日本ラブコメ大賞2020:Ⅲ 共存共栄が必要

第10位:家出ギャルに生中出ししまくって同棲性活始めました/鬼遍かっつぇ・シツジ[ジーオーティー:GOT COMICS]f:id:tarimo:20201218233159j:plain

 さて日本ラブコメ大賞は成年版となっても一般部門と変わらずラブコメとして優れているかどうかのみで評価する。性交渉描写が優れているか、もしくはエロとして役立つか(自慰に使えるか)はラブコメとは関係ない、ために考慮しない。そして優れた成年版ラブコメは一般ラブコメよりもラブコメ的となる。なぜなら性交渉とは包み隠す事のできない自身の肉体そのものを使う行為であり、嘘偽りのない感情が自然と浮かび上がってしまう恐るべき行為だからである。そのため好意を持っていない相手からは快楽は生まれないし、好意を持っている相手からは快楽が無限に湧き上がる。成年版ラブコメはそれを逆手に取り、「肉体関係に発展する」「これほどの快楽の雄たけびを上げる」という事は即ちヒロインは主人公(=読者)の事が好きだと断言できる、こんなに地味で平凡で何の取り柄もない主人公(=読者)なのに性交渉まで突入し悦楽を表現しているのだから…となるのである。

 そこで本作であるが、雨の中傘もささずに彷徨していた「明らかにギャルで不良っぽい」ヒロインを同情から助ける事から物語が始まる(「こんな時間に…もしかして家出?」「もし泊まるところがないんなら…」)のであり、そのような行為はラブコメ的にはマイナスであって、主人公は「地味で平凡で何の取り柄もない」のだから、本来そのようなヒーロー的行動を起こしてはならない。そんな事をすれば「地味で平凡で何の取り柄もない」性が失われよう。しかし可能性は低いが、「地味で平凡で何の取り柄もない主人公」であっても魔が差して無意識にそのような偽善的な行為をしないとも限らない。また主人公はすぐ「冷静に考えたらどうしよう」「俺、結構ハイリスクな事したんじゃ…」と我に返って後悔するため、「地味で平凡で何の取り柄もない」性はギリギリ失われなかったとしよう。世界のラブコメ王は寛容なのだ。

 そのように導入部でもたつきはしたが、その後は

①家出ギャルヒロインから誘惑

②主人公は童貞のため舞い上がる

③最初は余裕だった家出ギャルヒロインがいつの間にか快楽に呑み込まれる

 となって、居心地がいいからとなし崩し的に主人公とヒロインは同棲生活へと流れるが、ここで「同棲」が持つ危うさが問題になる。結婚していれば「ヒロインは主人公(=読者)の妻であり、妻であるから当然ヒロインは主人公のものであり、主人公は何の心配もなく性交渉に励む事ができる」という絶対性を獲得できるが、同棲は所詮同棲でしかないのだから、主人公側は「いつか別れを切り出されるかもしれない」という不安を抱える事になり、特に本作の主人公とヒロインの場合、何となく同棲が始まったのであるから何となく別れるかもしれない。

 しかしながら本作の場合その後の細やかなストーリーでそれは杞憂となる。2話においてヒロインは「主人公があんまり家にいない」「まさか他に女が…」と心配して主人公を尾行するのであり、3話では逆に主人公が「同級生?とお前と一緒にいるの見て…それで気になって…」と心配し、それぞれの嫉妬と嫉妬が解消した後の安堵と共に性交渉へと流れ込む事で二人に確かな絆が生まれている事が読者にはわかるのであった。そうして4話以降では家出ギャルヒロインは主人公のために清楚な服を身にまとおうとするのであり、休日はお互いの体をひたすら貪るのであり、主人公(=読者)は偶然によって得たヒロインを自分だけが好きにできる権利を得た事を大いに味わう事ができよう。それは読者にとって救い、癒し、希望となる。立派な成年版ラブコメである。

     

第9位:いもうとコレクションHさいかわゆきジーオーティー:GOT COMICS

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 主人公が「地味で平凡で何の取柄もない男」なのに対するヒロインが「美人で巨乳でスタイルが良くて性格もいい」女で、更にヒロイン側が主人公にご執心な場合、ご執心となる何らかの理由が必要となる。しかしそこで「主人公は実はIQ×××の天才」「金持ちの御曹司」「底抜けのお人好し」等の、「地味で平凡で何の取柄もない男」の前提を否定する理由を持ち出してはラブコメそのものを否定する事になり、元も子もない。そういう場合の手っ取り早い方法が「ヒロインは主人公の家族(母、姉、妹)もしくは親戚(いとこ)なのでもともと親しくていた、それが恋愛感情に変換された」であり、だからラブコメと近親相姦は相性がいい。毎年言っている事だが、恋人や妻がいない男にも家族・親戚はいるのであり、これを利用しない手はないのである。

 しかし「母・息子」ではタブー色が強過ぎ、「姉・弟」だとどうしても姉→弟となって、姉が弟(=主人公)に対して積極的になったとしてもそれは「自分は上の立場(姉)だから」という主従関係が匂い、主人公(=読者)にとっては居心地が悪くなる事が多い。その点「兄・妹」だと兄(=主人公=読者)は既に妹の上に位置しているため遠慮する必要はなく、且つ妹側もそれを当然として受け入れ、性交渉においても妹ヒロインによる積極的な奉仕に結びつき、ラブコメ的にも一番美味しいものとなる。つまり妹ラブコメとはいい事づくめなのであり、今後も量産されていくだろう。

 そこで本作であるが、導入部がやや異質なのは妹ヒロインが「お兄ちゃん大好き」ではない事であって、なぜかと言うと主人公(「内気で女友達もいない」)はまだ性の何たるかを知らない小学生の妹ヒロインに性的関係を強要するからであった。もちろん妹ヒロインは小学生であっても「お兄ちゃん大好き」的言動をする事が成年版ラブコメの常道であるが、本作では遠回りをして、兄(=主人公)が妹ヒロインと強引に性的関係を結び、それによって妹ヒロインは否応なく兄(=主人公)を好きになるという形式を取っており、「お兄ちゃん大好き」的な無邪気な言動がない分タブー色がやや強くなっている。そして数年の時を経て冷静になる兄(=主人公)はしかし妹ヒロインなしではいられず大人の身体となった妹ヒロインの身体に吸い寄せられ、妹ヒロインはいつしか肉体のみならず自分の存在そのものを兄(=主人公)に支配される事を望み(「お兄ちゃんは理香以外の女の子と結婚するの?」「理香以外の女の子とエッチするの?」「お兄ちゃんの精子以外いらないよ」)、兄(=主人公=読者)は「妹」という、自分が絶対的に上に立つ事のできる、また「いつでも俺を受け入れてくれる」存在を妻とする事ができたのであった。その高揚感をそのまま性交渉にぶつける事で兄(=主人公=読者)は永遠に続くような快楽を感じる事ができよう。

 更に兄(=主人公=読者)は「妹と結婚し無事に子供も生まれて」仲睦まじく暮らしていたが今度は妹(妻)の計らい(「女の子は愛する人のものになれるのが一番の幸せなの」)で娘から告白され娘とも性的関係を持つ事になるが、それも「自分の存在そのものを支配される事を望んだ」妹なら自然な事であり、しかし娘と性的関係を持ったとしても妹(妻)は変わらず兄(=主人公=読者)と性交渉等の奉仕継続するのであり、兄(=主人公=読者)は快楽のチケットを永遠に持ち続けるのであった。それは読者にとって救い、癒し、希望となる。ラブコメとは素晴らしいものなのだ。

 なおこれほど素晴らしいのに9位となったのは表題作以外の短編2つがラブコメではないため減点としたからである。まあしょうがない、日本のエロ漫画の宿命ですなあ。

     

第8位:箱庭ニ咲ク雌ノ華肉そうきゅー。ジーオーティー:GOT COMICS

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 もう一度強調するが、評価するのはラブコメとしてのエロ漫画であり、エロ漫画としてのラブコメではない。つまりエロを優先してはならない。ラブコメ的前提、条件、環境を整えた上で、性交渉等のより露骨な表現によってラブコメ的世界を強固にする事が成年版日本ラブコメ大賞には求められるのであり、そのため主人公は「地味で平凡、もしくはそれ以下」でなければならず、ヒロインはそんな主人公に好意を持っている(或いは出会ってすぐに好意を持つ)からすぐに肉体関係まで及ぶ、だからエロ漫画である、というルートを通らなければならない。ヒロインを「メス奴隷」にしてもいいが、そこに強制的な力(「メス奴隷にならなければ今後生活ができない」「メス奴隷にならなければヒロインの大切な家族もしくは友人が助からない」等)が働いては意味がない。「洗脳する」という手段もあるが、それではヒロインの本心がわからず主人公(=読者)側は心底楽しめない。やはり正攻法、最初からヒロインの好意(愛情)が約束される事が必要なのである。

 そこで本作であるが、前作(2018年・10位「花園の雌奴隷」)と同じく主人公は不細工でデブでいかにもうだつの上がらない鈍重な中年男(「精液の量が異常に多い」「大学を出て何度か社会進出を試みるも惨敗」「オナニー尽くしのひきこもりとなり数十年」)なので問題ないが、その鈍重中年男を引っ張り出した理由が「ヒロイン達を性接待で使えるようにするため、主人公が性の調教師となって性交渉等を施してほしい」という、特殊且つわかりにくい理由であるため読者側は少々戸惑ってしまう。「裏社会や限られた世界における接待や取引」で女を使う場合で、その女をただのホステス要員ではなく性に堪能なテクニシャンにしてターゲットの男を篭絡しようとヒロイン達を性のテクニシャンに仕立て上げるための調教師として「とても素敵な体質(精液の量が異常に多い)」である主人公が選ばれたのであり、主人公は言わば仕事としてヒロイン(うら若い女子高生)と性交渉しなければならず、当然ヒロイン側は抵抗もしくは現実に抗しきれず悲壮な決意で身体を差し出すのであるからラブコメにはならないが、導入部が終わりこれから調教が本格化する段階で主人公の事を無理やりではなく本当に「主人公様は…とても素敵な方です」と言う副ヒロイン2が現れ、催眠によって不細工でデブでいかにもうだつの上がらない中年主人公(=読者)を「王子様」と呼び陶酔状態になるヒロイン3が現れる事で流れが変わり殺伐さが薄れ、まずヒロイン2がいつの間にか主人公がもたらす快楽に屈服し、ヒロイン2・ヒロイン3・副ヒロイン1によって包囲されたヒロイン1もまた陥落する事によっていつの間にか主人公はハーレムを築き上げるのであった。

