図書館雑誌2022年1月号・2月号・3月号[日本図書館協会]

20220730

 日本図書館協会。図書館の素晴らしさと大切さを日本全国津々浦々の人々に伝える、また図書館業界で働く全ての人達(司書他)が誇りを持って憂いなく働く事ができるよう様々な取り組みを行う団体…というのが表の顔であろうが、人の世の常として先立つもの、即ち金がなければ何もできないのだから、つまり図書館に潤沢に予算がつけられるか否か、つけられないならどこから調達するか、ボランティアは大いに結構だがボランティアは無償である、無償であることは責任がないという事である、その組織・団体から金をもらって働く者だからこそその組織・団体に対して責任が生じるのである。また図書館で働く人達、その中核であるはずの司書達の生活の保障はどうなっているのか。いまだに非常勤かそれとも指定管理者か。そんな人達のギリギリの努力で成り立っている図書館が生活のインフラたりえるのか市民の情報センターになりえるのか。何も変えず、何も変えられず、ただなんとなく惰性のまま文部科学省総務省の言う事を聞くのみか、それとも税金の使い道にうるさい世論に恐れをなして右往左往するのみか。

 そもそもどれくらいの人が「日本図書館協会」なるものを知っておるのか。誰も知らんだろう。だからここは一つ、知名度を上げるためにスキャンダルでもぶち上げてみたらどうだ。もちろん公金横領などの犯罪はまずいから、手っ取り早く不倫とかはどうだ。それもいかんか。ではソープランド好きとかはどうだ。この俺を役員にしなさい(年会費を払い続けてもう10年近く経っておる)。そしたら下世話な週刊誌に「コロナにも関わらずソープランドに通う非常識な〇〇は…」と書かれるだろう。そしたら俺は「なに図書館と言っても生身の人間ですからね。ソープランドぐらい行きますわ。堅苦しいばかりではいけませんよ、わははははは」と言ってやろう。想像するだけで楽しいではないか。わははははは。

 というわけで久しぶりに図書館雑誌について述べるが、コロナ禍とSNSの浸透を背景に「図書館系VTuber」の試みが紹介され(1月号)、全国図書館大会では「会計年度任用職員」が導入された事による実態が報告され(2月号)、常任理事会では「(図書館)協会に関与したくない人達が増えてきているのではないか」という危惧の意見も出され(2月号)、ネーミングライツ事業と図書館の事例が紹介され(3月号)、国会図書館のデジタルコレクションの著作権処理について、「序文に著者が謝辞として挙げた人名も著作者もみなし、又は著者が引用した論文も著作物とみなして、それらの著作権保護期間が満了しなければ、その本はネット公開されない」という、著作権の保護の側面を重視し慎重な判断を行う現在の運用について言及されている(3月号)のであった。図書館及び図書館周辺の、まさに業界の動向がわかり、また図書館や本などにのみ限定して話す事、専門的な用語を使う事が当然であるという編集側と読者側の暗黙の了解が読み進めるほどに心地よいが、しかしその心地よさに安住すると「世間は図書館についてわかってくれない」、でも「こうして多くの仲間達・同志達がいる」から「色々あるけど皆で頑張れば何とかなるだろう」となり、「何とかならなくても、ここにいる仲間達・同志達なら理解してくれるだろう」「愚痴を聞いてくれるだろう」「傷の舐めあいもできるだろう」…でぬかるみ状態に陥っていく危険性も大いにある。図書館の実態、いわゆる「三現主義」(現場・現物・現実)がしっかりと機能している事は認めるが、しかしそれを踏まえてどうするつもりなのだ。或いは圧力団体として、行政府や政治に圧力を加え、自分達の望ましい方向に政策、もっと露骨に言えば税金を獲得する活動をしていかなければならないはずだ。俺はまだ期待しているので年会費を払い続けるつもりである。