3 それは俺が勉強して(10→1)

第10位:お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ緑青黒羽鈴木大輔メディアファクトリー:MFコミックスアライブシリーズ]

 これは生命線なので何度でも繰り返すが、ラブコメの主人公は「平凡」もしくは「平凡以下」でなければならない。主人公をヒーローにしてはならない。ヒーローとはつまり「かっこいい男」の事で、ヒーロー主人公がそのヒーローとしての特異性を引っ提げて平凡な人間達を蹂躙し女を犯し尽くしたところでそれは希望でも救済でも何でもなくただの与太話となる。あくまで「平凡以下」の主人公がなぜか美人なヒロインをあれよあれよという間にモノにするところがラブコメの魅力なのである。ところが美人なヒロインと「平凡以下の主人公」をくっつける事に抵抗する勢力がいて、その勢力への言い訳として「この平凡以下の主人公は…実はかっこいい男なんだよ」という事でどしゃ降りの雨の中、子犬が濡れているからといって傘を差し出し、自分はずぶ濡れに代表されるクソッタレ設定がいまだに跋扈しているが、そしてそんな設定の漫画なら俺は見向きもしないが、本作の場合序盤はまさにただの平凡な主人公であるにも関わらずヒロインが1人から2人、2人から3人と増えるに従って「主人公に好意を抱いているヒロインが増える」のは「実は主人公がいい男だから」という理由付けがなされていくので読みにくくなる一方であった。
 もちろん人は誰しも長所があるのだからある特定の部分だけ見れば「平凡な主人公」も「いい男」と言えるだろう(のび太でさえ射撃を得意としている)。しかし「いい男」を強調し過ぎると「平凡」と乖離してしまい、最悪の場合ヒーローとなる。それではただの与太話だが、本作では1巻後半より「君は誰にも頼らずあくまで孤独のまま鮮やかに成し遂げた、見事なものだよ」「細くて軽いが切れ味は一級、そんな名刀を抜いた時のような感じだよ、いい男だな」といった言葉が散発されてどんどんまずくなっている。それらは本命ヒロイン(いや「本妹ヒロイン」だったか)以外のヒロインが主人公に好意を抱いている事の証拠としての言葉であるが、それではこの物語が俺や諸君のためつまりモテない男のための物語ではなくヒーローのための物語にレベルダウンする危険があろう。
 まだある。これは最近のライトノベル全般に共通する事であるが、そしてだからこそ俺は反ラノベなのであるが、主人公がツッコミ役となっている事であって、なるほどツッコミ役はボケ役や汚れ役に冷静に言葉を投げることができる安全且つおいしいポジションだが、ラブコメにおいて勧められないのは物語の鍵を握らないからで、なぜ物語の鍵を握らないかというと「ツッコミ役」という外野にいるからである。外野だからこそ安全なポジションからツッコミの役割が果たせるのであり、しかし物語の鍵を握らない主人公などラブコメの主人公ではない。被害者であるように見せかけながらその被害者が加害者(つまりヒロイン達)に影響力を行使するのがラブコメの主人公である。またツッコミの言葉をより的確に、より表現豊かに言おうとするとインテリ臭さが出てしまうし嫌味たらしい感じにもなってしまう。ラブコメの主人公は「平凡、地味、冴えない」のだから、口下手であったり女とろくに話ができないのが正常な姿である。しかしながら常に口下手であっては全くコミュニケーションができないので限られた世界(家族や親しい友人)で強気になったり茶目っ気を出すことはよろしい(これは現実を生きる我々にもよくある事である)が、それを差し引いても本作品にはむやみやたらに難解な言い回し(「物語的なダイナミズムを」「言葉のトラップ的なものを」)や回りくどい言い回し(「それっていわゆるハグの事じゃなくて男と女の関係って意味だよな」「気軽過ぎる上に刀に対して失礼」「〜と同義だよね」)やキザったらしい言い回し(「君のそういうところには慣れた」「本当、君は最高の友達だよ」)が見られる。女がいくら難解な言い回しをしても気にならないが(女は難解な言葉を使って自分を誇示したがる)、ラブコメにおいては何よりも「主人公は平凡で地味で冴えない、それゆえに読者が感情移入できる」が最大の魅力なのだから、普段使わないような言葉の装飾を施す主人公に誰が感情移入できようか。
 それでも本作が最下位ではなく10位になったのは本妹ヒロインと主人公の関係が素晴らしかったからである。などと言ったら本妹ヒロインが泣いて喜びそうだが、「ブラコンは個性です」云々による、ヒロインから主人公への一方的な愛情表現はもはやヤンデレと言っても過言ではないが、その一方的且つ暴走的な愛情表現があまりにも巨大なので主人公及び読者はその愛情表現に応えることも無視することもツッコむ事もできるという安心感がある。また主人公と本妹ヒロインは当然の事ながら家族でもあるのだからいかに難解な言い回しをしようが回りくどい言い方をしようがそこは嫌味にならない。もし本作が主人公と本妹ヒロインだけの物語であったなら3位以内に入れたのだが。バイセクシャルヒロインなどいらんわい。
       
