巨船ベラス・レトラス/筒井康隆[文藝春秋]

 文学などというものはこの平成の世の中にはもうない。なぜなら今や人々は文学に真剣に向き合おうとはしなくなったからで、情報はインターネットで無料で入手し、難しい用語や現象もインターネットで「素人にもわかる解説」によって解決し、不安や戸惑いすらも「Yahoo知恵袋」等のインターネットによって解決でき、安く手に入るようになった車に乗って商業施設へ繰り出し、「女子会」「婚活」の名の下に性欲を発散する事が社会的に公認され、アニメ漫画ゲームが飽和状態の更に上を行く飽和状態となった社会において、そしてこれが一番重要な事だが「権威」「エリート」がマスコミや一般市民(2ちゃんねる、SNSに誹謗中傷を書き込む人を想像せよ)の格好の餌食となり誰もが偉くなりたがらず「庶民的」である事を事実上強制されるようになった社会において、「文学」は消滅した今、存在しているのは「文字で書かれた読み物」であって、それは人々の趣味の一つとして、「ゲームをする」「ゴルフをする」「株取引をする」「美味しいものを食べる」と同じ選択群の一つとして「本を読む」事が存在するのみである。そのような現在において、それでも新聞・週刊誌・書籍・本屋・図書館・印刷所・マスコミ・広告の世界に生きる人、「文学」に愛憎半ばする感情を抱える人、「本を読む」事を趣味とする人はどうすればいいかというとわからない。何と。わからないのだ。その昔「文学は人生の地理歴史を教えてくれる」と教えてくれたではないか。文学がなければどうやって地理歴史を調べればいいのだ。いや違う違う、「文学は人生の地理歴史を教えてくれなかった」事にやっと我々は気付いたのだ。高度で難解な文学作品を目指してきて「売れなくてもいい作品」「資本主義的な多産性を求めてはいけない作品」「真にそれを求めている少数読者のための作品」を良しとする風潮が続いて、あげくの果てには「誰が読んでも何がなんだかわからないと思えるからこそ興奮する」「批評家にもどう批評していいかどう評価していいかわからないのが素晴らしい」と吠える輩まで出てきたからこうなったのか。いや待て。そうは言っても地方には「立身出世を求め、名声欲に駆られ、有名作家への呪詛を吐き、自分を認めようとしない文壇や今の文壇の風潮を良しとして人気作家をもてはやす世間一般社会普通の読書大衆乃至マスコミに気も狂わんばかりの怒りを抱える」作家志望者がわんさかいるではないか。それで講演のさなかに野次を飛ばしたり楽屋にやってきて議論を吹っかけたりした後であの作家をやりこめてやったと言って仲間うちで自慢したりする、プロを憎む事が自分達の文学の表現だと思っている、こういう連中の恐るべき憎悪を受け流しつつパソコンとインターネットとアイフォンとSNSの時代であるから著作権というものを知らなかったり著作権法違反ではないと勝手に甘く考えて平気で著作権侵害をやる連中にも対処しなければならんのだ。何という世の中だ。とは言え文学がなくなったと言っても「本を読む」行為をする人は徐々に確実に減っていくとしても一定数は残るだろうから、その人達とその人達を飯の種にする業界は今後も残るであろう、とすればやるべき事はその一定数をがっちりと掴んだ上で徐々に「本を読む」人口を増やす事だ。
 とここまで書いて俺の不細工な文章にもう我慢できなくなったのか作中人物達が突如としてやって来て話し始める。「現代文学を書いている若い連中は古典と言わず大衆小説と言わず、そもそも本当に面白い小説を山ほど読んではこなかった連中だ。つまり現代は、私みたいに学校の勉強をほとんどせずに小説ばかり読んできて落第すれすれの成績でありながら何とか大学を出られたなどという時代ではないのだ。たまにはテレビを見たりしながら落ちこぼれないために勉強をし続け、塾への行き帰りに漫画を読むのがせいぜいだった連中が大学で文学理論だけ学んで小説を書こうとしても無理な話だし、大体この連中が学業をおろそかにしてまで夢中になれるほど面白い小説は既に僅かになっていた」「編集者である我々がずいぶん遠慮しながらここをこうしてはどうだろう、ここの部分を書きなおせばずいぶんよくなる筈だからと注文しても彼らは腹を立て、書き直す事もなく、腹立ちまぎれもあるのか直ちにそれを他者のノベルスに持ち込んで出版させてしまったもんだ。彼らにしてみれば一ヶ月に一冊とか二冊とかを書き飛ばしていかぬ限り生活していけないからのんびり書き直している余裕などないしそんな根気もなく、大体努力する気もない。どんな書き飛ばしをやるかというとそれはもうひどいもので時にはほとんどのページの下半分が真っ白という事もあった。枚数を稼ぐために会話ばかりでつないでいくんだね。状況説明も環境描写も全部会話でやってしまう。そんな具合にして早く書かないと生活費が稼げない。何しろ人気作家のものを除いては数千部しか売れないので印税収入は一冊につき数十万にしかならないからね。ろくな作品ではないからあまり売れないし、読んだ読者はあまりの面白くなさ無内容ぶりに驚き呆れて二度と買おうとはせず、ますます部数は低下し、そのため作家達はますます書き飛ばしの量産を強いられる事になるという悪循環に陥っていった。また昔はある社がホラー大賞というものを作って沢山のホラー作家を登場させた。何しろ『ホラーおたく』と言われている連中は映画や漫画でホラーを山ほど見てきた連中であって小説修行こそしていないものの凄いアイデアの一つや二つは必ず持っていたから最初は簡単に受賞できてもあとが続かない。あの連中は一体どこへ行ってしまったんだろう。百人以上はいた筈だがね。不思議でならない」「本当は少女漫画にしたいんだけど、絵が描けないから仕方なく小説にした、というのが最近は多いよ。若い女の子が書いている作品だけどね。恋愛感情や海外体験や家庭問題や、みんな生活感が出ているし日常の細々した描写や感受性は大したもんだと思う。だけど読書等の勉強はしていないし世の中の事を知らないし、新聞もあまり読んでいないんじゃないかなあ。拡がりがない。男女いずれもせいぜい同世代の小説を読んで、それも特に新人賞を受賞した作品を読んでそれらをお手本にして、純文学偏差値的にお勉強したみたいな作品ばかりだ」。作中人物達がそれぞれ淀みなく話し続けている舞台にまた突如としてやってきたのは何と直廾賞落選のため作家四人を殺した別の作品の作中人物である。しかしその作家四人を殺した別の作品の作中人物は淀みなく話し続けている彼らではなく俺に話しかけてきた。「殺される奴がいないじゃないか」。