続・戦いは続く

 4億円の虚偽記載について小沢元民主党代表の秘書の罪が問われた裁判で、東京地裁の登石裁判長は「有罪」の判決を下した。また水谷建設から1億円の裏金を受け取ったことも「推認」されるとも明言した。これは贈収賄事件であると東京地裁が断定したのである。ところが検察は虚偽記載でしか立件していない。それにもかかわらず地裁は「推認」で判断した。つまりどちらの主張がより真実味があるかで判断されたのであり、「真実」を問うてはいないのである。これを「裁判員制度を視野に入れた判決」と書いたマスコミもあったが、そもそも郵便不正事件の改ざん問題によって検事の供述調書は証拠として採用されていないのだから、推認するしか方法はないのである。そして「推認」だけなら虚偽記載だろうが贈収賄だろうが判決は何とでもなる。
 思い出してほしいが、2年前の「西松建設事件」は不可解な事件であった。自民党の議員も西松建設側からの献金を受けていたのに狙われたのは小沢ただ一人で、時期は衆議院議員の任期が切れる半年前、小沢は野党第一党の党首であった。また容疑の内容はどう考えても形式犯で、とてもこの微妙な時期に騒ぐほどのものではなかった。この事件の検察の狙いは「政権交代阻止」であり、小沢へのメッセージは「政治的責任を取れば(代表を辞任すれば)」起訴はしない、であった。しかし小沢は辞めず、そこから検察のシナリオは狂い出す。起訴するための材料を見つけなければならなくなった検察が何とか見つけたのは「4億円の記載ミス」であり、西松建設からの献金と同じく形式犯でしかないが、それに「水谷建設からの裏金1億円」という話が付け加えられた。検察の目的はマスコミを使って小沢に「悪」のイメージを植え付けることなのだから、両者を結びつけることができればそれでよかったのである。だがマスコミを使う戦略は暴走を始める。検察審査会が小沢を起訴することを検察に強制し、「悪」のイメージを植え付けるだけでよかったはずがいよいよ白黒をつけなければならなくなったのである。しかし西松事件と同時期に起こった郵便不正事件で改ざん問題が起こり、検事が提出する証拠に疑問符がつくようになった。検察は窮地に追い込まれた。しかし司法は「推認」で検察を救ったのである。
 さてここで俺が言いたいのはこれで検察が勝利したというのはあまりにも短絡的な見方だということである。今回の判決は「推認」であり、明白な証拠がないことの裏返しである。あと2回残されている裁判でその「推認」がどちらに有利となるかはわからない。もちろん我が国では「推定有罪」がまかり通っている上に、予算委員会で予算の議論をせずにスキャンダルの追求に血道を上げる文化があるから、鬼の首を取ったかのようにこの判決に騒ぎ出す輩が出てくるであろう。相変わらずの日本政治の世界である。
 しかし小沢側が敗北に打ちのめされているとは思えない。鍵は内閣参与となった成田憲彦氏の存在である。成田氏は細川内閣の総理首席秘書官として、細川・小沢と共に現在の小選挙区比例代表並立制度を成し遂げた第一人者であり、その細川は昨年の民主党代表選で小沢を支持し、野田首相と小沢の会談を仲介し、成田を野田内閣に送り込んでいる。今や内閣には小沢・細川・成田のラインが不気味に存在しているのであり、成田は小選挙区比例代表連用制を提唱している。この制度は比例代表の比重を大きくすることで少数政党の議席数が多くなる制度であるが、公明党が同じ制度を主張していることと偶然ではない。何度も言うように「ねじれ」とは参議院の問題であって、公明党と連立すれば一気に参議院の数の劣勢は解消するのである。いくら「話し合い」を主張しても延々と議論の時間が続くだけであることを野田首相菅内閣において嫌というほど見てきたはずである。
 普通の民主主義の国では与党と野党が戦いを繰り広げるが、特異な政治文化を持つ我が国ではまず官僚との戦いがある。検察は特定の政治勢力を潰そうと権力を行使し、司法がそれに追従する。また官僚はあらゆる手を使って国民の代表である政治家も裏から操ろうとするし、ほとんどの政治家はその官僚の軍門に下る。しかし政治家には国民から選ばれたという正当性がある。選挙制度を含めた国を統治する仕組み自体を変えることができ、それによって官僚や司法と対決することもできるのである。戦いは続いている。あとは我々がどう評価するかである。