少女探偵は帝都を駆ける/芦辺拓[講談社:講談社ノベルス]

少女探偵は帝都を駆ける (講談社ノベルス)

少女探偵は帝都を駆ける (講談社ノベルス)

 

 1936年の大阪の人々は現代文化を謳歌していた。ジャズに映画にラジオに地下鉄に漫才、連載小説がひしめく娯楽雑誌、芸能スキャンダルの載る新聞、朝に妻と喧嘩したサラリーマンの夫が出勤途中に電報で詫びのメッセージを送る、という84年後のメール文化と変わらぬ生活水準の中で起こるのは謎と怪奇の殺人事件である。帝都・東京では明智小五郎の活躍が新聞紙面を賑わしていたが、商都・大阪では16歳の女学生が事件の真相を暴くのであった。

 とは言え16歳の生娘にはパートナーが必要であり、そのパートナーとは少々頼りない新聞記者(恐らく20代後半)で、探偵小説に夢中の16歳女学生としがない新聞記者は大坂の街を駆け抜け、遭遇する事件にはエノケン一座や満州国皇帝・溥儀の来阪が関係するのだからその豪華絢爛さは昭和戦前史に格別の思い入れがある読者にはたまらない。そうとも、戦前の時代を白黒映像で見るからその時代が暗くどんよりとした風に見えるだけであって、1936年も2020年も変わらない。むしろこっちの時代の方がロマンがあって血沸き肉躍るではないか。何が携帯電話にインターネットにSNSだ、俺はこの時代にタイムスリップしたい。いや。やがて来る本当の「暗くどんよりとした時代」はお断りであるから本書を読んで我慢しよう。

 とにかくエレリイ・クヰーン、アガサ・クリスチイ、ディクスン・カァ等の「同時代作家」の翻訳書が書店にずらりと並び、日本作家では「黒死館殺人事件」「ドグラ・マグラ」等の「新刊」が出て、常日頃から探偵研究に余念がない少女探偵は事件に遭遇、或いは事件に遭遇した相棒からその事件の詳細をヒヤリングして真相に迫っていくわけだが、商都大阪の気風なのか同時期に明智探偵が帝都東京で遭遇した事件のような凄惨さや不気味さはなく実にあっけらかんとしている。大阪には「情緒」「粋」といった江戸っ子的感性よりも「ボケとツッコミ」に代表される乾いた人工的な感性が性に合っているのであり、入り組んだ複雑なトリックとは対象的に少女探偵も相棒新聞記者も大阪の街を軽快に駆け抜け、そこはロマン溢れる1936年の大阪なのだからやはりたまらない。というわけでこの時代にタイムスリップする決心がつきました。行ってきます。

   

 で、何が彼女をそんなにソワソワさせたかというと、それは一冊の分厚い新刊雑誌だった。ご存じ「新青年」の夏期増刊号「探偵小説傑作集」である。

 近頃は――と言っても、昔の事は知る由もないのだが、すっかりモダンボーイのための教科書となった「新青年」が、年に二度ばかりの増刊号ではここぞとばかり探偵小説、それも翻訳物を満載するのがならわしとなっていた。

 今回の呼び物はS・A・ステーマンなる聞いた事もない作家の三百枚読み切り長編「模型人形殺人事件」――惹句によれば、「密室内の殺人は描き尽くされて余すところがない。これに代わる謎の殺人は何か? 本編は堂々この質問に答えた。曰く、「殺害の際傍らに犯人のいない殺人!」」だそうで、これで興味を引かれるなという方が無理だろう。

 加えて、今号にはこの間「ぷろふいる」で初めて短編に接して以来、気になっているアメリカの新進作家、エラリー・クヰーンの作品が「首吊り曲芸師」「幽霊館殺人事件」「髯を生やした女」と一挙に三本も訳載されているではないか。他にドロシー・L・セーヤースというこれも未知の女流の短編が三本立て、それにマッカリーの地下鉄サム・シリーズ等、掌編も含めれば五十本もの小説が楽しめる。

 これで買わなければ探偵小説ファンの名折れみたいなものだが、あいにく値段がちと高い。「キング」「講談倶楽部」や「講談雑誌」に比べれば二倍から三倍もするし、もともと割高な「新青年」の通常号に更に上積みされている。