アメリカの壁/小松左京[文藝春秋:文春文庫]

 小松左京と言えばどうしても「日本沈没」「首都消失」等の本格SFに見られる、「高度な科学的知識と文明論に裏付けされたハードSF」という印象が強いが、俺はどちらかと言えばエンターテイメント色の強い短編の方が好きである。もちろんエンターテイメントと言っても例えば本書収録の短編「眠りと旅と夢」に出てくる最新鋭機械設備を使った実験の説明に手抜かりは一切なく、且つ素人の読者にも理解できるよう細心の注意が払われているが、本書では他に「鳩啼時計」のようなロマンの香り漂う宇宙SF短編や「ハイネックの女」のように現代の都会を舞台にした怪談ものも収録されていて、読む者は独特のスピード感を持って各物語を楽しむことができよう。これぞエンターテイメント、さすが小松左京、である。
 とにかくこの作者の作品について語るときは必ず「日本沈没」に代表される「人類や文明をめぐる壮大なテーマ」に目が行きがちであるが、短編ではまず何よりも小市民的な普通の主人公を物語の中心に据えた上で異常な状況に巻き込まれていくという風に展開させていくため、どんな不可解な事件であっても一定の合理性を持って読ませてくれる。そして主人公たちは周囲で起こっているわずかな変化にかすかな違和感を感じながらもいつも通り過ごし、いくつかの違和感を経てついに圧倒的な変化に気付くのであり、それに気付いた時の衝撃はとても筆舌には尽くせない。ある時はその変化に合理的・客観的な説明が添えられ、ある時はただ呆然と目の前の光景に見入り、ある時は命の危険を察知してとにかく逃げ回るという風にしてそれぞれの物語は読者を圧倒するのである。
 特に俺のお気に入りは表題作「アメリカの壁」と「ハイネックの女」で、「アメリカの壁」は昔読んだ「首都消失」を彷彿とさせるポリティカル・フィクションであるが、突如として海外との音信を断絶されてしまったアメリカで困惑する日本人とそんな事はどこ吹く風とばかりに独立記念日に沸くアメリカ人たちの対比が実に鮮やかに描写され、やがてアメリカ全土を覆った「壁」により全く海外と断絶してしまう中で主人公は苦悩し、ある疑惑を突き止めるのであるが、そこに至る政治的・社会的な動きや大衆の反応そしてアメリカ大統領の恐るべき秘密があたかも一本の線であったかのように機動的に描写され立ち止まる暇なく読み終えてしまった。読み終わって改めて考えれば何とも突飛な話ではないかもう一度読んでみようと再読したが、いやこれはやはり十分ありえる話だと納得してしまった。むしろ「人類が、今や全くの二つの世界に分断された」という途方もない現象を読者に提示することによって、アメリカと世界の関係を非常にわかりやすい形で再認識することもできた。これこそがSFのすごさであろう。
 最後に収録されている「ハイネックの女」は表題作とは180度違う、現代の都会を舞台にした怪談もので、40過ぎのそろそろ初老にさしかかろうという中年の主人公の隣人に恋人ができたはいいが、その女はどうも普通の人間とは違った雰囲気を感じさせ、夜には不気味な物音まで聞こえ、ある夜中年は決定的な異常事態に遭遇してしまうのである。こちらも「最初はかすかに異変の兆候を見せながら、やがて決定的な大変転がやってくる」という作者の持ち味が発揮されながらもSFとは違った怪異現象に読者は怯え、それでも俺は頁をめくるのを止めることができなかった。ぞっとするほど恐いのに、なぜかその「ぞっとする」感じが不快ではない。これも小松左京の魅力の一つであろう。
 というわけで、何というか「褒め殺し」のような文章になってしまったが、本書についてはイチャモンをつける隙は全くありません。読んでいる間は本当に楽しかった。だからSFはやめられない。