2 カラオケで、公園で、または海で

10位:オニデレクリスタルな洋介小学館少年サンデーコミックス

 さて少年誌連載の作品がこの日本ラブコメ大賞に出るのは久し振りです。どれぐらい久し振りかというと前に言及した少年誌連載の作品が何だったのか思いだせないくらい久し振りで、調べてみたら「ゾクセイ」(2007・1位)以来だった。10年前か。そう言えばそうか10年前の24歳で既に「少年誌を読むのは年齢的にきつい」と言っていたのだから10年も出てこなかったのも不思議ではない。しかし何度も言うように俺は世界のラブコメ王なので殻に閉じこもるような事はしないのであります。
 というわけで本作だがこれほどオーソドックスな少年漫画のラブコメも珍しかった。主人公が「地味で平凡、どころか手芸部に属する毒にも薬にもならない少年」でヒロインの方は「最強(最凶)のヤンキー」というのは80年代後半のラブコメ漫画でも時々見られたパターンで、と言っても当時は「本来は男がヤンキーで女は普通の生徒、になるはずが逆の立場になった」事によるギャップだけで作品として成立していて、しかし現在はそうではないので男(=主人公=読者)はより地味に平凡に弱々しく、ヒロイン(=ヤンキー女)はより強くなければ面白くならない。とは言えヒロインを表面的・肉体的に強くすればするほど、その強さを効果的にするため精神的には弱く(80年代風に言えば「ウブなネンネちゃん」)描かざるを得ないのも現在であって、大体「今の女は昔の女よりすごい」とはよく聞くが昔の女性達は適齢期(20代中盤〜20代後半)になればさして好きでもない男ととりあえず結婚しなければならないとあきらめていたのであり、いずれ来る結婚・出産・子育てのため、いつの時代も純情な男達と違ってそれなりにやる事はやっていたのである。今の女の方がよっぽどウブなネンネちゃんだ(と昭和28年生まれのスナックのママが言っていた)。
 話がそれたが今は昭和ではなく平成も終盤の29年なのであるからそのようにして主人公とヒロイン(金髪で凶暴な女番長)は恋仲となって清く正しく健全な交際をするのであり、ヤンキーヒロインは主人公にぞっこんどころか「呼び捨てされたら気絶」「キスされたら気絶」するモロさを抱えつつ岩をも砕く人外の怪力を見せつけ、それによって主人公(=読者)はただのひ弱な手芸部の少年でありながら「こんな怪力女が自分に惚れている→こんな女に惚れられる自分はすごい」という優越感に浸る事もできよう。大事な事なので今年も繰り返すが、ラブコメとは「社会的に強い立場にいる女(ヒロイン)」の行動原理が主人公(=読者)に据えられている事であり、それによって主人公(=読者)自身を大きく見せるものなのである。
 とは言え少年誌の限界か、主人公は例によって「どしゃ降りの雨の中、動物がびしょ濡れだからと言って傘を差し出し、自分はずぶ濡れ」…とまでは行かないにしてもそれにやや近い人間味のない絵空事のような行動に出てしまうのであり、その他の登場人物もやや突飛、そしてこれが一番物足りないところだが、3巻まで読んだ限りではヒロインのライバルが出てこないのであり、総合的に判断すればこの順位となりました。しかしいいラブコメには違いない。20年前、中学生だった俺が読んだら迷わず1位にしていただろう。
   
