遠隔操作ウィルス事件の本質

 インターネットを使って犯罪予告を行った疑いで逮捕された容疑者は皆、容疑を自供した。「就職試験に落ちて、むしゃくしゃしたのでやった」「楽しそうな小学生を見て、困らせてやろうと思ってやった」等が犯行の理由だという。ところがその後、真犯人からTBSや弁護士にメールが送られ、遠隔操作ウィルスを使って全く無関係の人間のパソコンから発信したように仕向けたことが明らかになった。日本の警察がサイバー犯罪に対して無力であり、またネット社会とサイバー犯罪がいかに恐ろしい発展を遂げているか…と報道されたが、問題の本質はそこではない。いつの時代にも最先端の科学技術は容易に犯罪に利用されてきたのであり、捜査機関がそれを完全に防ぐことはいつの時代でも不可能である。しかし科学技術と、「無実の人間が『容疑を自供した』こと」とは関係がない。
 警察は発信元のパソコンを動かぬ証拠とした後は自供させることに力を入れた。本人がいくら「やっていない」「全く覚えがない」と言っても構わず、とにかく自供させることが第一であった。それがこの事件の本質であり日本の捜査機関が抱える問題の本質である。「やってないなら否認すればいいではないか」と言われる人もいるだろうが、想像すればよい。平凡な一市民が突如として警察に捕らえられ密室に閉じ込められ、何時間も何日も身に覚えのない罪で責められ続けるのである。そして自分はもちろん、家族もこれから一生後ろ指を指されながら生きていかなければならないと脅迫されれば誰でも警察の「でっち上げ」を認めてしまうだろう。そういうことがこれまでどれほど行われてきたか。それがこの問題の本質ではないか。
 特に現在の検察は郵便不正事件の証拠改ざんや東京地検特捜部の捜査報告書捏造によって改革の渦中にあるはずであるが、この遠隔操作ウィルス事件で逮捕されたうちの一人が大阪地検によって起訴されたところを見ると、改革は全く進んでいないと言わなければならない。検察は「供述調書主義」から脱却し、より総合的で批判的な観点で検討を加えた上で起訴について判断しなければならなかったはずである。そうしなければいつまでも検察は自供を一番の拠り所にして、つまり自供を強要する危険性が残ることになろう。
 今回の事件で特捜部は関係ないようだが、やはり検察組織というものを考えると特捜部という機関があるからこそ検察の力がこれほど強大且つコントロール不能になったと思えてくる。通常の犯罪事件(殺人、傷害、詐欺等)では警察が逮捕し検察が起訴すべきか否かを判断するため監視機能が働くが、逮捕から起訴までを受け持つ特捜部にそのような監視機能はなく、しかし特捜部によって「巨悪」は摘発されてきた。ところが監視機能がないことによって証拠改ざんや捜査報告書捏造が容易に行われてきたのであり、つまり特捜部に狙われた者はそれでお終いなのである。また標的となった者がいくら無実を叫んだところで、マスコミや国民にとって特捜部は「巨悪を捕まえる正義の組織」なのだから聞く耳は持たれない。それをテコにして特捜部は自身を聖域化しはじめ、次第に検察は「特捜部の敵」或いは「官僚の敵」を捕まえる恐ろしい組織となっていった。総選挙の任期が切れる半年前に野党第一党の党首を蹴落とすぐらいに。
 以前にも書いたが、検察にしろ特捜部にしろそれが「国民の敵」ならば、国民の代表である政治家がコントロールしなければならない。政治主導とはそういうことであるが、「巨悪=政治家」という偏見が色濃い日本でそれが無理ならばせめて取り調べの全面可視化をやるしかないであろう。だが全面可視化を強く唱える政治家がいればその政治家は特捜部によって捕まえられることは断言できる。やはり日本国民が持っている、「検察=巨悪を捕まえる正義の組織」という誤解をなくすしか方法がないのである。無実の人間がこれ以上増えてはならない、と思うならば。