- 作者: 氷室冴子
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 1999/06/01
- メディア: 文庫
- 購入: 4人 クリック: 90回
- この商品を含むブログ (47件) を見る
と、本書について言いたいことはそれだけだが(何だそれは)、それはそれとしていい小説であった(何を言っとるんだ何を)。まだ気分は高校生なままの田舎育ちの主人公が華やかな都会で渦巻く濃密な人間関係(不倫や親の再婚相手の妊娠)に関わり合いを持たされ、成す術もなく茫然と立ちつくし、「悪人は一人もいないのに、何かがこじれてしまって、もうどうにもならない」という大人の世界を肌で感じ、何か行動を起こそうとしてもどう起こしていいかわからず、もがこうとしてももがき方すらわからないというじれったさが強くもなく弱くもなく淡々と描かれ、読者としてはああ俺がこの状況にあっても主人公と同じようにただ立ちつくすだけだろうなあと自然と受け入れることができよう。そしてそのように受け入れることができるのは主人公による一人称モノローグが絶妙だからで、その語りは東京という都会が持つ華やかさと気だるさを表現し、きれいごとではない大人の「苦さ」を驚きと憧れをもって表現できている。だから受け入れる事ができるのである。
繰り返すが、「海がきこえる」とは「懐かしい優しい物語」である。そして優しさとは、ヒロインの言うようにアイである。この物語に関係する人たち(登場人物、作者、読者)には、アイがあるのだ。
どこかの店から流れてくる「ホワイトクリスマス」は耳に優しく、とても懐かしく感じられた。
こんなにいい曲だったのかと感動するほどだった。なぜ今まで名曲だと思わなかったのだろう。
だぶん、それはこんな夜に映画を一人で立ち見で見るか、二人で見るかの違いだ。二人だから立ち見でも許せるのだ。
できあいの曲が耳に優しく聞こえるのは、僕以外の人がそばにいて、僕といることを楽しんでいるからだ。それが僕を楽しませて、耳も、目も喜ばせているのだ。だから街の色も音も全てが優しく思えてくる。この夜はそのためにあると思えてくる。
僕らは色とりどりの灯が揺れて滲む街中に、昔は海の底だった場所に、手をつないで歩きだした。