9位:透明人間協定/克・亜樹小学館ビッグコミックスモバMAN] さて御大の登場であります。日本ラブコメ大賞に燦然と輝く名作「ふたりエッチ」(1998・1位)や「ラブらっきぃ」(2004・1位)他を生み出した作者には足を向けて寝れないが、しかし俺は世界のラブコメ王なので言わせてもらうが、作者の場合シリアス調の作品になると途端に駄目になってしまう。コメディとシリアスの描き分けができていないからであるが、それは「ふたりエッチ」を20年近く読み続けている俺特有の事情もあるが、しかし作者のシリアス作品が芝居くさくなるのは疑いのないところで、どう芝居くさいかと言えばストーリー展開に伴って描かれる主人公のモノローグが大げさ且つテンポがなく、読む側からすればリズムが取れない。
 もちろんそれでも優れたラブコメ(平凡でおとなしい男を主人公に据えて、誰もが息を飲む美人と関係を持つ)であれば問題ないが、本作は一応「ラブ&サスペンス」という事なので「美人なヒロインが主人公にベタ惚れ」状態ではなく美人ヒロインは何らかの意図を持って主人公を利用しようとするのであり、ラブコメの王道から外れるものではある。しかしそれでも9位となったのはひとえに設定の妙によるもので、
(1)失恋してやけになった主人公は自殺を図る(但し本気で自殺しようとしたかは疑わしい)。
(2)その主人公をなぜかヒロインが助ける。
(3)なぜかヒロインは主人公に同居を提案、しかし家の中ではヒロインは主人公を「透明人間」、つまり見えないものとして扱う。
(4)家の外を出ればヒロインと主人公は「同棲中の恋人」として振る舞う。
 という事で主人公は困惑し続け、そうは言っても大学で耳目を集めるクールビューティーたるヒロインに突如として彼氏(=主人公=読者)ができた、しかもその彼氏が「普通の平凡などこにでもいる男」であるから周りは騒ぎ主人公(=読者)は注目の的となり、注目の的となって更に困惑する主人公は謎のヒロインの行動の真意を探るうちに不可解な人間関係に巻き込まれる事になる…という、「普通の平凡などこにでもいる男」が普通ではない事件に巻き込まれ、二次元のセオリーに従ってその男(=主人公=読者)に絡む女(ヒロイン)は美人なのでその美人に刺激されて更に美人が寄ってくる(どうしてあんな美人が特に取り柄もなさそうな男と付き合うのかしら→気になるのであの男にちょっかいを出そう・あの男を誘惑すれば私にはわからない事がわかるのかしら…)という構図で、結果的にラブコメとして成立しているのであった。
 もちろん結果的だろうが何だろうがラブコメであれば問題ない。ラブコメとは突き詰めれば「主人公になるはずもない地味で平凡な男を主人公にする」というただそれだけのものなのであり、「主人公になるはずもない地味で平凡な男」を主人公に据えれば物語が動き出すに従って女がやってくるのであり、その女は二次元のセオリーに従って「誰もが注目を集める美人」になるに決まっているのである。そのシンプルさを本作を読んで再認識させられた。やはり御大は偉大だ、ラブコメも偉大だ、世界のラブコメ王である俺も偉大なのだ。
  
8位:おとなりボイスチャット/こじまなおなり[徳間書店:RYU COMICS]
おとなりボイスチャット(2) (RYU COMICS)

おとなりボイスチャット(2) (RYU COMICS)

