- 作者: 生島治郎
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1991/06/01
- メディア: 文庫
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とにかく終始そんな感じでストーリーがあるようでないような感じの一夫婦の微笑ましい日常が描かれ、それを28歳の独身男が残業中に上司の目を盗んで会社の会議室で読んで感想をブログにアップするわけであります。はて俺は何をしとるのだろうと真剣に悩みそうになったが、まあアレです、小説なんぞ所詮小説なのだから肩の力を抜いて読めばいいわけで、ここまで肩の力を抜いて読める小説というのもなかなかないのではないかな。またこの非常識夫婦(と言っていいだろう)は家を買ってそこに夫の老母も同居することとなってお決まりの嫁姑問題が発生して、日本人同士でさえややこしい嫁姑問題が韓国人の嫁と戦前の厳格な家庭を守り続けていた姑の間で解決するはずがなくあっという間に同居生活は破綻するも、それでも「一緒に暮らしているとこっちのペースが狂っちまうだけで、別々にさえ暮らしていりゃ、いい友達になれる」と母親が語るところは嫁姑問題解決の一つの示唆を与えてくれるだろう…と言うのは少々強引過ぎるか。大体この奥さん、天真爛漫で無邪気というと聞こえはいいがただのアホではないか。
そんなわけで適当に文章を抜粋して今日はもう終わり終わり。
「だが、おふくろも喜んでくれたらしいから、あれはまあいい。でも、だからと言って、うちの家族がすぐにお前に好意を持つと考えるのはせっかち過ぎる。別にあんなものをおふくろにプレゼントしなくたって、景子の愛情が伝われば、うちの連中は迎え入れてくれるさ」
「それがじれったいってば!」
景子は口をとがらせた。
「あたしはカジョクになれるかなれないか、はやくケッチャクつけてほしいってば!」
「物事は、そう簡単に決着つきっこあるもんか」
駄々っ子のように、頬をふくらませている景子を見やって、越路は困ったものだと思うと同時に、いかにも景子らしいとも思う。
独身時代は、一向に不幸せなどと思っていなかった。むしろ、誰にも束縛されず、こんな素晴らしい自由はあるものかと思っていた。こんな自由を手放してなるものかと考えていたからこそ、独身生活にしがみついていたとも言える。
その頃の越路は、結婚して不自由さをかこっている野郎どもを鼻先でせせら笑っている気配さえあった。
ところが、景子と結婚してみると、なるほど独身時代の自由は根こそぎ奪われたが、それで不満を感じたことはない。
自分で稼いだ分を、自分で楽しめもせず、女房に根こそぎ使われてしまうような生活に甘んじている野郎は、男の風上にも置けないと独身時代は思い込んでいたのに、今や、自分がその境遇に置かれている。
しかし、不思議と後悔の念は湧いてこない。景子が無駄な出費をすれば、苦々しくは思うものの、それは一時的なことで、こいつは所詮そういう失敗を繰り返さなければ一人前になれないんだと思い込んでいるふしがある。そして、そういう面倒をみてやれるのは俺しかいないんだとも考えているらしい。
しかも、困ったことに、そうやって育ててゆく景子を見守っているのが、越路の幸せなのである。
日に日に育ってゆく植物に手入れをし、見守っている楽しみに似通っている。