第9位:先生彼女/松山せいじ少年画報社:YKコミックス]
先生彼女 (ヤングキングコミックス)

先生彼女 (ヤングキングコミックス)

 気が付けば今年の日本ラブコメ大賞もまたやけに長い上に難しい言葉をダラダラと使ってしまっているのでこのあたりで気軽に肩の力を抜いて読める作品をできるだけ気軽に解説するとしよう(8位以降からまた長く難しくなるから)。で、いわゆる「女教師と生徒」という図式を使う場合に大事な事は女教師ヒロインの設定であって、「女教師対生徒」という公の上下関係と並行して私的な恋愛関係を作って物語を走らせなければならないわけだから丁寧な設定が求められよう。成年漫画ならば性交渉によってそのあたりの設定がなくとも勢いでうやむやにできるが、本作は一般漫画でありしかもラブコメであるから主人公はヒロインよりも優位に立って物語の鍵を握る(或いは主導権を握る)事が必要であり、しかし主人公は生徒でヒロインは生徒を導く教師なのであるからよほどしっかりした設定でないと主人公は優位には立てない。「実は許嫁だった」「実は前々から恋人同士だった」等によって主人公の優位性を設定の中に組み込むしかないのである。
 ところが本作品の場合はそこをもう割り切って、ただの「年上の初心で真面目なヒロイン」対「高校生主人公(もちろん地味で平凡な普通の高校生)」という関係で展開させているのでヒロインが教師である意味はあるのかというとないのである。強いて言うなら主人公とヒロインのきっかけに「ヒロインが教師である事実」が使われたわけで、じゃあヒロインが先輩でも良かったではないかと言われたらまあそうなのであるが、「年上なのに初心」というヒロインのおかげで主人公は優位に立つことができ、ヒロインが主人公を誘惑しておきながら尻込みする或いはトラブルに見舞われ性交渉まで至らない事によって主人公には余裕が生まれ更に優位に立つことができているのが本作の特徴なので結果オーライであった。
 しかしながら作者は日本ラブコメ大賞2007・1位(「ゾクセイ」)を受賞しており「平凡な主人公に美人でかわいいヒロインが擦り寄ってくる」手法をよくわかっている方なので細かい事を指摘させてもらうと「処女でありながら積極的、積極的でありながら処女」という構図を繰り返す事でヒロインの行動の出発点が主人公である事は十分伝わるが、それを繰り返し過ぎると主人公とヒロインの関係が不明確になるのが俺にはいささか不満であった。いくら気持ちが通じ合っていても身体が実際に繋がらなければ読者側としてはヒロインの奥底にある本当の愛情度は計れないのであり、少年誌ではないのだから中盤に差しかかる頃には性交渉を済ませた方がよかったのではないかというのが正直な感想である。とは言え、「処女でありながら積極的に振る舞い、それでもいやらしさではなく可愛さを表現し、主人公に積極的に奉仕しようという想いが全身から滲み出ている」ヒロインを描ける作家が他に日本に何人いるだろうか。これからも作者は我が日本ラブコメ大賞の常連になる事だろう。
 いかん、また難しく長々と書いてしまった。
   
第8位:30歳の保健体育 ラブフラグ編/冬凪れく・30歳の保健体育・ゑむ[一迅社ぱれっとCOMICS]
30歳の保健体育 ラブフラグ編 (IDコミックス 4コマKINGSぱれっとコミックス)

30歳の保健体育 ラブフラグ編 (IDコミックス 4コマKINGSぱれっとコミックス)