 その展開の早さ、外堀りを埋められた事によってヒロインが従ってしまうという強引な展開で押し通してしまうストーリーに読者は思わず引き込まれ、またヒロイン1が本当に性接待へと赴くが主人公が助けに行って救出し結局ヒロイン達は「主人公だけの雌奴隷」となってめでたしめでたしとなる展開は強引も強引、更に言えば元来がマイルドで優しい絵柄なので迫力がないため(作者は「ポプリクラブ」出身の作家である)ややちぐはぐな印象もあるが、読者はストーリー自体には引き込まれてしまっているので結果的に難なく読む事ができよう。そして不細工でデブでいかにもうだつの上がらない中年主人公(=読者)は黒幕の副ヒロイン1も屈服させ、見事全員を攻略するのであった。「最初からヒロインが主人公に好意を持っているわけではない」はラブコメとしてはマイナスであるが、しかしそのおかげで読者は手に汗握るストーリーに引き込まれる効果を生み、そんなストーリーの中心にいるのは不細工でデブでいかにもうだつの上がらない中年主人公(=読者)である。これもまた立派なラブコメである。

    

第7位:日米俺嫁大戦 金髪処女ビッチVS黒髪の妹巫女鷹羽シンフランス書院フランス書院美少女文庫

 1冊くらいは小説を持ってこないと潤いがない。ラブコメとは何も漫画に限った事ではない。しかし一般部門のラノベでもそうだが、活字になると途端に主人公は頭でっかち、理屈っぽい、地の文が少なく状況説明も心理描写も全て会話か独り言で処理してしまう…等のアラが目立ってしまう。そのため日本ラブコメ大賞・オールナイトラブコメパーカーにラノベ系は極めて少ないのが実情である。

 しかし官能小説には官能小説ならではの利点がある。小説であれば基本的に長期戦となるから、主人公に対するヒロインの感情の大きさ、またはヒロインのキャラクター性をいくらでも掘り下げる事ができよう。特にハーレムの場合、漫画であれば同時に1人、2人、3人と描き分けつつ性交渉シーンでも等分に各ヒロインの見せ場を作らなければならないため各ヒロインの心情にまでせまる事ができないが、小説であれば長期戦であるからそれが可能であり、ヒロインそれぞれがいかにして主人公(=読者)と出会ったか、いかに主人公(=読者)を慕っているか、また性交渉による快楽がいかにヒロインに喜びを与え主人公(=読者)の愛情をより深くしたか…を細かく詳しく丁寧に表現し、それによって読者は自分がどれだけヒロインに愛されているかを味わう事ができよう。

 というわけで本作では幼馴染の金髪グラマー美人と黒髪清楚美人(妹)の2人が幼き頃から慕っていた主人公のところへ押しかけ、性交渉を要求し、主人公(=読者)は欲望の赴くまま組んずほぐれずを繰り返しヒロイン2人は歓喜の声でそれを受け入れ、最後は見事二人とも妊娠させ、それでも精を放ち続ける主人公(=読者)にヒロイン2人は感謝しつつ更なる性的奉仕を誓うというものであった。主人公(=読者)が「地味で平凡で何の取り柄もない男」である事の強調はないのが残念でありマイナスではあるが、序盤においてヒロイン1(金髪グラマー美人)及びヒロイン2(黒髪清楚美人妹)が主人公を想いつつ激しく自慰を行う事で既にヒロイン1、2が主人公(=読者)に強い執着を持っている事がわかり、その後は

①ヒロイン1が押しかけて恋人となって激しい性交渉を行い(「こういうの、知ってます。即オチ、ですね」)

②その性交渉の現場をヒロイン2は察知し(巫女なので遠く離れていてもそういう力がある。「二人は、褥を共にしたというのですか…。おやめください、兄さま、接吻の相手なら私が…」)

③ヒロイン2は厳しい修行を乗り越えて兄(=主人公=読者)の元へ飛んできて激しい性交渉を行い(「どうか私の処女を奪い、兄さまのためだけに存在する淫らな肉穴となる事をお許しください」)

④ヒロイン1、2が主人公(=読者)をめぐり性の限りを尽くした奉仕合戦を行う

 と順序を踏み最後は予想通りハーレムエンドとなる(ポテ腹ズリ・エンド)のであり、序盤にヒロインの自慰を持ってきた事がその後の展開をスムーズに移行させている。読者は激しい性交渉とは裏腹に穏やかな気持ちで安心して読み進める事ができよう。それもまた成年版ラブコメにおいて必要な事である。刺激的な事は必要ない。読者を救い、癒し、希望を与える事が大事なのだ。

     

第6位:献身ナデシコ文雅ジーオーティー:GOT COMICSf:id:tarimo:20201218235025j:plain

 なるほど「献身ナデシコ」というタイトルは本作の短編全体を表すに適したタイトルである。エロ漫画における「献身」的ヒロインとは主人公に対して積極的に体を開く、或いは消極的な主人公が積極的に性交渉を開始できるよう誘うと同時にヒロイン側が性的に奉仕する事をイメージさせるし、「ナデシコ」的ヒロインというのも清楚な大和撫子のような女、つまりいわゆるビッチではなく、意中の男にのみその体を預け、預けた後はその男の後ろを黙ってついていくような静けさと従順さをイメージさせよう。ラブコメとは「男が女の上に立つ思想」であり、女は男(=主人公=読者)に献身さと大和撫子のような穏やかさと静けさを提供しなければならない。それによって男(=主人公=読者)はその女を守る強さと覚悟を手に入れ、女のために命をかけるのである。ラブコメとは導入部こそ「男に都合のいい」ものであるが、最後には男が責任を持って女を養うのであって、女にとっても悪い話ではない。所詮女は年を取れば醜く老いて怠惰になっていくが、男は年を取っても七人の敵と対峙して戦い力をつけていくのである。そんな男に守ってもらうためには多少の奉仕は構わんだろう。

 話がそれてしまったが本作に登場する様々なヒロインは主人公(=読者)に身体を預けるわけだが、あからさまに積極的なヒロイン(「ごめんなさい…強気な人は苦手なの…」)や積極的でもないが主人公に何らかのサインを送るヒロイン(「どうかな?興奮する?もう一度私を犯してくれる?」)、または目の前でオナニーを始めるヒロイン(「どうして私を犯さないのよ!」)、等、等と多彩で、それぞれのヒロインは例外なく主人公を前にして既に顔を赤らめ、いつ身体を許してもいい雰囲気を醸し出しており、主人公(=読者)側としては手を出していいのだ、むしろ相手がそれを望んでいるのだから何を遠慮する事があろうと奮発させる事に成功している。そして実際に手を出し(性交渉に及んで)、未経験な主人公の拙い性技術に対してヒロインはいとも簡単に喜びの歌声を上げるが、それも「ヒロインは主人公の事が元々好きだったから、少々拙い技術であっても容易に快楽へと転換できてしまう」からであると自然と納得できよう。

 ラブコメとは読者にとって「都合のいい」ものである。しかしその「都合のいい」範囲内でいかに「都合のいい」事の矛盾を消すかが問われる。目の前のヒロインと性交渉を行う上で主人公(=読者)が抱く「こんな風に性交渉できるのは都合が良過ぎる」という疑いを排さなければならず、疑いを排すには納得感が必要となる。本作に登場するヒロイン達は「献身」的で「ナデシコ」なヒロイン達であるから、主人公(=読者)との性交渉に積極的であるのは自然であり、また積極的でありながら主人公(=読者)にのみ心を許し身体を許す(いわゆるビッチではない)事も当然のものとして了解される。本作ヒロインの一人は「もっと…主人公と…セックスしたいです」「主人公と…デートに行きたい!」「結婚したい!」「主人公の…子供が欲しいです」とまで宣言するのであり、主人公(=読者)は自分にそのようなヒロインがもたらされた幸運に感謝し、性交渉に励み、ヒロインを命がけで守るだろう。それが成年版ラブコメの正しい姿である。

    

第5位:パッフィーフレグランス藤ますワニマガジン社:WANIMAGAZINE COMICS SPECIAL

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 本作の作者は過去に栄光の1位を達成している(2014年1位「君がため心化粧」)ので何の心配もせず読み(世界のラブコメ王も読む前は結構心配します)、6年前と変わらない「ラブ&ハード」ぶりにホッとした。こんなにハードな性交渉(「処女にレイプ」「レイプ妄想で淫語自虐するM女」等)を見せられてホッとするのも変な話だが、本作には安心感がある。なぜならどれほどハードな性交渉が展開されたとしてもそれはヒロイン側が主人公(=読者)に好意を持っているから、愛しているから、或いは今まさに主人公(=読者)を籠絡しようとしている結果としてのハードさであって、ヒロインがただ快楽を得たいがためにハードに行われているわけではない事を作者が意識して描写しているからであった。

 そもそも単なるエロ漫画であればただ女の裸、或いは女の淫乱な様子を見せるだけでも事足りるが、日本ラブコメ大賞エロ漫画編においてはその淫乱さはあくまで「ヒロインが主人公(=読者)を求めている」からこそ淫乱になる、でなければならない。ただエロのためのエロ、快楽を得たいためのエロであればそれは「快楽を満たしてくれるなら誰でもいい、つまり主人公(=読者)じゃなくてもいい」となり、読者はそのエロの饗宴の時間が終わればフェードアウトするのみとなってしまうのであり、ラブコメの定義から外れよう。ヒロインの淫乱さが主人公(=読者)を得たいがための自然な発露である時、その性交渉はより濃密になり、そのようなヒロインを目の前にした主人公(=読者)は極上の快楽を味わい、「これほどの女(=美人でスレンダー且つ巨乳)がこれほど乱れるのはそれだけ俺を愛しているからだ」という認識によって征服欲と支配者の優越を味わう事ができるのである。本作はまさに、ヒロイン達が明確に「こんなに淫乱になってしまうのは主人公(=読者)のせい、主人公(=読者)だけ、主人公(=読者)のため」をアピールしている。それが安心感を生むのである。

 また作者の描くスレンダーながら巨乳なヒロイン達は顔も小さく八頭身か九頭身かと思えるほどのモデル体型であり(しかも巨乳)、儚さも漂わせ、しかし発情したメスの顔とその大きな乳房で女性性を強烈に表現しながら淫乱に舞うのであり、要所に飛び交う「大好きおちんぽすっごい気持ちいい」「新妻まんこにしてください」「あなた専用どこでもオナホです」等の言葉がヒロインのエロさと愛おしさを倍加させ、またヒロインが主人公によってもたらされる快楽を享受し、享受した事によって更に求め、主人公(=読者)も限界のその先まで身体を酷使して何度も精を放つ姿は共同作業的な域に達している。なるほどセックスとは愛を求める二人のものなのだという事を再認識した。ラブコメは色々な事を教えてくれるのである。

 それにしてもこれだけ淫語が展開されると麻痺してしまいますね。「おちんぽ様にハメイキさせられるチョロマンコなの」「先端じらし根元握り勃起誘発シコシコ」「告白ハメ姦」「先輩のおちんぽやっとハメてもらえて嬉しくて」…。まあ、愛があれば大丈夫か。

