また、嘘八百! 明治編/天野祐吉[文藝春秋:文春文庫ビジュアル版]

 見よ、この商品を!

 この広告を!

 天下に名立たる〇〇博士が絶対に保証する素晴らしき薬! 

 宮内省御用達の光輝く食材! 

 陸軍省海軍省御用達の特上酒! 

 日清(日露)の兵隊さん達も愛用した勝利の煙草!

 …というのが明治の広告のパターン①ですが、これらは男性諸君の客層をイメージしたものでして、花も恥じらう明治の女性達を対象としたパターン②になると、

 夫人各位!

 この白粉にて美しくなられよ!

 美人となる秘訣はこの化粧水の愛用なり!

 〇〇洗い粉(石鹸)は男女老幼を問わず経済上家庭の必要品なり!

 という事で、やはり権力・権威に弱い男どもと違い女性は本質を見ているので肩書を振りかざす(〇〇博士だの宮内省だの)事はないものの、新聞という文明社会の発明、その新聞に載る商品広告という華で押して押して押しまくれ、誇大広告も嘘八百も何のその、とにかく派手に、或いは見る者の目を引く事にのみ集中する明治時代の広告魂を見せつけられると平成・令和の人間たる俺はページをめくるたびに押しまくられ胸焼けがして辟易するのであった。

 そもそも広告とは何なのか。人は必要があるから食べ物飲み物を買い、薬を買い、日用品を買い、娯楽品を買うのである。しかし煙草一つ取ってもその種類は数多くある。その中でただ一つを買う場合、何を基準にして選ぶか。もちろんうまい煙草である。ではうまい煙草とは何だ。嘘八百、じゃなかった八百もの種類の中から選ぶのか。一体どれほどの金がかかるのか、いや所詮は一箱三銭だから800×3銭で2,400銭つまり24円あればいいから何とかなろう、しかし八百もあるのだ、1日に1箱ずつ買ったとしても800日つまり2年以上かかる。今ある800の煙草の799個目が2年経ってもまだ存在している保証はない。ではどうするのだ、明治日本を背負って立つこの俺が真にうまい煙草の味を知らずして、近所の売店で売ってある煙草を喫んで満足するのか。誰か教えてくれ、本当にうまい煙草、世界に冠たる大日本帝国を背負って立つ俺にふさわしい煙草を…は。何と。「宮内省御用達」とな。「陸軍省及び海軍省御用達」とな。「日清(日露)の兵隊さん達もこれ一本で心機一転、これぞ帝国日本の礎なり」。これ、これ、これだ。俺にふさわしいのはこういうものなのだ。なにそれとうまいまずいは関係ない? 何を言うておるか、うまいまずいは所詮は俺が決める事、それに世の中にとんでもなくうまい煙草などあるものか、もしあったとしてもそんなものはとんでもなく高いか、すぐになくなってしまうかだ。そのために財産を使い果たすのか、短い人生をその煙草を獲得する戦いに費やすのか、馬鹿も休み休み言いたまえ。とんでもなくまずくなければよい、とんでもなく高くなければよいのだ。つまり何でもいいのだ。しかし何でもいいとは言え何でもいいわけではない。頓智ではない。何でもいいとは言いつつその中から何かしらの理由があってその煙草を選ぶのである。その理由は自分で考えなくてもよい。広告がその理由を教えてくれよう。はっはっは、オシャレで素敵など些末な事よ、人生は短い、人はその道の探究者にはなれない、広告におんぶにだっこでよいのだ、嘘八百大いに結構。       

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