 ラブコメの主人公に「平凡以下」が求められるのはその方が感情移入しやすいからである。だから「平凡なサラリーマン」や「平凡な大学生」でもいいが、より情けなく、社会的に敗者でいた方が読者側は楽に感情移入でき(ラブコメを好んで読む奴など社会的に敗者だ)、「こんな平凡以下の主人公にこんなにいいヒロインが…」とする事で希望が膨らむ。そこで本作であるが「ブラック企業を辞めてアルバイトで食いつなぐプー、2次元へ逃避の毎日」という親しみやすくまた現実感のある主人公を設定した事で10位以内に入るのは約束されたようなもので、その主人公に偶然と幸運と事件によって美人で社会的地位が高いヒロインがぶつかれば主人公は美人で社会的地位が高いヒロインの恋人或いは夫となり、そのヒロインに伴って主人公の社会的地位も高くなり読者に希望を与えるのである。
 もちろんそのためには説得力のある、読者にもその機会が訪れるかもしれないと淡い希望を抱かせるような「偶然と幸運と事件」が必要となるが、まあそこはフィクションであるから「空からキューピットが降ってきて主人公に彼女を作ってやる」という非現実な方法もありえよう(それなら俺にもありえる?まあ…そうかもしれませんな)。ただしずいぶんと可愛げのないキューピットなので(主人公の今までの生き方を否定するほどの手厳しさ。まあ…そうでもしなければ女とは付き合えないという事なんだが)減点にはなったが、それでも8位になったのだからいいだろう。
 「女と話すと呼吸を忘れる」「美容院はおしゃれ軍の領土」「(女は好きでもない男ともデートする、と言われて)女は全員ビッチなんだ」「この時のために俺は抱き枕を買っていたんだな」などと言うどうしようもないオタク主人公はふとした偶然とドSキューピットのドS訓練によってかわいいヒロインと付き合おうと努力するのであり、現実の女と付き合うためオタクな自分を変えようと現実と対峙し(美容院に行く、身なりに気を遣う、メールで彼女をデートに誘う、デートの下調べをする、プーをやめて真面目に働く、等)、その過程で今まで恐れていた現実とやらはそれほど恐れるものではなかった事を知り今まで高嶺の花だと思っていたヒロインも実はただのしがないOLでしかなかった事を知り、最後に恋人(妻)を得た主人公は負け組だと思い込んでいた自分が「敗者復活戦」で勝った事に気付き自分が敗者復活戦に運よくありつける事ができた幸せ者だということを悟るのである。これがラブコメであり現代の希望と救済の物語なのである。もちろん現実の敗者復活戦はこんな生易しいものではないが、本書を読むことによって敗者である俺もしくは一部の読者はいつか自分にもチャンスが来る(空からキューピットが降ってくるかもしれない)と淡い希望を持つ事ができよう。優れたラブコメとは本書の事を言うのだ。
   
第7位:同人王/牛帝[※同人誌]

 さて「日本ラブコメ大賞20122013」の中で最も評価が難しい、知る人ぞ知る名作であるが(まあほとんどの人は知らんか)、そっちが同人王なら俺は世界のラブコメ王である(意味不明)。狂気の一歩手前の物語でありながらユーモアがありラブコメもある本作は「寄生獣」(2000年8位)を彷彿とさせよう。
 まず「平凡以下の主人公」(人生からドロップアウト、絶望的にモテない、才能を勘違いして思い上がった馬鹿、性格も悪いし金も能力もないおまけに見た目もキモい、収入がない、やる気が出ない、「努力なんてできる奴の言い分だ!」と言い訳する)が登場する。「中学まではそこそこの画力だったがその後努力しなかったので相対的に下位になった」という主人公は漫画家志望をあきらめ自分を今まで救ってくれたエロ同人の世界で「同人王」になろうと決意し、早々に壁にぶつかり、しかしヒロイン(彼女を「ヒロイン」という言葉で呼び表す事にものすごく違和感があるが、まあそれは実際に読んでみないとわからんだろうから「ヒロイン」と言う事にする)によって同人作家として成長していくのである。ヒロインによって「主人公の成長ストーリー」が展開されながら並行して「主人公とヒロインのラブコメ」も展開されるので主人公にとってはまさに希望と救済の物語であった。どん底にある主人公(「どん底」と言っても実はそれほど深刻なものではない。よくある青年の憂鬱の一種だが)が偶然出会ったヒロインに救われ、育てられ、幾多の現実の壁をヒロインと偶然と自らの努力によって克服し、やがて主人公の中にヒロインへの気持ちが芽生え、ヒロイン側も主人公と同じ時間を過ごすうちに主人公の存在が根付いていくという物語は純愛小説(ヌードクロッキーの話など甘酸っぱ過ぎて反吐が出るほどだ)のようであったが、なぜヒロインが主人公を救おうとしたのかの部分はクレージー過ぎて(「全ての犯罪の元は余った性エネルギーなの、おちんちんに精液が溜まり過ぎると人は犯罪衝動に駆られてしまう」「肉便器は正義よ」)「とりあえず読んで下さい」としか言いようがないが、とにかく「平凡以下の主人公」でもヒロインの献身的な支えと愛があれば立派に生きていけるという図式は本物である。「男は歴史を作り、女はその男を作る」とはまさにこの事であって、本作は主人公とヒロインの苦難と愛の物語であり人生賛歌である。などと言うと本作を読んだ人に笑われそうだが、俺は本気だ。「今わかった、今までの日々はこれを見るためにあったんだ。君にめぐりあうために俺は苦しみ、苦しんだ事で君にめぐりあい、めぐりあえたことで俺は…」。同人王万歳。
 ちなみに気に入ったギャグ(?)は「ふくしま政美ー!(DSの名前)」「本日三次元に使う精液は1ccたりともない」「いなり寿司にされるー」「チラシの裏に描いてろ!(予想されるツッコミ)」などです。
   
