織田作之助 ちくま日本文学035[筑摩書房:ちくま文庫]

織田作之助 (ちくま日本文学全集)

織田作之助 (ちくま日本文学全集)

 大阪人は面白い、というわけではない。大阪人でも面白くない奴はいくらでもいるし、そもそも人と話すのが嫌いな奴もいくらでもいる。その証拠に俺は面白くないし人と話すのも嫌いである(最も俺は兵庫県人であり播州人であるが)。面白い人は大阪出身であろうが東京出身であろうが面白いというそれだけの事だ。しかしながら東京と大阪では面白いと思う感性、いわゆる「笑いのツボ」が異なるのは確かであって、わかりやすい例が落語と漫才である。落語は江戸っ子の感性、漫才は大阪的な感性で、江戸の人間は噺家の口から繰り出される世界に引き込まれてから笑うが、大阪人は「ボケとツッコミ」という物語性があまり問われない即物的な笑いを好む。「情緒」や「粋」とは違ったその乾いた感性が大阪圏以外の人間には陽気に見え、それが「大阪人は面白い」という誤解を生んだのかもしれない。
 なぜそんなことを言い出したのかというと本書を読んだからで、自分の読書量の少なさを自慢するようで大変恥ずかしいことだが織田作之助ほど「大阪」的な空気・雰囲気を全面に出しながら、それが大阪圏の人間にとって違和感のない小説はないのではないかと思ったのである。他に大阪をベースにした小説としては宮本輝の小説が思い浮かぶが、宮本輝の時代になれば「大阪」も東京と変わらぬ大都市でしかないので「登場人物たちが住んでいる場所」という以上に大阪が意識されることはない。ところがオダサクの小説の場合、舞台が大阪であろうとなかろうと、登場人物たちがいかに悲惨な目に遭おうと遭うまいと、大阪流の乾いた笑い、諦めとも悟りとも違う独特の大阪的な人間模様が展開されているのである。
 オダサクの小説に出てくる大阪は「艶めいた華やかさはなくとも、何かしみじみした大阪の情緒が薄暗く薄汚くごちゃごちゃ漂うて」いる。そして「酔漢のわめき声や女の嬌声や汚いゲロや立小便」が溢れる雑多な街の中で、金に恵まれず運に恵まれない庶民たちは日々の飯代に苦労し、女に(男に)翻弄され、親兄弟とは離れ離れになりながらも「えらいしんどいこっちゃな」と言ってとりあえず明日へと力なく歩き出すのであり、そこに大阪流の乾いた笑いがほどよくブレンドされれば読者にほのかな勇気さえ与えるのである。これこそが戦前の大阪の庶民の姿であったのだ。
 特にオダサク流の笑いと涙が存分に発揮されているのが「夫婦善哉」で、年中借金取りが出入りするというしがない天婦羅屋の娘・蝶子は持ち前の陽気な気性で芸者となり、やがて女房子供のいる柳吉という男と「逢い初めて三月でもうそんな仲に」なるが、この柳吉がうまいもんに眼がない以外はいいところは一つもなく、病気で寝ている父親に代わって商売をしていたはずが妻子ある身で芸者にうつつを抜かした事がバレて勘当され、それから蝶子・柳吉夫婦の波乱万丈な生活が始まるわけであるが、特に明るく陽気に書かれているわけではないのにどこかユーモアの香りが漂うこの夫婦はまさに「大阪の庶民の姿」であった。
 とにかく柳吉は父親に勘当されたのだから他に働き口を見つけなあかんはずが家でごろごろ、仕方なく蝶子が「ヤトナ芸者」と呼ばれる臨時に宴会や婚礼に出張する仲間に入って稼ぎはするが、ほとぼりが冷めたら父親の商売に戻れると思っていた柳吉が父の怒りが収まらず子供とも会わせてもらえないとわかると気落ちしてしょんぼり、それを見て蝶子は「『私は何も前の奥さんの後釜に座るつもりやあらへん、維康(柳吉)を一人前の男に出世させたら本望や』そう思うことは涙をそそる快感だった」と勇ましくたくましく、何でもいいから商売しようと柳吉に持ちかけ「そうやな」と気のない返事の柳吉と商売始めてこれで何とかなると思うても世の中そんなに甘くないのか柳吉のやる気がないのかすぐに商売は傾いて、その度に蝶子はヤトナ芸者に戻って柳吉を支え、自棄になった柳吉は蝶子が稼いだ少ないお金で酒を飲み女を買い、だからといって蝶子のところ以外に帰るところもなくどういう顔をしていいのかわからずに帰ってくる。「どなた?」「わいや」「わいでは分かりまへんぜ」重ねてとぼけてみせると「ここ維康や」と外の声は震えている。「維康柳吉や」もう蝶子の折檻を観念しているようだった。「維康柳吉という人はここには用のない人だす。今ごろどこぞで散財していやはりまっしゃろ」となおも苛めにかかったが、近所の体裁もあったからそのくらいにして戸を開けるなり「おばはん、せせ殺生やぜ」と顔をしかめて突っ立っている柳吉を引きずり込み、無理に二階へ押し上げると柳吉は天井へ頭をぶつけ「痛ア!」と声を上げる柳吉に痛いも糞もあるもんかと思う存分折檻せっかん…。
 この「夫婦善哉」の他にも、大阪人特有の「つかず離れず」な交流を描いた「木の都」や壮絶な病死を遂げた亡き妻の男の影にまだ嫉妬する男が恐ろしいまでの偶然と必然によって競馬に執着する「競馬」、馬鹿馬鹿し過ぎて東京人には理解されないかもしれない「ニコ狆先生」「猿飛佐助」と本書は実に多彩で数時間で読み終えてしまうが、最後の「可能性の文学」がまた静かな迫力とでも言うべきエネルギーに溢れた評論で、これを書いて1〜2ヶ月で死去したとはとても信じられない。戦前において主流であった私小説とそれに夜郎自大のごとく群がる大家の欺瞞を指摘し、新しい文学は「可能性のある文学」でなければならないという強いメッセージが、戦後の廃墟によって生まれた自由と共にいきいきと読者に伝わってこよう。「私は、志賀直哉の小説が日本の小説のオルソドックスとなり、主流となったことに、罪はあると、断言して憚らない」「彼等の文学は、ただ俳句的リアリズムの短歌的なリリシズムに支えられ、文化主義の知性に彩られて、いちはやく造形美術的完成の境地に逃げ込もうとする文学である。そして、彼等はただ老境に憧れ、年輪的な人間完成、いや、渋くさびた老枯を目標に生活し、そしてその生活の総勘定をありのままに書くことを文学だと思っているのである」「彼等は人間を描いているというかもしれないが、結局自分を描いているだけで、しかも、自分を描いても自分の可能性は描かず、身辺だけを描いているだけだ。他人を描いても、ありのまま自分が眺めた他人だけで、他人の可能性は描かない。彼等は自分の身辺以外の人間に興味がなく、そして自分の身辺以外の人間は描けない」。