 断言するがもし本作と出会った時俺が大学生ならば本作は1位となっていた。しかし今の俺は34歳なのであり俗世間に溢れる汚いだらしない打算にまみれた世界を見てきたのであり、主人公とヒロインが醸し出す初々しい世界とは遠いところに行ってしまったのであり、本作を読んだ後はせいぜい微苦笑するのが関の山である。とは言え俺は世界のラブコメ王なのでそれとこれとは話は別でラブコメとして評価しよう。
 何度も言うようにラブコメとは主人公に「地味で平凡な青年」を擁立する事が最大の特徴で、しかし「地味で平凡」など時代によって様々に定義される。一般的には「人見知りで口下手」「オタク」「おとなしくて無口」である事が多く、また「ひきこもり」もありえよう。実際ひきこもりな主人公に美人なヒロインをぶつけるラブコメも多く存在する(2011・1位「彼女はソレを我慢できない」他)。ひきこもりという社会的弱者な主人公に誰もが羨む美人をぶつける事で読者は「こんなひきこもりにも美人がやってくるのだから…(自分にもチャンスが…)」となって救い・希望・癒しを感じる事ができよう。
 ところが本作ではひきこもりなのはヒロインの方であった。そして思わず会話を交わすようになった(壁越しで)主人公は大家でもあるヒロインに代わって庭の雑草を整備したり風邪をひいたヒロインのために薬を買ってやったりするのであるが、ラブコメとは「男が女より優位に立つ思想」なのであるから、そのような事は本来やってはならない。男(=主人公=読者)が何のアクションを起こさなくても美人なヒロインが男側に向かってくる事こそラブコメの魅力でありルールなのであって、主人公が「何かをした」事によってヒロインが主人公(=読者)に好意を持つならば原因と結果が繋がる事になり、ラブコメに必要な「都合の良い」感がなくなってしまう。
 とは言え本作が優れているのはこのひきこもりヒロインがひきこもりでありながら早々に主人公に対して好意を持っている事をうまく表現できている事で、それによって「ただいま」「お帰りなさい」の挨拶や初々しい夏の花火(ヒロインはわざわざ浴衣を着るが、しかし部屋からは出ない。この辺りは読んで下さいとしか言いようがない)等、恋愛に奥手な主人公(=読者)にぴったりな微笑ましい二人の時間が描かれ、読み進めるにつれてヒロインがひきこもりであってもなくても関係ないほど主人公とヒロインは心が通い合うのであった。そしてラブコメであるからヒロインのライバルである副ヒロインが現われ、こちらはひきこもりではなく普通の女子大生であるから主人公に近づくが、本作の世界観が全体的に「初々しい」「微笑ましい」であるため副ヒロインもいわゆる色気を使った誘惑的な事は起こさず主人公とヒロインの関係を応援するような素振りも見せるので物足りなくもあるが、しかしまあ本作にはこれぐらいがちょうどいいのであろう。こういう作品もまた必要である。
   
7位:花×華すらだまみ岩田洋季・涼香[アスキー・メディアワークス:電撃コミックスNEXT]
 珍しくテクニック的な事から言及すると、各キャラクターの輪郭線が美しい。特に両ヒロインは美しい線で構成され流麗な雰囲気を醸し出し、それによって時々デフォルメされる姿が非常に愛らしくなっている。もちろん「ラブコメ的な設定であるか否か」が俺の求める唯一のものであるが、絵は上手であればあるほどよい。
 そしてその流麗なヒロイン二人は頁を開いてすぐに主人公に告白するのであり、以後もフルスロットルでヒロイン2人が愛情を放出してストーリーの流れを作り、亡き父の偉大な業績に押しつぶされそうになりくすぶっていた主人公はヒロイン2人の絶える事のないアプローチ合戦に勇気づけられ、立ち上がり、やがてヒロイン2人の複雑な出自が明らかになるとヒロイン2人を救済するのであった。そうすると主人公(=読者)がヒーローになってしまいラブコメの主人公としては失格となるが、本作においては序盤にしつこいほど「ヒロイン→主人公」という事実を提示しているので中盤以降に「主人公→ヒロイン」になっても違和感はないのである。何度も繰り返すが、まずヒロイン側が行動を起こす事がラブコメの大前提であり、「ヒロイン→主人公→ヒロイン」という構図であれば問題ないのであって、最初のきっかけはヒロイン側が持つ、つまりリスクはヒロイン側が持つ事で、主人公は存分に暴れまわる事ができよう。男は本能として攻撃的なのであり、その攻撃性をこの窮屈な現代社会で発揮するにはこのようなラブコメの前提が必要なのである。
 話がそれたがとにかく本作は序盤からフルスロットルでヒロインが飛ばしまくっている事が特徴で、一例をあげれば
・ヒロイン1「私の方がずっとずっと主人公くんの事を好きですから」
同2「ちがう!あたしの方が好きだもん!」
・(海で)ヒロイン1「私と休憩がてら渚デートを、アメフラシとか探しましょう」
同2「あたしと沖まで泳ご、そこで水泳の個人レッスンも」
・(同じく海で)ヒロイン1「その馬鹿みたいな乳を押しつけるのをやめて下さい」
同2「おっ、押しつけてなんかないもん」
・(ヒロイン2が立ちくらみして)ヒロイン1「なにどさくさに抱きついてるんですか!」
同2「不可抗力だもん、そっちこそ離れてよ」
 …という具合で、ここまで真剣勝負で愛情を注がれたならば、このヒロイン1・2が複雑な出自(異母姉妹)とその血ゆえに苦しんでいる姿を目の当たりにして意を決して大人達に立ち向かう事に違和感はない。むしろ「地味で平凡な男」であっても、きっかけさえあれば堂々と立ち向かう事ができる事をラブコメは教えてくれるのである。
 そしてラブコメのセオリーに則って結末は「俺には二人のヒロインが大切なんだ」で、
ヒロイン2「今あたしたちを選ばなかったって事は」
ヒロイン1「私達のアピール合戦はまだまだこれからも続くって事なんですよ」
 で嬉しいハーレムとなって終わるのであるが、最初に言及した通り本作のヒロインは「美しい」分、いわゆるなまめかしい色気が感じられないのであまりハーレム感が感じられずこの順位となった。しかしいつまでも読み続けたい名作である事は世界のラブコメ王である俺が保証しよう。
   