第6位:幼な妻マープルの事件簿/遊人集英社ヤングジャンプ・コミックスBJ]
幼な妻マープルの事件簿 1 (ヤングジャンプコミックス BJ)

幼な妻マープルの事件簿 1 (ヤングジャンプコミックス BJ)

 耳にタコができるくらいがちょうどいいので繰り返すが、主人公は「平凡」という枠内から絶対に出てはならない。「平凡」という枠内にある人間が非凡な事件に巻き込まれるところにドラマがある。非凡な登場人物に非凡な事件を与えても面白くも何ともない。なお「平凡」の枠内であれば職業については問わないのが原則で、タレントや政治家といったその職業自体が平凡な人間であればなれないものでなければ何でもよいので本作の主人公のように刑事でもよい。むしろ「刑事」という、TVドラマで見慣れたかっこいい人間達がひしめく世界に平凡な人間が迷い込んだということで好感が持てる場合もある。これはラブコメの効用の一つである。
 しかも本作の場合はそれに夫婦ものというもう一つのラブコメ要素が加えられており、しかもしかも妻ヒロイン(19歳)が夫主人公(39歳)のために事件を解決するという「愛する夫のために一肌脱ぐ物語」なのである。これはもう、この設定を作った時点で10位以内に入るのは確実であった。以前言った通り夫婦という関係はラブコメにおいては鉄壁の要塞のようなもので、夫婦である以上その愛情は強固で、ラブコメのセオリーに従って美人でかわいい妻は常に夫(平凡、地味、冴えない)を求めるのであり、それによって妻が夫に依存している事を読者(=夫=主人公)は認識し、優位に立てるどころか支配の感覚すら味わうことができるのである。もちろん通常の恋人関係で「支配の関係」となるとタブーの感覚が浮上し身構えてしまうが、夫婦という社会的に認められた関係であればタブーを感じることはないので主人公は時に理性を投げ捨ててでも性交渉に没頭できるという安心感を得ることができるのである。これが夫婦ものが強い理由なのである。
 そして夫婦ラブコメのセオリーに従って妻は夫を求め夫も妻の要求に答え毎回毎回愛の営みが繰り広げられるが、その愛の営みは妻(父は警視庁公安部…シークレットポリス?)が夫に内緒で事件を捜査・推理して解決する(夫のファンだという「マープル」なる人物が推理のメールを夫に送る)ことによって達成されるのであり、「愛の営み」を行うためだけに可憐に孤軍奮闘する妻ヒロインを見る事で読者は癒され、癒された事による喜びを性交渉描写にぶつけてすっきりする事ができる。何回か読むと実は夫は何もしていない事に気付くが(普通はすぐに気付くか)、そこは「妻の功績は夫の功績」という事で大した問題にはならず、ラブコメとはヒロイン側が積極的に動き回りながらストーリーの主導権自体は主人公が握るというものなので、平凡な主人公との「愛の営み」を早くしたいために事件を解決するという事で主導権は主人公が握っている事になるのである。主人公とヒロインの描写に力を入れる余り事件解決場面では強引さも目立つが、俺が重視するのは「愛の営み」の方なのでこれでよい。2巻完結でもう続きを読めないのが残念だ。
   
第5位:狼と香辛料支倉凍砂メディアワークス電撃文庫
狼と香辛料 (3) (電撃文庫)

狼と香辛料 (3) (電撃文庫)

