別冊幻影城 1976年10月号 高木彬光[幻影城]


 小説は何と言ってもミステリーであり、本屋に並べられている小説の半分以上はミステリーである。言い過ぎました。しかし何だかんだ言ってもミステリーは面白い。ところが俺はラブコメその他に忙しいのでミステリー方面には不勉強で、その上(何度も言ってきたように)警察でもない探偵でもない素人がたぐいまれなる頭脳とハンサムな顔とやらで事件を解決するご都合主義が苦手なので(ご都合主義なラブコメは大好物です)あまり読まないのですが、全く読まないわけでもない。ということで名前ぐらいは聞いたことのある高木彬光という作家の、これまたタイトルぐらいは聞いたことのある「誘拐」「わが一高時代の犯罪」が収録された本書を読んでみたが、これがもう面白くて読み始めたら止まらなかった。
 もちろん「面白い」と言っても笑えるようなストーリーではないし最初から最後までピンと張りつめた緊張感が維持されているのでむしろ堅苦しささえ感じてしまうが、それを退屈と感じさせないところに本作の特色がある。「誘拐」ではまず厳格な法廷の場面から始まって世間を騒がせた誘拐事件の裁判が行われるが、「彼」が傍聴する。「彼」が誰なのか読者はわからないが、「彼」がその誘拐事件の裁判の傍聴を通じて失敗に終わった(犯人が逮捕された)誘拐事件を研究し、完璧な誘拐事件を起こそうとしているのが読者にだけ教えられる。やがてある高利貸会社の社長の息子が誘拐されるが、それが「彼」の仕業だということを読者は知っている。「彼」は熱心に「誘拐」を研究し、それを実行に移して完全犯罪を目論もうとしている。本当に完全犯罪となるのか読者は固唾を飲んで見守り、彼=犯人に翻弄される家族、関係者、警察の姿を見て緊張感はどんどん増していく。特に誘拐犯罪に特有の「警察に知らせるな。金さえもらえるのなら子供は返してやろう」という卑劣な手段によって犯人が被害者家族と警察を分断することに成功するところなどは手に汗握る緊張感で、一度読み始めたらやめられない面白さであった。
 ミステリーと言うとどうしても「頭脳明晰な探偵が華麗に推理する」ことばかり強調されるが、根本にあるのは「犯罪」であり、その犯罪との対決がミステリーだということが本作を読むとよくわかる。犯罪に至った動機や背景に重きを置くのなら社会派ミステリー、犯罪がいかにして実行されたかそれをどう解きほぐすのかが本格派ミステリーであり(間違っていたらすみません)、本格派の部類に入る本作は難攻不落の誘拐犯罪と対決していくが、やがて警察や読者は「誘拐」という表面的な事象そのものにとらわれていたことに気付く。それは犯人のトリックであると同時に作者のトリックでもあって、最初に誘拐事件の裁判の様子を読者に提供したところから読者はある固定観念にとらわれていたのである。それを破ったのはそれまでの泥臭い登場人物とは住む世界が違うスマートでエリートな夫婦(夫は弁護士、妻は女相場師)であったが、それまでずっと息を潜めるような緊張を維持しながら読んでいた読者からすればそのスマートさは嫌味にならない。そしてにわか探偵夫婦による「人海戦術」によっていとも簡単に完全犯罪が剥がれ落ちていく場面は不必要な装飾も小細工も施されず淡々と展開され、それによって俺はこの事件の全貌をたやすく理解することができた。これこそ知的な本格推理というものではないか。
 なお同時収録の中編「わが一高時代の犯罪」では名前は聞いたことのある有名な名探偵・神津恭介(日本三大名探偵だったか?)が登場するが、「誘拐」とは打って変わってメランコリックな甘ったるい表現が出てきたり、人間離れした天才・神津がいとも簡単に事件の真相を発表する展開に戸惑ったが、二度の「人間消失」に関するトリックなどはうーんなるほど、それで辻褄は合うな、そう考えても不思議ではないなと唸ってしまった。また戦前期の「一高」学生の生活や軍国主義へと突き進む当時の日本の姿がこのトリックや事件に少なからず関係しているところが何とも憎たらしい。
 それにしても…「わが一高時代の犯罪」は昭和26年、「誘拐」は昭和36年の作品なのだ。それらがこんなに面白いのに、今現在のミステリーを読む気にもならないのはどういう事かねえ。