神様のおきにいり4 ねこまたの巻/内山靖二郎[メディアファクトリー:MF文庫J]

神様のおきにいり〈4〉ねこまたの巻 (MF文庫J)

神様のおきにいり〈4〉ねこまたの巻 (MF文庫J)

 ライトノベルの悪口ばかり言っているのでよく「そんなにラノベが嫌いならそもそも買うな読むな」と言われるが、この「脱走と追跡の読書遍歴」に限らず俺にとって本を読むという行為は快楽であると同時に修行でもあるのだから俺と明らかにベクトルが違う作品であってもどんどん読んでいくしこの「脱走と追跡」で紹介していくつもりである。そのあたりがただのラブコメ狂いの政局忍者とは違う俺の魅力である(と言ってくれた人がいたはずだ)。
 で、いつものように気になる本作の欠点(つまりライトノベルの決定)を言わせてもらうと、第一に不必要な独り言が随所に見られる。話す相手もいないのに「ふ〜、この暑さ、どうにかならないのかねえ」だの「明日、ちょっと様子を見にいこうかな」だの「はああ〜、いったい何してるんだろう」とスラスラと独り言が出るわけがないのであって、そのような説明的な独り言を作中人物に言わせることによってリアリティが欠けるどころか、読者は棒読みを聞かされているような味気なさを感じることになる。また文章が短いのはライトノベルだから仕方ない(一行の文字数が一番下まで到達しない)としても、地の文が「神の視点」から作中人物を描写するにしては緊張感がなく、とは言え緊張感の無さを「売り」にしているわけではないので非常に中途半端な、読む側からすれば場面が変わるたびに読むテンポを調整しなければならないので楽しめない。もちろんまだ読書に慣れていない中高生ならばただ目の前にある文を読めばいいだけなのだろうが、そのような低レベルな評価基準で評価されては作者としても不満であろうからあえて言ったわけである。ちなみにこれは俺の個人的な好みによるものであるが、のべつまくなし傲慢な態度を取るヒロインの一人には不快を禁じえなかった。いわゆる「オタク向け」作品においてはこのような、高飛車で傲慢なキャラというのはお約束中のお約束であるが、その「高飛車で傲慢な態度」を「読み物」を構成する一部として読者に提供するならば何らかの展開(そのヒロインの高慢な鼻をへし折る、とか)を講ずるべきであったろう。そうしなければ本作は「数あるラノベ作品の一つ」として1年もしないうちに忘れ去られるだけである。
 などといやらしくねちっこく本作の欠点と思われる部分を書いてしまったが、本作は「妖怪も人間も動物も皆仲良く暮らせばいいじゃん」的な単細胞・能天気・非現実的・空理空論な考えが微塵もないので俺は気に入っている。主人公は社会や世間を知らず人間の怖さを知らない高校生であるから甘ったるい幻想を抱くこともあるが、その度に妖怪たちが「所詮人間は人間の世界で、妖怪は妖怪の世界で生きていくしかない。だがお互いの違いを認めた上で協力していくことはできる」と言い、主人公もその言葉の意味を自分なりに考え成長していくところが作品全体に奥行きを与え、それによって本作は膨大なラノベ群にあって頭一つ抜け出ている作品と言ってよろしい。本当はこういう小説を中高生に勧めるべきなのだ。
 それにしてもラノベ(及びラノベ読者)は本作で言うところの「国交省」に代表される、既成の権威的な機関や肩書きをなぜ重んじるのだろうか。「生徒会長は学校の運営を裏から操る権力者」やら「世界初の女子高生総理大臣」やらは確かに面白いだろうが、それは結局は若く未来のある若者が現体制の権威の力を後ろ盾にして「夜郎自大」になっていることを自ら認めるようなものであろう。そうまでして権力者になって権力を行使したいのだろうか。既成の権威や権力を批判することなく、そのような権威や権力によって苦しめられた人々の悲しみには目もくれず、刹那的な快楽の極みとも言える「お約束」を繰り返すラノベはいつか決定的な破滅を迎えるだろう。何度も言うが、中高生ならともかく、それ以上の「ラノベ読者」はそのことをそろそろ認識すべきではないかな。