 舞台が中世ヨーロッパであろうがヒロインが数百歳の狼の化け物であろうが関係ない。ラブコメであればよい。もっと具体的に言えば主人公が平凡であればよい、その平凡な主人公に女が寄ってくればよい。この2つを用意しさえすれば中世ヨーロッパに流通する通貨と商売の概念が難しくとも狼ヒロインの発する廓言葉がわかりにくくてもそれは俺が勉強して合わせよう。古今東西を問わず名もない庶民でも主人公となりえるのだし美人(美狼?)のヒロインとロマンスを繰り広げる事もできるのである。それを「都合が良すぎる」「モテない男の願望漫画」と切り捨てたところに現代の病理があるのだ。
 まあ現代の病理云々は別の機会で述べるとして本作であるが、ラブコメはヒロイン側から主人公へいついかなる時も愛を表明しなければならない…わけではない。ラブコメに求められるのはヒロインが積極的に立ち回りながらも主人公の存在を忘れずぞんざいにせず、共に生きるパートナーとして支え合う事を表明する或いは行動で表す事であって、本作では主人公とヒロインが旅を続ける事によって喜怒哀楽を共有し、幾多の対立と和解を乗り越える事で恋人とも夫婦とも家族とも言える関係を築こうとしているのでまさにラブコメの理想の姿を体現していると言える。人生という旅の中で偶然出会ってしまった主人公とヒロインは悲壮で重苦しい現実の中で傷つき、悲しみ、喜び、やがてお互いを守る、お互いの人生を守るという事を自らの人生の中にしっかりと根付かせるのであり(最も3巻まで読んだ限りでは主人公はこの賢狼に助けられてばかりだが、それでも最後はそれなりに活躍してはくれる)、それは阿呆のラノベ主人公がその阿呆さ加減を丸出しにして「僕が君を守ってみせる」と言うのとは次元が違うのである。
 また狼ヒロインがその巨大な力を行使せず状況によってはただの人間である主人公に頼る(正確にはまだ若い主人公が事件を回収できるよう色々と手を回す)ところも単細胞阿呆ラノベに飽き飽きしていた俺には好感であった。もちろんそのようにヒロインが主人公を頼りにする或いは主人公のために駆けずり回るのはヒロインが主人公に惚れているからであり、そのような弱みがヒロインにあれば主人公側にも余裕が生まれ、巨大な存在であるヒロインと渡り合う力を持つ事になろう(と言っても3巻まで読んだ限りではまだまだヒロインの方が上手なようだが、その関係がこれからどうなるかが楽しみだ)。ここにもまた「ラブコメとは男が女より優位に立つ思想」を見る事ができるが、まあそれは極端な話であるが、今や「男は女にサービスしなければならない」「男はドMでなければならない、女はドSでなければならない」なのであり、そのため中世ヨーロッパの狼女に活路を求めることになったのも…まあ何かの縁だろう。こういう作品を俺は読みたかった。どうして今まで出会わなかったのか不思議だが、とにかく出会えたのであり、それもまた人生という旅の面白いところではありませんか。
   
「物事にはな、ぬしよ。嘘でもいいから言って欲しい時とな、今更言ったら顔が腫れ上がるほど殴りたくなる時というものがありんす。今はどっちじゃと思う?」
 全く笑っていない笑顔に気圧されながらも、何とか「後者」とだけ答えると、ヒロインは呆れるようなため息をついて主人公を突き放した。
 耳と尻尾が不機嫌そうに揺れている。けれども、わかりやすい怒り方だった。
「ぬしは類まれなるお人好しじゃな!あそこで、惚れとるとか、大切だとか、とにかく雌がころりといくような台詞を言わぬ雄が世の中にどれだけおると思う?ぬしが何を考えたか手に取るようにわかるがな、もう、信じられぬ。信じられぬほどお人好しじゃ!」
 呆れを通り越して軽蔑するような視線だったが、それほど腹は立たなかった。
 裏返せば、ヒロインはそう言って欲しかったのだから。
「じゃが、まあ、ぬしがお人好しじゃからわっちゃあ暢気な旅ができているんじゃからな。全てを望むのは贅沢というものかもしれぬ」
 散々な言い草だが、反論のしようもない。
 ただ、ヒロインは本当のところはどういった気持ちからそう言ってもらいたかったのだろうか。
単に甘えたかっただけなのか、それとも。
 そんな事を思っていると、不意にヒロインが手を伸ばしてきてするりと体も寄せてきた。
 またぞろ何か企んでいるのかと即座に警戒したものの、ヒロインは目的をすぐに白状した。
「それでも、やっぱりあそこは言って欲しかった。じゃから、もう一度じゃ」
   
