第二次世界大戦 ヒトラーの戦い6/児島襄[文藝春秋:文春文庫]

第二次世界大戦 ヒトラーの戦い〈6〉 (文春文庫)

第二次世界大戦 ヒトラーの戦い〈6〉 (文春文庫)

 ――「スターリングラード攻防戦」が「第二次世界大戦の趨勢を左右する」戦いであるとすれば、「ノルマンディー上陸戦」は「第二次世界大戦の勝敗を決める」戦いである。
 児島襄風に書き出せば本書はこのことを具体的に説明したものである。1943年夏のムッソリーニ失脚による独伊関係の動揺とイタリア政府の崩壊から始まり、1944年夏のノルマンディー上陸作戦とソ連軍総攻撃による東部戦線の壊滅的打撃によって窮地に陥るヒトラーとドイツ、そして徐々に姿を現す「ヒトラー暗殺計画」までを克明に描いた本書は歴史を知る宝庫であり俺は大変重宝している。イタリア・パドリオ政権の無条件降伏・連合国軍入りと時を同じくして行われるヒトラームッソリーニ救出劇と新イタリア国家誕生(実体はドイツの傀儡政権)、米英軍によるノルマンディー上陸作戦をめぐるスパイ計画と作戦決行日までの数々の難問(「上陸適日」…夜闇にかくれて海岸に接近し、夜明けとともに砲爆撃と障害物除去をおこない、約1時間後に上げ潮にのって上陸し、その後も3時間以上の上げ潮状態が続く日)、その米英軍を迎え撃つ「世界最強」のドイツ軍の誤解と固定観念、ノルマンディー上陸作戦により連合軍の勝利が間近に見えた矢先のドイツ軍秘密兵器・飛行爆弾「VI」の脅威、そしてソ連軍大攻勢による西部戦線・東部戦線の崩壊により危機に立たされるヒトラー、等、等、本書で描かれる様々な作戦・事件・外交交渉はそれだけでも一冊の本になり得るほどの密度と奥深さを持ち、その膨大な事実全てが複雑に絡み合って世界を二分した「第二次世界大戦」は行われたのであって、善悪を超えた赤裸々な政治・外交・軍事の姿が見えるのである。
   
 (連合軍)参謀長スミス少将は、(イタリア側代表・参謀次長カステラノ)中将の表情を一瞥すると、ローマに停戦協定締結の権限を要請する気はないか、と質問した。
 ある――と、中将が即諾すると、少将は、返事は駐バチカン英公使D・オスボーンを通じてもらいたい、と述べ、中将は、ローマに連絡した。
 中将が手交された秘密無線機は、ローマの陸軍情報部に置かれ、相互の呼出し符号も定められている。連合軍司令部は『霧雨』、ローマは『猿』である。
 それを知らされた時、中将は、なぜイタリア側が猿なのか、失礼ではないかと抗議したが、では『豚』にしようか、と提案されて、引き下がった。
「――霧雨から猿へ……霧雨から猿へ……」
   
――そして、(1943年9月8日)午後7時45分、
 首相パドリオの停戦声明が、ローマ放送局から放送され、さらにその録音が繰り返して電波にのった。
 ローマ放送を聞き、次いでケセルリンク元帥の電報をうけたヒトラーは、人差し指を立ててOKW統帥局長ヨードル大将に指示し、大将は、一語を発信させた。
『枢軸』――。
 (ドイツ軍による)イタリア占領作戦の発動であるが、南方方面軍司令官ケセルリンク元帥は、同じく指揮下の部隊に『枢軸』の一語を打電させるとともに、訓令も打電した。
「イタリア人は背後で最も卑劣な裏切りを行った…。我々の側で戦うことを拒否するイタリア軍将兵は、容赦なく武装解除せよ。裏切り者に慈悲は不要である。総統万歳」
  
 新首相ムソリーニは、それまでに承知した事情とも照合して、独大使ラーンに苦情を述べた。
「政府を組織して痛感したことが、二つある」
 その一つは、イタリアが、あたかも正気を失った泥酔者のように、ひたすら混沌とした国家になっていることである。
 もう一つは、ドイツ政府と独軍があらゆる分野に介入して、ただドイツ側の利益を守ることだけに専念しているため、ますますイタリアの国家的混乱を助長している。
「このような状態の中では、我が政府は支配力もなく、示達する法律や規則には実効がともなわず、各種機関を再建しても行政能力はゼロである。そんな政府を作っても無意味だ。そう思わないかね」
   
