2 見方によってはラブコメ的(16→11)

第16位:彼女日和/ぽんこつわーくす竹書房:BAMBOO COMICS DOKI SELECT]

彼女日和 (バンブーコミックス DOKI SELECT)

彼女日和 (バンブーコミックス DOKI SELECT)

 短編集は評価が難しい。ラブコメの大前提は「主人公が平凡で地味で冴えない」事であるが、短編によって主人公が平凡だったり平凡でなかったり(どしゃ降りの雨の中、子犬が濡れているからといって傘を差し出し、自分はずぶ濡れ)した場合があるからで、そうすると一冊の本としての評価が「+80−60=20」となって、しかしその作品をただ「20」と評価しただけで「+80」の部分に触れないのは惜しい場合もあるので細かく見ていく事にするが、まず各短編とも総じて主人公は平凡(というより没個性的)であり消極的なので問題はないが、対応するヒロインにムラがある。消極的な主人公に対して突き放したり消極的な主人公よりも消極的で主人公が物語を引っ張らざるを得ないようにするヒロインが登場したりして、もちろんそうでないヒロインもいるが(ヒロイン2がヒロイン1に化けて主人公を誘惑、部屋着のまま新幹線に飛び乗る、等)、ラブコメとは第一にヒロインが愛情表現一般をやや過大に表現する事で消極的な主人公を引っ張り、そうでありながらも決して主人公よりも大きな存在とならないよう腐心するものなのである。
 また「都合のいい展開」に製作側の迷いがある事が感じ取れるのも本作を最下位とした理由で、そもそも「消極的な主人公を積極的なヒロインが引っ張る」という設定自体が都合のいい話なのに、その設定は提示しておきながら迷いがある事によって主人公の消極さとヒロインの積極さのリズムが合っていないのであった。そのため主人公が消極的であるべきところで積極的になり、ヒロインが積極的になるべきところで消極的となるのであって、そうなるとスピード感に欠け、まとまりに欠け、興奮度に欠ける事になる。作画力そのものは良い、というよりヒロインを愛らしく描きながらも性交渉におけるエロさも充実し、しかしエロと言っても清潔感が保たれた作画でまさに「エロでも非エロでもない」竹書房レーベルの本領が垣間見える高いクオリティ作品であるので、読後は「宝の持ち腐れ」感が強く非常に不満が残った。「都合のいい展開」になる事を製作側が恥じるという作品に時々出くわすが、そしてその気持ちもわからなくはないが、そこを乗り越えてこそラブコメ、「モテない男」である俺や諸君にとって希望と救済の物語になるのである。
 と厳しい事を言ったが、ラブコメの勘所(主人公が甘え癖のあるヒロインに振り回されながらも決して主人公の立ち位置は低下しない、等)は押さえており、またヒロイン側と主人公の愛情のやり取りも紆余曲折あるが結局はヒロイン側から表明するのでラブコメとしては問題ない。安心して読む事ができよう。「俺と結婚してくれ、お前は俺がいないとダメだ」。
      
第15位:書生 葛木信二郎の日常/倉田三ノ路[小学館:サンデーGXコミックス]
書生葛木信二郎の日常 2―黒髭荘奇譚 (サンデーGXコミックス)

書生葛木信二郎の日常 2―黒髭荘奇譚 (サンデーGXコミックス)