    

第4位:彼女のママと出会い系で…舞六まいむティーアイネットMUJIN COMICS

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 世の中には様々な性癖がある。「地味で平凡な男と美人で巨乳で恵まれた女を組み合わせる」というラブコメ的設定・展開も性癖の一つである。よって俺はあらゆる性癖を尊重する。もし俺が数多くの性癖の一つでも否定すれば、今度は誰かが俺の信奉するラブコメを否定するだろう。そして潰し合いとなる。ただでさえ狭苦しいエロ漫画界で互いの性癖を潰し合っては元も子もない。共存共栄が必要なのだ。

 そのため「寝取られ」についても、いかにそれがラブコメ的設定を破壊しようとするものであっても俺は何も言わない。況や俺は世界のラブコメ王なのだ。しかし「寝取り」はどうかと言えばこれは大いにやるべきであって、そもそもラブコメというジャンルが「寝取り」的要素を含んでいる。本来ならば「美人で巨乳で恵まれた女」には「それ相応の容姿や能力や地位を持つ男」があてがわれ、性交渉その他の権利を得るわけだが、ラブコメにおいては違う世界の人間であるはずの「地味で平凡で何の特徴もない、容姿も能力も地位もない男」が「美人で巨乳で恵まれた女」ヒロインを手に入れてしまうのであるから、「美人で巨乳で恵まれた女」を手に入れるために「それ相応の容姿や能力や地位」を努力して勝ち取った男側からすれば「寝取られ」となる。一方から見た「寝取られ」はもう一方から見れば「寝取り」なのである。

 なぜそんな前置きを述べたかといえば本作がまさに「寝取り」に重きを置いたものだからであった。魔が差して手を出した出会い系アプリで出会った人妻熟女、風俗エステでいつも指名する人妻風俗嬢、等は結婚して娘もいるのだから完全に「他人(自分以外の男)のもの」であり、金銭とのトレード以上の関係にはなれない。しかし人妻とは言え二次元のセオリーに則ってあくまで若々しく、それでいて熟れた肉体からは女の色香が漂っている。偶然によってそれら人妻ヒロインが「(主人公が)付き合っている彼女の母親」である事がわかった時、主人公は彼女ヒロインではなく経験豊富且つ抜群のテクニックを持つ人妻と金銭の枠を超えてその関係に溺れ、いつの間にか人妻ヒロイン側も主人公に溺れてしまうのであった。

 表題作では当初こそ「主人としたやつが出てきちゃった」などのアピールによって主人公側を煽り、それに逆上する主人公によって快楽を倍増させてきた彼女のママヒロインは主人公と彼女ヒロインの睦み合いを見せられる事で「私だったら何でもしてあげるわよ」「私と会う前に(娘と)セックスするなんて嫉妬しちゃう」と我を忘れ、ついには「今日は危険日だから子作りしてもいいわよ」とエスカレートし主人公の子を身ごもり、しかし主人公と彼女ヒロインは結婚する事で彼女ヒロイン及び彼女のママヒロインの夫(主人公の義父)の目を逃れつつ(二世帯同居)更に性交渉に励み、彼女のママヒロインを「寝取った」事を存分に味わうのであった。

 その他の短編も同じように「最初は年上の余裕を見せようとした彼女の母ヒロインが次第に主人公にのめり込む」パターンであるが(「彼女のママでも風俗嬢でもなくて君の女なの」「あなただけのAV女優にさせて」)、わざわざ彼女の母ヒロインが嫉妬する理由を挿入させ(「二人きりの時は私だけを見てほしいの」)、主人公は「他人(自分以外の男)のもの」を完全に手中におさめた事による征服欲を満たす事ができ、それは快楽を飛躍的に増加させよう。「寝取り」とラブコメが両立した稀有な作品であった。

    

第3位:ゆけむりハーレム物語立花オミナティーアイネットMUJIN COMICS]

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 さて作者は以前にも日本ラブコメ大賞に登場しているが(2014年成年部門3位「いきなり!ハーレムライフ」)、今回もハーレム長編もので3位となった。そして毎年言っている事だがハーレム長編物は難しい。短編ならばただ「地味で平凡で何の取り柄もない男が、偶然と幸運によって複数の女を手に入れる事ができた」事の勢いと余韻でフェードアウトできるが、長編物では「なぜハーレムを構築できたか」「なぜヒロイン達はハーレムを許容したのか」等の理由が問われるからである。そしてその理由が「ヒロイン全員が主人公を好きだから」であったとしても、次に「好きならなぜハーレムを許容するのか、好きなら独り占めしたいはずだ」となり、そこで「ヒロインが特殊な考えを持っているから」「ヒロインは人外(異種族、宇宙人、他)だから」を用意する間に話が進み、ヒロインそれぞれの個性については言及されないまま時間切れとなって大団円を迎え、結果として中途半端になるのが常である。

 しかし本作の場合、前作同様核となるヒロイン1(バイト先の後輩、処女)を用意し、そのヒロイン1を通じてヒロイン2(美人な官能小説家、処女)、3、4…と主人公(=読者)の相手を広げていき、広げていく過程でヒロイン達が徐々に主人公(=読者)の虜となっていき、並行してハーレム性交渉が展開されるため、スムーズでありながらスピード感もあり、作者の手堅さに感心しよう。主人公(=読者)が即座にヒロイン6人と性交渉するのではなく、まずは1対2、次に1対3、その次に1対4…と順序を保つ事でハーレムを特殊ではなく通常の性交渉であるかのような錯覚を読者に与え、結果的にヒロイン1とヒロイン2が主人公(=読者)に処女を捧げながらハーレムを許容する事が何ら不思議ではない世界観を構築しており、作者の力量を表している。

 更に評価したいのがハーレムでありながらヒロインそれぞれの役割を明確にしている事であって、メインをヒロイン1とヒロイン2に決め、副ヒロインにヒロイン6(主人公・ヒロイン1のバイト先の年上の女)を据え、残る3人は「その他ハーレム要員」としている。それによって「ヒロイン全員が主人公を愛している」事の表明を早々にあきらめているが、そもそもヒロイン1以外は行きずりの関係(温泉宿の従業員と宿泊客)であるからその方が自然であろう。それによってハーレム感は一時的には下がるが、一方で性交渉では律儀に6人全員に見せ場を作り、主人公(=読者)の絶倫ぶりに虜となったヒロイン達は「貴方の事を皆で話し合って決めたの、誰も抜け駆けせず全員が平等に貴方と付き合う、本当の恋人としてね」と宣言してハーレムを盛り返し、大団円となるのであった。きっかけが「行きずりの関係」である事は確かだが、それを否定も肯定もせず、ひたすら性交渉を重ねる事でハーレムを既成事実化すればヒロイン達はそれを認め、快楽の渦に自ら飛び込むのであり、その先にいるのは「地味で平凡で何の取り柄もない男(=主人公=読者)」なのである。これぞ成年版ラブコメの完成形と言えよう。

 また最初から最後までヒロイン1が「ハーレム」と「主人公と恋人」を明るく受け入れ楽しんでいるところが作品全体を明るいものにしている。作者はハーレムを完璧に理解しており、今後の作品も安心して期待している。

    

第2位:すべてをあなたに丸和太郎文苑堂:BAVEL COMICSf:id:tarimo:20201219001725j:plain

 繰り返しになるがラブコメとは「地味で平凡で何の取り柄もない男」が「美人で巨乳でスタイルも良くて…な女」によって愛されるものである。そして愛されるとは性交渉を行うという事であり、また「性交渉を行う」とは即ち愛し愛される関係になったという事であるが、ラブコメにおいてはどちらが先でも構わない。つまり大して愛してなくても偶然や事故によって性交渉を行い、結果的に「地味で平凡で何の取り柄もない男」と「美人で巨乳でスタイルも良くて…な女」がめでたくカップル(夫婦)になってもよい(3位などその典型である)。しかし「大して愛してなくても」性交渉を行うような女とめでたくカップルになるパターンと、「始めから主人公を愛していて」性交渉を行うパターンではどちらがいいかと言えば後者に決まっているのであり、また「始めから主人公(=読者)を愛していて」も、その愛の度合いが重要となる。単に「周囲の男達の中で一番好意を持っている」だけの場合もあれば、「熱烈に愛している」場合もある。そして「周囲の男達の中で一番好意を持っている」から主人公(=読者)と性交渉を行ったパターンと「熱烈に愛している」から性交渉を行ったパターンとどちらがいいかと言えばもちろん後者である。「地味で平凡で何の取り柄もない男」に「美人で巨乳でスタイルも良くて…な女」をぶつけるのは非常に大事な事だが、それは前提でしかない。求められるのあくまでストーリーの緻密さである。

 前置きが長くなったが本作はその後者2つが合わさった、つまりヒロイン達が始めから主人公を熱烈に愛していているパターンのラブコメであり、文句のつけようがない良作である。ヒロイン達は登場した時点で既に主人公(=読者)に大いなる好意・愛情を持っており、そのヒロイン達は細く華奢で顔も小さく描かれ、少女のようなあどけなさと可憐さを放ち、そのヒロイン達の容姿と「大いなる好意・愛情」がミスマッチを起こしてより露骨に「主人公(=読者)の事が好きで好きで我慢できない」雰囲気を醸し出しているのであった。もはや些細なきっかけ一つで性交渉へと流れ込む事を期待しているヒロイン達には独特のオーラがあり、しかしそれは情欲に支配された爛れた獣としてのオーラではなく、あくまで主人公(=読者)を愛し愛されたいがためのオーラである。言わば「純愛」なのであって、男(=主人公=読者)にとって性交渉は欲望に直結するものであるが、そこにヒロイン達による「純愛」が作用し、「欲望を解消する」ための性交渉がもう一段上の「2人にとって必然的な行為」となるのであった。

 しかしいくら「必然的な行為」であるとしても性交渉とは所詮肉体的な快楽であり、肉体的な快楽はそれが快楽的であればあるほど躊躇され歯止めがかかるものだが、本作における各性交渉は「純愛」なる「必然的な行為」であるため、主人公(=読者)は欲望のタガを外し精を放つ事に集中でき、ヒロイン側も主人公(=読者)が欲望のタガを外し精を放てば放つほど愛されている事を実感し、更なる性的奉仕で主人公(=読者)に応えるのであった。まさに「すべてをあなたに」捧げるのであり、それによって主人公(=読者)のみならずヒロインも幸せの絶頂を体験するのである。ラブコメとは単なる性的消費ではなく「救い、癒し、希望」であるとはこういう事なのだ。素晴らしい。

    

第1位:貧乳義妹を巨乳にして嫁にしてみた志乃武丹英スコラマガジン:富士見コミックス]

