寝ぼけ署長/山本周五郎[新潮社:新潮文庫]

寝ぼけ署長 (新潮文庫)

寝ぼけ署長 (新潮文庫)

 殺人に限らず犯罪というのはとにかく憎むべき悪であって、そんな犯罪を犯す者は極悪非道の大悪人に決まっているのでとにかく叩いて叩いて叩きまくれという風潮にすっかり慣れてしまったが、ほとんどの場合彼ら善良な一市民が犯罪に手を染める理由はやむにやまれぬ事情があってのことであって、そういう事件を人情味を持って解決させ且つ事件によって更に不運な境遇に陥りそうな被害者たちに温かい救いの手をさしのべるのは我らが寝ぼけ署長である。歳は40か41であるがとにかく肥えた格好悪い体つきで、公務中も気が付けば居眠りをして口を開いてもかったるそうにたどたどしくはっきりしない喋り方、そして鈍重な牛のような風貌から街の人たちは軽蔑と親しみを込めていつからか彼を「寝ぼけ署長」と呼ぶようになったそうである。
 しかしこの愛すべき寝ぼけ署長は「罪を憎んで人を憎まず」などと言った抽象的な理念ではない確固とした信念を持つなかなかの男前なのであった。「不正や悪は、それを為すことがすでにその人間にとって劫罰である。善からざることをしながら法の裁きをまぬがれ、富み栄えているように見える者も、仔細に見ていると必ずどこかで罰を受けるものだ。だから罪を犯した者に対しては、できるだけ同情と憐れみをもって扱ってやらなければならない」「本当に貧しく、食うにも困るような生活をしている者は、決してこんな罪を犯しはしない、彼らにはそんな暇さえありはしないんだ。犯罪は懶惰な環境から生まれる、安逸から、狡猾から、無為徒食から、贅沢、虚栄から生まれるんだ。決して貧乏から生まれるものじゃないんだ」。
 更に鈍重そうに見えてこの署長は正義へのあくなき信念も持っており、悪には正々堂々、正面から戦えとも言うのである。「泣きっ面をして『長いものには巻かれろ』などと鼻声を出しているようでは、社会全体に対する、或いは文化に対する個人の責任を果たすことなど夢にもできやしない。そしてその責任の自覚なくして文明なる国家というものは存在しないんだ」。
 また多くの事件によって純朴な青年男女が引き裂かれそうになるのを寝ぼけ署長の機転で救うのも本作の特徴である。まるで全てを見透かしたかのように先手に次ぐ先手で被害者・加害者・関係者に笑顔が戻るよう最善を尽くし、無事に事件が解決した頃にはもう居眠りをしているというのは非常に痛快なものがある。いいですねえ。
 このようにして寝ぼけ署長はあっという間に市民から愛される存在になり、殊に貧民街の住人に至っては転任が決まると留任陳情のデモまでやる有様である。しかし別れの時が来るのだが、この時の最後の言葉がまた実に素朴で胸を打つ。「俺はあの市が好きだ。静かな、人情に篤い、純朴な、あの市が大好きだ。色々な人と近づきになり、短い期間だったが、一緒にこの難しい人生を生きた。別れるなら静かに別れたい。…何としてもあの気違い沙汰で送られたくはなかった。ここへ来た時のように、誰にも知られずに、そっと俺は別れてゆきたいんだ」。そしてどこかに散歩にでも行くようにして、こっそりと去ってゆくのである。このあたりは作者が時代物で磨き上げた人生の機微の瞬間のさりげない描写が完璧に発揮され深く静かな感動を読者に与えてくれよう。
 柄にもないことを言うがね、俺はやっぱりこういう小説を特に若い者が読んでいくべきだと思うね。あんな阿呆らしい単細胞な勧善懲悪熱血何とかライトノベル読んだって何にもならんよ。