 毎年毎年言っている事だが大事な事なので繰り返すがラブコメとは「主人公とヒロインが愛欲の限りを尽くす」だけのものではない。好いた惚れたヤッたヤられたなどラブコメには関係ない話で、主人公に「地味で平凡で冴えない青年」を抜擢する事こそがラブコメであり、そのような「地味で平凡で一生何の事件にも巻き込まれずに平坦な人生を送るのが当たり前」な主人公がなぜか事件(街を揺るがす事件、日本を揺るがす事件、地球を揺るがす事件、宇宙を揺るがす事件、等)に巻き込まれ、地味で平凡で冴えない人間であるにも関わらず事件の鍵を握る(「鍵を握る」事さえできればよい。事件を解決するかしないか云々までは求めない)という事がラブコメの本質なのであって、しかしそのような平凡な人間を主人公にして物語を転がしていくのは難しいのでやはり主人公にも何らかの特徴を与えようという事になろう。ラブコメの原則は原則として、一般的なストーリーの方法論としては十分考えられる事であるから俺は妥協する。
 と言っても「どしゃ降りの雨の中、子犬が濡れているからといって傘を差し出し、自分はずぶ濡れ」に代表される単細胞の阿呆が主人公であれば妥協の余地はないが、本作のように「人に見えないもの(妖怪や幽霊)が見えてしまう体質」であればまあ許容範囲であろう。これで「妖怪や幽霊を退治する使命を」云々になるとそれは「平凡」の枠を離れてしまうので追加の審査があるが、ただ変なものが見えるだけで後はもっぱら周りに頼るだけ(本当にそれだけ)なのだから「事件の鍵を握る」事はあっても解決へと至る事はない。そしてこのような世界観(帝都・東京の一角に、人ならざる異形の者が集う洋館)であれば周りは妖怪幽霊の類ばかりなので常人である主人公の方が異常に見えてしまうが、それは「主人公がただの常人」だからこそ「異常」なのであり、そのように主人公の存在感が浮かび上がる事で「ただの常人、地味で平凡で冴えない」からこそ主人公は自らの立ち位置を把握できるのだという自己肯定にまで突き進む事ができよう。人がなぜ妖怪や幽霊の話を好むかと言えば自分はただの人間で妖怪や幽霊のような異常な存在ではない事を確認したいからである。
 ただし本作の長所はそこまでであって、ヒロイン(管理人で…狐女?)がいるにはいるが主人公に積極的にアプローチをかけるわけではなく恩恵(肉体的欲求の解消や経済的な援助等)を与えるわけでもなく(何となく好ましく思っている事はわかるが)、線画が非常に細く清潔感があってシャープなおかげで情念やおどろおどろしい雰囲気とは無縁であるにもかかわらず情念やおどろおどろしい雰囲気とセットである妖怪・幽霊や大正〜昭和初期時代を対象としているので読んでいてもどうも盛り上がらなかった。残念ながら作画力が不足しているか、題材を間違えているとしか言いようがない。いくら「ラブコメであれば何でもいい」とは言え、やはり「平凡で地味で冴えない主人公」を目立たせるためにはその舞台となる背景や作画力にもそれなりのクオリティが求められるのである。
      
第14位:SARASA/中山文十郎・平手将之[幻冬舎コミックス:バーズコミックス]
SARASA (1) (バーズコミックス)

SARASA (1) (バーズコミックス)

 高校生主人公と高校生活を舞台に、異世界からやってきたヒロインが主人公の日常生活に乱入してそこに同級生や家族(妹ヒロイン)やその他主人公に関係する人達が巻き込まれて上下左右にドタバタするハイテンションラブコメ…をありがたがる年齢はとうに過ぎてしまった(もう30歳だからね俺も)。大体俺が高校生の頃はそんな身も心も躍るようなラブコメはなかったのだ。いや、あるにはあったが、主人公は阿呆であった。この場合の阿呆とは「スポーツ万能(もしくは体育会系の部活動をしてそれなりに周りに認知されている)」「喧嘩っ早い」「女に軽口を叩く(女と気軽に話ができる)」「『困っている人を放っておけない』等と歯の浮くようなことを言う」「『友達(仲間)は大事だ』等と歯の浮くようなことを言う」等ということだが、とにかく高校生を主人公にするとそうなる危険性があるわけだが本作品はそうではないために日本ラブコメ大賞に認定されたのである。ボサッとしてまさに「地味で平凡で冴えない」主人公(「お兄ちゃん、お風呂に入りなさい。昨日も一昨日も風呂に入ってないじゃない」「風呂なんか入らなくても死にやせんと思うがなあ」)にドタバタハイテンションラブコメのオーソドックスである異世界ヒロインが理由もなくやってきて主人公に「子供を作るぞ(ラメラメするぞ)」と宣言、それをヒロイン2(妹)が防ぐ(「お兄ちゃんのお嫁さんは私が決めるんですからね」)という展開もまさしくオーソドックス以外の何物でもないが、ストーリーを転がすスピード感もヒロイン1とヒロイン2の主人公を「取る」「守る」の盛り上がりも良く、こういうドタバタハイテンションものだととにかく登場人物を画面いっぱいにふんだんに盛り込んで騒がしくしがちになり主人公が置いてけぼりになる危険性があるが、ちゃんと主人公を中心に据えて落ち着かせるところは落ち着かせているのでスピード感があってもゆっくりと読む事ができよう。
 しかしながら「ドタバタハイテンション」の宿命でヒロインが主人公の存在感をより高みに上げる(主人公の一挙手一投足に振り回される、主人公に依存する、等)ことはないし明確な愛情表現もないので物足りなくもあるが、本作が下位となった理由はそうではなく「世界屈指の大企業の息子」「警視総監…」云々の、物語を回収するために巨大な権力をいたずらに行使してその場を収めてしまおうという禁じ手を使ったために著しく減点となったからである。ラブコメとは「消極的な主人公に積極的なヒロインが寄ってくる」という、「都合のいい」「絵空事」のストーリーをいかに迫真的に見せるかというものであるのに、そんな「僕は大企業の息子だからパパに頼んで」や「何とか大企業の科学の粋を集めたステルススーツ」云々の「都合のいい」「絵空事」を更に追加してストーリーを解決させてどうするというのだ。そうする事によってこの作品は本当に「都合のいい」「絵空事」となり、「消極的な主人公に積極的なヒロインが寄ってくる」という事も説得力がなくなってしまうのである。ラブコメとはこの現実に生きる俺や諸君に希望を与え救いを与えるものなのであり、そのためには現実の感覚に立脚する事が必要なのである。
   