6位:脱オタしてはみたものの/板場広志芳文社芳文社コミックス]
 身につまされる…というか何というか、元オタクである主人公の描写は文句のつけようがない。特に脱オタした主人公が、オタクの世界とは関係ない一般人の婚約者(ヒロイン)をゲットしたために過去のオタク趣味を封印・隠ぺいしようとする姿は涙が出るほどいじらしい。そうなのだ、いかにオタクが市民権を得たとは言え実際に相手がオタクと知った時に女がどう反応するかはまだまだ怪しいものがある。特に地方ではまだオタク及びオタク趣味は疎んじられており、これは都会及び都会周辺に住んでいる人にはなかなかわからないのではないかな。
 しかしオタクはなろうと思ってなるものではなく、やめようと思ってやめられるものではない。特にこの脱オタ主人公はかつて商業デビューした元エロ漫画家であり、今は足を洗って一介のサラリーマンとなったが人の世の常で過去を完全に消し去る事はできずそのエロ漫画家時代の知り合いその他から逃れる事はできず、二次元のセオリーに則って若く美人なヒロインと婚約までこぎつけて世界一幸せになったはいいがよりによってオタク時代に憧れていた声優(副ヒロイン)が今になって目の前に現れ、これまた二次元のセオリーに則って主人公に強烈なアプローチを放つ(主人公の描いた同人誌を気に入っていたらしい)ものだからえらい事だが、ヒロインと副ヒロインが仲良くなったりして更にえらい事に…というストーリー展開と並行して「鉄道以外のほとんどのオタク趣味を嗜んできた」元オタクは嬉々としてまたオタク趣味に戻っていくのであり、それによって主人公の「オタク度」を強調しつつ、一方で美人でかわいくて若いヒロイン(婚約者)との性交渉も行われるのだから、主人公(=読者)はオタクを満喫しながらリア充も満喫するのであり、これは俺を含めた読者の理想の姿であろう。
 本作は日本ラブコメ大賞の常連である作者(2016成年・3位「母ふたり」、2015・8位「歳の差20/40」、等)による年季の入った「スレンダー且つ巨乳」の艶のあるヒロインをオタクである主人公(=読者)にぶつける事で、「オタク」と「リア充」の落差を強調しながらその落差を主人公の中で消化している事が最大の特徴である。ほとんどのオタクはリア充になれずオタク趣味の深みへ入る事で自分を慰めるしかなく、多かれ少なかれリア充と世間の冷たい視線にさらされるのであり、その辛さ悲しさを一瞬でも忘れるために本作のようなラブコメが必要なのである。とは言え本作の良さはここまでで、その後ハーレムになるかというと中途半端に終わる(というかなぜ殴られなければならなかったのか)のでこの順位となった。まあ無事に主人公(=読者)とヒロインは結婚した(二人で仲良く同人作業)ので結果良ければ全て良し、むしろこれ以上ヒロインと副ヒロインの間を行き来すればどちらからもフられる可能性もあっただろうからこれでよかったのだろうが、数々の成年漫画でハーレムを描いてきた作者だからこそ期待するのも無理からぬ事で、世の中うまい事行きませんなあ。
      
