「週刊朝日」の昭和史⑤[朝日新聞社]

 わははははははははははは。「ラブコメと政治にうつつを抜かす」孤高の阿呆れん坊将軍とは俺のことです。向こうから協調してくるならウェルカムだがこっちからは金でも積まれぬ限り一切の妥協をしないことにしておりますので皆さんに置かれましては生ぬるい目でどうぞ見守って殺って下さい。俺はより閉鎖的に、より黒く暗く、より鈍感となって「ラブコメと政治にうつつを抜かす」人間になりたいのであります。
 というわけで本書は参院選前日の7月28日に五反田遊古会にて200円で買ったものである。ああそういえば遊古会にはあれ以来行ってないですなあ。それでもまあ別に構わんですなあ。昔は(と言っても2年前は)仕事も金も関係ないわい俺はもうこの東京で踊り狂うのだと息巻いたはずなんだが、最近は「ま、ま、ちょっとお休み」とか言って一日中家で本を読んでたりするしなあ。一体どこが「うつつを抜かす」か。
 昭和史というのは在野最高の研究者である俺の最重要研究課題の一つであります。特に戦後の昭和40年代から平成元年までというのは今の時代と意識的にもほとんど変わらないわけで、しかしどこか今と違うところがありそれを知ることは戦後という今へと至る巨大な怪物を暴くことに他ならないと考えるのであります。まあ今のこの混迷の平成の世に嫌気がさしているということも考慮に入れなければならんか。過去は既に過去であり、見通しのつかない不安な未来とは違うからな。
 本書は、昭和50年から昭和64年までの「週刊朝日」記事の傑作選である。速報を第一とする新聞と違い週刊誌は速報的な部分は残しつつも事件の全容を卓抜した取材力で同時代的に分析するわけであるから、昭和史マニアにとっては垂涎するのが道理というものである。読んでいるとその時代時代の臨場感が伝わってきて、ああ俺も55年体制華やかなこの頃に今の歳だったらなあとこれはいつもの愚痴なので無視するとして、やはり当時も今もそんなに変わってないなあというのが率直な感想である。いじめや家庭内暴力や政官業の癒着など昭和50年代からあったのであり今いじめられている子供の親は昔誰かをいじめていたわけである。一方で今では考えられないようなことも当然載っていて、対談で「日本の産業は世界一で、将来はアメリカも日本に頼らざるを得なくなるだろう」と言ったり作家5人で連句を作る企画が行われたりしているのである。このあたりの、「今と同じでありながら今では考えられないようなこともあった」時代というのが昭和史であって、そのあたりの違和感が俺なんかは大変気に入っておるのだが諸君はどうですかな。
 政治関連で言えば「ロッキードとコーチャン証言」(昭和51年)、「KDD事件」(昭和55年)、「榎本三恵子証言」(昭和56年)、「中川一郎の自殺」(昭和58年)、「竹下登の反乱」(昭和60年)、「リクルート事件」(昭和63年)の記事があり、いずれも戦後政治史上の大事件で俺ももちろんその事件がどんな内容かはわかっているが、当時の週刊誌がどう伝えたかというのは今回はじめて知るのがほとんどであった。これは勃起します、じゃなかった興奮します。
 他にも歴史の教科書に載ることはない愚かな人間とその時代ゆえの事件が紹介されておりこちらも大変射精します、じゃなかった興奮します。「三菱銀行猟銃人質事件」「佐世保重工管理職の全員出向」(昭和54年)、「グリコ・森永事件」(昭和59年)、「日航ジャンボ機墜落事故」(昭和60年)、「青梅信事件」(昭和63年)、等々。しかしこういう週刊誌に載る事件(ほとんどが犯罪事件)を読んでると、つくづく平凡に地味に生きることが大事だなあと思いますな。