第13位:いけない二人とはじめての罰/かたせなの[日本文芸社:NICHIBUN COMICS]
いけない二人とはじめての罰(1) (ニチブンコミックス)

いけない二人とはじめての罰(1) (ニチブンコミックス)

 何度も言うように主人公が平凡である事が全てのラブコメの出発点であって、本作の場合そのあたりがよくわからんまますぐにヒロインと対抗ヒロインの戦いに移っている(更に主人公は何かの呪いでぬいぐるみになる)ので評価が難しかった。「真面目で少し怖そうに見えたけど」「話してみると優しくて恥ずかしがり屋な所がかわいくて(ヒロイン側が)一目惚れ」したのに告白したのは主人公側なのだから結局どちらが積極的でどちらが消極的だったのかわからず最初の段階で減点となったが、そこさえ乗り切ればいわゆる「バカップル」としての雰囲気を本作では味わう事ができる。そしてバカップルとしての地位が確立されたのなら場合によっては主人公が積極的に出てもいいのである。ラブコメの本質は恋愛上での課題を全てヒロイン側が解決する(もしくは解決の糸口をヒロイン側が提供して主人公が解決する)事にあり、解決がなされた後は男としての欲望解消に勤しめばいいのである。
 さて「一目惚れした」だけあってヒロイン(乳丸出し女)の積極性は申し分ないし、主人公に対する献身さや愛情も非常に深いものがある。そこへ対抗ヒロインがやってきて2人のヒロインが主人公をめぐって乳丸出しで女の戦いを繰り広げるところなど垂涎ものであった。何せヒロイン達が女の戦いを繰り広げる理由は「主人公と性交渉を持ちたい」からであって、その「主人公と性交渉を持ちたい」という欲望をストーリー上で何度も反芻し(主人公との新婚生活を想像し風呂で自慰をする、魂が抜けた身体を持って帰って身体だけでも関係を結ぼうとする、等)、細く艶やかな線で描かれ可愛いというよりも美人であることを強調したヒロイン達がただ「主人公と性交渉」云々のためだけに奮闘する姿を読者が見ることでヒロインの行動原理全てが主人公にある事を読者は認識し支配の感覚が生まれよう。主人公側が特に行動を起こさなくてもヒロイン側が積極的に動き回り、その動き回る理由がただ「主人公と○○○したいから」で、しかしその「○○○」は主人公にとって特別な事ではない(愛を表明すればいい、ただ欲望のままに抱けばいい、等)のであれば主人公は優位に立てるのである。ラブコメとは男が女より優位に立つ思想であり、それを「平凡で地味で冴えない」ままで(つまり暴力的な強制ではなくあくまでヒロイン側から自発的に、主人公及び読者が罪悪感を感じない範囲で)確立する事が求められるのである。しかし終盤になってまた「主人公君は何があっても私が守るんだから」「ありがとう、でも今度は俺に守らせて欲しいな」となってやはりどちらが積極的でどちらが消極的かわからずフェードアウトしてしまったので、まあ、この順位が妥当ですかな。これがもし最初はヒロインから告白して、最後は「私が守るんだから」「ありがとう」で終わったら5位以内には入っていたが、世の中うまく行きませんな。
  
