金沢殺人事件/内田康夫[光文社:光文社文庫]

金沢殺人事件 (光文社文庫)

金沢殺人事件 (光文社文庫)

 「真面目な読書青年」と言われる俺は(自分で言っとるだけ)純文学を読みSFを読み政治評論を読み、もっと硬い学術本を読み、昔の雑誌を読み、それでもなお「俺のような人間が読みそうもない本」までも読むという非常に真面目で誠実で、何と言いますか非の打ち所がない青年(と言ってももうすぐ30歳になるのでもはやおっさんか)なわけですが、そんな俺でも本書のような軽い本を読むのはなかなか骨の折れることでした。いや怒らないで下さい。別に俺は本書を批判しているわけではないのでありまして、本書は1・殺人事件が起こり、2・警察関係者でもない名探偵が事件を追い、3・警察関係者でもない名探偵に警察が協力し、4・事件関係者もなぜか積極的に名探偵に協力し、5・その殺人事件の動機は社会的なものでもなく個人的な事情によるものであった、というミステリーのパターンを踏襲し且つ文章全体も風景や心理描写より会話に重点を置いてスラスラスイスイと読めるものであるから「軽い」と言ったまででありまして、しかしそのように肩の力を入れずに読めて、それでも刺激を求める読者の要求に応えるこのような小説が世の中には絶対に必要だと俺は思うのであります。
 しかしながらこの作者の小説の特徴は何と言っても随所で「警察関係者でもない素人が事件に口を出す」ことによる警察関係者の不愉快な表情が描写されていることであって、そのような事をされては世間知らずのスイーツ(笑)の阿呆女にとってはそれこそ不愉快であろうが俺のような極めて普通の常識的な社会人にとっては大いに頷けるというか痛快であった。具体的にどれぐらい痛快だったかと言うとその後の推理などどうでもよいぐらいの痛快さであったが、いや一応どうでもよくはないのでストーリーをかいつまんで説明しますと事件の被害者が死の間際に「オンナニ…ウシク…」という謎のメッセージを残し、その謎のメッセージを聞き第一発見者となった女性もまた故郷・金沢で殺され、実はその「ウシク」とは石川県で生産されている絹織物である「牛首(うしくび)紬」のことであるとわかるのだがそれと被害者・犯人・第一発見者の関係は何なのか、被害者は確かに繊維関係の商社で働いていたが当然被害者と第一発見者は何の関係もない、だが牛首紬を手がかりに事件を追ってゆくうちにもつれた糸は緩やかにほどかれ、徐々に読者は目が離せなくなってしまう…というのが本書なのでありどうでもよくはなかった。また主人公・浅見光彦の視点でストーリーは動き読者も同じように動き、浅見が試行錯誤を繰り返し思いもかけぬところから事件解決のヒントを手にして、その度に事件の実像がガラガラポンと変わっていく様子は読んでいて非常に気持ちがよかった。
 他にも作中に出てくる何の風情もない高速道路やホテルを移動する浅見の姿も非常に生々しく読者を引き込む一助となっていて、「能登半島の西側にできた能登有料道路」「千里浜インターチェンジで下り」「ソアラ(車の名前)は北陸自動車道名神高速道をひた走った。美濃加茂を経由して、飛騨高山に着いたのは、すでに夕刻近かった」という文章は本当にそこに行っている気にさせてくれよう。こういうちょっとしたことが馬鹿にならないのであって、本書は非常に完成されたミステリー…と思いきや首を傾げざるを得ないところもあって、浅見が手がかりをつかめず万策尽きたところで都合よく助け舟を与える女が出てくる…のはまだいいが、その女が都合よく推理までするところなどちと強引ではないかな。大体いきなり知らない人間がやってきて名刺を出しながら「私はルポライターやってまして、ちょっと聞きたいことが…」と言われてスラスラ答える人間ばかりでもあるまい(むしろそういう人間の方が少ないだろう)が、知らない者同士が話す時の気まずさもこの小説では随時描写されているのでまあいいか。これが海外のミステリーならば違和感ないのだろうが、国内が舞台だとやはりねえ。「刑事局長の弟なので警察関係者もしぶしぶ情報を与える」という設定は秀逸なのだがねえ。
 で、まとめると本書は肩の力を抜いて、金沢に旅にでも来たような気分で楽しく読むことができました。殺人の動機も(ネタバレ!→)「不倫の現場を目撃されて恐喝されたので殺した」というやつでして、まあ社会派ミステリーではないのだからそれぐらいがちょうどいいのかな。そんなわけで今後もこのシリーズを読み続けていくことにしよう。