あの手この手の犯罪 アメリカ探偵作家クラブ傑作選(1)[早川書房:ハヤカワ・ミステリ文庫]

 政治とラブコメを第一とする俺だが時々ミステリーが読みたくなる。で、なぜかはわからんが何となく海外物の方が読みやすい。国内物の場合は当たり前だが日本人が次々と殺されるわけで、一種の陰鬱な、非常に悲惨なものとして読んでしまい、にもかかわらず警察でも探偵でもない素人が推理ごっこをするのを見せられると苛々してしまうが、アメリカ人が殺されても悲愴感はないし、作中のアメリカ人も特に何の感傷もないように見受けられる。また素人が推理ごっこをしてもアメリカ人なら仕方ないかなあという程度で済んでしまう。それどころか「おいおい、これはフィクションなんだぜ。何人殺そうと知ったことか」というアメリカ人作者の声が聞こえる。
 本書は460頁に25の短編が収録されて一つ一つの短編は10〜30頁ほどであり、それらは本格ものであったりSFであったりハードボイルドであったり粋なアメリカンジョークであったり身も凍るホラーであったりするが、実に洗練されてとにかく飽きさせることがなかった。まあ由緒あるアメリカ探偵作家クラブ会員の作品たちを並ばせているのだから当然と言えば当然だが、それにしてもいちいち感心させられながら読んでいると「一体何回言わせれば気が済むんだ。ここにあるのは上等なビール、ウィスキー、ワインばかりだ。最も君にはわからんだろうがね」と言われたような気がした。腹が立つが事実なのだからしょうがない。
 それぞれの短編において発生する事件は性質も趣向も違うが(そもそも「事件」が殺人事件とは限らない)、どの短編も何らかの「事件」が起こった時の登場人物たちの驚愕と狼狽、非日常な状況に陥った時のめまぐるしい変化の瞬間を生々しく伝えている。それが哀愁を帯びていたり憎しみに燃え上がっていたり極めてクールであったりするので読み手は考える暇もなくただ事件を追うのが精一杯である。「最後の一壜/スタンリイ・エリン」の緊張が最高潮に達した時のあの行為には腰が抜けそうになったし、「ジョン・ディクスン・カーを読んだ男/ウィリアム・ブルテン」の最後のオチは声を出して笑えばいいのか一種の教訓として読んだ方がいいのかしばし悩んだ。「不肖の息子/ケイ・ノルティ・スミス」は本書中一番面白かった短編で、これぞまさしく完全犯罪。この複雑にして単純な動機だからこそ犯人は犯人となり得ないのだ(読めばその意味がわかります)。「熱はでないが/ジョン・F・スーター」はミステリーと言うよりサスペンスだろうが、読み終わってしばらくすると怖くなってきます。続く「女の問題/フローレンス・V・メイベリ」と合わせて、結果的に殺人を犯すことになる女たちの描写は恐ろしいながらもどこか愛くるしくもある(俺が「愛くるしい」なんて言うんだぞ。アメリカってのはすごいねえ)。こういう描写は日本人にはなかなかできないだろう。「事実上、完全犯罪/モリス・ハーシュマン」はユーモアミステリーと言ってよいだろうが、この単純ながらも陽気に笑ってすませそうな展開は爽やかでさえある。「金メダルをかっぱらえ/ロン・グーラート」ではアメリカ人特有のスーパーマン意識が凝縮されてとにかくやたらと人を殺していくが、良心の呵責などどこ吹く風のマッチョな展開に抵抗を覚えながらもそんなに不快ではない。「動機/ローレンス・トリート」も本書中かなり印象に残った作品。ただしこの短編に関してはミステリーとしての価値やアメリカ云々というよりも主人公の陰湿で根暗な行動が陰湿で根暗な性格である俺の共感を誘ったということだろう(読めばその意味がわかります)。「速習記憶術/ヘンリイ・スレッサー」は一言で言えば「人によっては苦味が効き過ぎるアメリカンジョーク」ということで、もちろん俺は大好物だ。「九本指のジャック/アンソニイ・バウチャー」はSFともファンタジイとも言えない奇妙でコミカルで残酷な短編だが、この題名そのものがオチであった(読めばその意味がわかります)。「エイブラハム・リンカンの鍵/エラリー・クイーン」は本書唯一の本格ミステリーもの、しかも暗号ものであり、小学生の頃に子供向けの「怪人二十面相」を読んだ時のドキドキ感をたっぷりと味わうこととなった。そして最後の「マガウニーの奇蹟/マーガレット・ミラー」であるが、この短編を最後に持ってきたことが編者の確かな鑑識眼と底意地の悪さを表している。ロマンチックのようでいてそうではなく、悪いようでいて実は大変良いことのような複雑な読後感に苛まれた(読めばその意味が…もういいか)。
 というわけで相変わらず思ったことを阿呆のごとく書き連ねて終わりますが、まあ本を読むっていいね、ミステリーっていいねということでそれではまた。