神戸ミステリー傑作選/陳舜臣他[河出書房新社:河出文庫]

 大体兵庫県というのは県民意識が極めて低い県なのだ。俺は兵庫県南西部のいわゆる播磨(播州)の人間であり、尼崎や芦屋や宝塚や伊丹や赤穂や淡路や丹波篠山にはほとんど親しみがない。これは歴史的に今の兵庫県が周囲にある藩をとりあえずごちゃ混ぜにして一つの県として一緒にしてしまったことによるものらしいが、そうは言っても同じ県であることは事実なのだから尼崎や芦屋や宝塚や伊丹や赤穂や淡路や丹波篠山とも仲良くやりましょうとなるのだが、神戸に対してだけは嫌悪感というか嫉妬というかうまく言えないがそういう感情が渦巻いて仲良くする気が起きない。これは神戸以外の地域に住んでいる兵庫県民全般に言えることではないかな。
 とは言え三宮は別であって、あそこは確かに神戸ではあるが商業地域であるから当然外からの人間を暖かく迎え入れてくれる。問題は本当の「神戸」、瀬戸内海に面した港町・神戸であって、戦前にはかなりの規模の外国人居留地があり国際貿易港として栄えていたこの街は日本人離れした洗練さを滲み出させており、粗暴で野卑な播州人でなくとも何となく近寄り難いものがある。それがまたミステリーやハードボイルドの世界に実に合うから、神戸以外の兵庫県民はますます複雑な感情を抱くことになる。
 「洗練」とは高尚、上品ということであろうが、もちろん神ならぬ人の世の常として様々な人間模様が神戸に住む人々の間にも展開される。港町であるから密入国があり、或いは世間離れした良家のお嬢様に若者たちが下心を抱いて集まり、外人たちが自然に集まって本格的なジャズを演奏し、田舎のドロドロとした人間関係とは違った乾いた憎悪が発生する。しかしそのきな臭いトラブルが神戸という街によって異国情緒をまとい、日本であって日本でないような浮遊感を生み出す。収録されている各短編は本格ミステリー、苦いハードボイルド、幻想的なSF等様々であるが、どれも読み終えた時にはまずこの浮遊感があった。なるほど「浮遊感」が似合う街など神戸の他にどこがあるのだろうか。
 生まれてから22年間住んでいた兵庫県南西部を離れ東京に住んで丸10年になる俺の率直な感想としては、街というのはどこも同じようなものである。むしろ違うのはそこにいる時の人そのものであって、東京にいる時の俺と兵庫県糞田舎にいる時の俺はどこか違う。地方のブックオフを渡り歩いている時の俺は東京のブックオフにいる時の俺とも兵庫県糞田舎の古本市場にいる時の俺ともやはりどこか違う。家があって道路があって駅があって商業施設があって、どこでも同じ構造で成り立っているのが「街」であるが、そこには神戸ほどではないにしろそれぞれの長い歴史によって醸し出される「空気」が感じられる。神戸であれば「浮遊感」がその「空気」であり、事件(取るに足らない小さな事件から人が死ぬ大事件まで)が起こった時、各短編の登場人物たちは神戸のその「浮遊感」「空気」によって他の地域では決してしないような大胆な行動、或いは「神戸らしい」行動を取ることになる。その行動は小説の題材になるほどの特異で魅力的なものなのである。やはり神戸は俺からすれば腹立たしく憎らしい。
   
 北風が吹き寄せていた。人気のない突堤の上で、風見は肩をすくめていた。三角波の頂上を疾風が走り抜け、水しぶきを四散させていく。
 チャンは、突堤の先端で、トランペットを吹いていた。もの哀しい旋律。昨夜、耳にした「イースト・オブ・ミッドナイト」のソロ演奏だった。傍に立ったティナムが、呟いた。
「兄は、自分の感情をどうしても抑えきれない時に、いつもここへ来て、ペットを吹いているの」
「――」風見は、ラーク・マイルドをくわえた。風上に背を向け、躰の陰でジッポライターの火を点けた。炎がはじけるような音をたてて燃えた。
 チャンの後ろ姿は、泣いているように震えていた。反り返って、力の限りペットを吹き続けている。「イースト・オブ・ミッドナイト」の主旋律が、風に乗って、海の上を渡っていった。
 
 この時、はじめて彼は、自分が歴史と伝説に満ちた地にいるのだということを、実感した。ミカの言うように、至るところに精霊のようなものが住みつき、昔から今まで生き続けている――ということが、或いは本当かもしれない。充分にあり得ることかもしれない、と、そんな気分にさえなったのであった。