インテリジェンス 武器なき戦争/手嶋龍一・佐藤優[幻冬舎:幻冬舎新書]

インテリジェンス 武器なき戦争 (幻冬舎新書)

インテリジェンス 武器なき戦争 (幻冬舎新書)

 外交とは情報戦である。正確な情報を、どの国よりも素早く手に入れることができた国だけが次の一手を打つことができ、外交を有利に進めることができる。「アメリカの大統領は今、何を考え、いつ実行するつもりなのか(或いはしないのか)」「北朝鮮の金総書記は本当に韓国や日本と戦争を始めるつもりなのか」「中国はこの先もずっと反日政策を継続するつもりなのか」「軍隊はどこまで準備を進めているのか」「スパイや情報提供者を配置しているが、そのスパイや情報提供者からの情報は本当に信頼できるのか」「同盟国にはどこまで国家機密を提供すればいいのか」、等、等の全てにおいて国家の「情報力」が問われるのである。そしてこの場合の「情報」とは「インフォメーション」のことではなく「精査し、裏を取り、周到な分析を加えた情報=インテリジェンス」のことであって、それによって外交は左右され国益そのものも左右される。だから各国は世界中にインテリジェンスに秀でた人材を配置し、東京にも配置され、日々情報を収集・精査して本国へ報告しているのである。本書はその「インテリジェンス」に詳しい元外務官僚とジャーナリストが縦横無尽に対論し、インテリジェンスに疎い日本人を叱咤激励したものであった。
 外交や国益を左右するインテリジェンス・オフィサーの仕事は過酷で地味で奥深いものであって、情報を的確に迅速に、雑多な情報の中から本当に光るものを最小限のコストで政府上層部に伝えなければならない。それには何重もの層によって構成されている組織の力ではなくインテリジェンス・オフィサー個人の能力が全てとなる。とは言え「007」のような華やかなスパイの世界はもちろん存在しない。必要とされるのは大学の教員レベルの基礎的な学力や国際情勢への深い理解であり、現地人と十分にコミュニケーションできる語学力である。また広い人脈も求められ、現地で怪しまれずに情報を収集するために擬装(ジャーナリスト、大学教員、料理人、古書店の店主等、怪しまれなければ何でもいい)の訓練を受けなければならない場合もある。そのためインテリジェンス・オフィサーの教育には膨大な手間と費用がかかり、財政難にあえぐ日本政府がインテリジェンス・オフィサーを生み出すことはほぼ不可能であろう。しかし現在よりももっと貧乏でもっと敵だらけであった戦前の日本には優れたインテリジェンス・オフィサーが存在していたし、そのための人材育成機関も存在したのである(対中国情報の東亜同文書院、対露情報のハルピン学院等)。
 どうあがいたところで軍事力ではアメリカやロシアに勝てることはできない経済大国・日本こそ「武器なき戦争」に勝つための潜在的なインテリジェンス能力を秘めているはずと両氏は言う。だが日本のインテリジェンスを阻んでいるのは人材育成面ばかりではなく、それらインテリジェンス・オフィサーを統合する組織の不在である。経済大国であり知的レベルも高い我が国のインテリジェンス能力は世界各国に勝るとも劣らないが、その情報は見事なほど分散している。内閣情報調査室、外務省、警察庁防衛庁財務省公安調査庁海上保安庁経済産業省検察庁、マスコミ、商社、永田町の情報ブローカー、等、等であり、それらを束ねる能力がクリーンさを演出することしか頭にない政治家にあるかと言えばおわかりであろう。その点、鈴木宗男などはかなり優秀な外政家と言えるが、それが国民にはどう見えているかというとこれも諸君おわかりの通りである。
 インテリジェンスとは国家という巨大な体を動かす手足であり、国家運営の実務を担う官僚が極めなければならないものである。またその官僚を束ね指導する政治家にももちろん必要なもので、本書で問われているのは古くて新しい問題である「日本という国における政治エリート」の問題なのである。もっとも「ポピュリズムしか知らない政治家」と「既得権益の擁護しか頭にない官僚」と「スキャンダルばかり追い求めるマスコミ」と「クリーンさだけを問題視する国民」が蔓延する我が国ではどこまでできるか疑問ではあるが。
  
佐藤 ともあれ、各国とも盗聴技術には大差ないわけで、問題は盗聴したものをどう評価するかということです。例えば電話口で娘が「お父さんが大変なことになっちゃったの!」と言っている場合、それは「お父さんが死んだ」という意味かもしれないし、「ウォッカを飲んで大暴れして泣き出した」という意味かもしれません。それ以外にも、いくつかの可能性が考えられるでしょう。そこをどう分析するかで、各国の情報に差が出てくる。だからこそ、我々が扱う「情報」は「インフォメーション」ではなく「インテリジェンス」なんです。
   
佐藤 言葉は悪いのですが、英国は本当に色んなところで「巻き餌」をしています。例えば最近、SISがアラビア語とロシア語のホームページを立ち上げました。表向きはリクルートのためということになっていますが、情報機関が自分から「スパイにして下さい」とアクセスしてくる人間を採用するはずがありません(笑)。従って目的は別のところにある。あえて扉を開けておいて、そこに定期的にアクセスするアドレスに目を光らせているんだと思います。テロを画策するような組織にとって、SISの動向は大いに気になりますからね。
手嶋 そのホームページができた時、日本の新聞に「SISがついに公募を始めた。開かれた組織になった」という記事が載りました。「外務省のラスプーチン」による洞察に較べて、なんと表層的な、と思います。残念ながら、このあたりが日本のインテリジェンスの水準なのです。
佐藤 戦前の日本人はもう少し疑り深かったはずですし、今でもビジネスの世界で生きている日本人は疑り深い。そのセンスを、もう少しインテリジェンスの方にも応用したらいいと思うんですけどね。
  
佐藤 謀略で一番うまいやり方というのは、相手に全体像を組み立てさせることなんですね。人間は、自分で組み立てたものは可愛がるからです。ジグソーパズルを完成させた人がそれを喜んで飾るのも、そのせいでしょう。ひび割れの入っていない一枚の写真の方が絶対にきれいなはずなのに、何千ピースもあるパズルを何日もかけて組み立てると、その絵は可愛くてしょうがない。よく考えてみれば、最初に完成した絵があって、それをガチャガチャに崩したわけですから、自前でその絵を描いたわけではないんですが、組み立てた人は大きな達成感を得ることができるんです。