PLAYBOY 1983年12月号[集英社]


「この雑誌は、くたばれネクラ、こなくそ説教雑誌であります。辛気くさいこと、気くばり出世学、み〜んなグッドバイ!とにもかくにも、楽しく、愉快な遊び情報以外、不許入門のページなのだ!」
 いきなり何を言っとるのだお前はと思われたでしょうが、この文章は「PLAYBOY日本版」1983年12月号に載っていたものであります。今から30年前の1983年に俺は生まれたわけですが、その時既に時代はこんな感じだったのです。そしてこの雑誌の読者というのは主に大学生〜20代独身男性だったでしょうから、今の50歳ぐらいの人達、「最近の若い奴は何でもインターネットかメールですましてしまうからなあ…」と言っている部長や課長も若い頃は「こなくそ説教!」みたいな感じで叫んでいたわけです。まあ時代というのはそんなもので、たぶんこの当時も「俺達の頃は理想を求めて学園紛争に邁進したもんだが、80年代の若者はオシャレとカッコイイしか頭にないなあ…」と言われていたことでしょう。かく言う俺も「昔はオタクなんて一般人から馬鹿にされてたのに、今の若い奴はそういう苦労を知らんからなあ…」とたまに言ったりします。世の中というのはそういう風にできているのでしょう。
 何度も言っているように昔の新聞というのはタイムマシンで雑誌は時代を映す鏡であるから、この雑誌で紹介されているオシャレでカッコいいとされる事象や感性、流通している商品や物価、裸体をさらす女達、等、等はこの時代においてのみオシャレでカッコよかったわけで、30年後の我々から見ればオシャレではなくカッコよくもない。しかし誌面では「これがオシャレでカッコいいことなのだ」と臆面もなくはしゃいでいるのであって、読み進めているうちに「まあ、今の時代からすれば違和感はあるが、大体においては今とそう変わっておらんかなあ…」と思ったり、それでも「じゃあ30年前にタイムスリップしてみますか」と言われたらたらうーんちょっとそれはやめときますと言わざるを得ないだろうなあ…と思ったりするのである。結局2013年の我々は1983年を生きた彼らの成功や失敗や教訓や反省の上に今日を生きているのであって、1983年の「今」を生きている彼らと俺の間には決して相容れない壁が存在し、その壁こそが「時代」であって、昔の雑誌を読む度に俺はその「時代」というものを肌で感じ、2013年の「今」を生きるしかないのだと思うのである。
 
・東京や大阪のカフェ・バーを紹介。「時代の流れに乗り、絶えず最先端を走るのが六本木のカフェ・バーなのです。だから、料理も酒も、音もビデオも、コンテンポラリーなものが集約されます。いわゆるナウい店です」「大阪ミナミという土地柄、ざわついたイメージがありますが、東京の新宿、赤坂、六本木をミックスしたような街です」。(→俺の感想・それは無理がある)
・「池園事件」を生む「白い巨塔」の背景をえぐる。「医学部に一番近い世界はヤの字の自由業の世界である。組長を頂点に代貸しやら鉄砲玉、チンピラがヒエラルキーを形成するあの世界だ。医学部長・教授・助教授・講師・有給助手・無給助手と人間ピラミッドを描くこの世界は、階級序列の面以外でもヤクザとまるで似たような構図を持っている。第一に挙げられるのは異常なほどの縄張り意識で、組織にはひたすら忠誠を誓う純潔組員(本当は医局員と呼ぶ)しか入れてもらえない。この縄張り意識に拡大指向が結びつくと、勢力拡張を画策するようになる。要するにシマを拡げてゆくわけで、医学部の場合は新設医大や病院を傘下に収めてゆくことを指す。縄張り拡大に最も熱心なのは、何と言っても東大医学部である」「医学部教授はとにかく儲かる。稼ぎの手口は博士論文審査料、治験による製薬会社からの報酬、医療機器購入の口利き料、手下の派遣料金…」。
・ビジネスで訪ねるニューヨークマニュアル。「出張先はニューヨーク。何度来てもボッキさせられる街だ。ビジネスは朝一番から、会議、会食、交渉、移動。夜は夜で、僕らを遅くまで魅了して眠らせない。ビジネスマンのための、ビジネスマンによるニューヨーク」。
・プレイボーイ・パーティー・ジョークから。「ヒロシは、英作文の時間に、大きなバストを気にしている女教師に、頭をさんざん殴られたんだ。だって、『My brother has letter』という文章を読み上げたんだもの。バカだよなあ」。
・「愛人バンク夕ぐれ族のオーナーとして現代性風俗の最先端を走っている」という22歳の女性の「鮮烈ヌード」。(→俺の感想・全く勃起しませんでした)
・広告から。「ナショナル8時間ビデオ」…239,800円。「コンパクトディスク・プレイヤー」…110,000円。
 他にも外国人女性達のヌード、「ビジネス最前線・商品企画マンに学ぶアイデア実現術」「巨大コンピューター産業と未来を生きる子供たち」といった今読むとちょっとピントが外れているような記事、桑田佳祐のインタビュー(当時27歳。今の俺より年下!)、「内藤陳の読まずに死ねるか」等、実に多彩な読み物ばかりで楽しませてもらったが、あまり紹介し過ぎると「こんなものを読んで楽しんでいるのは日本で俺ぐらいだろう」という優越感がなくなってしまうのでこのへんで。