知事の仕事 一票が地域と政治を変える/樺嶋秀吉[朝日新聞社:朝日選書]

知事の仕事―一票が地域と政治を変える (朝日選書)

知事の仕事―一票が地域と政治を変える (朝日選書)

 内閣総理大臣になるには国会議員になる必要があり、更にその国会議員から選ばれなければならないが、都道府県知事にそのようなまどろっこしいプロセスはない。そのため知事の制度は「疑似大統領制」とも言われるが、実はアメリカの大統領より強い権限を持っていることはあまり知られていない。立法権を持たないアメリカ大統領は議会に予算案を提出することはできないが、日本の知事は自ら予算を組み、それを議会に提出し成立させることができるのであり、大きな県であれば小国の国家予算に匹敵する金を行使していることになる。しかもその影響力は県全域に渡るのであり、日本の知事は名実共に「大統領」なのである。
 しかしそのような巨大な権限を持つ知事の存在感はそれほどでもない。なぜなら日本は中央集権国家で、中央からいかに地方交付金補助金を引き出すかが地方知事に問われていたのであり、地方政治は常に中央政治の一歩後ろに位置していたからである。「社会資本の整備」や「中央と地方の均衡のある発展」のためには一にも二にも金が必要だが、地方が徴収する税金などたかが知れているから国から1円でも多く金を引き出さねばならず、そのため自治省をはじめとする官僚が立候補して知事になることが最も都合が良かったのである。中央省庁と人脈を持つ官僚出身の知事によって地方交付金補助金は潤沢に県へ降りてきて、社会資本の整備は進み、ハコモノのための公共工事も増えていったが、やがて一通りのインフラが整い、バブルがはじけて不景気の波が押し寄せると国は金を出せなくなって「もう国は金を出せない、だから口も出さないから、地方は地方でやってくれ」となった。さてそうなった今、知事はどうすべきか、今までは国から金をもらう代わりに国から言われた事を忠実に従っていれば良かったがこれからはそうではない、地方は地方で自立してやっていくしかない…というのが本書発行時(2001年6月)の状況であったわけだが、それから15年が経ってどう変わったかと言えばこの当時はまだ例外扱いだった「非官僚系の知事」が一般的になったぐらいで、地方が国から自立し国とは違った優れた行政サービスを提供するようになったかと言えばそうではない。もちろんそれはそのように改革できなかった国と政治家に第一に責任があるのだが、地方側にも「地方を政治・行政の主役に」することができなかった(努力しても結果に繋がらなかった)という点では責任がないという事にはならない。
 まあそのあたりは「政局好色」で論じるとして本書であるが、「知事の仕事はどういうもので今までどのような人が知事となってきたか」「知事制度の何が問題なのか」を具体的な事例をもとに、問題点を一つ一つ浮かび上がらせているので非常に丁寧且つ読み易かった。知事の仕事とは県民生活を充実させることであるから、朝は新聞の地方記事を精読することから始まり、外交・国防などに興味はない。県民が何を望んでいるか、県内で何が起こったかを考えながら日々職務を遂行するのが知事なのである。しかしながら一方で知事職は多くの許認可権を持つ権力の座でもあり、その力を利用しようと取り巻きが生まれ、周囲にイエスマンが増えていく。そうして再選、三選と在任期間が長くなればなるほどワンマン化し、やがて県民と知事の間には埋めがたい溝が大きくなっていく。知事制度が実質的に大統領制だからと言っていい制度とも言えないのである。
 また地方が国から自立するためには地方税源の確保や安定的な地方税収の確立が必要であるが、そのためには現在の日本の税務体系(国税地方税のバランス等)を変えなければならず、中央省庁の官僚が自分達の懐に入る国税を減らして地方税を増やすことなどするわけがないから知事や県庁職員達は何とかして金を捻出しようと知恵を絞るが、そうすると国や既得権益の勢力と敵対する場面も出てくる。東京都知事だった石原慎太郎が打ち出した外形標準課税や、税ではないが田中康夫長野県知事の「脱ダム宣言」などはその最たるもので、そうでもしないと地方が生きていけないすごい時代となったのであるが、そのような「改革派知事」がいる一方で旧態依然な「国に頼る」知事がまだ大勢いるのが現実である。何せ47人も知事がいて、東京や大阪のように政党の支援を一切受けず無党派で当選する知事もいれば与野党相乗りで県議会や圧力団体に借りを作って当選する知事もいるからそうなるのも仕方ないが、だからこそ県間の比較も容易となる。
 いくら中央官僚の抵抗がいかに強くても「中央から地方の時代へ」の流れはもはや止めようがないのであり、「国はタンカーのように巨大で、方向転換しようとしても5キロぐらいは真っすぐ行ってしまうが、県はモーターボートのようにそのまま回ることができる」のであって、今までは中央政治の「政局」ばかりを追っていた俺もいよいよ地方政治の「政局」に手を出そうかと思っている次第である。だから早く「政局好色」を復活させないとね。そうですね。
 なお本書のメインテーマである「知事の仕事」とはあまり関係がないが、「原発マネーと地方の関係」について、簡潔且つわかりやすく解説箇所があったので抜粋する。
 
 原発を含めた発電所の誘致を求める国内の自治体は少なくない。発電所の立地に伴って電源開発交付金という名前の巨額マネーと固定資産税が地元自治体の懐に入るからだ。電力会社が発電所の立地を計画する地点はどこも財政力指数の低い、つまり自主財源が乏しく、国からの地方交付税補助金でようやく予算を組んでいる自治体ばかりだ。つまりそういう自治体では、発電所という、周辺住民の安全を脅かし、環境を汚染する恐れのある迷惑施設を受け入れる見返りに、電力マネーで地域の振興を行おうとしているのである。
 
 こうして原発のある自治体とその周辺には、国の金がどんどん注ぎ込まれていく。そのため、地元自治体の予算規模は膨れ上がり、年を経て交付金や固定資産税が少なくなってくると禁断症状を起こして、二号機、三号機と増設を期待するようになる。自治体財政において、電力施設が麻薬に例えられるのはこのためである。