5位:ハルとナツ武田すん白泉社:JETS COMICS]
 「あんた、さっきから小難しい事ばっかり言ってるけど、それで結局、あんたの言うラブコメって何なの?」と言われたらとりあえず本作を渡して「こういうやつです。読んで下さい」と言うだろう。それぐらい本作は入門書として最適であって、どう最適かと言うと何度も繰り返すがラブコメとは「主人公は地味で平凡で冴えない」でなければならないが、だからと言って「被害者的立場」に甘んじてはいけない、という事を説明するのに本作が最適だからである。
 主人公が「地味で平凡で冴えない」ため結果としてヒロイン側は「美人で活発で主人公を積極的に引っ張っていく、主導していく」設定がなされるわけだが、その「主導」が暴力的になってはいけない。あくまでメインは「地味で平凡で冴えない」方であり、ラブコメとは「男が女より優位に立つ思想」であるから、ヒロイン側が積極的に立ち回りながら(ストーリー展開を主導しながら)も主人公より目立ってはいけないし主人公をぞんざいに扱ってはいけない。しかしネガティブな事は言いたくないが90年代はラブコメにとって冬の時代で、そのような「地味で平凡で冴えない」主人公はひたすら「美人だが積極的で活発的」なヒロインに殴られ蹴られ罵倒され人間性を否定されていたのであって、今の若い人からすれば主人公(=読者)が殴られ蹴られ罵倒され人間性を否定されるような作品をなぜ読んでいたのかと思うだろうが皆読んでいたのである。特殊なマゾ的性癖を持つわけでもない我々がなぜそのような特殊なマゾ性癖的な作品を読んでいたかと問われたら時代の狂気だったとしか言いようがないが、それはともかく本作は「ヒロイン側が積極的に立ち回りながら、決して主人公より前に出ない」「主人公の扱いがぞんざいではない」が強固に維持されているので最適なのである。
 そしてなぜ強固に維持されているかというとヒロインによる主人公(=読者)へのアプローチが回を増すごとに過激になっているからで、最初は「私と主人公君は清潔なお付き合いをしているの」「(エロ本を発見して)主人公君はこういう下品な女が好きなの?(→ビリビリに破る)」と言っていたヒロインは「主人公君のパンツが欲しい」「主人公君のもっこりが見たい」とその欲望を徐々に開花させていくのであり、しかしエロ漫画ではないから性交渉になだれ込むわけではなくその欲望は静かにしかし着実にヒロインを蝕んでいくのであり、そのヒロインの原因は主人公(=読者)にあるのだから主人公(=読者)の存在がクローズアップされよう。病状(?)が進行するに従って主人公の存在感が大きくなる展開はスリリングですらある。
 とは言えラブコメの主人公は多かれ少なかれ「被害者的立場」を甘受しなければならない(何せヒロイン側に引っ張られるので)。ヒロイン1とヒロイン2の意地の張り合い(主人公の歓心を買うためにプールで水着を脱ぐ、絵のモデルのために脱ぐ、一緒に風呂に入ってやっぱり脱ぐ、等)に巻き込まれて主人公が泥をかぶる事も多々あるが、しかしその意地の張り合いがそもそも主人公に端を発しているのだから主人公(=読者)の地位は盤石となり、おまけにハーレムになる、と好循環が生まれよう。これぞラブコメの基本である。皆さんの周りに「ラブコメがよくわからない」という人がいたら是非本作を勧めて下さい。
   
