中央公論 2008年5月号[中央公論新社]

中央公論 2008年 05月号 [雑誌]

中央公論 2008年 05月号 [雑誌]

 「論壇誌」と言うからには、我々のような無知蒙昧な大衆を、主に知的な分野において主導していかなくてはならない。日本国内外における政治・経済・社会・文化において日々発生する問題を詳細且つ的確に、そしてわかりやすく分析し、今後どのように対応すればよいか、各分野における第一級の有識者がそれぞれ発表する。それが論壇誌であろう。皮肉ではない。インターネットの発達によって誰もが情報を受信・発信できるようになった現代だからこそ、素人の独り言・机上の空論・絵に描いた餅ではない、それぞれの分野のスペシャリストにまとめてもらわなければならんのである。本書では特集「アメリカの失墜、日本の低迷」「知的整理法革命」「学校の教師はダメなのか」を筆頭に、本誌発売時点の日本社会の様々な問題が書かれており、政治問題以外についてはまるで駄目な俺もそれぞれの分野の有識者(と思われるが、ほとんど知らない名前ばかりなのでそう思う事にする)の意見を拝読することにしたのである。
 まず「アメリカの失墜、日本の低迷」ではサブプライム問題で右肩下がりを続けるアメリカ経済について、2008年5月、つまりリーマン・ショック前の時点で既にアメリカ経済はおかしくなっていたと言及されている。それまでのアメリカ金融機関の繁栄が「『短期債務』で調達した資金でRMBS(複雑な金融商品)を買い、『短期債務』の抵当にはそのRMBS(もしくは派生商品)を差し出すことによって長期と短期の金利の間の『リスク・プレミアム』を稼ぎ、さらに短期債務を大々的にすることでその稼ぎを膨張させて空前の『利益』を生む」でしかなかったからで、担保となる「RMBS=複雑な金融商品サブプライムローン」が一度失墜すれば短期債務は繰り延べできなくなり、それだけで銀行は窮地に立たされることになった(「大恐慌の再来」とその後の世界/竹森俊平)。今後、世界経済は「弱いドル、弱いアメリカ」を覚悟しなければならず、過去のドル危機、例えばプラザ合意締結前のドル危機では「弱いドル」であってもドルこそが事実上の世界標準であったからドルの地位は揺るがなかったが、今はユーロというドルに並ぶ巨大な通貨があるから日本もそのあたりを見極めなければならないという識者の意見もあったが(「弱いドル、弱いアメリカ」を覚悟すべきだ/大場智満)、ギリシャ財政危機等によるユーロ通貨の揺らぎを鑑みるとそうとも思えない。まあそれは今だから言えることですが。
 続いての特集「知的整理法革命」は…まあ、参考にはできてもそれ以上は期待できないというのが正直なところです。「知的整理」などと言うのはその人の性格、特技、好み、人生経験の上に成り立つもので、他人の「知的整理の方法」などまさしく参考でしかないだろう。しかしながら「思考の整理学」の外山滋比古のインタビューはさすがに面白かった(「何歳になっても思考力は鍛えられる」)。「頭の働きを活発にするには、どうしても知識を減らさなければなりません」「ある程度の年齢になったら、もうそれほど本を読まないし、人の言うことも聞かなくなる。実は、自分の考えが出てくるのは、そういうところからであって、年を取るというのは喜ぶべきことです」等々。また佐藤優が「基礎知識はいつもメンテナンスする必要がある」と言っているが、これは全く同感。俺も「政局好色」のために毎日政局の動きをチェックしているが(とは言いつつサボってますねすいません)、そのせいで大きな流れを見過ごすことが多々あるので高校の日本史の教科書で明治以降の歴史を定期的におさらいするようにしている。
 最後の「学校の教師はダメなのか」が特集の中で一番面白かった。昨今の教育政策はマスコミによる「駄目な教師」バッシングに阿るように「駄目な教師の排除」にばかり目が向けられ、その議論ばかりが報道されるものだから教師への風当たりは厳しくなり、それに乗じて財政当局は財布の紐をきつくすることで条件整備の不足→教員の多忙化→教育改革への期待外れの結果→国民の信頼・支持不足という負のサイクルが続いているという。また教員志願者の減少に歯止めがかからず、教員志願者の出身大学データによれば難関大学出身の教師が減り続け、教える側の「質」の低下も今後は懸念され(教師への厳しいまなざしは教育を改善できるか/苅谷剛彦)、「学級崩壊」どころか、「学校制度崩壊」が起きているのである。また疲弊しきった学校制度の中で教師がモンスター化しているという教科書会社社員たちの匿名座談会を読むと暗澹とさせられる。教科書会社にとって教師は「お客様」であり、教師にとって子供とその親は「お客様」である…という構図を解体・改革して「対等に話すことが必要」なのであろうが、有効な手立てもなさそうだというのが正直な感想。
 以上が特集の内容であるが、それ以外にも興味深い問題提起・発見があるものばかりで読んでいて退屈しなかった。少子化によって高齢出産がもてはやされているが生物学的に現代の女性の高齢出産が容易になったわけではなく、100メートルを走るのに20歳と40歳では明らかに能力が違うように子宮や卵巣の能力も高齢になるに従って落ちていくのに、それを言うこと自体がタブーになっているという現在の風潮に警鐘を鳴らしたもの(ひた隠しにされる高齢出産の危険性/河合香織)や、戦前〜昭和30年代まで日本政府が南米・カリブ海地域への移民政策を推し進めていたのは地方の貧農や失業者などの貧民層が「思想の赤化」を引き起こす前に、適当な助成制度によって国外に出してしまえばいいという極端な政策であったという告発(南米に渡った日本人移民は「棄民」だったのか/遠藤十亜希)等々、やはりこういう、一つの本の中に様々な問題提起が詰まった論壇誌を読むのはいい刺激になるなあとの思いを強くしたが、政府系の広告が結構目に付いたのも付け加えておこう。国土交通省の官僚が「高速道路や新幹線は人間の身体に例えると動脈だ」と言って読売新聞の特別編集委員が「そうだ、そうだ」と言ったり、外務省が「地球温暖化に向けて、外務省は一丸となって取り組む」とアピールしたり、財団法人港湾空間高度化環境研究センター、社団法人日本港湾協会による「特別企画」が載せられていたが、論壇誌というのは時の政府や権威に真っ向から反対する使命があるのだからあまり政府系機関からの広告収入を当てにしない方がいいのではないか。まあこういうご時世だから色々あるんでしょうが…。