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 さて作者お馴染みの義妹シリーズ、日本ラブコメ大賞の常連中の常連でお世話になっており以下の義妹ものを我々に届けてくれている。

・「義妹処女幻想」(2014・2位)

・「義妹禁断衝動」(2015・3位)

・「義理なら兄妹恋愛してもいいよね」(2016・5位)

・「義理の妹なら溺愛しちゃう?」(2017・4位)

・「義妹とスル?」(2018・6年)

 以上のようにこの義妹シリーズは毎回上位に記録されてきたが、1位にはならなかった。作者の描く義妹ヒロイン達は可愛らしく愛らしく、甘え上手で積極的で、華奢な身体でありながら義兄のためにその身体を全て差し出す覚悟を持ち、ラブコメのヒロインとして申し分ないが、対する兄(=主人公=読者)は兄であるからそのようなヒロインを包み込み愛する(性交渉を含む)事を当然とするため、「地味で平凡で何の取柄もない男」である自分にこんな「美人で巨乳でスタイルが良くて性格もいい女」が舞い込んだという衝撃がなく1位になるには頭一つ足らなかったのである。もちろんこんな「美人で巨乳でスタイルが良くて性格もいい女」が義妹である事の喜びは大きいが、それが1位となる決定打にはならない。ラブコメと近親相姦は相性がいいため平均点は取れる、しかし突き抜ける事もないのである。

 しかし本作は突き抜けて1位となった。表題作では兄(=主人公=読者)は義妹を恋人にした後、実際に嫁として迎え、新婚となった義妹ヒロインと兄(=主人公=読者)の性交渉が描かれ、また子供に恵まれ年を経た義妹ヒロインと兄(=主人公=読者)が変わらず愛を保ち続け性交渉を行う様子が描かれ、突き抜けたからであった。実の兄妹であれば結婚できないからたとえ本人達が「結婚した」と言い張ったところで世間に抗って生きている、或いはとんでもない変態であるというイメージが強くなり読者は楽しむ事ができないが(それが快楽のスパイスになる場合もあるが、それは別の問題である)、所詮は義理の妹であるから結婚もできるのであり、結婚してしまえばその後いかに変態的な、獣欲にまみれた生活を送ったとしても微笑ましいの一言ですんでしまう。そのようにして義妹ヒロインは兄によって巨乳にされた事を喜び、結婚後も一日中兄(=夫=主人公=読者)に胸を揉まれ続ける事を喜び、子供が生まれても揉まれ続け(20年近く揉まれ続けた結果Kカップに到達)、兄(=夫=主人公=読者)は永遠の愛を手に入れたのである。その永遠の愛はヒロインが「義理の妹」というニッチな立場である事から可能となったのであり、長年に渡り義妹ものを描き続けてきた作者の独壇場と言えよう。

 表題作以外の義妹短編も相変わらずの安定感で、義妹ヒロインは可愛らしさ愛らしさを維持しつつ兄(=主人公=読者)に甘えつつ性交渉を積極的にねだるのであり、兄(=主人公=読者)は自然とその要求に応え、義妹と共同して性交渉の快楽を開発し、その事実が更に快楽を増やし活力を生むのであった。表題作が100点中120点、それ以外の短編が80点という事で1位としよう。素晴らしい。ラブコメは不滅だ。

日本ラブコメ大賞2020:Ⅱ 不安な風潮を吹き飛ばす

第10位:アイドルマスター シンデレラガールズ劇場バンダイナムコエンターテイメントADOKAWA:DENGEKI COMICS EX 

 さて本作はスマホゲーム「アイドルマスターシンデレラガールズ」のヒロイン達を描いた漫画版である。この日本ラブコメ大賞・オールナイトラブコメパーカーは原則として書籍に与えられるが、もちろんラブコメはアニメでもゲームでも映画でもTVドラマでも成立する。とは言え映画やTVドラマといった実写では「地味で平凡でおとなしい男」を表現する事は難しい。演じる俳優が高い演技力で「地味で平凡」を演じたとしても、それはその作品の中だけの事であり、その作品が終わればその俳優はまた華やかで豪華なスターの世界に戻るのであるから見る方としては反発を感じてしまい(「地味で平凡ではない男」が「地味で平凡な男の真似事」をしているに過ぎない)、ラブコメの効果はゼロとなる。またヒロインである女優はいくら最新の化粧を施したとしても所詮は化粧による美でしかないから、二次元の完成された美しさ、かわいさ、いじらしさには遠く及ばない。つまり映画やTVドラマにラブコメは理論的に不可能なのであり、可能なのはアニメとゲームしかない。

 このうちアニメ作品についてはほぼ100%書籍化(漫画化もしくは小説化)されるから問題はないとして、ゲームはどうか。こちらも何らかの形で書籍化されるのが常であり、実際に過去多くの「ゲーム原作を書籍化したラブコメ作品」が世に出ている(下記参照)。

・「アマガミ」(2010・5位)

・「キャサリン」(2011・4位)

・「ラブプラス」(20122013・1位)

・「キスより先に恋より早く」(20122013・4位)

・「フォトカノ」(2014・1位)

 そもそもゲームには「恋愛シミュレーション」というジャンルが確立されており、ラブコメがもっと大量に出てもよさそうであるが、一方でゲームであるからプレイヤー(主人公)はヒロインを攻略しなければならず、そのため主人公は「積極的、行動的、意識的に」ヒロインを射止めなければならない。それはラブコメの大原則である「ヒロインが主人公(=読者)を攻略しようと積極的に行動する」と矛盾するため、たとえ書籍化してもラブコメとして成立しないのが大半であったが、もちろん例外もある。上記に並べた各作品の共通点が「ヒロイン側から主人公に積極的にアタックする(事もある)」のであり、本作のヒロイン(アイドル)達もまた主人公(=プロデューサー)に対し「積極的にアタックする(事もある)」のであり、今をときめくアイドル達に積極的に言い寄られる事で主人公(=プロデューサー=読者)はラブコメ気分を味わえよう。但し主人公(の顔)は意図的に描かれておらず、そのため主人公(=プロデューサー=読者)が「地味で平凡で何の取り柄もない男」かどうかは確認できないし、芸能界に身を置く者が「地味で平凡で何の取り柄もない男」である可能性は低いが、アニメの武内Pという先例もあり、期待はできよう。

 そのようにして10代~20代の美少女・美女達はアイドル生活のふとした合間に、信頼するプロデューサーとデートを画策し、バレンタインにチョコレートを渡し、水着や際どい服で誘惑しその反応を楽しみ、またプロデューサー(=主人公=読者)の裏方に徹した律儀さと献身さに頬を赤く染めるのであった。また主人公たるプロデューサー(=主人公=読者)が顔を出さない事が「裏方に徹する男」に好意を抱くヒロイン、という構図へと結びつき、結果的にラブコメとして成立している。

 しかしこれだけアイドルの数が多いと誰に注目していいかわからなくなりそうだが、とりあえず佐久間まゆ佐藤心、城ケ崎美嘉、高垣楓速水奏、三船美優、が出ればラブコメ展開になる可能性が高いと覚えておけばいいでしょう。

  

第9位:お嬢様とボクのかわいいお姫様美波リン少年画報社:YKコミックス

 何度も言うようにこの日本ラブコメ大賞・オールナイトラブコメパーカーは「男に都合のいい」作品であればあるほどよい。これといった特徴のない、地味で平凡、平均もしくは平均以下の容姿、等、等の男を主人公にして、そのような主人公(=読者)になぜか女性が集う、言い寄ってくる、モテるといった都合のいい展開が起こるのであるが。そしてそのような作品を描く作者は大抵は男であり、また男でなければそのような「駄目な男」は描けない。より正確に言えば、そのような「駄目な男」感を女の作者では醸し出す事ができない。女の作者が描く「駄目な男」は本質的に駄目ではなく、だからそのような男は当然モテるのであり、「都合のいい」作品ではなくなる。しかし男が描く「駄目な男」は本当に駄目である、しかしモテる、から「都合がいい」のである。

 もちろん、では作者が女であれば評価しないのかと言えばそうではない。世界のラブコメ王は常に実力主義で20年以上やってきたのだというわけで本作であるが、まず主人公は妻に先立たれ幼い娘を育てるシングルファーザーである。冒頭から娘を保育園に迎えに行くため会社の飲み会にほんの少しだけ参加した後大急ぎで出ていく姿が描かれ、シングルファーザー生活が前途多難な事を示唆し、実際に仕事と子育てに悪戦苦闘する主人公は典型的な「駄目な男」である。2020年現在の日本では男は仕事も家事育児もバリバリやらなければならないのであるが(なぜそうなってしまったかはここでは言及しない)、それはともかく、主人公は結婚を経験し子供もいるため「地味で平凡でうだつの上がらない」とはちょっと違う。しかし前述のような主人公の苦労を見せられる事で読者は自然と感情移入でき、そんな主人公はなぜか会社の社長(前社長の娘)、同僚、娘の保育園の保母といったヒロイン達から熱い視線を向けられる。なぜならシングルファーザーとして娘の事を第一に考え行動し、行動した結果失敗も多くする主人公にヒロイン達は温かな父性を感じ、しかし主人公は実際の父ではなく一人の男なのだから男女の関係になっても問題ない、むしろ温かな父性を秘めた人間であるにもかかわらずフリーである事にヒロイン達は気付き、その気になってしまうのであった。しかし主人公は育児でそれどころではない。そうするとヒロイン達は徐々に大胆となっていくのである。

 ラブコメの手法に「女(ヒロイン)側がその気になっているのに男(主人公)側が全くその気にならない、或いは全く気付かない」がある。本来であれば男側があらゆる犠牲を払ってでもその愛を手に入れようと画策するほどの上等・高貴な女(ヒロイン)が、逆に男を振り向かせようと画策する、しかもその男というのが「地味で平凡で何の特徴もない」男(=読者)である、という落差とその状況が主人公(=読者)の地位を暴騰させ、深い満足を生むのである。本作の、手のかかる幼い娘を抱えているというハンディキャップがある主人公の気を引こうとするヒロイン達の姿は主人公(=読者)存在価値を飛躍的に大きくし、またそのようなヒロイン達の色気にあてられ、子育てで女の味を忘れていた主人公もまた性交渉ができるまで男の機能を回復するのであり、その回りくどさも快楽のスパイスとなっているのであった。

 とは言え作者は女性であるから、主人公は最後のところで「駄目な父親」ではなく「娘を見守るかっこいいパパ」となってしまう。それは女、つまりかつて父親に守られていた娘の限界であろう。しかしラブコメとして成立している。素晴らしい。

「(性交渉後に保育園に迎えに行ったら)パパからヘンなにおいする」

   

