情報戦

 現代の戦争は情報戦であるから、正確な情報を、どこよりも早く入手した者だけが情報戦を制する事ができる。そして情報は漏れてはならない。一部の人間(国)だけが知っている事で他の人間(国)より有利に事を運ぶ事ができる。だから官僚はとにかく情報を隠したがる。ところが官僚が得た情報はそもそも国民の税金によって得られたものであるから、国民に帰属されるのが原則である。しかし外交・軍事情報の中には公開すれば国家と国民に危害が及ぶものもある。そのため重い罰則を設けて情報が漏洩しないよう細心の注意が払われる。しかし国民の税金によって集められた情報は国民に帰属されなければならないから、何十年か経てば必ず公開しなければならない。或いは「秘密会」を開いて、国民の代表である国会議員だけに公開しなければならない。
 ところが我が国の場合は何十年経っても公開するものは官僚が「公開していい」ものに限るのである。また国会議員だけに開示する「秘密会」もない。そして官尊民碑の風潮が根付いているから、事実や危機を目の前にしても政府からの発表がなければマスコミが報じる事はない(原発事故で証明された)。更に問題なのは他国の情報に頼ろうとする事で、現代の戦争は情報戦であるから、嘘の情報もありえるにも関わらず、アメリカの情報を信じて疑わない。アメリカからの嘘の情報によって他国は打撃を受けてきた。例えばイラク戦争においてアメリカは「イラク大量破壊兵器を持っている」と嘘をつき、それによってイギリスのブレア首相は任期途中での辞任を余儀なくされた。しかし日本の小泉首相の責任は「アメリカが言ったのだから仕方ない」という事で追及されなかった。それで国家と国民を守れるのか甚だ疑問であるが、この国では「情報」に関する感度が恐ろしく低いことが世界中に知らされた。
 その国に降って湧いたように出てきた「特定秘密情報保護法案」であるが、これは日本がアメリカと共同で軍事行動等を行うためにアメリカからの秘密情報が漏洩しないための法整備をする必要があるとの事だが、それはそもそも「アメリカから日本へ情報が提供される」場合の事を想定していて、しかも漏洩しないようにするためという事はかなり高度な軍事・外交情報を想定しているのであろうが、そこに嘘が含まれて日本が踊らされる可能性を俺は心配している。かつて、アメリカで作られた調書によってロッキード事件が起こり、ロッキード社幹部を刑事免責にして嘱託尋問調書が作られ、それによって日本の政治家が逮捕された。ロッキード社から世界中の政治家に賄賂が渡ったが、他国の情報によって政治家を逮捕した国は日本だけであった。その暴走の歴史を誰も知らないか、或いは知らないフリをしている。
 現代は情報こそが力の源泉である。それを知っているからこそ官僚は税金によって得られた情報を国民に還元する気はない。しかも平和ボケしているのでアメリカからの情報に頼ればそれでいいと考える。ところがアメリカはそのような考え方はとらない。一時的には秘密とした場合でも何十年か経てば必ず公開されるから、歴史の審判を受けなければならない事を覚悟した上で国家の大事を判断する。また国家の大事に関する事であれば「秘密会」を開いて、国民の代表である議員の判断を仰ぐ(もちろん厳格な守秘義務がある)。更に世界中から情報を収集している。ドイツのメルケル首相が野党党首だった時代からアメリカはメルケル氏の携帯電話を盗聴していたというが、そんな事はアメリカなら平気でやるはずである。冷戦が終わってこれまで対ソ連情報収集を中心に活動してきたCIAの今後の活動がアメリカ内で議論され、冷戦時代以上に諜報活動が強化される事となったのを知らないのは世界で日本だけではないか。また諜報活動とは何も盗聴技術を進化させる事だけではない。マスコミや民間組織に網を張り巡らし、各国の世論に関与するようになるのも立派な諜報活動である。と言っても裏金を渡して自国の思い通りに扇動するような時代錯誤な真似はしない。学者や評論家やマスコミ関係者にアメリカに好意的な世論を形成させるよう、しかし自分達はアメリカに都合のいい事を言っているとは意識させないようコントロールするのである。「特定秘密情報保護法案」においてもそのアメリカの力を感じる。それが現代の情報戦、即ち戦争なのである。