誰も書かなかった日本医師会/水野肇[筑摩書房:ちくま文庫]

誰も書かなかった日本医師会 (ちくま文庫)

誰も書かなかった日本医師会 (ちくま文庫)

 日本医師会は日本の圧力団体の中でもとりわけ有名で、なぜかと言うと非常に「強い」からであるが、ではなぜ強いのかというとよくわかっていない。「病気になった時医者に頼らざるを得ないから」「頭脳明晰のエリート集団だから」「膨大な社会保障予算を左右できるから」等々、簡単に理由付けができるので本当の実態には誰も触れなかったということであろうが、では本書でその謎が解明されるのかというとそんなことはない(何じゃそれは)。
 作者は厚労省医療保険審議会や老人保健福祉審議会等の委員を何十年も務めてきた、いわゆる「役所お抱えジャーナリスト」であるから、本書には事の深層をえぐり出すようなことは何一つ書かれてはいない。ただしご高齢のようであるから、今まで内部から見てきた日本医師会厚労省の医療行政というものを回顧録のように淡々と書き連ね、その中で時に筆が滑ったのか今までの常識を覆すようなことがサラリと書かれているのである。こういうことがあるから色んな本を読むべきなんですね。
 「ケンカ太郎」の異名を持ち、反官僚・反自民日本医師会を日本最大の圧力団体に仕立て上げた武見太郎はこう言っている。「日本医師会員のうち、三割は、誰がリーダーでも自分でプロフェッションとしての医師のプライドを守るために、黙々と勉強する。三割はリーダーの良し悪しによって、かなり違う。そして残りの人たちは、医療費の上がることしか考えず、勉強もしない。『欲張り村の村長』のような連中である」…。そのような「欲張り村の村長」をまとめて組織を率いていくため、武見は反官僚・反自民で徹底的に戦い、診療費のアップや医療費予算削減の阻止を叫んで医師会の結束を強める動きを続けざるを得ず、それがいつの間にか「日本最強の圧力団体」となってしまったというのである。
 それにしても「医者の三割は欲張り村の村長」とはまた随分と過激な言い方で、金のことしか頭にないまさに下衆の権化のようであるが、医師会や厚生省ではわりと普通に使われていたという。もちろん武見や歴代医師会会長はただ医師の収入の確保にのみ専念していたのではなく高齢化時代の医療や医療技術の進歩にどう対応するかといった総合的な戦略を描いたりもしたのだが、そのような「自分たちの収入につながらない」ことに力を入れだした途端に会長選挙で破れるということが繰り返されて今日に至るという。これが本当なら患者はたまったものではない。目の前にいる医者は「欲張り村の村長」かもしれないのだからな。
 しかしながら本書で炙り出されるのは「日本医師会」というある特定の団体の内幕ではなく、「圧力団体」という組織の戦後日本社会での位置であろう。戦後から90年代初頭まで続いた経済繁栄の中で、ひたすら会員の収入の擁護を叫び続ければよかった圧力団体の最強の団体が日本医師会であった。武見太郎という個性的な会長の時代が25年続き、会長の個性に影響され「パターナリズム(父権主義)」が一般的になり、「患者は医師を信頼して任せばいいという考えを徹底して強調し、そのためインフォームド・コンセントの導入が30年おくれ、医療を国民と共に考えるという姿勢が少ない」というが、そのような欠点はその他の圧力団体にも多かれ少なかれ存在したはずで、問題は武見退陣後、或いはバブル崩壊とグローバル経済の新時代に何らグランドデザインを描くことができず無為に活動してきたことにあろう。医療関係の財政危機のたびに「財政対策」を厚労省自民党・医師会が話し合って決め、もっと大きな「日本社会の今後の医療の在り方」や「福祉や老人医療の展望」等の問題は先送りしてここまできてしまったのである。何せ「医者の三割は欲張り村の村長」なのだから無理もないが、それは他の圧力団体にも往々にして見られる光景ではないか。
 そして21世紀に入り驚異的な支持率でやってきた小泉内閣では、作者の言葉を借りれば「厚生行政が好きではなく、自分のやりたくないテーマは丸投げする」小泉を見抜いていた財務省によって経済財政諮問会議のメンバーは誘導され、医療保険改革によるその後の阿鼻叫喚は諸君ご存知の通りである。医療費削減による自治体病院の縮小・閉鎖、労働過重による医師の退職といった社会的事件が今まさに進行し、現在の日本医師会はそれを被害者の立場で改善を訴えているが、その責任の一端は日本医師会にもあることは本書を読めば言うまでもない。本書を読み終えて俺は心配になってきた。果たして日本の医療に未来はあるのだろうか。俺は医者という人種を全く信用していないのでどこかで野垂れ死ぬつもりだが、それでも事態は相当に深刻である。エピローグで作者は「総合医」の充実を掲げ、それなら何とかなりそうだが、依然として目の前は暗澹としている。大事なのは医師と国民の危機意識の共有であると思うが…。