第8位:ヤンキー娘になつかれて今年も受験に失敗しそうですジェームスほたて少年画報社:YKコミックス

 何度も繰り返すが、ラブコメの主人公は「地味で平凡、平均以下、うだつの上がらない」でなければならないから、積極的に動いてはならない。即ちストーリー展開を自分から主導し引っ張ってはならない。しかしそれでは話が進まないため主人公の代わりにヒロインが動き回り、波乱を起こし、主人公(=読者)はその波に翻弄される事になる。とは言えただ流されるだけでは主人公が主人公たる意味がないのであって、流されつつ、積極的に出ず、しかしストーリーの中心にいるために「ヒロインが主人公を好んでいる、愛している」事が必要となる。そうすれば積極的に動き回るヒロインの存在感が高まれば高まるほど、そのヒロインにとって特別な存在、或いは行動原理の中心にいる主人公(=読者)こそがストーリーの中心となるのである。

 というわけで本作であるが、しがない浪人生の家に突然ヤンキー娘ヒロインがやってくる、そして瞬く間に童貞を奪われる事から物語が始まる。一方でヤンキー娘に比べれば清楚だが、ミステリアスで妙に積極的なヒロイン(予備校の特別講師?)が真摯に自分をサポートしてくれる。夜にヤンキー娘は毎日のようにやってきて主人公の気持ちを知ってか知らずかなぜか性交渉へと至り、昼は昼で清楚ヒロインによって励まされる(「誰からどう見られたって堂々としてればいいんです。主人公さんはやればできるんですから自信を持って下さい」)。二人のヒロインによって主人公(=読者)はひたすら流され、戸惑い、誘惑に負けて性交渉に陥り、実は同一人物(という事が読者には何となくわかる)なヒロインによって主人公の浪人生活は休まる暇がないが、灰色の浪人生活を送っていた主人公の生活はヒロイン達の一挙手一投足によって躍動感が生まれる。それは読者にとって潤いとなる。誰しもバラ色の青春を送りたいものだが現実はそうはいかない。ところが読者と一体たる主人公には二人のヒロインがやって来るのだ。大学受験に失敗した浪人に、である。それは救いでもある。ラブコメとは「都合のいい」ものだが、灰色の青春しか送れなかった読者にとって救いでもあるのだ。

 しかしながらメインヒロインたるヤンキー娘が主人公に対する態度を明らかにしないのが物足りない。3巻まで読んだ限りでは一体このヤンキーヒロインが主人公をどう思っているのか、好きなのかそれとも身体だけの関係と割り切っているのかがわからない。しかし勢いによって身体は開き続けるのであり、主人公(=読者)にとっては「身体だけの関係で遊ばれているだけ」という不安が拭えない。最もそのような勢いがあるからこそ「突然やってきて童貞を奪う」などという荒業ができるわけであり、主人公はダブルヒロインの狭間で漂うという貴重な経験ができるわけだが、一方でヤンキーヒロインとの宙ぶらりんな関係を引きずっているため清楚ヒロイン(妙に積極的なヒロイン)との関係も打開できないのであり(「口説けば落ちるかもしれませんよ?」「僕とヒロインさんは今、講師と生徒なわけで…そういうのよくないし…それにヒロインさんは自分をもっと大切にして下さい」「あらあら、月並みなセリフですね」)、しかし両ヒロインは結局同一人物なので読者としては振り上げた拳の戻し先に困るのであった。つまり、それほどまでに本作に引き込まれてしまっているわけであり、結論として本作は優れたラブコメなのである。

「二人きりで花火までしたのに…ただの先生と生徒なんですか?」

「主人公さんだからいいって言う人もいると思うんですけど」

   

第7位:スポイラー甘利浦津ゆうじ講談社ヤンマガKC

スポイラー甘利(1) (ヤンマガKCスペシャル)

スポイラー甘利(1) (ヤンマガKCスペシャル)

 

 ただのラブコメ漫画に小難しい事を述べているわけだが、本作については必要ない。「読めば確実に面白い」とさえ言えばそれで事足りる。とは言え「どこが、なぜ面白いか」についての解説は必要であろうが、ここでまた小難しい事を言ってしまうと本作の魅力が半減するかもしれない。なぜなら本作は「ただの高校生男女がただの高校生活を小難しくひねくり回す」事に最大の魅力があるギャグ漫画だからである。

 そしてギャグ漫画であってもラブコメは成立する。ヒロインが「品行方正成績優秀、生徒会副会長、名実共に学園のアイドル」であるのに主人公は何の特徴もないただの男子高校生(「ヒロインはお前なんかと同列に語れる存在ではない」)であり、しかし二人は付き合っているのであればそれでいい。この点に関しては小難しい条件はいらないのである…というわけでなるべく本作の魅力が半減しないように書くと「ヒロインである彼女が主人公をスポイルする、つまり甘やかす、それも度を超えて」が基本的な話の流れである。しかしギャグ漫画であるからその甘やかし方は回りくどく小難しく、

・「ずっと寝ていたい」と言えばコールドスリープ状態にさせられる。

・「手作りの弁当が欲しい」と言えば寿司職人のロボットを作る(「昨日徹夜で作ったの」「手作りってロボットをかよ!」)。

・テスト期間中にアニメを観てしまった主人公。しかしなぜか問題が解ける。

 ヒロイン「アニメやゲームにサブリミナルを仕込んでおいたの」

 主人公「洗脳じゃねえか!」

・主人公「近所の森はオオクワガタがよく出るんだよ。それを売り捌いて大儲けだぜ」

 ヒロイン「メスのオオクワガタのグラビアを撮ってるの。森に置いとけばオスのオオクワガタが集まるかなって」

 主人公「エロ本に群がる中学生か!」

 ヒロイン「モデルの子は100匹の中からオーディションで選ばれたの」

 主人公「そいつら捕まえてこいよ!」

 等、等、といった調子で、ヒロインによって次々に奇抜な場面や人や物がコマ内に所狭しと展開され、主人公がツッコミ役となる形式は「マカロニほうれん荘」(2001・22位)を彷彿とさせる。またそのように「次々に奇抜な場面や人や物を呼び寄せる」ヒロインの行動の源泉は「彼氏である主人公をスポイルする」事に端を発しているのであるから、主人公(=読者)が振り回され散々な目に遭ったとしても、読者としては悪い気はしない。むしろ仕掛けが大きければ大きいほどヒロインの過保護ぶり・主人公への特別な好意を感じる事ができ、結果的にギャグとラブコメがうまくリンクできているのであり、ラブコメとしてもギャグ漫画としても大いに楽しませてもらった。

 しかし一番面白かった(声を上げて笑ってしまった)のは「ヒロインが開発したRPG」であった。その素朴な絵と相反した小難しい設定(「日照権の問題だった!」「干す場所変えろや!」「よく見たらタワーマンションじゃねえか!」「完全に建築業者の人だ!」)がたまらない。作者はもしかして天才ではないか。

   

第6位:とっても優しいあまえちゃんちると富士見書房:ドラゴンコミックスエイジ

 マンネリ、ワンパターン、お約束、等の「何度も何度も同じ事をやる」「進展も破壊もない、ただ予定調和的に一連の流れが起こり、やがて終わる」という形式はラブコメにとって欠かせない。環境が変わり時代が変わり、人の心も移り変わり、それらについていけない人間はただ落ちこぼれるだけ、ではあまりにも辛く悲しい。とは言えこの弱肉強食のグローバル経済の中で沈みゆく日本国の日本人としてはイエスもノーもなく変わり続けるしかないが、それではあまりにも救われない。そこで「癒し・救い」としてラブコメが必要になるのであって、「地味で平凡で落ちこぼれる寸前(或いは既に落ちこぼれている)」な主人公(=読者)をヒロインは救い、癒すのである。

 その「救い、癒し」には性的な要求に応える事も含んでいるが、昼夜問わず性交渉を行う事には限界があり、また肉体的な繋がりは快楽という即物的な成果物とイコールであるから、繰り返す事によって特殊性が失われ、浅くなってしまう。やはり精神的な繋がり、つまり愛情があってこそ肉体的な快楽もより深く広くなるのである。

 そこで本作であるが、もちろん主人公とヒロインの間に性交渉的な事は行われない(ヒロインは小学生である)。しかし駄目人間である主人公(大学受験に二度失敗、漫画家を目指して上京するもろくに漫画を描けない)に対してヒロインはなぜか優しい、いや慈愛の心で接してくれるのであり、小学生でありながらその豊満な胸を(服越しではあるが)惜しみなく主人公(=読者)に差し出し、主人公はその胸に甘えるのであった。その「豊満な胸に甘える」パターンはまさにワンパターン、マンネリなのであって、

①主人公がとにかく何か(漫画を描く、ダイエットをする、バイトをする)を頑張る

②くじけそうになるがヒロインのために頑張る(と決心する)

③しかし駄目人間なので失敗する、道半ばで終わる、予期せぬトラブルに巻き込まれる

④それでもそこまで頑張った主人公のためにヒロインは胸を開く

 が延々と続くのであるが、そのように延々と続く事で「このヒロインは主人公(=読者)がどんなにくじけても必ず主人公(=読者)の味方になる、更にその胸で主人公(=読者)を包み込んでくれる」を読者は心置きなく味わう事ができ、癒されるのであった。もちろんそのような振る舞いをするヒロインにはそれ相応の理由が必要となるが、ヒロインはまだ小学6年生であるから、「駄目人間である主人公を甘やかす事で自分もまた満足している」といういびつな共依存関係を穏やかな関係に転化した上で理由として成立させている。最もそれは長所であると同時に短所でもある。小学生であるヒロインはあくまで純粋で無垢であり、「いびつな共依存関係」的な生臭い匂いは感じられず、それが結果的に主人公(=読者)が何の躊躇もなくヒロインに甘える事ができる…につながるが、しかしその純粋無垢な愛によってその先(性交渉等の、今後の関係に圧倒的な変化を与える行動)に進む事ができないという矛盾となり、結果としてワンパターンをグルグルグルグルと回し続ける事にならざるを得ない。本来ならばその聖母のごとき愛を性交渉等の肉体的な表現に体現する事こそラブコメの本分なのだが、そこまでできないのが本作の限界であった。

 しかしいいものはいい。どこまでもグルグルグルグルと回ればよい。現実世界で常に傷ついている我々にはもっと癒しが必要なのだ。

「今日のお兄さんはいっぱい頑張ったから、赤ちゃんに戻っちゃうほどいっぱいよしよししてあげるね」

    

第5位:純情うさぎ屋酒場佐野タカシ少年画報社:YCコミックス

 とにかく窮屈な世の中になった。あらゆる事に理由が求められる世知辛い世の中になったが、もちろん万人が納得する理由など存在しない。そもそも世の中というのは不思議で不条理なものなのだ。にも関わらず全ての企業及び個人には「説明責任」が求められる時代となった。その病理は2次元のフィクションにまで及び、「なぜ最初からこのヒロインは主人公に好意を持っているのか。女性蔑視ではないか」「なぜこのヒロインはこんな主人公に惚れるのか。女性蔑視ではないのか」、等、等と問われる。しかし質問者達を納得させられる答えはない。ラブコメとはそういうものだからだ。

