「反」読書法/山内昌之[講談社:講談社現代新書]

「反」読書法 (講談社現代新書)

「反」読書法 (講談社現代新書)

 昔は作家や学者の「読書法」「読書日記」等を読む事を意識的に避けていた。生意気なことに、若い頃(特に20代)は「俺独自の読書法を確立し、俺は俺なりの『読書と人生』を歩まなければならない」と息巻いていたので、彼らの「読書法」や「読書習慣、読書生活」を読む事で彼らの考えが俺に影響を与える事を恐れていた。
 ではそんな俺が他人の「読書法」から逃げ回った結果確立した「読書法」は何かと言うと「ラブコメや政治に限らず、読んでみたいと思った本は何でも読む」という教科書的というか当たり前というかひねりも何もないものとなったが、この読書法のおかげで俺は死ぬまで退屈しない人生を保証されたのだから良しとしよう。本を読む事で俺は他人の人生や思想を体験し、遠く離れた土地や異国の地を訪れ、空想と妄想の世界で戯れる事ができるのだ、ブックオフで108円を出すだけでそんな事ができるのだから生きるというのはそんなに悪い事ではない。
 そのようにして「読書法」を我が物にして自信ができた頃から他人の「読書法」や「読書と生活」を知りたくなってきた。俺が俺のちっぽけな人生の中でそれなりの歳月と苦労をかけて「読書法」を作り上げたように他の人にもそれなりの苦労があったはずであるから、それを知りたいではないか。また「読書日記」というやつも面白い。人が何の本を読んでいるかというかなりプライベートな事がわかるし(電車で本を読んでいる人が皆ブックカバーをつけているのはそういう事である)、本を紹介する際に挿入される何気ない生活の断片(出張に行った、職場で意外な人から意外な本を紹介された、仕事が忙しかった、体調を崩したので本を読んだ、海外の出張先で本を読んだ、連休でゆっくり本が読めた、贔屓にしていた小説家が死んだ、等)が他人のプライベートを覗き見しているようでほのかな罪悪感がある。というわけで本書に書かれている「反」読書法で、俺が共感できたものを紹介して、ついでに俺独自の読書法も一部紹介して(無料で全部紹介するわけにはいきませんからなあ)、さっさと本を読もう事にしよう。
<「反」読書法>
・他人がどういう本を読んでいるかを全く気にしない。
・自分が気に入った本を楽しく読む。
・自分にとってどうしても興味が持てない本、読む必然性が感じられない本を無理して読む必要はない。
・あれこれの大家や権威がこれこれの本を読むべきだとか、学生時分にはこの本を読まなくてはならない、といった啓蒙主義じみた読書法ほど、あてにならないものはない。
・一冊だけでなく、二、三冊を同時並行的に読む。ただし、本の性格によって、通勤途中、自宅、勤務先などに振り分けて読む。
・難解な本については、自分が理解できる箇所を突破口に全体に迫ればよい。
・この作家の書いたものなら、すぐ本屋に飛んで行って買いたくなるという風にある作家に惚れ込む。そうすれば、限られた時間と書籍購入の予算を有効的に使える。
・読書はすべからく楽しむべし
<読書法(俺)>
・本を買った時は、買った日時と店、値段をメモする(そのため、レシートは重要。必ずもらう)。
・旅行先や出張先では必ず本を買うべし。時間がなければコンビニか駅のキオスクで買えばよい。必ず記憶に残る。
・本は読み終えた順に「読書備忘録」に書き残して行く。単なる「備忘録」でよい。感想を無理して書く必要はない。なお、単純に読み終えた順に書いていく。歴史の本→エロ漫画→ミステリー小説→ラブコメ→昔の週刊誌→政治評論→、という具合に。
・体調を崩した時にはこの本を読む、と決めておく。体調が悪い時は必ず読む、体調が悪くない時は絶対に読まない。体調が悪くてもその本を読んでいると何となく安心できる。
・自分が本当に好きな本は、2〜3年に1回の周期で、繰り返し読む。「2〜3年に1回」だと「繰り返し読むに値しない」のなら、その本は「本当に好きな本」とは言えない。
・自分独自のジャンル分けや限定条件を作って楽しむ。「ラブコメ」「政局」「SF(国内のみ)」「ミステリー(海外のみ)」等。