戦後日本スタディーズ(3)80・90年代[紀伊國屋書店]

戦後日本スタディーズ3 80・90年代

戦後日本スタディーズ3 80・90年代

 「社会学」と言うと何となく胡散臭いイメージがあって、その昔「政治学」という硬い学問を齧っていた時の俺は大学で教える立派な学問を装いながらやれ漫画だアイドルだ大衆消費社会だと言って遊んでるだけじゃねえかと非常に典型的な偏見を持っていたわけである。俺としてはそういう俗物的な偏見は大事にしたいと思うが、それはともかく本書では80年代以降の、「高度経済成長後〜バブルの繁栄と崩壊〜湾岸戦争阪神大震災地下鉄サリン事件グローバリズムとインターネット」という一連の時代を、政治学や経済学といったオーソドックスな社会科学的な、制度や構造といった視点ではなく、「社会学的な」視点、もっと曖昧で言語化しがたい「その時代の雰囲気や実際の人々の皮膚感覚」でもって問い直そうとしているのである。という理解でよろしいですか。まあ俺がそう思ったんだからそういう事にしておこう。
 で、えーと、毎度のことながら幼稚園児並みである俺には本書を読んでもさっぱりわからんかったわけである。いやこういう言い方はいやらしいな。読んでる間はそんなに苦もなくスッと頁をめくることができるのだが、いかんせん読んだ後何も残らんのである。いやいやこの言い方もいやらしい。要は必要以上に難しい言葉を使っている感じがしてどうも気に食わんのである。まあそんなことを言っても始まらんのでとにかく80年代というのは今から考えればバブルで浮かれ騒いでいた時代であり経済的には恵まれていた。しかしながら文化的には危機でもあって、学園闘争の失敗や連合赤軍内ゲバソ連アフガニスタン侵攻によって旧来の左翼的な理想は打ち砕かれ、「シラケ世代」が台頭してくるのが80年代初めである。また経済的な繁栄によって「世界一位の経済大国」であることを自覚し始めた日本の若者にとっては、もはや書物や学問や思想は尊敬すべき対象ではなくなっていった。田中康夫の「なんとなく、クリスタル」に代表される「物質的価値と精神的価値は同じ」とするスタイルによって思想や思想を論じる人たちがファッションとなり、消費財となった。これが80年代中盤までの社会状況である。
 消費財ともなれば、その行く末は容易に想像できる。時代の波に乗って華やかにもてはやされたところでそれはただ消費されているだけなのであるから、ある日突然飽きられてしまう。それを見越して供給側は次々と目を引く「商品」を繰り出していき、需要側もバブルの経済的恩恵の中で次々と乗り換えていく。「教養」から「商品」への格下げが行われたのである。一度格下げされ、且つそれをほとんどの日本人が認めた以上、その後のバブル崩壊を経ても「書物」は「商品」のままの状態で今に至るのである。更には90年代という、湾岸戦争・五十五年体制の崩壊と自社連立・阪神大震災地下鉄サリン事件・平成大不況という未曾有の事件の連発の中で自国に対する自信をすっかり失ってしまった日本人にとって大学教授や作家の言葉に耳を傾ける者は激減し、そのせいかどうか知らぬが「モンスターペアレント」なる、子供がそのまま大人になったような幼稚な大人たちが跋扈する恐ろしい文化状況となってしまったのである。等々が大体本書で描かれてあることだと思うのだが、どうでしょうか。阿呆ですんません。
 ちなみに遠藤知巳という人の「オウム事件と90年代」なる論文は大変わかりやすかった。オウム事件における連日連夜のマスコミ報道がいかにその後のマスコミのあり方を決定づけたか、あのような狂気の如き事件さえも対岸の火事のように接し、今はもう誰も覚えていないという日本社会の異質さを非常にわかりやすく炙り出している。
「特報番組は、人々が抱いている疑惑を念押しするべく、ことさらにおどろおどろしいBGMを多用する一方で、教団のスポークスマンに怪しげな主張を語らせた。詭弁を詭弁として鑑賞し、楽しむかのようにして」
「演出やブラッシュアップがインフレーションを起こし、全体が嘘くさくなる。オウムの嘘と私たちの現実。断片的情報に基づく根拠の怪しい推測と、確定されない事件の全貌。そして大量に語られる言葉の軽々しさと理不尽な被害を受けた人々。「嘘」はあくまでも「嘘」であり、「現実」は「現実」としての身分を変更しないが、嘘と現実との境目だけが確実にぼやけていた。私たちは異様な事件に恐れを抱きながら、しかし明らかに魅惑されていた。オウムについて夢中で語り、いかにもうさんくさい彼らの語りを聞いてしまうとき、具体的な被害者のことを念頭からあっさり消去していた。あえていうならば、どこかでオウムを「許して」いたのだ」
「教団の外部にいた私たちは、彼らが何を考えて行動しているのか、その論理を知らなかった。それを知ろうとすれば、彼らの用語系を後追いするしかない。かくして、事件の真相を知りたいという欲望は、オウム用語を模倣する快楽へとぐずぐずになだれこんでしまう。推理や究明といいながら、むしろ呆けたようにオウム用語を口にする人々の姿がそこにあった」
「すべてに共同体的な「お約束」の所在を見出して、ちょっとシニカルに(そのじつ律儀に)笑うのが80年代文化の特徴だったとすれば、麻原/オウムはいかなる意味でも社会の「お約束」ではなかった。だが、80年代的流儀が一段ずらされることで、別の言説的運動が始まっている。「お約束」の馴れあう社会的日常性を突き抜けた異物に社会は誘引され、その異物をまさに享楽し消費することで、凡庸化していく。私たちは厳粛な現実に立ち返ったのではなく、ただ麻原/オウムを笑うのに飽きただけだ」