第4位:キスよりさきに恋よりはやく/唐辛子ひでゆ・Skyfish[アスキー・メディアワークス:DENGEKI COMICS]
 地方の片田舎で暮らす平凡な主人公がいて、その主人公に対し序盤の序盤から複数のヒロインがフルスロットルで愛情を放出してまず流れを作り、中盤以降にかけては今度は逆に主人公がヒロインを取り戻すために孤軍奮闘するわけだが、序盤に「ヒロイン→主人公」という事実を提示しているので中盤以降に「主人公→ヒロイン」になっても違和感はない。「ヒロイン→主人公→ヒロイン」となっているからで、何度も繰り返すがまずヒロイン側が行動を起こす事がラブコメの大前提であり、その事実さえあれば後は主人公が暴れまわってもいいのである。
 とにかく序盤からフルスロットルでヒロインが飛ばしまくっている事が本作のポイントであるが、何が「フルスロットル」なのかと言うとヒロインが主人公の寝込みを襲ったり甲斐甲斐しく一生懸命に家事をしている事ではなく、実際に婚礼まで進み(ただしそれは地方共同体で長年続く儀式の一環で、本当の婚礼ではない)その事をヒロインが心から喜び身体全体で表現しているその様子がフルスロットルなのである。まるで夢見る少女のようにヒロインは主人公の妻になった事を喜び、その喜びは主人公と実際に性交渉する場面になって更に大きなものとなって画面いっぱいに溢れているので主人公及び読者は癒され、また愛しく思うのである。もはやヒロインにとって主人公は全てとなったのであり、それを序盤から中盤までのわずか100ページほどで描き切っている事に驚いた。ヒロインの主人公に対する愛情を光とすればその光が物語を照らすわけだが、光の照準はあくまで「平凡で地味」な主人公にある。それはラブコメの正しい形でもある。
 また本作は「地方の片田舎」という設定からその地方に根付く伝説と地方共同体の雰囲気をうまく利用しているのも特徴である。「結婚」というものは昔は社会的な儀式であった。なぜなら結婚とは家族を作り子供を産み未来の繁栄を約束するもので、当人のみならず周囲にとっても幸せになれるものだったのである。その古き良き時代の雰囲気を醸し出す事で主人公とヒロインの結婚に幸せと華を持たせ、やがて主人公とヒロインの間に壁が立ち塞がる(ヒロインのいない世界に移行する)事になれば主人公は果敢に「何度でもやり直す」「何度でも君に会いに行く」のである。なぜならヒロインは主人公に愛をくれたからであり、ヒロインと主人公は永遠の愛を誓ったからである。そうであれば主人公は惜しみなくその生涯をかけてヒロインを救わなければならない。ラブコメとは平凡で地味で冴えない青年の希望と救済の物語であり、そこには永遠の愛を誓ったヒロインを救う事も含まれているからである。もちろん本作は悲恋物語ではないのだから無事ヒロインは救われ、お伽話の男女のようにめでたしめでたしの感動の大団円を迎える事ができた。素晴らしい。素晴らしいと言えばこの婚礼の儀の誓いの言葉も素晴らしい。これぞ日本の結婚式である。「大前に申し上げます。私達は大御心によって結ばれここに式を挙行致します。これからのちは神戒を守り互いに愛し合い、苦楽を共にして幸せを築き、世のため人のために尽くします。謹んで誓詞を捧げ幾久しい御守護をお願い申し上げます」。
   
第3位:恋愛圏内/憧明良芳文社芳文社コミックス]
恋愛圏内 (芳文社コミックス)

恋愛圏内 (芳文社コミックス)