第12位:劣等生クラブ/柳川創造[秋元書房:秋元文庫

 さてこの日本ラブコメ大賞ではここ最近「古き良き時代」(2010年4位「あした天気になアれ」、2011年6位「いらっしゃい青春」)のラブコメを入れる事にしているが、そのための情報収集と捜索活動にはいつも苦労しているのだがそれはともかく、なぜそんな事をするかと言えばラブコメとは何も平成世代、オタク世代、最近の言葉を借りれば草食世代(この言葉は好きではないが)特有のものではないということを強調したいからである。ラブコメとは名もない庶民でも主人公となりえる、場合によっては周りが必ず振り返る美人のヒロインとロマンスを繰り広げる事ができる、或いは美人なヒロインではないがそれなりにいいヒロイン(情が深い、献身的に尽くす、等)を得てそれなりに幸せになれる…ということを読者に提示する物語なのであり、そのような物語は昔から現存しその当時の「モテない男達」を鼓舞してきたのである。それがいつの間にか「スポーツ万能(もしくは体育会系の部活動をしてそれなりに周りに認知されている)」「喧嘩っ早い」「女に軽口を叩く(女と気軽に話ができる)」「『困っている人を放っておけない』等と歯の浮くようなことを言う」「『友達(仲間)は大事だ』等と歯の浮くようなことを言う」という虚飾にまみれた主人公を重宝するようになった事に昭和の堕落がある。これは簡単な話が80年代後半のバブルのせいであって、それまで「決して自己を強く主張する事はないが実利はしっかり確保する」という、見方によってはラブコメ的であった日本国が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の勝利によってただ「圧倒的な経済力で抑えつける」方向に転換した時からラブコメも変容していったのである。もちろん昭和の人間はそれらが堕落である事はわかっていたが、平成世代はそれをスタンダードと誤解してしまったのであり、それが90年代前半〜後半のラブコメ暗黒時代へと至るわけですが、そのおかげで俺のような鬼子が生まれてしまったのでまあ良しとしましょう。
 そんなわけで本作であるが1973年(おお。田中角栄内閣)のものなのでそのような暗黒時代の葛藤とは無縁であります。「劣等生クラブ」という「自由と正義を愛し、束縛とガリ勉を憎む誇り高き劣等生」達は高校生特有の稚気と純情で青春の日々を愉快に過ごしていくわけであり、そこには平成時代の陰険さも過剰なエロもなく、「平凡」である事を特に恥じる事もないまさに牧歌的な時代の雰囲気があるが、その男集団「劣等生クラブ」の紅一点のヒロインが色っぽいわけではないが非常に女らしく魅力的に描かれていた。それは平成世代の女のように平気で肌を露出させたり総合職のキャリアウーマンのように「男に負けるものか」と身構える事がない、そういう事を考える必要がない事からくる実に自然なもので、「男が外で働き、女が家を守る」事が一般的だった時代の女、男とは違う役割を果たす事が当然の存在としての「女」である事によって「女らしさ」を自然に表出しているためにそれが平成に毒された俺には非常に魅力的に映ったのである。そしてその「女らしさ」によって男顔負けの積極的な振る舞いを行う(人のデートの邪魔をする、人前でキスする事を承知する、等)かと思えば「女はね、好きな男性に対しては、自分がおしとやかで優しい女だという印象を与えたいものよ」としおらしくなって、しかし主人公が他の女と仲良くしているのを見ると嫉妬したりするのである。それらが決して不快にならないのは「男は男らしく、女は女らしく」であるから女は決して男より優位に立とう、或いは男を倒そうする事はないからで、だから主人公が地味で平凡で冴えなくても男であればそれだけでそれなりの見せ場がありそれなりのロマンスが用意されているわけである。ああ、こんな事は言いたくないが、昔は良かったなあ。
   