4位:温泉卓球☆コンパニオンズ!/えむあ[少年画報社:YKコミックス]
 何度でも繰り返すがラブコメのヒロインに必要な事は、
・美人(もしくはかわいい)
・スタイルがいい(巨乳且つスレンダー)
・性格がいい、優しい
・主人公(=読者)を積極的に引っ張るが、主人公(=読者)の前に出ない、目立たない
 等であるが、それよりも何よりも「主人公(=読者)に好意(もしくははっきりとした愛情)を持っている」事が絶対条件であって、更に言えばそのような「好意(もしくははっきりとした愛情)」は主人公側が特に何もしなくても、主人公とヒロインが出会った瞬間から発揮されなければならない。主人公側が何らかの努力をする事によってしかヒロインの好意もしくは愛情を得られないのであれば、それはラブコメではない。
 もちろんそのような「都合のいい」展開には必ず違和感がつきまとうが、ではその違和感を消さなければならないかと言えばそうではない。ラブコメに限らずあらゆるフィクションに違和感は付いてまわるのであり、違和感は完全には消えないのであるから、要は程度問題で、大事な事はどうやって読者を楽しませるかである。違和感があっても読者が楽しめるのであればいいのであり、本作などそのあまりの「都合のいい」展開ぶりに読者は常に違和感を意識するが、しかしブレる事なく「都合のいい」展開を押し通す、つまりヒロイン達が常に主人公(=読者)に好意や愛情をぶつけていく事でヒロイン達は魅力的に映り、そのヒロイン達を魅力的たらしめているのは主人公(=読者)であると意識した時、「都合の良さ」は「違和感」を凌駕するのである。
 やたらと抽象的になってしまったが本作を評価するとこう書かざるを得ないのであって、寂れた温泉街(バブルの時に後先考えず増やした施設等が重荷となっている)の高校に非常勤講師として何とか潜り込んだ主人公は宿泊先の温泉付き旅館でヒロインの1人と会って意気投合というか一方的に気に入られ、更にそのヒロインの母(寂れた温泉町の町長)に気に入られ(男なら一度は痴女に襲われたいと妄想するもの)、その勢いに乗って卓球部を創設しそこに集まって来たヒロインの友人女子高生達にも気に入られ…という風に周囲を常にヒロイン達で固めていくのであり、とは言え一般漫画だから性交渉にのめり込むわけにもいかず(ヒロインの母を除く)卓球部の顧問としてヒロイン達を主導していくのであるがそこはラブコメであるから純粋無垢なアプローチを受け(「私も先生(=主人公)のコンパニオンになる」「今夜のごほうび、期待してるね」「プロポーズの言葉ですね、わかりました、帰ったら早速子作りしましょう」)、ヒロイン達を県大会にまで送り込み、廃校で無職になると思いきや町長の寵愛を受けた主人公(=読者)は気が付けば市の観光課職員となっているのであった。「都合のいい」ストーリーを構築するならここまで行かなくてはな。それでこそ読者は救いと癒し、そして希望を手に入れるのだ。
  
3位:モンプチ 嫁はフランス人/じゃんぽーる西[祥伝社
モンプチ 嫁はフランス人 (FEEL COMICS)

モンプチ 嫁はフランス人 (FEEL COMICS)

