英仏百年戦争/佐藤賢一[集英社:集英社新書]

英仏百年戦争 (集英社新書)

英仏百年戦争 (集英社新書)

 世界史にはあまり興味がない。というより日本史を追うだけで疲労困憊なのにこの上世界史にまで手を出したらもう収拾がつかなくなるではないか。だから買うな読むな老い先は短いのだと毎度毎度思うのだがいざ古本屋へ行くと阿呆丸出しのチンコ丸出しで節操なく買い漁る俺は変態です。そらそうだ俺は変態だ何を今さら。あれ。
 西洋史、中世史、いずれも俺はズブのブスの素人である。思いつくものとしてはシェイクスピアが描く英雄ヘンリー五世やジャンヌ・ダルク、そして優雅で華やかな宮廷貴族の豪華な晩餐と尊大な騎士道精神であって、つまり俺が唾棄すべき要素がてんこ盛りなのだからまあ一般教養のつもりで読みましょうか俺は真面目な読書青年と一部で評判だからなと鼻くそほじりながら本書を読み進めたが、これが滅法面白いのである。戦争とは政治なのであり、その政治史を本書は丁寧に解説してくれているのである。
 いわゆるフランスの一地方の豪族は後に大英帝国と呼ばれる大陸を支配した。フランスの王ではなくノルマンディ地域を支配する豪族・ノルマンディ公ギョームはウィリアム一世としてイングランド王に即位するが、イングランドに居を移すことなくあくまでフランスを本拠地とした。ギョーム(ウィリアム一世)にとってイングランドはただの海外植民地に過ぎなかったのである。そして時が流れフランス各地方の豪族(公家)同士、そしてフランス王家が政略結婚と征服を繰り返すうちに海外植民地としてフランスの政治文化圏に組み込まれたイングランド王もまたフランス王の座をめぐる戦いに参戦するのである。つまり「英仏戦争」とは実際には「フランス王家」と、「イングランド地方を本拠地とするフランスの豪族」のフランスの覇権を争う戦いなのであって、「イギリスとフランスの戦争」ではないのである。そもそも中世には「国」という概念がほとんどなく、フランス王家への忠誠よりそれぞれの地域を実効支配している貴族(豪族)による帰属意識こそ重要だったというのである。日本で言うところの戦国時代であり、「国を支配する」というよりは「多くの領地を獲得する」という感覚であったという。
 多くの領地を保持するフランス王の座をめぐる、ドーバー海峡以北とドーバー海峡以南の戦争は長短の休戦をはさんで116年の長きに渡り続けられた。この間宮廷内では謀略と陰謀と愛憎が渦巻き、地方の貴族たちは虎視眈々とその隙を狙い、政略結婚によって王家の血は複雑化していきまさしく大河ドラマであるが、面白いのはこのような戦いを通じて「フランス」「イギリス」という国としての骨格が固まっていったということである。長期的な戦争に勝利するためには各地方貴族たちの寄せ集め軍隊では統率がとれないし、恒常的な税収がなければ装備も満足に行えない。また宮廷工作に構っていては敵どころか身内から反目者が出てしまうのであり政権基盤の強化というのが意識されるようになろう。ただ王の命令、宮廷の命令、地方貴族の命令によって全てを動かせる時代が去り、軍事や財政を運営する中央集権国家の萌芽はこの英仏百年戦争によって生まれたのである。なるほどねえ。だからこその「英」「仏」百年戦争なわけか。
 それにしてもイギリス・フランス双方のナショナリズムには少々呆れてしまう。敗北を勝利にすり替え、英雄を賞賛することによってナショナリズムを高揚させるのは何も日本に限ったことではないという当たり前のことがよくわかる。フランスの救世主ジャンヌ・ダルクはイギリスでは淫乱な魔女とされており、史実においても一瞬の戦果を挙げた後は敗退を重ねあっという間に死んでしまうのであり、その後ナポレオンによって大々的に宣伝されるまではほとんどのフランス人はその名を知らなかったという。まあそういうもんなんでしょうな。
 本書は西洋史、中世史の入門書として非常に丁寧かつ作りこまれた良作である。というわけで大体の流れはわかったので今度作者による西洋歴史小説を是非読んでみよう。BOOKOFFで105円で売ってたら買おう。