13 レイテ沖開店

 いやもう何というかね、やっぱりおかしいんですよね。俺は完全におかしくなっとるんですよね。何って今までは週に一度の秋葉原訪問でね、古本市場で300円とか500円の本しか買わなかった男がね、毎週のようにアニメ(もちろんラブコメ)DVD買っとるんですよ。中古ですけどね、それでも2000円とか3000円とかのを毎週ですよ。そりゃ社会人になって金もありますけどね、何ですかこの変化は。それも最近のアニメとかじゃないんですよ。俺が高校生大学生だった時に買おうと思って買えなかったものばかり買ってるんですよ。要するに2005年3月以前のアニメ(それはもちろんラブコメ)ですね。何なんですかね。
 あと、インターネットで昔のアニメ動画なんてバンバン流出してるでしょ。ほら「画箱」とか「ファイルマン」とか。あれ見てね、それはもう中学生小学生の頃見てたアニメとか見て楽しんどるんですよ。もう完全に過去に心を奪われてるじゃないですか。俺が小学生の頃に再放送してたアニメを今の俺が見るわけですよ。それでああ面白い楽しいなんて思っとるわけですよ。これはもう現在への明確な逃避ですね。でも別に悪いことしてるわけじゃないですよね。だからいいですよね。最近俺が買ったアニメDVDは「魔法使いTai」「円盤皇女ワるきゅーレ」「魂狩〜SOUL TAKER〜」「無限のリヴァイアス」「らいむいろ戦奇譚」「HANDMAID メイ・マイ」「羊のうた」「天地無用!in LOVE&真夏のイブ」「CITY HUNTER」「ふたりエッチ」「ああっ女神さまっ」「まぶらほ」「藍より青し」…。
 どうです。「CITY HUNTER」「魂狩」なんてもうラブコメじゃないんですよ。なのに買っとるんですよ。阿呆ですか俺は。何がどうなっているんですか。もうよくわかりませんよ。でも止まりませんよ。ははは。
       
 と、いうわけで大変なのである。どう大変かいまだに整理がついていないがやはりこれは一大事なのである。四六時中異常事態な俺がここまで言うのだからこれは異常なのであるそうなのである。この過去への逃避はいつまで続くのだ。明らかに過去を懐かしむわけではなく全てが優しかったあの頃へ帰りたいだけのために散財に散財を重ねついに社会人一年生が終わりを告げる。紛れもなく俺は大人であり周囲に渦巻く欲望と野望と抗争に巻き込まれながらも自らの人生を確立しなければならないのである。
    
成恵の世界丸川トモヒロ角川書店:角川コミックスエース]

 さて本シリーズはその第3巻が2001年5月30日に購入されたのがはじめである。もう5年も前のことになるが何度も言うようにその頃俺は大学生であった。いかん既に回想モードだ。とにかくあの頃の俺というのは高校を卒業したばかりの青二才であり、高校時代とは桁外れの自由に戸惑いながらその第一歩を踏み出そうとしているところであった。夜間大学に通っていた俺は授業など無視して梅田や三宮の本屋街を闊歩し、気の弱い俺はその事に罪悪感を感じていたが手を伸ばせばすぐそこにある快楽(梅田三宮の本屋街)の誘惑に自ら進んで飲み込まれていった。あの頃の誘惑と罪悪感の絶妙なスパイスは今考えると恐ろしい。大学も2年になるともはや当然のように授業をサボるようになり俺と三宮の蜜月がやってくるのであるが、なぜか俺は本書を取るたびにあの頃の「誘惑と罪悪感の絶妙なスパイス」感覚を思い出してしまうのである。平日の午後8時頃、まばらな客と静かな店内とまぶしい蛍光灯に比例するかのように存在感を増す本の群れ、あの時ジュンク堂書店三宮店に青春真っ只中の俺がいたのだ。何もかもが遠く、今は2006年。
 で、本書の内容はラブコメである(当たり前だ)。主人公・ヒロインが中学生というのが難点だが(もはや感情移入などできない)、平凡な少年は楽しい学園生活を彼女(宇宙人)や周りの仲間たちと一緒に送るのである。俺とて昔はこのような楽しい青春時代が来ることを望んだ日もあった。だがそれらは全て創作の世界に委ね、自身は孤独の世界に生きることを選んだのである。それはともかく、本作品のような「非凡な人物が登場するけども特にそれを強調せずに平凡な日々を周りの人々と過ごす」というコンセプトは大いに歓迎するところである。特に本作品は主人公の彼女が宇宙人でありそれ故平凡な生い立ちのごく普通の主人公は厄介な事件に巻き込まれるのであるがそれでも主人公及びその周辺は平凡性を保ち続けているという稀有な作品である。何もかもが二極化し最高と最低しか認めない恐怖の風潮の中にあって、このような平凡な人たちが笑い悲しみ努力し涙する物語(そしてラブコメ)こそ俺が生涯追い求めるものなのである。まったく何回言ったらわかるんだ。俺の目の前にそんなものを並べるなと言っとるだろうが。
  
