開戦前夜/児島襄[文藝春秋:文春文庫]

開戦前夜 (文春文庫)

開戦前夜 (文春文庫)

 ――平成二十年六月十四日午後五時。
 腰本(仮名)は神保町の古書モールにて児島襄の「開戦前夜」を手にとって悩んでいた。今は休日である土曜日の夕方であり、腰本(仮名)にとっては「平日の阿鼻叫喚」から解放される歓迎すべき日でありながら腰本(仮名)の顔は憮然としていた。最近の神保町では105円で売られる本というのがどんどん少なくなり、「一番安い」レベルというのが210円や315円に「値上げ」されている風に感じたからである。今、手に取っているこの本も250円である。
 危機感が足りないのではないか、BOOKOFFがあれだけ人気があるのも105円コーナーの充実が一つの理由だというのに、神保町は今や「神保町」というネームバリューに安住して価格面での努力というものを怠っている――腰本(仮名)はそう不満を感じてしまうのだった。いくら「神保町」が「大人の男の趣味」としてそれなりのステイタスを持ったとしても、結局最後は金の問題になるはずであると腰本(仮名)は信じていた。やがて腰本(仮名)の不安は的中し、その後「古本屋」と「大型古本屋」の交渉は決裂を迎えるのである。
 というわけでいつもの阿呆の糞の読書感想文の時間であるが児島襄の本を読むとこのようにノンフィクション形式な書き方にしたくなる衝動を抑えられないのである。思わず射精。
 それで本書は何の開戦前夜について書かれたものかというと太平洋戦争の開戦前夜であって、昭和15年秋の野村駐米大使の赴任から昭和16年12月の開戦までのわずか一年の間の出来事はその全てが極度に緊張した外交交渉であり、その結果は国家と国民のみならず世界の勢力や歴史にまで影響を与える大変なものであることは日米交渉に関わる全ての人間が理解していた。日中戦争が泥沼化する中で更に米国を相手に戦うなど無茶であることは政府も軍部もとうに承知であるが、蒋介石支那政府を援助しドイツと敵対する関係にあるアメリカとどうすれば戦争を回避できるのか。経済制裁により石油をはじめとする資源が枯渇し、なおのことフィリピン・インドシナなどに進出せざるを得ない状況と、強大な力を持つに至った陸軍が幅を利かす日本政府と、終始一貫原則論を述べ妥協の道を次々と断つアメリカ政府という、未曾有の三重苦に立たされた野村大使の立場には心の底から同情を禁じ得ない。
 外交交渉というのは戦争ではないが戦争のようなものである。軍事的手段によらない戦争とも言える。対話と圧力、威嚇と脅迫、恫喝と友好、協力と見返り等といった謀略が国家レベルで堂々と繰り広げられるわけである。なぜなら国際社会というのは基本的に無法状態であり無政府状態(政府の上に国際政府というのがあるわけではない。国連にそこまでの機能はない)だからである。特にこの頃は大国が植民地を持つことが普通に許されていたのだから何をか況やである。そのような百鬼夜行の武器を持たない戦場に日本は、この非常時にプロの外交官ではなく海軍大将を担ぎ出したわけである。結果は明らかだ。
 それにしても日本側の政府内での不統一さというのは目に余るばかりであって、アメリカ側がルーズベルト大統領・ハル国務長官国務省幹部・陸海軍省長官とその幕僚達が常に連絡を取り合い意見の一致を持って日本側と交渉するのに対して、日本側は大使と日本政府(外相)の見解が食い違っていたり、日本における穏健派(近衛首相や重臣)と極右勢力(軍部)の対立に引っ張られ明確な方針を出せなかったりしてしまうのである。このあたりは今なお日本政治の根本的問題の一つである「リーダーシップ」を考える上で非常に重要である。
 日米交渉は日米両政府が予想したように早々に「デッドロック」状態となるのであるが、頼みの綱として日本政府が提案したのが近衛首相とルーズベルト大統領との首脳会談であった。ここで近衛が「高度のステーツマンシップ」を発揮して即刻天皇に「大幅な妥協案」を提示して裁可を求め、何とか日米にて合意をしようと最後の望みをかけるが、今までのちぐはぐな日本政府の対応により信頼を失ったアメリカ政府はこれをにべもなく断る(時間稼ぎとしてそれとなく期待を持たせるが、実行する気は全くない)のである。ああ、我が祖国はこのようにして破滅への道を突き進んだのか。
 それにしても作者の、事実と状況と人物を丁寧に積み上げながら時間の経過を辿っていく技術はかなりのものであって、まさしく開戦前夜の、12月5日〜7日の日本、ワシントン、ハワイそれぞれの経過が分刻みで進行していくところなど勃起するほどの興奮を誘う。とにかく俺の人生はよくわからないが短いのだ。本書のような面白い本をもっともっと読んでいきたいものだ。