守る気はない

 福島原発事故を受けて設置された政府の「原子力災害対策本部」の議事録が作成されていなかったというニュースを聞いても俺は特に驚かなかった。もちろん「業務が忙しくて作成できなかった」という理由を信じたからではない。政府に限らず、その組織の今後を左右する重要な会議で議事録を作成しない社会人などいないし、今はICレコーダー等の便利なものがあるのだから、議事録を作成しようがしまいが記録は絶対に残っているはずである。官僚お得意の隠蔽体質がそう言わせているに過ぎない。ただし、それでも「記録はあるが、公開しない」のではなく「記録自体がない」と言うところに隠蔽しようという強い意思が感じられよう。隠蔽しようとしているのが誰なのか、菅前首相なのか、野田首相なのか、官僚なのかはわからないが、そこには相当に衝撃的な内容が含まれているのは確かである。例えば放射能予測装置「スピーディー」の情報について、菅や枝野官房長官は「知らされなかったので、国民に公開できなかった」と言い、一方で文部科学省は事故後に「スピーディー」の情報を米軍に提供している。それが官僚の独断か、政治家が介入しての行為か、アメリカ側からの要請かはわからなくても、この国の政府には国民の生命と財産を守る気がないことが明らかになった。それは「想定外の事態」であったから許されることではない。今回の大震災の本質はそこである。
 大震災を今後の教訓とするためには「原子力災害対策本部」の議事録がなければならない。もしそれが衝撃的且つ国家機密に触れる内容を含んでいれば国民の代表である政治家だけに公開すればいいだけの話で、マスコミは国民の代表ではないのだから放っておけばよい。ところがこういう場合に官僚は一部の政治家だけに教えるのが常套手段で、それによって政治家は官僚に従うことになる。大震災が起こるずっと前からそのような「官僚が主導権を握る政治」はやめるはずだったのであり、現在のような前例の通じない緊急事態であっても「金がないから消費税を上げろ」という脅迫めいた官僚の論理に政治家が唯々諾々と従うから国民はモヤモヤとした割り切れない気持ちを抱えることになるのである。
 恥ずかしながら最近気付いたのだが、原発事故の対応は主に「原子力災害対策本部」ではなく東京電力に作られた「原発事故対策統合本部」が当たったのであり、これこそ官僚の悪知恵の最たるものであろう。政府が設置した「原子力災害対策本部」なら議事録の公開は義務であるが、民間会社が設置した組織であれば公開は義務とはならない。もちろん議事録が作成されていないわけがなく、その内容は官僚によって一部の政治家だけに知らされ、見返りにその政治家と官僚は何らかの取引をすることになろう。その構造を変えなければ、我が国は次の大災害の時こそ再起不能になることは断言できる。東大地震研究所が「マグニチュード7級の首都直下型地震が4年以内に70%の確率で起こる」と言っても(その後50%以下に訂正したらしいが)、政府は何も言わないのである。今の政府に国民の生命と財産を守る気はない。議事録を公開したり、本当のことを言えば、「国民が混乱する」のであり、それによって自分たちが攻撃され、また仕事の手間が増えるとでも思っているのであろう。消費税増税など瑣末な問題でしかない。この国に巣食う官僚体質からの脱却こそが震災から立ち直るための最大の課題なのである。