 更に言えば世の中には人と人の出会いというものがある。男と女が偶然によって出会い、いつの間にか惹かれ合うという事がある。即ち運命の出会いというやつで、北海道からやって来たヒロインは運命に導かれて東京の下町の小さな居酒屋で働く主人公(大学を中退して親がやっていた居酒屋を継いだ)と出会うのであり、運命、赤い糸によるお導きであるからいつの間にか相思相愛となるのであった。そしてそのヒロインは2次元のセオリーに則って「美人、巨乳、男あしらいもうまい、結構なヤキモチ焼き」であるから、これほど都合のいい話はないが、運命、見えない赤い糸に導かれて二人は相思相愛になってしまったのだから、身体を結べば結ぶほど二人の世界と絆は強固になり、そこに「昔ながらの下町」「常連だらけの小さな居酒屋」という舞台がプラスされ、より盤石且つ濃密になるのである。

 そのため本作は「地味で平凡で何の取り柄もない男(大学のレベルに頭がついていけなかったから逃げ出しただけ)」に「美人、巨乳、男あしらいもうまい、結構なヤキモチ焼き」なヒロインがやってきた、ではなく「地味で平凡で何の取り柄もない男」はこんな「美人、巨乳、男あしらいも」云々なヒロインと赤い糸で結ばれていた、という構造となり(ヒロインの祖父と主人公の祖父が知り合いだった)、濃密な性交渉(風呂場で性交渉、ウェディングドレス姿で性交渉、娼婦のような下着で性交渉、喪服姿で性交渉、他)が描かれていても淫猥さがない。代わりに「愛の時間」とでもいうべき甘美な雰囲気が発生し、しかしその甘美な時間を享受できるのは「大学のレベルに頭がついていけなかったから逃げ出しただけ」な主人公(=読者)であるから、結果的に本作は立派なラブコメとなる。正ヒロインのおかげで主人公が急にモテだすのもラブコメのセオリーに則っている。

 また本作は「懐かしい」作品でもある。昭和30年代や40年代の中間小説、或いはホームドラマ的な雰囲気が全体に漂っている。戦後昭和の日本人は「運命の出会い」を素朴に信じていたのであり、例え「地味で平凡で」云々な男に「美人、巨乳、男あしらいも」云々なヒロインをぶつけたとしても「まあそういう事もあるさ」「そういう事もあっていいじゃないか」とごく自然に受け入れていたのであり、本作の「見えない赤い糸に導かれて相思相愛になってしまった二人」の物語はその大らかだった時代を連想させよう。それは世界が羨む一億総中流の経済大国を作った日本人の良さの一つだったはずだが、今や全てが変わってしまった。世界のラブコメ王たる俺だけがこの世界を守り続けよう。

「悪ぃじゃない!遅いにもほどがあるっしょーっ!」

「だば電話ぐらいすればいいべさ!」

「なしてさっ、なして?心配するっしょ!」

「主人公のどんけ!すっぺさがり!」

 

第4位:漫画家アシスタント三郷さん(29)は婚活中さとうユーキ双葉社:ACTION COMICS

 世の中には、いや人生のある局面においては、深く考える事なく勢いだけで突き進んだ方がいい時がある。思えば俺も図書館関係者でも何でもないのに勢いだけで図書館大会に潜入した事があった。その時はずいぶんと気まずい思いをしたが、後から思えばまあやってよかった。とは言え普通の一般人(俺は一般人ではないので)が勢いでやる事の最たるものは「結婚」であろう。好いた惚れたでは長い長い人生を乗り切る事はできない。仕事が馘になったら家のローンはどうするか、親の介護は誰が面倒を見るか、墓の費用・手入れは誰がするのか、子供が不良になって学校の同級生を怪我させたらどうするか、或いは自分が認知症になったらどうするか、等、等。背に腹は変えられぬ、一人で生きていく事はできない、自分は美男美女でもなければ優れた頭脳も持っておらず強靭な肉体も持っていない、となれば目の前の女(男)と共に歩むしかあるまい、ええいやってまえ…である。

 最も90年代まではいかに適齢期の男女と言えどもそこまで露骨な打算はなかった。戦後の長い間の日本の繁栄は適齢期の男女を守り、会社も小さなムラ社会として従業員を守り、年功序列の保証された生活で妻は専業主婦として家庭の面倒を見ていればよかった。だから男も女も年頃になれば(20代中盤~後半になれば)何となく結婚できたのだが、時代は変わり安定した日本社会、小さなムラ社会は崩壊する。女は総合職キャリアウーマンとして男と対峙し、二次元の大洪水がやってきて男はエロゲーに女はボーイズラブに傾斜する。そして結婚できない、結婚したくない男女が大量に発生する。しかしこれからの長い人生を誰にも頼らずに一人で生きていく事は難しい。特に弱肉強食のグローバル経済下の日本では精神的にも肉体的にも経済的にも社会的にも一人で生きていくのは大変な事である。そのため血眼になってパートナーを探す「婚活」が当たり前の時代となったが、世の中は常に競争である。年収がいい、顔がいい、その他優秀な特徴を持つ男に群がる女達は競争に敗れ、しかし敗れた女達は立ち止まる余裕もなく次なる獲物を狙い、また敗れ、時だけが過ぎていくのである。

 というわけで前置きが大変長くなったが「婚活」に必死なヒロインは偶然と運命によって売れない漫画家主人公(33歳独身)のアシスタントとなるのであり、その漫画家とゴールインしようとアシスタントそっちのけでただ勢いのままに主人公を引っ張り回すのであったが、何せ「先生(=主人公)の「人生」のアシスタント希望です!」「徹夜で原稿、男女が深夜に2人で必死に頑張る、これはもうセックスですよ」云々の言葉が毎回湧き上がり、積極的というより獲物を狙う獣のごとき迫力がある。とは言えラブコメとは「ヒロインが主人公に一方的に好意を抱いている」ものであり、ただ打算や世間体のためにヒロインが主人公(=読者)を我が物にしようとするのであればそれはラブコメではないが、そもそも主人公は売れない漫画家であり(「33歳にしては貯金…少なくないですか」「お人好しでクソマジメ」)、どう考えてもそのような主人公と結婚したところで婚活界(?)においては負け組である。しかしヒロインはそんな事はお構いなく勢いに任せて主人公を射止めよう(?)とするのであり、主人公の周りに自分以外の女の匂いがすれば暴れまわり、主人公(=読者)は戸惑いと反発を抱えつつもヒロインの勢いに押され、実はヒロインが「もともとあの人(=主人公)の漫画のファンだった」「漫画と本人が超面白い人だった」「一緒にいて楽しいし」「ちょっぴりかっこいいので」と思っていたから「私は先生(=主人公)を選びましたよ」と急展開になって、世俗にまみれた「婚活」ストーリーはいつの間にかラブコメに変わったのであった。まさに勢いだけのジェットコースターストーリーが本作であるが、これはこれで大いに楽しめたので良しとしよう。「漫画家嫁恵美さん(30)は新婚中」も是非見たい。

    

第3位:早乙女選手、ひたかくす/水口尚樹[小学館ビッグコミックス

 もちろんラブコメは「地味で平凡で目立たない青年」或いは単純に「うだつの上がらない男」を主人公とするのだから、スポーツ全般とは相性が悪い。主人公がスポーツに励んでいて、且つラブコメとして認定された作品は以下のようにわずかしかない。

・「彼女はデリケート!」(2002・20位)

・「ガールズザウルス」(2004・12位)

・「Bite!グリーンを狙え」(2010・3位)

 面白い事に上記3つはボクシング、ボクシング、ゴルフと個人プレーのものであった。もちろんそれには理由があって、野球、サッカー、バスケといったチーム主体のスポーツだと「チーム」が主となるため主人公自体よりもチームを構成するそれぞれの人物の物語となり、その結果主人公の存在感・地位が低下するためそもそもラブコメには向かないのである。ラブコメか否か以前に主人公(=読者)の存在感や地位が低下するものなど論外である。

 というわけで本作の主人公はボクシングを選んで高校生活を送るのであるが、一般的にボクシング選手と言えば筋肉隆々でありながら引き締まった身体を備え、その闘争心を隠さず憎まれ口を叩くなどのパフォーマンスをこなし、女遊びも派手で…というオタク的、ラブコメ的人間からすれば全く別世界の人間であるが、本作の主人公は痩せ型ではあるもののチビでどこかオドオドしており、いつも鼻に絆創膏を貼っている顔がいかにも「弱っちい」感じを醸し出し親しみが持てよう(「もうボクシングやめようか思てるねん。体力もないし運動神経も全然あかんし…」)。そしてそんな主人公に「好きです、私と付き合いましょう」と告白するヒロインは「容姿端麗、学業優秀、常人離れした身体能力」の女子フェザー級王者であり、ラブコメのセオリー通り主人公に対し常に積極的でありながらも主人公の一挙手一動に戸惑う初々しさも描かれ、主人公が不安な状態にあれば主人公に寄り添い、また主人公の応援を得れば二倍三倍の力を発揮するのであった。つまり主人公(=読者)はいつの間にかヒロインの将来を生かすも殺すも自分(=主人公=読者)次第という特異な地位を確立しているのであった。

 ラブコメのヒロインは力強く、凛々しく、またエロくなければならない(とは言え本作のヒロインにエロは期待できない)。しかしその「力強く、凛々しく、エロ」は主人公(=読者)との関連性で発揮されなければならないのであって、主人公とは関係なくそのような輝きを出すのであれば主人公の存在理由はなくなり、それは主人公(=読者)がヒロインから捨てられる可能性がある事を意味する。本作で言えば片やオリンピック選手候補で片やチビで絆創膏のボクシングオタク(?)であるから主人公の地位はないに等しいが、一方でヒロインは主人公(=読者)のサポートがあるからこそ輝くのであり、その実態を作中で繰り返し強調し、それによってヒロインもまた「主人公(=読者)がいてこそ、自分は輝く事ができる」と認識した時、二人の関係は人生の共同伴走者として盤石になる。離婚率が上昇を続ける昨今において(その歴史的・社会的背景等については触れないが)、今や男(夫)は常に女(妻)のために奉仕し、且つ自分を磨かなければならず、それを女(妻)は当然としか思わない時代となった(その歴史的・社会的背景等については触れない)。本作はそんな不安な風潮を吹き飛ばす痛快な作品なのである。

「こんな時、そばについているのが彼女ですよね、でも主人公君がいるから強くなったって、証明しようと思ったらもう練習したくて…」

「うちの彼女は最高やあ~!」

    

