昭和の終焉/岩波新書編集部・編[岩波書店:岩波新書]

昭和の終焉 (岩波新書)

昭和の終焉 (岩波新書)

 天皇制を語ることは非常に厄介である。ましてや昭和天皇の「戦争責任」について語ることは今やほとんど不可能である。昭和の時代(つまり昭和天皇が生きていた時代)にはまだ戦争の経験が色濃く残っていたから発言する気力を持つ者もいたのだろうが、今の「天皇は平和を願い、国民の幸せを願って日々過ごしておられる」というソフト・イメージを官民が一体となって強調している時代ではもはや「言いにくい」という次元ではない。
 しかしまあそれはそれとして俺は天皇制に反対ではない。ただし未来永劫悠久に現在の天皇制を指一本触れることなく存続させるべきだとも思わない。日本国憲法に書いてあるように、天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基づく」ものだからである。などと書いたらもうお叱りを受けそうであるが、気にしてもしょうがないので本書は何かというと1988年9月19日に病状が悪化した昭和天皇が1989年1月7日に逝去するまでの政府・マスコミ・日本人の姿を克明に映し出した評論・エッセイ集である。「Xデイ」と言われたいずれ来るであろう天皇崩御の日までの日本は「自粛」ムードに溢れ、日本人は「自発的に」祝賀会、パレード、パーティー、そして運動会まで中止してお見舞いの記帳所に押しかけた。それは「バスに乗り遅れるな」とばかりに大政翼賛会に流れ込み、また「鬼畜米英」「大東亜共栄圏」のスローガンのもとで一致団結した戦前の風景とどこか似たものであったが、ほとんどの日本人は本音ではともかく社会的にはその自粛ムードをごく自然に受け入れた。それは戦前も戦後も日本人全員が「内なる天皇制」とでも言うべき「日本民族宗教」を抱えていることを意味した。また政府もマスコミも日本人の大多数も昭和天皇崩御を(無意識に)利用することによって日本と日本民族をまるで生身のことのように感じることができるまたとない機会を得たのであった。
 また天皇崩御を受けてTVは一斉に報道特別番組に切り替え、新聞もほとんど全ての紙面を天皇崩御で埋め尽くしたが、それらは「平和主義者」であった天皇への賛美一色で戦争責任を問う声はゼロであった。これもまた見方によってはひたすら好戦的に軍部の後押しをした戦前のマスコミの悪癖を想起させるが、ほとんどの日本人は疑問を持たなかった。
 本書は「ソフト・イメージ」による天皇制が浸透した平成の現在から見ればかなり過激な内容を含んでいて、実は今まで真剣に天皇制を考えたことがなかった俺は読み終わって戸惑ってしまった。日本人が戦前と変わらず天皇を現人神のように扱っていることを批判し、横並び・画一的な天皇報道しかしないマスコミを批判し、天皇の戦争責任を問わない有識者、マスコミ、政府、そして日本人を批判し…という風にとにかく批判だらけなのである。そして天皇の戦争責任への批判も随所に見られる。「昭和天皇満州事変を起こした関東軍を激励した」「日独伊軍事同盟を喜んだ」「日本の安全のために沖縄を米軍が占領することが望ましいと言った」「広島・長崎の原爆投下を『やむを得ない』と言った」「海外では『ヒロヒト天皇ヒトラーと同じ』と言われている」等、露悪的なことで有名な俺もここまで書いていいのかと思うほどの批判が本書には渦巻いているのである。もちろんそれら過激な内容の真意は「天皇制に反対」云々ではなく「昭和天皇崩御された今こそ『戦争責任』について隠さず冷静に議論すべきだ」ということにあるのだが、「平和を願い、国民の幸せを望んでおられる」ソフト・イメージの強い平成天皇の時代を生きる俺には直截的過ぎるような気がした。もっともその感覚こそ天皇制への冷静な視点を見誤りひたすら天皇礼賛・天皇賛美に傾かせようとする「自発的な服従」の表れかもしれない。ということは本書の警告はほぼ的中したとも言える。
 1988年9月から翌1月までの「天皇フィーバー」とも言える騒動は、日本国憲法下であってもほとんどの日本人が天皇を現人神として信仰しマスコミがそれに対して批判的なスタンスを取ることは許されないという戦前同様の姿だった。ところがそれは「社会的」な姿勢であって、「自粛」し「哀痛」したはずの人々は二日間の報道特別番組に飽きて日本各地のレンタルビデオ店に押しかけたという。本当に天皇崩御を嘆き悲しんでいるのならレンタルビデオどころではないはずだが、ここにもまた、社会的な「公」の場ではあまり意味のないことでも世間の目を気にして万人が納得するような「建前」的なことを言って取り繕うという日本人の姿が見られよう。ちょうど日米戦争において内心では負けるとわかっていても「鬼畜米英」と叫ばざるを得なかったように。明治天皇崩御した時、夏目漱石はこう言っている。「当局の権を恐れ、野次馬の高声を恐れて、当然の営業を休むとせば表向きは如何にも皇室に対して礼篤く情深きに似たれども其の実は皇室を恨んで不平を内に蓄ふるに異ならず」。
 天皇制は今も昔もタブーであり、「タブーである」状態をそのままにしておくことが結局は一番平和で害がないように思われる。しかしながらそのように曖昧なまま放置して国家の根本を論じず、戦争責任を論じないことが果たして本当に「害がない」のかは俺も確かに疑問に思うが、何よりも問題なのは時流に流されるまま情報を垂れ流し、適当な言葉でその場をしのぐマスコミであろう。大阪のアナウンサーはこう言った。「道頓堀全体が悲しみに包まれています」。