西村ツチカ作品集 なかよし団の冒険/西村ツチカ[徳間書店:RYU COMICS]

西村ツチカ作品集なかよし団の冒険 (リュウコミックス)

西村ツチカ作品集なかよし団の冒険 (リュウコミックス)

 例えば滅茶苦茶を表現しようとしてもただ滅茶苦茶に描けばいいというわけではなく、シュールで難解な作品を描こうとしてもそのままシュールで難解に描けばいいというわけではない。逆に日常の何でもない風景を描くために滅茶苦茶でシュールで難解な表現を使うことによってその「日常の風景」を際立たせることもできよう。しかしながら爛熟期をとっくに過ぎて停滞期に入った日本の漫画環境においては理解不能の滅茶苦茶のキチガイのごとき表現をしても何も言われないし、ただの日常の何でもない風景や光景を描いても何も言われない。俺としてもラブコメもてない男の願望漫画)を読むことができれば「世界に誇る漫画文化」が廃れても別に構わない。
 ただし、かつて漫画を「娯楽」という枠にとらわれず、時には娯楽性を排除してでも「何か」を描こうとして、それこそ何でもない日常をシュールに難解に描こうとした「ガロ」という雑誌があったことは記憶しなければならないと思うし、今後漫画がどのような変遷を遂げても(「ゆる系萌え4コマ」のようなつまらんものが主流になったとしても)そのような少数派・マイナーが生きる場がなければ一つの業界として魅力がないと俺は考える。漫画という表現手段はその即時性によってどこまでも幼稚に描くこともどこまでも難解に描くこともできるのであり、純文学に匹敵する衝撃を与えることもできるのである。
 なぜ突然「ガロ」などと言い出したかというと本書を読んだからであって、最初に断っておけば本書の作者は俺のような人外の化け物とツイッターをしてくれる大変慈悲深い人物であるが、それはともかく本書は独特の味を持った稀有な漫画集であり、どことなく往時の「ガロ」に載っていた漫画を彷彿とさせる興味深いものであった。一見すると娯楽性よりも表現性を重視して、作者による「メルヘン」的心象世界を描写することにのみ集中しているように見えるが、一方で読者と作品世界(作者によって提供される世界)の橋渡し役としてのキャラクターに読者の関心をそらさせないギリギリのところで存在感を発揮させ、それによってこの手の漫画(いわゆる「サブカル系」)を読む際にいつも感じる苦痛が回避されている。これは描かれるキャラクターや風景の筆致が細くもなく太くもない(強烈でもなければ希薄でもない)絶妙さの上に成立するもので、作者自身が意識しているわけではない、言わば天性の才能によるものであろう。そのあたりが吾妻ひでお安彦良和の言う「何かある」ことの正体かもしれないが、とにかくこのような漫画を読んだのは久しぶりであり読んだ後の不思議な感覚は「ガロ」を彷彿とさせた。それも60年代後半の荒々しいものではなく80年代のシラケ或いはバブルといった世俗的なものでもない、70年代的な豊かさに似ていよう(それぞれの短編の結末が破滅的なものではなく穏やかな余韻を残して終わるところも似ている)。
 また作者の絵の特徴は人物にしろ風景にしろどことなく丸みを帯びて傾いた状態が多々見られることで、それらはメジャー漫画(「少年ジャンプ」や「少年マガジン」に限らない、もっと広い意味での「メジャー」)が通常避けたがる「もやもやとした不気味さ」を醸し出しているが、それが作品の魅力を削ぐどころか作品世界全体を補強しているところも作者の天性のものを感じさせる。この「よくわからないもやもやとした不気味さ」を更に発展させれば、いわゆる「ゆる系萌え4コマ」など一撃で吹き飛ばすほどの危険で怪しい威力を持つと断言しよう。
 で、俺としては「おんがえしの夜」と「ピューリッツァ賞」がお気に入りです。ラブコメっぽいので(「チカちゃんの発明館」もラブコメと言えないこともないか。いや、無理か)。次作は是非日本ラブコメ大賞を視野に入れてもらえると嬉しいですな。