第2位:センパイ!オフィスラブしましょ緑青黒羽ADOKAWA:DENGEKI COMICS NEXT

 ラブコメのヒロインは積極的であればあるほどよい。とは言え露出狂染みた変態であってはならないし、イケメンであれば誰でもいい・棒であれば何でもいいという色気違い女ではいけない。「ヒロイン→主人公(=読者)」の関係が前提にあり、且つ主人公(=読者)に対してだけその積極的、或いは痴女的なアタックが発揮される事を作中で読者に繰り返し説明する根気が求められる。

 また一方的に強引に好意を押し付けられるというのは「地味で平凡な主人公」、つまり周囲の目を気にしてしまう気の小さい主人公(=読者)にしてみれば大変な戸惑いとなる。そのような戸惑いを主人公(=読者)が感じている事をヒロインが十分知りつつもアタックを続けるのであれば、もはや主人公(=読者)はヒロインに対し戸惑いどころか迷惑とまで感じてしまうかもしれない。つまり最悪のケースとしてヒロインは主人公(=読者)に嫌われる可能性もあるわけだが、それでもなおヒロインが主人公(=読者)へ好意の押し売りをやめないのはそうせざるを得ないほどに主人公を愛しているからであり、それほど情熱的なヒロインは二次元のセオリーに則って「美人、巨乳、性格もいい」等のパーフェクトウーマンなのだから、「彼女いない歴イコール年齢の俺には圧倒的に経験値が足りない」な主人公は抵抗しつつも徐々にヒロインに惹かれてしまうのであり、ヒロインのやる事為す事がかなりエグくても(「もちろんセンパイといけない関係になる事ですよ」「今ここで皆さんが戻って来たら既成事実待ったなしですね」「この席は他の席から見えない位置にありますから」)、絵柄自体はかわいらしい愛らしいタッチ描かれているのでヒロインの具体的な行動によるエグみが消え、ただ「ヒロインが自分に言い寄ってきた」という印象のみが残り、ちょうどいい読後感となるのであった。

 とは言えヒロインの狙い通り思い通りになってしまっては主人公(=読者)はヒロインの思うつぼとなり、ヒロインの支配下に甘んじる危険性がある。そこでラブコメでは「ヒロインが主人公に対して誘惑その他の積極的な行動を取る」と同時に「主導権をヒロインに握らせない」事で主人公(=読者)が優位に立つという方法が取られる。もちろん優位に立つと言ってもトレンディドラマのようなあからさまな恋の駆け引きなどはないが、主人公は鼻の下を伸ばしながらも最後には踏み止まるのであり(ヒロインのドジっ子ぶりに助けられる事も多々あるが)、しかしページをめくればまたヒロインの誘惑その他の積極的な行動がやってくるのであって、読者はヒロインから湧き出る剥き出しの愛情、「地味で平凡な主人公」たる自分には一生縁がないと思われていた「美人、巨乳、性格もいい」な女からの誘惑その他を繰り返し繰り返し味わう事ができるのであった。

 また尖った部分を感じさせないマイルドな丸っこい絵によって「痴女気味な行動を取るヒロイン」でありながら「痴女」が持つエグさ、汚らしさを取り除く事にも成功しているが、もちろんこれは偶然の産物である。しかし偶然であれ何であれ優れたラブコメであれば評価してあれよあれよと2位となってしまった。それが日本ラブコメ大賞だ。

「私そんなに頭固くないですから、あ、センパイは固くていいですけど」

   

第1位:高2にタイムリープした俺が、当時好きだった先生に告白した結果ケンノジ・松元こみかん・やすゆきスクウェア・エニックス:ガンガンコミックスUP!

 言うまでもなくラブコメとは夢物語である。「地味で平凡で何の取り柄もない男」でも「美人でかわいくてスタイルも良くて文句のつけようのない女」と恋愛関係になる事ができるという夢物語であり、そのような「ありえない」設定をいかにしてもっともらしく、自然に、或いは既成事実として取り繕うかが重要であり、設定自体は突飛なものでもよい。「なぜかわからないが一目惚れした」でもいいし、「変な薬を飲まされて(或いは変な手術を受けさせられて)好きになってしまった」でもいい。「前世からの因縁でそうなってしまった」というのも可であるが、絶対やってはならないのは「主人公から告白する」である。それでは「地味で平凡で何の取り柄もない男」という前提自体が崩れてしまう。ところが本作はそこから始まり、しかし1位になった。

 話は変わるが、誰しも今の知識、度胸、行動力などを備えたままで過去に戻ってやり直したいと思った事があるはずだ(俺もある)。未熟だったあの頃、幼かったあの頃の自分の恥ずかしいふるまいを思い出し、ああすればよかったこうすればよかった、しかしあの頃の自分は未熟で幼かったからああするしかなかったのだ、とは言え今の自分、今の知識、度胸、行動力を持った自分ならばあんな間違いは犯さない、ああ、今、あの頃に戻れたら…という夢物語が叶ったのが本作であって、27歳の主人公は17歳にタイムスリップするが中身は27歳の意識のままなのであった。

 27歳の社会人としてそれなりの経験を積んできた身からすれば高校生活などおままごとの世界であり、そこにやって来る24歳の女教師ヒロインも所詮は自分より社会人経験が少ない年下でしかなく、かつて憧れ、真剣に恋していた女性が年下となって自分の目の前に現れたという千載一遇のチャンスを前に主人公は告白し(と言っても「す、好きです」と言っただけ)念願が叶うのであり、まさに夢物語である。ラブコメが絶対やってはならない「主人公から告白する」も、「27歳の自分が後悔していた(女教師ヒロインに告白できなかった)事をやり直したに過ぎない」という事で許容できよう。これこそ設定の妙、フィクションの醍醐味である。

 そのようにして主人公は年上且つ年下の女教師ヒロインを相手に「職員室でこっそり筆談、手作りの弁当をこっそり食べさせる、準備室でこっそりキスする」等のうるわしい青春時代を送るのであり、もともと子供っぽく甘え体質な女教師ヒロインは年下でありながら年上のような落ち着いた言動の主人公(=読者)を前にして更に子供っぽく甘え体質となり、主人公(=読者)は「年上の彼女に甘えられている」且つ「年下の彼女に甘えられている」という二つの体験を同時に味わい、極上の青春を味わう事ができるのであった。素晴らしい。カレーにラーメンに親子丼にアイスクリームもコーラもついたような完全フルコースのラブコメ作品であった。

「主人公君!オシャレでちょっと年上のキレイなお姉さんと、ずっとこんな事してたんでしょ!」

「え?何?」

「膝枕しながら、手作りのお弁当を食べさせられたり、毎日イチャイチャラブラブで、キスもいっぱいして…その女、おっぱい大きかったんでしょ!」

「その状態ってむしろ今なんだけど…」

日本ラブコメ大賞2020:Ⅰ

 誰がこんな時に日本ラブコメ大賞などというふざけた事をやるものか。今は非常時、百年に一度の国難の時なのだ。しかし緊急事態宣言なるものはいつの間にかなくなってしまった。次に「GOTO」云々なるものが出てきて、「感染症対策と経済対策を両立する」と言い出した。果たしてその2つを両立することなど可能なのだろうか。たぶん可能なのだろう、と楽観視したが、できはしなかった。そして多くの人が苦しみ、多くの人が死んでいった。

 こんな時にふざけた事をやるつもりはない。大体、俺はもう37歳だ。世界のラブコメ王として桂冠しているとは言え限度がある。いつまで高校生、大学生の主人公に感情移入しなければならんのだ。現れては消えていく漫画エロ漫画をかき集めて何になる。それよりは怨念が渦巻く血なまぐさい政局闘争を観察し、古臭い昭和の週刊誌に没頭し、18きっぷを使ってさびれた地方のさびれた図書館を人知れず訪問する方がよっぽど面白い。しかし10月が過ぎ11月が過ぎ、12月となればやはり世界のラブコメ王の血が騒ぎ出す。もはや宿痾の域に入ってきたか。まあよろしい、いずれは俺も君もコロナに感染するのだ。それまでに日本ラブコメ大賞ができればよい。

  

【一般部門】

・とっても優しいあまえちゃん/ちると[富士見書房:ドラゴンコミックスエイジ]

・あなたの勇者浮気してますよ/晴十ナツメグ[KADOKAWA:電撃コミックスNEXT]

・憂鬱くんとサキュバスさん/さかめがね[集英社ヤングジャンプコミックス]

・シスコン兄とブラコン妹が正直になったら/葉乃はるか[Cygames:サイコミ]

・漫画家アシスタント三郷さん(29)は婚活中/さとうユーキ[双葉社:ACTION COMICS]

・励まし嫁/スズモトコウ[富士見書房:ドラゴンコミックスエイジ]

・残念女幹部ブラックジェネラルさん/jin[富士見書房:ドラゴンコミックスエイジ]

・世界を救うために亜人朝チュンできますか?/音井れこ丸[KADOKAWA:ドラゴンコミックスエイジ]

アイドルマスター シンデレラガールズ劇場バンダイナムコエンターテイメント[KADOKAWA:DENGEKI COMICS EX]

・スポイラー甘利/浦津ゆうじ[講談社ヤンマガKC]

・ヤンキー娘になつかれて今年も受験に失敗しそうです/ジェームスほたて少年画報社:YKコミックス]

・純喫茶のプリムラさん/ほっぺげ[双葉社:ACTION COMICS]

・アダマスの魔女たち/今井ユウ[講談社ヤンマガKC]

・早乙女選手、ひたかくす/水口尚樹[小学館ビッグコミックス

・高2にタイムリープした俺が、当時好きだった先生に告白した結果/ケンノジ・松元こみかん・やすゆき[スクウェア・エニックス:ガンガンコミックスUP!]

・お嬢様とボクのかわいいお姫様/美波リン少年画報社:YKコミックス]

・センパイ!オフィスラブしましょ/緑青黒羽[KADOKAWA:DENGEKI COMICS NEXT]

・JKが家にお泊まりしてくれるイチャラブ アンソロジーコミック[一迅社:REX COMICS]

・純情うさぎ屋酒場/佐野タカシ少年画報社:YCコミックス]

    

【成年部門】

・いもうとコレクションH/さいかわゆき[ジーオーティー:GOT COMICS]

・箱庭ニ咲ク雌ノ華/肉そうきゅー。ジーオーティー:GOT COMICS]

すべてをあなたに丸和太郎[文苑堂:BAVEL COMICS]

・献身ナデシコ文雅ジーオーティー:GOT COMICS]

・日米俺嫁大戦 金髪処女ビッチVS黒髪の妹巫女/鷹羽シン[フランス書院フランス書院美少女文庫

・あやつれ!シスターズ/ポン貴花田エンジェル出版:エンジェルコミックス]

・貧乳義妹を巨乳にして嫁にしてみた/志乃武丹英スコラマガジン:富士見コミックス]

・家出ギャルに生中出ししまくって同棲性活始めました/鬼遍かっつぇ・シツジ[ジーオーティー:GOT COMICS]

・ゆけむりハーレム物語/立花オミナティーアイネットMUJIN COMICS]

・彼女のママと出会い系で…/舞六まいむティーアイネットMUJIN COMICS]

・求愛エトランゼ/ホムンクルスワニマガジン社:WANIMAGAZINE COMICS SPECIAL]

・パッフィーフレグランス/藤ます[ワニマガジン社:WANIMAGAZINE COMICS SPECIAL]f:id:tarimo:20201114104712j:plainf:id:tarimo:20201114113840j:plain

大日本帝国の民主主義/坂野潤治・田原総一朗[小学館]

大日本帝国の民主主義

大日本帝国の民主主義

 

  大日本帝国にも民主主義はあった?

