週刊朝日 1972年7月28日号[朝日新聞社]


 1972年7月。日本では佐藤栄作に代わって田中角栄による新内閣が発足したが、7月11日から13日までは日本列島を豪雨が襲う。一方ベトナム戦争の泥沼に苦しむアメリカでは来たる大統領選に備えて民主党ジョージ・マグガバン上院議員を指名した。この時俺の父・24歳、母・18歳。もちろん俺はまだ生まれておらず、父母が結婚するのはそれから10年後であり俺が生まれたのは11年後である。しかし俺がいようといまいと歴史は存在し、当時のサラリーマン達は通勤の途中や家路へと向かう電車内で、或いは休日にどこかの喫茶店で本誌を読んでいたのだろう。パソコンも携帯電話もインターネットもない、電卓ではなくソロバンを使っていた時代であっても所詮は今と同じで、政治・経済・社会・文化や噂話・レジャー・ファッション・美味いもの・健康法・最近の流行・ちょっと変わった人について人々は知りたかったのだ。何ということはない。世はおしなべてこともなし。
   
民主党の大統領指名候補に無名のジョージ・マグガバン上院議員。この大番狂わせは「政治にズブの素人」である若者たちの「草の根」運動が功を奏したと言われているが、実態はそんな単純なものではなく、巧妙な選挙戦略があったのだとニューヨークタイムズ紙の指摘。2008年にオバマを選出した大統領選挙を知っている俺はなるほどと感心。
     
田中角栄が勝利した総裁選で、「中曽根派は田中派に買収された、田中派は中曽根派一人ずつに1千万円配った」という黒い噂があることについて、中曽根派33人にアンケート。もちろん議員達の回答は「そういう事実はない」「あるわけがない」「(特にコメントなし)」であった。当たり前だ。誰が「1千万円もらいました」などと答えるか。
    
・価値の多極化が進む現代(昭和47年)はリーダーシップの理想像も多極化される。今までは「P型=やり手一本やりのモーレツ課長」と「M型=ニコッと笑ってポンと肩を叩く、人情味溢れるニコポン課長」のどちらが理想か、と議論されてきたが、P機能もM機能も組織にとって必要なものであり、P機能とM機能を組み合わせたリーダーシップが求められる。もちろん理想なのは「PM型」であるが、上司の性格によって「Pm」になったり「pM」になったりしよう。最悪なのはPもMも弱い「pm型」で、ひところの(昭和47年の)ベストセラーの題名を真似ると「pm型部課長は辞表を書け」。
    
大橋巨泉と、パリで活躍している日本人画商・為永清司との対談。
為永 農協だか土地成金だか、絵に全然興味のないオッサンたちは、円は強くなったが信用できない、金の延べ棒は買いたくても買えない。じゃ、「国際通貨」のいい絵を買いましょう、というわけですよ。
巨泉 パリの商社に勤める日本人の友達は、(中略)いつもトランクに一つか二つ、壺だの何だの持って帰るんです。小遣いに不自由しませんよって言ってましたがね。
為永 そうでしょう。それが百年経ってるものなら税金はかからないし、百年経ってなくても、芸術作品なら無税なんです。
巨泉 芸術品というのは、税関ですぐわかるんですか。
為永 それなんだ。ここまではゴミだ、ここからは芸術品だ、という決め手があればいいけれども、国立西洋美術館ですら、ニセものを買わされて喜んでいる始末だから、ましてゴミと芸術品の区別を羽田や横浜の税関にさせるのは無理だな。(中略)税関で、「お持ちになっているのは?」「絵だよ」「いくらです」「1億5千万円」。ヘエーって言うわけ。これは税金かけたくても、かけられない。フリーパス。
    
・北海道・洞爺湖温泉一帯の観光PR。「景色を見るだけならグラフ雑誌で結構。都会のストレスを吹っ飛ばすような大自然の中で、ドライブやレジャーを満喫したいというのが、現代ヤングかたぎだ」。
       
・「毎週毎週おびただしい本が出版される。今年上半期(1〜6月)の単行本は8346点にのぼった」ので、ちょっと一息入れるため、書評担当者が読書界・各専門分野の話題などの座談会を実施。梅原猛の自己陶酔にシラける、「面白半分」に掲載された「四畳半襖の下張」に警察の風当たりが強い、政治学者ほど政治家を知らない人種はいない、と言いたい放題。なお上半期のベストセラーには「坂の上の雲司馬遼太郎」「二十歳の原点高野悦子」「恍惚の人有吉佐和子」「夏の闇/開高健」などの名作がズラリと並ぶ。ああ、「人間革命/池田大作」もあるがね。
      
・「サラリーマン事件簿」より。親会社は日頃から本社命令と言って、早出・残業・休日出勤の全てを堅く禁止している。作業中に起こった事故について一切責任が持てないからだ。ところが景気が上昇すると「早出をしろ、残業をやれ、休日出勤はしろ」とわめき立て、無理だと言っても「代わりの兵隊を連れてこい!」と命令し、「仕事が間に合わないなら、他の業者にやらせる」と脅迫する有様である。これが日本経済の底辺の実態である。
     
・叙情漫画「小さな恋のものがたり」に、十代の女の子を中心として小学生から三十代の主婦までが夢中。「今までの少女雑誌の主人公というと、目が大きくて、まつげの長い美少女ばかりで、癪だったけど、チッチ(主人公、高校生の女の子)の顔は省略的に書いてあるから好き。チッチは普通の女の子で、サリー(チッチのボーイフレンド)は背が高くてハンサムなんだけど、これが逆だったら絶対に駄目よね」。
    
・最近、「亀井勝一郎全集」の最終巻に書簡集を編みたい、ということで、生前亀井勝一郎と親しかった作家、評論家、編集者など四百人に、書簡借用依頼の手紙が送られた。昔は古本屋で立ち読みをしていたら、著名作家の葉書が本の間に挟まっていたなんていうのんびりした話もよく転がっていたが、近年ではそんな話もとんと聞かない。その上、近頃は文士と言えども大抵の用事は電話で済ませてしまうので、いわゆる第三の新人以後の作家の全集には、よほど変わった人以外、書簡集が入るということはなくなるだろう。
    
・現行の年金は「積み立て方式」と言って、加入者が将来の給付に見合うものをまず積み立てるという考え方である。「それではもう間に合いません。現在の老人を、今働いている者の払う金で保障するという賦課方式でいくべきなんですよ」。ただその場合は働く人の負担は増える。つまり、高福祉、高負担なのだ。