――約230ポンド(約104キロ)
 と、1944年1月のヒトラーの体重が記録されている。
 身長は約165センチだから、「デブ」の形容があてはまる肥満体と言えよう。
   
――(1944年)4月14日、
「南ウクライナ方面軍」の第六軍は、ドニェストル川を渡河して西方に後退した。
 しかし、後退の事情は悲惨を極め、第六軍司令官K・ホリト中将は、次のように報告している。
「鉄道の機能は完全に失われたため、当軍の補給は杜絶した。渡河は完了したものの、傷病兵は治療の手段がないままに道端に放置され、弾薬、衣服の補給は耐えてなく、糧食は1日200グラムのパンのみ…」
 まさにスターリングラードを回想される事態だ――と、中将は強調した。
   
 (ノルマンディー)上陸日が近づくにつれて、全ては計画通りに進行する一方で、緊張のために判断力と決断力が鈍るためか、それとも責任回避心が強化されるためか、平時なら下級機関で処理される事項までが(連合軍最高司令官D・アイゼンハワー大将に)持ち込まれるのである。例えば、上陸後90日間にフランス難民に支給するトイレット・ペーパー9500万枚、クレゾール消毒液1万8700ガロンを要求する電報を、発信せねばならなかった。
 ちなみに、ワシントンの返事は、次のようなにべもないものであった。
「トイレット・ペーパーは我が軍将兵用も不足し、外国人臀部にまわす余裕はない」
  
 英戦闘機は「VI」(ドイツの飛行爆弾)に追いつける。が、速度差は格段には優勢ではないので、追いかけて追いつくと、しばしばロンドン上空に達してしまう。
 そこまで来てしまっては、「VI」は自然に落下するにせよ、撃墜されるにせよ、どちらでも市内に被害を与えることになる。高射砲で落としても、結果は同じである。
 となると、ロンドン到着前に処理しなければならないが、対空砲火と戦闘機の併用は、味方射ちの危険があるので避けねばならない。
 結局、英空軍は、ロンドンの外は戦闘機、曇天の場合は対空火器で対処し、ロンドンはまわりに防塞気球網を敷設して守ることにした。
 ところが、「VI」は、ほとんどが戦闘機をふりきり、高射砲撃の弾幕をすりぬけ、防塞気球を飛び越えて、ロンドンに降下した。
 その一発は、ロンドンの近衛兵営の教会に命中し、おりから日曜日の礼拝に集まった131人を死亡させ、68人に重傷を負わせた。
 英首相W・チャーチル夫人も、ハイド・パークの高射砲隊に勤務する娘を訪ねている時に、すさまじい爆風をうけて、地に伏せた。
 郊外の別邸にいた首相チャーチルは、報告をうけて直ちにロンドンに帰還したが、夫人と娘があやうく難をまぬかれたと知ると、叫んだ。
「貴婦人を地面に這わせるとは、なんという屈辱かッ。ベルリンに報復爆撃を実施せよ。徹底的にやれ…ついでに、このいまいましい『夜泣きゴキブリ』を退治せよ」
『夜泣きゴキブリ』は、ロンドン市民が「VI」に与えたアダ名である。
  
 ヒトラーは、ロンメル元帥に発言を促した。
「我が総統。本職は、ここに『B方面軍』司令官としてやって参りました。しかし、本職はドイツ全国民に責任を負う立場にもあります。その立場で西部戦線の戦況は申し上げたいと思います」
 ヒトラーは、あわただしくまばたきした。不審と不快の表象である。
「我が総統、本職は最初に我々の政治情勢をとりあげたいと考えます。いまや、全世界がドイツに敵対しています。その結果として、力のバランスは…」
 ばしっ、とヒトラーが机上の地図を叩き、ロンメル元帥の発言をさえぎった。
「元帥、軍事情勢だけに話題を限定してもらいたい」
「我が総統。本職はまず全般情勢を検討すべきだと確信します。これは歴史の要求でもあると愚考致します」
「ナイン。貴官は純粋かつ厳密に貴官自身の戦況を報告すべきだ。そのほかは、いっさい不要だッ」