 あったに決まっとるだろう。何で大日本帝国議会ができたんだ普通選挙を採用したのだ。民主主義があったからだ。昭和20年までに選挙は何回も何回も行われたのだ。

 戦前から象徴天皇制のようなものだった?

 そりゃそうだろう。天皇が戦場の最前線で戦うのか。天皇が予算案を議会に提出するのか。天皇が裁判所で裁判官をやるのか。何もやらんだろう。やるのは天皇によって任命された軍人や官僚などだ。そして天皇はいちいち命令しない。もし命令した結果失敗したらどうする。天皇は責任を取って退位するのか。そんな事になってはいかんから何も口出さないで下さいと言うのが普通だろう。

 そもそもアメリカに勝てると思った人は少なかった?

 少ないというより、誰も勝てるとは思っていない。況や精神論では勝てない。しかし既に日本は満州や中国で多大な犠牲を払っている。そこに「ハル・ノート」を突きつけられる。やむを得ず戦って、すぐに和平に持ち込みたい。しかし日本人世論は「戦え戦え」である。もしここで何も得るものがなくやめてしまえば日露戦争後の日比谷焼き討ち事件の二の舞になる。

 と、ここまでは俺の考えであり本書の坂野教授も大体俺と似たような考えであるが、さすが近代史の泰斗だけあって明治から戦前までの複雑怪奇な大日本帝国の話がまるで居酒屋での気軽な話のようにスラスラとわかりやすく話されている。そしてそのわかりやすい話に乗ってズバリズバリと聞くのが「暴走老人より暴走的」な我らが田原総一朗であるから、まあ面白いの何ので結局1時間ほどで読み終えてしまった(まあ字も大きいし注釈も多いんですが)。

  

田原 あおりながら、最悪の事態は起きないと思っている。

坂野 アメリカたるものが、まさか日本と本気で戦争なんてしないだろうと日本人は思った。せめぎ合っても、どっかで終わるだろうと。

田原 なるほど。

坂野 だって、昭和19年の末から昭和20年の初めに集団疎開に行っていた小学六年生は、受験だからと言って疎開先から全員帰ってきて、受験勉強やるんですよ。中学校受験の。もうあと何か月で広島、長崎ですよ。それなのに、みんな集団疎開から帰ってきて、受験勉強していた。今みたいに義務教育ではないんですから。東京大空襲、深川で1万人死のうと、それが自分の明日だっていう感じは誰にも。

田原 ならない。

坂野 ちょっとノーテンキな国民でしょう。

田原 戦争突入しろ、と言いながら、そんな事なんてありえないと、みんなが思ってしまう。それで、いよいよ戦争だと。戦争中もいつかは終わると。そうこうしているうちに、どんどんエスカレートしていったと。

  

坂野 だから、原敬が西園寺首相の懐刀だった時は、総選挙の年には必ず政友会が権力を取ると。で、選挙が終わったら、はい、どうぞって桂太郎に返す。

田原 政権渡すんですか、政友会は。

坂野 で、四年後になると、選挙が近いから、返せと言って。だから、選挙すれば、政友会が必ず勝つ。

田原 勝つけども、政権は取らない。

坂野 政権は取るんです、短期に。総選挙の前に。

田原 短期だけ。で、その後は官僚達に返すわけですね。

坂野 返す。それで、唯一原敬が自分が総理になった時に、三年半ぐらい持ちます。なぜかと言ったら、第一次大戦後のあの好景気の時に、鉄道も作れます、大学も作れます、何でもできる時だから、ほとんど三年半ぐらいやった。それで、原敬は任期中に暗殺されてしまうんですけど、それがなかったら四年の任期終わった後に政権を返したでしょうね。

田原 そういうものですか。つまり、権力にはこだわらない。そのかわり、権力と取引はすると。

    

田原 今、自民党をはじめとする保守の人達が「伝統」と「文化」ということを盛んに言いますね。左翼は伝統と文化を軽視しているとか、文化と伝統を日本は失ってしまったと。伝統と文化が大事だと。自民党憲法改正案にも、中曽根さんはそれを前文には書きたかった。この「伝統」と「文化」って、何を指してるんでしょう。

坂野 わからない。だって、僕が言ってきたように、徳富蘇峰も言ってきたように、鎌倉幕府の頃から日本は象徴天皇制なんだから。伝統と言っても、それは靖国神社にはない。伝統は象徴天皇制で、嫌になるほどなあなあの世界なんです。

田原 なあなあの世界。象徴天皇というのはなあなあの世界ですね。

坂野 そうです。

田原 いささかも論理的ではない。

坂野 理論的ではない。その中に、保守の人達は教育勅語を持ってきて、ここに日本の文化と伝統が書いていると。なあなあの世界だから、逆に教育勅語を作ったわけでしょう。みんな一生懸命になって。憲法には万世一系も書き込んだんです。だから、日本人に彼らが言うような伝統はないんですよ。

日本政治の決算 角栄VS小泉/早野透[講談社:講談社現代新書]

日本政治の決算 (講談社現代新書)

日本政治の決算 (講談社現代新書)

  • 作者:早野 透
  • 発売日: 2003/12/21
  • メディア: 新書
 

  2003年。「自民党をぶっ壊す」と言いながら自民党総裁となった小泉は自民党政治、日本政治、いや日本そのものを変えつつあった。軽武装経済重点主義、政・官・業の癒着、年功序列、玉虫色、もたれあい、なあなあ、等、等、戦後の日本を支えてきたそれらがいまや限界を迎えている事を日本人は薄々わかっていた。しかし世界第二位の経済大国へと押し上げたそれら「日本人らしさ」を否定する事はできない。否定できないが限界を迎えている事はわかっている。どうする。このままではジリ貧である。そこにやってきた小泉純一郎と「構造改革」という言葉に日本人は熱狂した。日本を支えてきた「構造」そのものを改革する!それは限界が来ている今の日本の「構造」を改革し、鬱屈した思いを抱える我々を爽快にしてくれる良薬となるに違いない。拍手喝采はいつまでも続く。それが世界が羨む中流社会を崩壊させ、弱肉強食の格差社会へと繋がる事にほとんどの日本人は気付かなかった。いや、本当は気付ていたのかもしれない。しかしそれはそれだ、誰かが何とかしてくれるはずだ。

 話は2003年、いや更に10年前の1993年へと巻き戻る。この年の8月に自民党55年体制が崩壊し細川内閣が成立し、12月には田中角栄が死去した。角栄脳梗塞で倒れた1985年に既に「政治的には死んで」いたが、戦後日本の繁栄の象徴である角栄の「本当の死」は細川内閣成立と合わせて時代の転換を日本人に鮮やかに印象付けた。吉田・岸・池田が築き、田中角栄によって完成された戦後日本の見事な統治システム、それは「政治とは生活だ」。国民に三度の飯を保証し、外国との間に争いを起こさず、国民の邪魔になる小石を丹念に拾い、岩を砕いて道をあける。それだけでよい。箸の上げ下ろしには口出さない。だから道路が必要なら道路を作る。公共事業が必要なら公共事業をやる。補助金が必要なら補助金を出す。狭い国土にいかに均等に政治の恩恵を与えるか、である。しかしそれらは税金である。税金による利益誘導、それはどうなんだという声があちこちから膨れ上がるが、田中は意に介さない。「利益誘導はけしからんと言うが、東京の人間は冬に越後に来て屋根の雪下ろしをやってくれるのか。雪国の人間は死ねばいいんだと?馬鹿を言うな」「借金したって日本は大丈夫さ、日本人は働き者だから日本経済は永久に発展していくさ」。

 1993年、田中角栄によって完成された日本のシステムは田中が死んだ後も受け継がれていた。しかし海の向こうで冷戦が終了する。バブルが終わり日本経済は沈む。世界第二位の経済大国となった日本と日本人の間に「政治とは生活だ」の理想は徐々に薄れ、漫然と既得権益に政、官、業がしがみつくようになっていた。このままではいけない、自民党自体に緊張感がなくなってしまった、アメリカやイギリスのように二大政党制の中で政党に緊張をもたらさなければならないと立ち上がったのは田中角栄の弟子である小沢一郎である。1993年、同じく田中角栄の弟子達である羽田孜渡部恒三奥田敬和を引き連れて自民党を飛び出した小沢に日本新党を設立した細川護熙という幸運なカードが舞い込んだ。新党さきがけなどという青臭い連中もいたがやむを得ない、自民党が永遠に権力を握り続ける五十五年体制を壊すためだ。それに対抗したのも田中角栄の弟子達、梶山静六橋本龍太郎小渕恵三、そして竹下登である。自民党を壊すという激烈な手を使うのならこちらは細川・小沢連合から社会党を引きはがすのだ。政界は百鬼夜行、本物とお調子者が入り混じって熱を帯びる。

 田中角栄が完成させた安定的な昭和式日本システムに変わる平成式日本システムのため、田中角栄の弟子達が奔走する。力尽きた村山富市に変わって首相となった橋本龍太郎小渕恵三が悪戦苦闘する中で、小沢一郎も政党を作っては壊し、野党から与党へ、与党から野党へと悪戦苦闘する。しかし日本経済は「失われた十年」のフェーズに入り、いよいよ雲行きが怪しくなってきた。まだ平成式日本システムは完成されない。それはなぜか。昭和式日本システムを生んだ自民党的なもの、そして田中角栄的なものが日本全体に跋扈しているからだ。竹下登梶山静六小渕恵三といった弟子達が鬼籍に入り、角福戦争から幾歳月、2000年には森喜朗が、そして2001年には小泉純一郎が首相となる。「自民党をぶっ壊す」、それは「田中角栄による自民党的昭和式日本システム」を壊す事である。新時代が始まった。人々は熱狂的に小泉を支持した…。

 というわけでやはり田中角栄が絡むとどうしても口調が扇情的になってしまいますのでこのへんにしておきますが、政治とは「不安に満ち、試行錯誤を繰り返し、失敗を重ねながら、しかし体の中に未来を覚える」ものであり、「血が燃え血が逆流するようなドラマ」なのだ。だから政治は面白い。生涯興味が尽きる事はありません。