大政翼賛会前後/杉森久英[筑摩書房:ちくま文庫]

大政翼賛会前後 (ちくま文庫)

大政翼賛会前後 (ちくま文庫)

 さて諸君は「大政翼賛会」と聞いて何をイメージするであろうか。俺としては「ドイツのナチス党にならって作ったはいいが『バスに乗り遅れるな』とばかりにミソもクソも一緒くたになってとにかく皆が皆こぞって参加して理念も目的も不明確となったグダグダな超巨大団体」というのがそのイメージであった。そしてそのイメージは本書を読んでますます増強されることになった。
 本書はいわゆるノンフィクションというよりは作者一個人の自伝(というほどメッセージ性があるわけでもなく、ただの私的個人史と言った方がよい)であり、大政翼賛会に入るまでの「典型的な駄目サラリーマン」ぶりがえんえんと語られ、大政翼賛会に偶然入った後も特に何かすごい事をしたわけでもなくやる気もなく淡々と移りゆく日々を語っているだけであり、とても「昭和戦前史の一大イベント・『大政翼賛会』の真実にせまる!」とは言えない本当に一個人史に終始しているだけのものである。それはそれで昭和10年から敗戦までの特異な時代に一人の青年がどういう風に暮らしていたのかがわかるので面白いのだが、思いつくままに語り頻繁に話が脱線するところなど少々読みづらいかもしれない。
 作者は昭和14年に中央公論社へ中途入社する。歴史でしかこの時代を知らない俺は日中戦争が長期化し欧州では第二次世界大戦の危機がせまり国民精神総動員が叫ばれさぞかし重苦しい雰囲気であったでしょうなあと思いながら読んだところ作者は吉原で芸者と遊び中央公論社は時局とは何の関係もない谷崎潤一郎訳「源氏物語」がベストセラーとなって大入袋を出したと華やかなことである。そして作者は特に仕事をしなくても何も言われずのほほんと毎日を過ごすのであり、当時は官立大学出身というだけでそのようなバラ色の生活(遊びすぎて金には困っていたようであるが)を送ることができたというのはやはり戦前の香りがしよう。
 昭和14年頃に「新体制」という言葉が流行語になったそうである。これが近衛新体制・大政翼賛会と流れるのだが、この「新体制」及び「新体制運動(大政翼賛会の発足)」は当時の人々から「左翼的」と思われていたというのである。すなわち新体制運動とはこの非常時を乗り切るには既成政党や官僚主義的な硬直し行き詰った考え(もちろんこれには軍人の硬直的な軍国主義も含まれる)に頼らずヒトラーナチス党のような国民草の根レベルでの新しい運動が必要だというのであり、それまでの既成勢力を否定し新しい政治体制を求めようという点ではいくら総裁が近衛文麿東条英機であっても左翼的ではないかと右翼や軍人が考えるのもなるほど無理はない。大体ナチスというのはその名に「国家社会主義」を冠しているのだ。もはや自由主義的な考えすら「アカ」だと考える軍人がのさばっていた時代に「富の平均化」「私有財産の制限」「労働と雇用の正常な関係」を唱えて無傷ですむわけがない。
 しかしそこで作者は言う、「昭和戦前の知識階級の青年はほとんど左翼的であり、左翼的な考えに憧れとも恋煩いとも言える感情を持っていた」と。しかし軍人と特高が幅を利かす時代では声高に左翼的要求を求めることができず、しかしその左翼的なものへの期待が既成勢力の克服を掲げる「大政翼賛会」を生み出し「大政翼賛会」に尋常ならざる期待をかけ我も我もと大政翼賛会の下へ人々が集まったのである、と。なるほど結局は「大政翼賛会」もまた軍国主義軍人優位という時代へのささやかな抵抗でしかなかったのであって、その後政府の外郭団体に成り下がり(軍人がのさばる政府の統制下に置かれ)縮小に縮小を重ね何をするにしても空回りのまま敗戦と共に消滅するわけである。