ながされて藍蘭島藤代健エニックス:ガンガンコミックス]

 本シリーズには自由の香りがするのである。それは作品の内容とは全く関係なく、本シリーズの1巻が大学の期末試験が終了した直後の2003年7月20日に購入されたことからくるものである。2002年春から本格化した電撃戦により半年以上出席しない講義もあった俺だが、大体あの期末試験などというものは一夜漬けで教科書を読めばなんとかなるのである。事実こうして俺が無事四年間で卒業できたことがその証明であるが、そもそも政治学の本をかたっぱしから読み漁っていた俺は無敵であったのだ。あれ。何を自慢しているのだ俺は。無敵であった学生時代と無力な社会人時代つまり現在。
 しかし全く勉強せず前日に一夜漬けするだけにもかかわらず試験が終わった直後に生まれるあの安堵と解放感は何であろう。あれこそまさに学生の特権であると思うのだが、その日の夜に我が故郷の糞田舎の大型古本屋(先月つぶれたらしい。妹から聞いた)で買った本書1巻及び本シリーズには常に自由と安堵の香りが漂うのである。こういう「購入する側の事情」というのはその後も続くもので、以後2・3・4巻と常に大イベントが終わった後に購入されるのである。もちろん俺とて少しは意図的にやっているが、しかし大半は無意識の芸術的行為なのである。つまりいかに効率良く、俺にとって幸福度が高く、数ある本屋のうちのどれを選んで買えば最適かを瞬時に判断して行うことが重要なのである。ものを買う、というのはそれ自身が戦いなのだ。おお、俺は戦っているのだ。
 で、本書であるが女だらけの孤島に主人公たる少年が迷い込むのである。ぐへへへハーレムじゃぐわはははとならないのが残念であるが、当然多数の女の中に男が一人やってくるわけだからモテるわけである。おおラブコメ。本作品のような「女だらけの孤島に男一人」というパターンで大事なのはもちろんレズが出ないことであるが、それよりもまずそのハーレム感覚を各女性陣にバランス良く配分することが求められるのであるが、その点も本作品はクリアしている。要するに一人の女と多数の女に接する時の態度を同等にすることなのだが、いかんこのあたりは完全に俺の主観的感性で説明しにくいな。とにかく女性陣に守ってもらいながらもモテモテな生活を送るというのは素晴らしいものだ。一年前もこんなことを言っておったな。成長しませんな。ただ明らかに違うのは去年の俺は大学生であったが今年現在の俺は社会人であるということである。おお、もうすぐ2006年4月が来る。今年も多くの新社会人が誕生し地獄を見るのである。地獄の真っ只中にいるのが俺。ああ、今日もインターネット喫茶で動画を探せ。