「ドンキーズ・クラブ(=劣等生クラブ)をやめないでくれ」
 主人公は、なるべくぶっきぼうな調子で言った。するとヒロインは、
「私だって、やめたくて脱退届を出したわけじゃないわ」
 と言った。
「じゃ…」
「でも、脱退届を撤回するには条件があるわ」
「条件?」
「ええ。難しい条件じゃないわ」
 ヒロインは、主人公の顔をじっと見つめた。
 再び主人公の心臓が、激しく鳴り出した。
    
第11位:ハルコさんの新妻レシピ/大見武士リイド社:SPコミックス]
ハルコさんの新妻レシピ (SPコミックス)

ハルコさんの新妻レシピ (SPコミックス)

 何度も言うように主人公は平凡でなければならないので本作の主人公は平凡なサラリーマンである。ところが主人公が平凡であれば主人公単体では面白い話にならないので主人公を事件に巻き込ませるか、一風変わったヒロインを出そうという事になる。本作の場合は後者であるが、見合いの席でお互い一目惚れして結婚した新妻ヒロインは無口だけど優しくてかわいくて「お見合いなんてしなくても主人公とは出会っていた、それで主人公を好きになっていたわ、主人公は私の運命の人だもの」という至れり尽くせりなヒロインだが「アダルトグッズマニアのドスケベ」だったのである。さあどうしますか。
 ラブコメにおいてはヒロインが積極的であればあるほど良い。なぜなら積極的であればヒロインがストーリーを転がす事ができるのはもちろん、消極的な主人公が積極的なヒロインの助けを借りて「消極的」の枠内で活躍する事ができるからである。しかし大事な事はストーリーの鍵を握りストーリーの主導権を握るのはあくまで主人公でなければならないという事で、主人公が振り回されっ放しでは駄目なのである。「消極的」「地味で平凡で冴えない」主人公がなぜか美人ヒロインや周囲の人々・事件を振り回す事がラブコメの原則なのであり、ヒロインが「ドスケベ」である事自体に問題はないが、その「ドスケベ」さが主人公に立脚したものではなくただ性的に奔放なだけであれば主人公はただヒロインに振り回されるだけでなく、その垣間見える淫乱さによって「ヒロイン→主人公」の愛情に主人公が疑いや不安を持ってしまう事になろう。もちろん作者側もそれはわかっているからヒロインは常に主人公に愛情を表明しているが、しかし四六時中愛を表明させるわけに行かず、一方でヒロインは四六時中淫乱で主人公の存在を忘れることはないが道具を使う事も忘れないのでやはり疑いや不安(ヒロインは自分の事を専属バイブとしか思っていないのではないか)がつきまとってしまうのである。ラブコメの主人公は対ヒロインにおいて悩んではいけないのであって、他のどんな些細な事でも悩んでいいが、対ヒロインに対して悩むという事は結局振り回されるという事になってしまうのである。やはり道具を使うという事が邪道で、それはヒロインの存在が主人公に立脚すると証明する事を根底から覆す危険性を孕んでいるのである。
 更に言えば妻を持っている主人公が他の女と関係を持つ事自体に問題はないが、それはあくまでハーレムを構築し主人公に罪悪感を抱かせない事を踏まえて関係を持つべきで、浮気によって罪悪感を抱かせるのみならず主人公とヒロインの関係にヒビを入れる事はやってはならないのである(そんな事になるなら関係を持たない方がマシだ)。という事でやたらと本作を批判してしまったがそれでも11位なのは四六時中ではないにしろヒロインは常に主人公へ愛情を表明しており最終的にはその愛情は嘘偽りのない本物である事を確認できた(「一生ヒロインさんの専属バイブとして生きていくよ」「嬉しい、こんなに嬉しいこと言われたの初めて…」)からである。専属バイブ云々はともかく、「ヒロインの存在が主人公に立脚する」事は何とか保つことができたので良しとしよう。