日本人として腹が立つが、実際その通りなのだから仕方がない。
 「ニューズウィーク」を読むと日本人は救いようのない政治音痴のような印象を受けるが、そのように「政治音痴」化させたのは言うまでもなく検察・官僚とマスコミである。複雑怪奇な政治資金規正法を駆使して重箱の隅をつつき、官僚組織にとって脅威となる政治家の些細なミスを取り上げて騒げばマスコミは何の疑問もなくただ検察からの情報を垂れ流し、それが「スキャンダル狂い」の国民の目に入って親の仇のごとく叩かれるという寸法である。そのようにして我が国は冷戦後の世界に対応できず、今またグローバル化金融危機後の国際経済に対応できず、「失われた20年」を経てしまったのである。「経済・外交の深刻な問題よりも、政治と金というスキャンダルを追求することの方が重要」だからである。我が国は自ら滅ぼうとしているのかもしれない。
 話を代表選に戻すが、いくら華々しく代表選をやったところで参議院において過半数を下回っていることに変わりはない。来年3月に予算案が衆議院可決により自然成立したとしても予算関連法案が衆参で成立しなければ絵に描いた餅であり、政権の命はないのである。「政策ごとに議論して」「部分的に協力して」成立させる、などと言う者はただ政治の怖さを知らないだけである。国会は学級会ではない。まかり間違えれば政権の命を根絶やしにしてしまう恐ろしいところなのだ。自民党がかつての民主党のように本気で政権を奪還する気があるのなら参議院の力をフルに使って陰に陽に菅政権を追い込むであろう。しかし「脱小沢」的手法によって代表選を勝ち抜いた現政権が水面下で妥協と調整、恫喝と買収をもって自民党もしくは公明党を取り込むことなどできるのだろうか。そのため政治のキーマンたち、とりわけ小沢は政界再編の可能性も考えながら状況を窺っているに違いない。
 と、ここまで書いて17日に内閣改造が行われるとのニュースを聞いた(16日22時現在)。改造内閣・党役員の面々は来年3月の予算案・予算関連法案の成立へ向けて先頭に立っていく人たちである。さてどうなるか。まずはお手並み拝見である。