 不思議だ。なぜこのような何の変哲もない、成年漫画より表現を緩くしただけの、成年漫画と大して変わらない、それなりにラブコメはあるがそれほど中身の濃いわけでもないエロ漫画もどきが並み居る作品群を追い越して3位になったのだろうか。しかし10回ほど読み返して、評価してはやり直し再度評価してはやり直した結果こうなったのだから仕方ない。確かに主人公は「平凡」な、「どこにでもいる大学生」或いは「どこにでもいるサラリーマン」であるが(本書は短編集)、人見知りでも口下手でもない、オタクでもない、チビ・デブ・ハゲというような目立った身体的特徴があるわけではない。本当に没個性的で、どこにでもいる20〜30代の男達なのである。
 一方で主人公に対応するそれぞれの短編ヒロイン達はと言えば例外なく主人公に積極的にアタックし、それによってアタックの対象である主人公の存在がクローズアップされるのであるが、そのアタック(誘惑と言ってもよい)へと至る手段が非常に手際が良いので一層印象に残る事になる。(1)ヒロインから主人公に言い寄る→(2)それでも戸惑う主人公にヒロインが更に言い寄る→(3)そこまでやられたら男として奮発しないわけにはいかない、という「ホップ・ステップ・ジャンプ」を各短編全てが律儀に展開させているのであれよあれよという間に3位へと流れ込んだのである。また主人公とヒロインの会話が絶妙で、主人公に好意を持っている事を匂わせることで主人公の歓心を誘うがそれは「都合のいい展開」を露骨に感じさせない(「露骨に感じない」だけで、何となくは感じる)ギリギリの範囲で収まっているので主人公(=読者)が戸惑う事もないのである。ラブコメのヒロインに求められるのはヒロイン側が積極的に立ち回りながら決して主人公より前に出ないことであり、しかし愛情を持っているので「今すぐ抱いてほしい」という事を主人公がひるまない範囲で(或いは主人公が消極的という殻を捨てて積極的になってもいいと判断できるように)表明するという難しい役回りであり、それを各短編のヒロイン達がほぼ完璧にこなしているのだから3位になるのは当たり前なのである。
 どうしてここまで完璧にこなせているかはわからない(「女の方から親切にするのに下心があるかないかわかってるんですか?」「思い出だけで終わらせちゃうの?」「ほとんど毎週会っててもう1年以上です、恋愛感情を持っても不思議じゃないですよね?」)。考えられるのは主人公があまりにも没個性的だからヒロインを積極的にしようとした…くらいだが、そんなものは竹書房双葉社等の「エロではないが、非エロでもない」レーベルに腐るほどある。本作の唯一の欠点はハーレムではないので華美な感じはしない事ぐらいで、とにかく「いい短編集は長編数冊分読み応えがある」を証明したような作品であった。作画力やストーリー展開のそれぞれの点数が飛び抜けているわけではなくてもこういう事があるのだ。だからラブコメは面白い。
   
第2位:サイクロプス少女 さいぷ〜/寅ヤス[集英社ヤングジャンプ・コミックス]
サイクロプス少女さいぷ~ 1 (ヤングジャンプコミックス)

サイクロプス少女さいぷ~ 1 (ヤングジャンプコミックス)

 序盤の序盤から妹ヒロイン(身長180cm)の主人公に対する愛情表現が暴走気味に発射されるという構図は10位或いは4位と同じだが、それらのヒロイン達と違ってこのヒロインはやましい企みを抱え、隙あらば兄主人公の貞操を本気で狙おうとしたり自分達の関係を周囲に認めてもらおうと画策・根回しをするなかなか油断ならないヒロインなのである。従来の妹ヒロインは「兄主人公に対する想いは負けない」が表立って実行に移す事はなかったが(せいぜいが「お兄ちゃんのお嫁さんになりたい」と宣言するか兄主人公が他の女と仲良くすると嫉妬するぐらい)、この妹ヒロインは本気でそれらを実行する怖さがあり、しかしその怖さ自体をコメディとして処理をしているので読者は「妹ヒロインの自分(=主人公)に対する想いはそれほど大きなものなのだ」と納得する事ができよう。ラブコメとは本来怖い部分やきれい事では済まない部分もある「愛」というものを、あくまで気軽に、読者にとって癒されるものに転換する役割もある。そうする事で新たな世界が開けるのである。
 とにかく本作の妹ヒロインのパワーたるや数多くの妹ラブコメの中でも桁違いで、「お兄ちゃんと初体験したい」「お兄ちゃん子作りしよ」「お兄ちゃんはロリコンだけど私のおっぱいも見てるし」「お兄ちゃんは私にとって全てです、エッチなの大好きだし私のこと怒るけど、そんなところも愛しています」「口移しで食べさせてあげる」「お兄ちゃんの部屋に夜這いしに行ったら」「一生面倒みるから!」「私の人生はお兄ちゃんでできてるの、だから他の人にお兄ちゃんを取られちゃったら一緒に死ぬ覚悟だから」「私とお兄ちゃんは付き合ってるの、結婚を前提に」(無理やろ…)「ええ!兄妹で結婚できないの!だったら偉い人になって法律を変えてやる!」(絶対に無理やろ…)、等、等といった台詞が作中でポンポン飛び交うのであった。当たり前の事だがタブーである兄妹相姦を、破ってもよい、平気で犯す覚悟があるという事をこれでもかこれでもかとばかりに放出し、その対象となる兄主人公はと言えば身長165cmのスク水ブルマフェチ(「アリスちゃんスク水パイパンエッチ同人」)のロリコンでありながら妹の巨乳をチラチラ見てしまうというごく普通の健康的なオタク大学生なのであるからまさにラブコメ冥利に尽きるというものである。難しい説明はいらない、とにかく本作を読めば度肝を抜かれるはずである。
 しかしながら1位になっても不思議ではなかった本作が2位となったのは同性愛(レズ)キャラが多数出てきたためである(いや単に変態キャラと言った方がいいか。詳細はまあ読んでくれとしか言いようがないが)。レズキャラというのは一時的にせよ話の回転を一気に活発にさせる威力を持っているので多くの作家がありがたがるが、ラブコメとは主人公に不安を与えないものなのであり、ヒロインの心も体も全て主人公側に向けられなければならないのである。「主人公以外に男が出てきてその男がヒロインを狙う」というのはヒロインが身構える場合が多いので読者(=主人公)が警戒しなくても大丈夫だが、ヒロイン対レズキャラクターだとヒロイン側はそのレズキャラを「単なる友達」として認識しレズキャラの毒牙にかかる危険性もあるのであり、それは今までその作品が培ってきた空気を破壊させる威力を持っている。だから本作は1位を逃し2位となったのである。レズを使うなよ、大火傷するぞとあれほど言うとるのにわからんのかなあ。とにかくラブコメとしての魅力は次の1位とほぼ互角だったことを付け加えておこう。
     
