5ベルリン陥落

「抵抗して勝つつもりあるのかい」
「…」
天皇陛下の命令は聞いておらないんだよ。下士官、将校は」
「…」
「だからこちらはね、連隊長殿もね、涙を流して」
「…」
「お前らを殺す、ということになったんだよ」
死線を超え、修羅場をかいくぐり、世間の冷血を浴び、それでも降りかかる断崖絶壁巨岩の鋼鉄を全身に受け止めればたちまち襲いくる病魔の嵐。死刑執行人の不気味な笑いがこだまする。幾多の遊蕩と放蕩を繰り返し暗黒に光るは月曜の星と灰、われらのラブコメが終わるその日まで戦い歌おう地獄の勝利、「脱走と追跡の読書遍歴」。
    

ひまわり幼稚園 あいこでしょ!/大井昌和メディアワークス:DENGEKI COMICS]


我が「オールナイトラブコメパーカー」においては「主人公は平凡以下の男」というのが絶対の不文律である。では何歳からかといえば高校生以上が望ましい。これは俺が大学生であり高校生はともかく中学生にはもはや感情移入し難いからという技術的にして自己中心的な理由によるものである。大体中学でラブコメ云々をやるなどというのはけしからん俺など彼女いない歴は当然年齢と等しくそれどころか22歳となった今でも童貞なんだぞ。おおそうなのだ俺は童貞なのだ。わはははははははははははははははははははは。ええとそんなわけで本作品の主人公は浪人生です。浪人生。何といい響きだ。俺は大学浪人の経験がないが、今思えば浪人をすべきであった。高校にも大学にも行かずもちろん働かないにもかかわらず社会的に認められた身分でありいくらでも利用ができよう。まさか公務員のための浪人はできんからなあ。で、浪人となった主人公は下宿先の幼稚園にお世話になるのでありそこで幼稚園児の女の子に気に入られるところから話がはじまる。つまりこれはロリコンブコメなのである。ラブコメであればヒロインが幼稚園児であろうが35のお局であろうが構わんが、このような子供がヒロインの場合には「自然に好かれる」という描写が可能でありそれこそがロリコンものの長所である。つまりヒロインが中学生以上の場合では「なぜこんな冴えない男を好きになるのか(他にもかっこいい男はいっぱいいるではないか)」という疑問が絶えずつきまとうが、このような幼児の場合は「何だかわからないけどこの男が気に入った」というのが子供特有の無邪気さとしてすんなり納得できるのである。そうなればその後の展開など赤子同然である(幼稚園だけに)。
 

フェザータッチ・オペレーション/柴田昌弘朝日ソノラマ:ソノラマコミック文庫]


裏表紙の紹介文によれば、「大学生の慎平のアパートに突然やってきた16歳のかわいい女の子、早紀」な話である。これを見ただけで反ラブコメ派反秋葉原派反オタク派連合軍諸君は「またもてない男の願望漫画かよ」と思うであろうが、しかしこの「大学生の慎平」がモテモテの軟派野郎かもしれず柔道三段の腕前かもしれず女の下の名前を平気で呼び捨てる奴かもしれず小学生のような薄っぺらい幼稚な正義感を持った阿呆かもしれないではないか。実際そのような危険は絶えず俺のラブコメ人生につきまとうのである。何と阿呆らしい人生だ。それはとにかく要するに何もかも全てあのビニール包装が悪いのだ。梅田の「まんだらけ」でこの紹介文を見て30分迷った挙句買ったあと急いで泉の広場の前にあるトイレに駆け込み中身を調べたところこの慎平とやらは「平凡以下の青年」であることが確認できた。ああよかった。そしてこの「早紀」なる謎の女は「おじいちゃんが慎平さんにくっついてろって」ということで四六時中主人公にくっつくのである。何せ謎の女の言うことだからしたいがままにさせる他なく、皆さんお気づきであろうがこの「早紀」は主人公と出会う前から祖父のある種の洗脳によって(「この男がお前の許婚になる人だよ」とか「この人のそばにいれば大丈夫」とか)既に主人公に思いを寄せていることが読者にとっては何となくわかるのである。これこそラブコメの本質というものであって、ラブコメにおいては好いた惚れた嫌われた無視された話した等の厄介な駆け引きを省略してその上で、つまり「女の側が惚れているもしくはそれに準ずる状態」の下で物事が進んでいくのである。は。なにそれではエロゲーと変わらんではないかと。いやそう言われたらはいそうですねエロゲーと変わらんですねとしかいいようがないのですが、ええと、どうも話が噛み合わんが、まあそういうわけで最後は平凡を絵に描いたような主人公が非凡なるヒロインにつられて国際的な大企業のオーナーになるところで話は終わる。これもまたラブコメの手法であって、突然「何のとりえもない平凡人」が「社会的にも経済的にも力のある企業もしくは組織もしくはそれに準ずるもので作品世界上大々的に取り上げられているもの」のトップに立つことで物語に華を与えるのである。オーナーといったところで80億ドルの借金を背負っているだけだが。
 

星はいつでも屋根の上/小池利春[講談社:パーティーKC]


この「脱走と追跡の読書遍歴」で取り上げた本を買うという人がおるということだが(そんな頭の痛い人がおるのですよ)、この作品は入手が困難かもしれない。いや大体「パーティーKC」という名前など聞いたことがない。では俺はどこで手に入れたかといえば大型古本屋で105円で手に入れた。つまり本書はあの大型古本屋で105円で売られるような大量の本のなかの一部であり多くの人から「面白くない」「保管するに値しない」と免罪符をつきつけられた作品なのであるからして入手困難なのである。にもかかわらず優れたラブコメでありこのような優れたラブコメを時が満ちれば105円で手に入れることができる我が世の春・日本。大体「作家の地位を守る」「出版文化を守る」かなんか知らんが爪で火を灯すような生活を送る俺にとって古本屋特に「BOOK・OFF」「古本市場」「まんだらけ」等の大型古本屋は満州(生命線)なのだ。それを金を多くよこせだとこの非人間め。貴様の手は六本指か。何がテニスの王(以下略)。で、本書の主人公は作中の言葉でいえば「内向的で人見知りで小心者で世間知らずの」ギター青年である。ギターとフォークの違いもわからん俺がいうのも何だが、あのアコースティックギターの音はシンプルだが耳にここちよくて好きである。そのようなギターを片手に青春をボロアパートで費やし日夜曲作りに励む主人公だが、アパートの隣に住む年上の女と仲良く(と言っても話ができるようになるだけだが)なる。幸運なことに主人公と違って女のほうはさりげなく主人公に積極的でありきっかけさえ与えてくれれば主人公から積極的に出る描写があっても許そう。要するに俺が反発するのは、大して親しくもないのに馴れ馴れしく女に話しかけようとしたりコミュニケーションをはかろうとする男キャラであり、なぜそれに反発するかというとそんな男が嫌いだから漫画であってもそんな男を見たくはないということにすぎない。ここらへんが反ラブコメ派諸君の反発を買うらしいのだが、たとえ「自分がもてないからせめて漫画の中ではもてさせようとしているだけだ」「自分と同じような男キャラがなるべく傷つかないで女と話せるようにしたいだけだ」と言われても俺としては「はいそうです」としか言いようがないのである。実にその通りなのでありそれらを集めるためだけに俺は学生時代を過ごしてきたのである。それをやめろということは俺に死ねと言っているのと同じなのだ。すべての道はローマに通じ、すべての欲望はラブコメに通じる。ああ我が人生はいかに。