 ラブコメとは普通「夫婦になる」までを描けば、それで終了である。「地味で平凡で冴えない男」を我が物にしようと複数のヒロイン達が争うところがラブコメの最大の魅力であって、そのうちの誰か一人が主人公のハートを射止めて夫婦となってしまえば終了となる。しかし夫婦という形態には何をやってもいい(どれだけ変態的な、けだもののような生活を送ってもいい)という安心感と強さがあり、しかも二次元のセオリーによって妻は美人でスタイルがよく、それでいて「妻=生涯、夫だけに尽くし夫だけを愛さなければならない」のであるから、夫の優越感と征服感は独身の並みではない。
 しかしながら本作はコミックエッセイであり、ラブコメによくある「都合の良い」展開は起こらないし妻が臆面もなく愛を語る事などあるはずがない…と思ったがあらびっくり、フランスに行ったはいいがフランス語もほとんど覚える事なくスーパー店員のバイトだけして帰ってきた作者(30代後半の売れない漫画家)は日本在住のフランス人女性に口説かれた上にできちゃった結婚までしてしまうのであり、結婚してからも以下のような愛にまみれた生活を送るのであった。
・寝起きで頭ボッサボサの状態で「おはようマイダーリン、ブチュコン、あなたはかっこいい」
・野菜を切ると「あなたは素晴らしい」
・牛乳を買ってくると「すごい」
・床屋で髪を切ると「かっこいい」
 …という具合で、さすがにすっかり辛くなった作者が(「あなたは私の人生の男よ」と言われたら「君は僕の人生の女さ」と返す?できるかそんなん…)もうやめてくれと言っても「(返答を)ほしくて言っているのではないのです」「本当に(かっこいいいと)思っているから言っているのです」という事で愛にまみれた生活は続行、毎日ビズ(キス)する(しなければ泣いて怒る。「ビズして下さい、カップルにはとても大事な事です」)、食事の前に愛を誓う(「私達の愛に」)、記念日には必ずお祝いをする、等、等で、フランス妻の日本夫に対する愛はどこまでも深いのであった。おかしい、フランス人も日本人も同じ人間だというのにどうしてここまで違うのか、この広い日本のどこにそんな女がいるだろうか、日本は今や「女はドSでなければならない、男はドMでなければならない」に代表される女尊男卑の社会となったのだ…。
 話がそれたがそのようにして作者はそれまで社会から疎外されていた(「エロい」「不審者」「ロリコン」「性犯罪者」)が「優しいパパさん」となって好感度が爆アゲされたのであり、そのような作者を見る事で同じような境遇にいる俺(「エロい」「不審者」「ロリコン」「性犯罪者」の全てが当てはまる)や諸君(「エロい」「不審者」「ロリコン」「性犯罪者」のどれかが当てはまる)は癒され、「自分にもチャンスが…」などと淡い期待を思い浮かべる事もできよう。何度も繰り返すが、ラブコメとは性欲処理であると同時に「救い・癒し・希望」でもある。素晴らしいではないか。正直なところフランスの政治史や歴史を齧っているとフランス人はあまり好きになれなかったが、考えは改まった、結婚するならフランス人…いや俺には二次元が…。
  
2位:はじめてのギャル植野メグル角川書店:角川コミックス・エース]
 大事な事なので何度でも繰り返す。ラブコメとは都合のいいものである。「昨日今日のこじらせDT(童貞)」どころではない、女とろくに話ができないまま醜く年老いて死んでいく俺(素人童貞34歳)や諸君のような人間のためにラブコメはある。しかしまあ、本当の事を言えば一度でいいから女と付き合ってみたかったしドキドキワクワクするような青春を送りたかった。俺(素人童貞34歳)や諸君にとって、高校生活とは楽しい事もそれなりにあったがしかし辛かった。なぜなら彼女は欲しかったが彼女はできなかったからで、なぜできなかったかと言えば俺(素人童貞34歳、しつこいな)や諸君のような「地味で平凡で冴えない男」に、「美人で巨乳な女子高生」は好意を持たないからで、彼女らは我々を一瞥して「キモっ」とだけ言って去っていったからである。さりとて彼女らの理想通りスポーツ万能になる事もイケメンになる事も不可能であり、何よりそんな事をしなくても目を閉じ耳を塞げば二次元の世界に隠れる事ができた。しかし目を開き耳を澄ませばリア充が跋扈している、それがますます我々を半ひきこもり状態にさせる。長い年月が流れ、世は少子化により静かな危機が進行中となった。ざまあみやがれ。
 そのような俺及び諸君にとって本作はまことに素晴らしい、あの日の自分達にタイムマシンを使って渡したいぐらいの作品であって、悪友達の悪ふざけで無理やり「こんな可愛いギャルJK」に告白(しかも土下座告白)する事になった主人公はなぜか「あたしは結構好きだよ、あんたの事」「いいよ、付き合おっか、ウチら」、で棚ボタ的に付き合う事になり、「絶対からかってるだけだろ」と疑心暗鬼の塊と化した主人公(=読者)であるが以後怒涛のリア充展開にさらされるのであって、列挙すれば
・放課後デートでカラオケで密室で二人っきり
・休日は映画館→ゲームセンターでプリクラ撮影→公園散歩でヒロインからキス
・彼女の水着選びに付き合わされる
 等であり、これだけでもものすごいが、これら各々の場面においてヒロインは主人公(=読者)に対して彼氏として接する、つまり俺及び諸君が嫌になるほど経験した「キモいオタク」的な扱いは全くしないどころか彼女として彼氏(=主人公=読者)にサービスするのであった(「この水着見せるのは主人公だけ…ね」「じゃあ(おっぱい)もんでよ、主人公の事マジで好きだから大丈夫だし!」)。常にネガティブに、「俺をからかってるだけだ、こんな可愛いギャルJKが本気で俺と付き合うわけがない」と言う主人公(=読者)に対して、カラオケで、公園で、または海で、その主人公のネガティブさを覆していくヒロインの主人公(=読者)への好意に俺及び諸君は感涙しよう。
 更に3巻から登場する副ヒロイン(主人公の幼馴染の妹分)がセオリー通り「お兄ちゃん(=主人公=読者)大好き」娘であって、それによって正ヒロインがより主人公(=読者)へ積極的になればこれはもう感涙では言い表せない、上も下も垂れ流しである。もしこのような高校生活が送れるならば俺は躊躇なく悪魔に魂を売るだろう。そこまで思わせる魅力が本作にはある。ラブコメは救いであり癒しであり希望なのである。
  