第1位:ラブプラス Nene Days/九月タカアキ・コナミデジタルエンタテイメント[講談社:KCDX]
ラブプラス Nene Days(1) (KCデラックス ヤングマガジン)

ラブプラス Nene Days(1) (KCデラックス ヤングマガジン)

 さて基本的にこの「日本ラブコメ大賞」は書籍に与えられるものなので本書をとりあえず挙げたが、もちろん「ラブプラス」というメディアはゲームが基本であるから今回の受賞は「ラブプラス」というゲームとそれに付随する本書について与えられたと理解してもらえばよろしい。
 いわゆるギャルゲーの難点は主人公がヒロインを「攻略」しなければならない事である。もちろん「攻略」にも様々な形があるが、主人公がヒロインを攻略する、或いはヒロインが主人公に攻略される理由付けに主人公を人間味のない「いい人」(どしゃ降りの雨の中、子犬が濡れているからといって傘を差し出し、自分はずぶ濡れ…いい加減それやめろ、そんな事する暇があるならボランティアに勤しめ)にしてしまう事が多々あった。繰り返し述べてきたようにラブコメの主人公はあくまで「平凡、地味、冴えない」等の感情移入できる人間でなければならないのに、そのようなクソッタレ「いい人」を主人公としなければならないためにいいラブコメになりそうなギャルゲーのコミカライズ本が見るも無残な形になる(「困っている人を放っておけない」「友達(仲間)は大事だ」「僕が君を守ってみせる」等)のを俺はこれまで数多く見てきた。しかし「ラブプラス」というゲームの特色は攻略し彼女をゲットしたハッピーエンドの「その後」からが本当のスタートであることで、本書に至っては「付き合い始めた」直後からストーリーが始まるのである。それによって主人公(=彼氏=読者)は忌々しい攻略の義務から解放されフリーハンドで臨む事ができる(平凡な人間として動く事ができる)ばかりか、既に彼女の愛をゲットしたのだからページを開いた瞬間から勝者の余裕を持ってヒロイン(=彼女)と接する事ができるのである。これぞまさにリスクゼロであり、ラブコメの完成形と言えよう。
 また本書ではヒロイン(=彼女)が彼氏(=主人公=読者)と些細な事で喜び、悩み、怒り、そして愛を確認するというヒロインの姿と日々が季節感を持って描かれ、その1ページ1ページにヒロインが「彼氏はどう思うか」「彼氏はどうしたら喜んでくれるか」を行動原理にしている事が表現されているので「主人公が主導権を持つ」事が達成されているのがわかるのである。また彼氏(=主人公=読者)の顔を極端に白くして特徴をなくし、しかし「主要キャラクター」としての存在感はかろうじて維持する絶妙さで描き、ラブプラスというゲームの思想とも合致して物語全体を盛り上げている。更に大事な事は我々は本だけではなく実際に動くヒロイン(=彼女)とゲームを通じていつでも会えるという事で、ゲームの彼女が自分がいない時は何をしているか、何を思っているかは本書にて確認し、確認した上でまたゲームで彼女と楽しい日々を過ごし、ゲームが終われば本書を開く…という風にしてより複次的に彼女と日々を生きる事ができる事である。彼女が水着を試着するからと服屋に付き合って、「(胸がキツイから)もう一つ大きいサイズ持ってきてくれる?」「背中のヒモ、結んでくれない?」などと言われてみろ、俺なんか一生その思い出だけで生きていけるわ。
 まあとにかくそのようにしてモテない男である読者(俺及び諸君)はこのゲームを通じて毎日に希望を感じ、明日も生きていこうと決意するのである。ラブプラス万歳、ラブコメ万歳、ラブコメがあるから俺は生きていくのであります。