東海道本線殺人事件/辻真先[光文社:光文社文庫]

東海道本線殺人事件 (光文社文庫)

東海道本線殺人事件 (光文社文庫)

 まずは面白かった、と言っておこう。タイトルを見ればわかる通り本書はトラベル・ミステリーで、東海道本線が舞台である。というと皆さん「ああ、新幹線ね、知ってるよ」と言われるだろうが、それは東海道新幹線であって、本書の舞台は電車の方の東海道本線である。実は電車にも東海道という名の線があるのですが、関東以外の人と鉄道に興味がない人は知らないだろう(俺も上京するまで知らなかった)。それ以外にも東海道本線の中間地点である豊橋駅からはトロッコ列車があるとか東海道本線大垣駅から枝分かれしたもう一つの東海道本線がある(大垣−美濃赤坂)とかいう鉄道豆知識が本書には随所に散りばめられていて、わりと鉄道オタクに親近感を持っている俺としては読んでいて退屈しなかった。もちろん殺人事件が起こっているのだからのほほんと親近感を感じている場合ではないが、殺人事件が起きて、その被害者の身辺を探っているうちに東海道本線が関係してくるのだからしょうがない、それがトラベルミステリーというものです。
 ではその殺人事件の真相を暴くのは誰かというと警察でも探偵でもない駆け出しのミステリー作家の青年(ポテト)とタレントで青年の恋人(スーパー)の2人でありまして、というと「あんた、警察でも探偵でもない素人が事件に手を突っ込んで、それに警察も何の異論も挟まないってパターンのやつが死ぬほど嫌いじゃなかったっけ」と言われそうだが、本作で終始推理をリードするのは「イモそっくりの凸凹な顔」をしたポテト君であるからいいのである。俺が腹立つのはスイーツ(笑)がいかにも喜びそうなハンサムでキザな男が探偵の役回りをする小説なのであって、大体この小説は極めて軽いノリで描かれた、それなりの読書遍歴を持つ人間なら2〜3時間で読んでしまうほどの、言わば「休憩のための1杯のコーヒー」みたいなものであって、一日を乗り切るための昼飯やプライベートを楽しむための夕飯ではないのだから(例えですよ、例え)「おう、はいはいはい、そう来たか、ふーん、ふーん、へー」という感じで読めばいいのです。難しく考える必要はないのです。
 とは言えちょっと都合が良すぎるところもあって、ヒロインであるスーパーは「歩く百科事典或いは人間コンピューター」という設定なので行く先々でその百科事典ぶりを披露するがそれがもうモロに説明文で作者の手抜きとしか思えない。「というのは、飯田線も昔は豊川鉄道っていう私鉄だったの。名鉄もその頃は愛電という私鉄で、両方が同じ系列の会社だったから、名古屋からのレールをのばして豊橋へつなぐとき、先にできあがっていた単線の豊川鉄道と協力して、自分とこも単線をこさえたわけ。そうすれば愛電と豊川鉄道のどちらも複線を使えて、めでたしめでたしでしょう?そのあたりの事情は、平井信号所の近くの鉄橋を見ると、すぐにピンとくるわ。東海道本線とJRの戸籍に入っている飯田線の下りは同じ鉄橋なのに、名鉄所属の飯田線上りだけ、別の豊川放水路を渡ってるんだから」「トリカブトの花はきれいな紫色。日本全国に根づいている毒草で、山菜と間違えて食べるアホもいるから注意すること。アイヌは昔からこの毒、アコニチンと言うんだけど、それを矢尻に塗って、熊狩りをしたって。トリカブトの根を、アイヌの言葉で『スルク』って言うんだけど、一説によるとこれが駿河の語源になったと言うの。富士山一帯にずいぶん茂っていたらしいわ。ヤマトタケルノミコトが死んだのも、トリカブトの毒矢のせいだというわね」などという博覧強記過ぎる博覧強記ぶりが要所で出てくるといくら軽い読み物と言ってもこれは少し手を抜き過ぎやないかなあと思うが、こういう暴走女を我らがポテト君が実に手際よく抑えてくれているので良しとしよう(最も濡れ場がないのが残念だが)。
 他にも被害者が持って回った言い方をしたり(「私が、なぜおかしいのかと聞きましたら、十返舎一九を読んでみればわかる、それだけしか教えてくれませんでしたわ」)、突然熾烈な受験戦争・予備校戦争について批判していたり(本書は1989年発行)してやや首をかしげざるを得ない部分もあったが、まあ「休憩のための1杯のコーヒー」としては申し分ありませんので、余計な事は考えず、秋の夜に楽しい仲間たちと旅行気分で殺人事件を追うことにしましょう。