1位:こみっく☆すたじお/此ノ木よしる[講談社ヤンマガKC]
こみっく☆すたじお(3) (ヤングマガジンコミックス)

こみっく☆すたじお(3) (ヤングマガジンコミックス)

 何度も言うように主人公(=読者)は「地味で平凡で冴えない男」なのにモテなければならない。なぜなら読者、つまり我々は一向にモテないからである。我々がモテるためには知力体力財力その他を最大限に強化しなければならず、そのため多大なる時間と手間をかけなければならず、しかし時間と手間をかけたところで知力体力財力その他が強化されるかというとそうとも言えない。更に言えば、知力体力財力その他が強化されたら絶対にモテるかと言えばわからない。
 だから我々は二次元の世界に活路を求めるのであるが、だからと言って読者の分身である主人公を知力体力財力その他が強化されたスーパーマンにしてはならない。そんな主人公はもはや読者ではないからである。しかし読者と主人公を同じにしてしまえばその主人公はモテなくなる(読者と同じなので)。その矛盾を解決するために生まれたのが「都合のいい展開=ヒロイン側が主人公に明らかな好意を持ち、且つ積極的にアプローチする」であり、その「都合のいい展開」を競うのがこの日本ラブコメ大賞である。1位にあたってその原則を声を大にして言っておこう。
 というわけで本作ではヒロインが主人公(漫画家になる事を夢見て栃木から上京してきた青年)を「かっこいい」と本気で思って1巻の中盤からひたすら甘えまくる…を繰り返すのだが、なぜかっこいいと思ったのかと言うと「モブ顔」だからである。これには数百のラブコメを読んできた俺もいささか面食らったが、ヒロインは本気でそう思っているのであり(「あれはどう見てもモブ顔ですよ」「そ…そこが…いいんだもん」)、そう思ってしまえば後の祭りで以後好きなだけ甘えようが海で裸で抱き合おうが(性交渉はしていない)温泉で裸で抱き合おうが(性交渉はしていない)何らおかしくはない。真理はいつもシンプルなのである。
 この作品は極めてシンプルであった。「ヒロイン側が主人公に巨大なる好意を抱いている」事をストーリーの根幹、エネルギーとしているためストーリーは立て板に水の如くスムーズに流れ、しかしややドジで鈍感な主人公(=読者)と同じくドジで鈍感なヒロインはあり余るエネルギーを刺激されて次第に過激さを増していき(「このまま…二人で寝ちゃおっか」「一緒に入ってもいいよ…お風呂」)、正式に付き合っているわけでもないのにものすごい「イチャイチャ」感が醸成されていくのであり、なぜならヒロインが主人公(=読者)を「かっこいい」と思っているからである(モブ顔なのに)。そこに主人公の漫画家としての成長、主人公とヒロイン(売れっ子格闘技漫画家)の二人三脚な生活が重なる事で全4巻にもかかわらずその倍の8巻はあろうかというボリュームある読後感となり、読んでいる間も読んだ後も実に充実した気分であった。やはりラブコメは素晴らしい。ラブコメがあるから生きていけるのであります。