撃たれると痛い/パーネル・ホール[早川書房:ハヤカワ・ミステリ文庫]

撃たれると痛い (ハヤカワ・ミステリ文庫)

撃たれると痛い (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 私の名前はスタンリー・ヘイスティングズ。どこにでもいる、平凡な、29歳独身のサラリーマンで、趣味は読書だ。実は他にも「ラブコメ収集」や「政局観察」といった独特の趣味を持っているが、それを言い出すとややこしいので「趣味は読書」としておく。またこれは趣味とは違うが、「ラブコメ政治耳鳴全日記」というブログもやっていて、そこでは「tarimo」と名乗っている。どうしてそのような、女子中学生が考えたメールアドレスのようなふざけた名前を名乗っているかというとよくわからない。私をあまり責めないでほしい。
 とにかく趣味は読書で、わりとどんなジャンルでも手広く読めるので(ラブコメについては極めて特殊なものしか読まない)、海外のミステリーものを読むことだってある。その中でもこの「ひかえめ、おっちょこちょい、無能、お人好し」な探偵シリーズは私のお気に入りである。だってそうだろう。アメリカの探偵が「ひかえめ、おっちょこちょい、無能、お人好し」だと言うのだ。ワクワクするではないか。我々のイメージするアメリカの私立探偵というのはニヒルな笑いが絵になって、無能で威張り散らかすだけの警察に軽口を叩いて警察よりも早く事件を解決して、犯人との銃撃戦も「スポーツみたいなものさ」とか言って簡単にこなして、美人な依頼人に「早く帰りなさい。ここはお嬢さんが来るところじゃない」とか言うような、男なら誰もが憧れるすごい男のはずなのだ。ところが本作の探偵ときたら仕事のほとんどが弁護士事務所の使い走りで、その仕事も依頼人の怪我の写真を撮ったり依頼人が怪我した現場の写真を撮ったり契約書にサインしてもらうためにニューヨーク市を走り回るだけなのだから、素晴らしいことだ。アメリカ人だからと言って皆がヒーローになれるわけではないのだ。
 ニューヨーク市で暮らすのは高くつくらしい。それに探偵には養うべき妻子がいるのに弁護士事務所からの仕事は安定性に欠け(1週間の平均労働時間は約30時間)、生活費は何から何までたまりっぱなしで、これではいかんと自前の探偵事務所を開いて(と言っても探偵の義父の経営していた会社があったワンルームを使わしてもらっているだけ)独自に仕事の依頼を受けるようになってこれでささやかながらも収入が増えると思って真面目に仕事をしたら(依頼人「恋人がお金目当てで私と付き合っているかどうかを確かめてほしい」探偵「わかりました」)実に厄介な形で事件に巻き込まれて(探偵「調査の結果、あなたの恋人はあなたのお金目当てで付き合っている可能性が濃厚です」→依頼人、恋人を射殺)、やれやれ、こうなってしまっては何もかも忘れて元通りの生活に戻ることもできやしない…として独自の調査を始めたら(当然収入は増えるどころか減る一方なのでその度に妻とは口論となる)撃たれるのであった。それだっていっぱしの私立探偵なら「ただのかすり傷さ」とか言って逆に撃った奴をとっつかまえたりするのだろうが、この探偵は実に親しみやすいただの中年男なので撃たれて気を失ってぶっ倒れ、病院に運び込まれても命に別状はないとわかったらさっさと病院から追い出されるのである(「ここだけの話、今日は患者が多くてベッドが足りないんですよ」)。
 撃たれる前から人生全般に嫌気がさしていた中年男が、実際に銃で撃たれたらどう思うか。もうたくさんだ。私はしがない探偵だ。探偵と言ってもテレビや映画に出てくるかっこいい探偵ではない。事故調査専門の、人に雇われてニューヨーク市中を走り回るだけの男だ。独自の調査なんかするんじゃなかった、もう終わりにしよう…と思っても今度は周りが騒ぎ出すのだ。警察から呼びつけられ、元依頼人の弁護士から呼びつけられ、それを断固として断ることもできない探偵はしかし「ひかえめ、おっちょこちょい、無能、お人好し」らしく半ばあきらめ半ば意地になって事件の真相(大した「真相」ではなかったが)にせまり、自分を撃った犯人と対決していくのである。と言っても、全てが終わったからと言ってこの探偵がタフになったとか鍛えられたとか男らしい男になったとかなんてことはない。結局は警察の力を借りなければ何一つできなかったのであり、それは探偵自身が一番わかっている。しかし探偵は「撃たれた」のであり、それは人生で何回か訪れる転機の一つであったことは確かだ。そして撃たれた後は、もう、撃たれなかった場合の人生を想像することはできない。そうして人生は行われてゆくのである。
 やれやれ。こんな探偵を少しかっこいいと思ってしまうんだから困ったものだ。