差別と日本人/野中広務・辛淑玉[角川書店:角川ONEテーマ21]

差別と日本人 (角川oneテーマ21 A 100)

差別と日本人 (角川oneテーマ21 A 100)

 野中広務という政治家は森政権時には首相を超える権力を持っていた実力者である。マスコミは常に森首相と同等かそれ以上の人員を動員して自民党幹事長であった野中の一挙手一投足を注視し、その後小泉政権が誕生した後には「野中=最大派閥経世会のドン=構造改革に反対する抵抗勢力のドン」という烙印を押され常に好奇の目にさらされてきた。その野中が被差別部落の出身であることはあまり表立って報道されなかったが、そこにはマスコミの配慮と同時にかすかな差別意識がやはり感じられた。本書を読むと、その「被差別の境遇にあった」ことが野中の政治姿勢に非常に強い影響を与えたことが痛いほどによくわかる。
 本書は「部落差別を受けてきた」野中と「在日であるが故に差別を受けてきた」辛淑玉氏との対談本であり、辛氏の政治・行政に対する感情的な反発が随所に出てきて時々議論が噛み合わない部分もあって読みづらかったが、全体としては今も日本人の根底に根付いている「差別意識」について考える上で非常に参考になった。特に辛氏が「差別は享楽なのだ。自分は他者より優位だという感覚は『享楽』そのものであり、一度その享楽を味わうと、何度でも繰り返したくなる」と切々と書いているのを読んで何とも言えぬ居心地の悪い気分になった。今も2ちゃんねる等では在日への罵詈雑言が盛んに書き込まれ俺自身もそれを何ということもなく読み過ごしているが、それは「憎しみ」や「恐怖」からではなく「罵詈雑言それ自体が楽しいから」やっているのであり、それゆえ差別される側にとっては底知れぬ恐怖を感じてしまうのだろう。
 しかしながら神ならぬ人の世であるから、差別される側も「差別」を武器にして自分たちの税金を安くさせ、公共事業を自分たちに優先的に与えるよう仕向けていくことがあるのであり、それが一般人の差別意識を強化させてしまうこともある。そこで野中のような政治家が出てきて「差別を売り物にするな。差別を自分たちの利権の手段に使うな。真面目に真剣に働いて、なお差別されたら、その時は立ち上がれ」と言って真剣に対峙したとしても、何事もセンセーショナルに伝えてしまうマスコミは「部落はみんなそういうことをするんだ」というイメージを一般人に与え、残念ながら俺もそのあたりの偏見をまだ払拭できていない。申し訳ないとは思うが、文中にも出てきたように「オウム真理教の麻原の子供が、自分の子供が通う小学校に来るとわかったら、たとえその子供に何の罪がなくても」俺は反対してしまうだろう。両親が犯罪者であるからその子どもは学校には通わせられないというのは残酷な話だが、しかし今の俺にはこれが限界なのだ。
 「差別はいけない」ことは皆わかっていて、小学生の頃から道徳の授業でさんざん聞かされてきた。しかしながら生身の人間による世間は残酷であり、また同和利権という厄介なものもある。差別する側の意識はそう簡単には直らない。特に「差別はいけない」と誰もが反論できないようなことを言われると、「正義のヒーロー気取りか」と瞬間的に反感を覚えることは神ならぬ人の身であるから仕方ない。いくら差別解消を唱えても他方で差別を売り物にして税金を安くさせたり(いわゆる「同和控除」)、公共事業を優先的に取る者も後を絶たない。また陰湿な場合は自分ではなく家族に対して攻撃を加える場合もある。野中氏も辛氏も不屈の闘争心を持つ戦士であるが、両氏の家族はむしろ部落や在日であることを隠して生活した方が差別されることなく平和に生きていけるのではないかと言い、それに苦悩してきた半生をお互いに吐露する最後の部分を読むと俺はどう考えればいいかわからない。差別の現実に目を背けることなく、このような本を読み続けるしかないだろうな。
   
 私、二十歳の時に「これからは本名で生きる」って両親に言ったんですよ。父は黙ってた。でも母親は、「おまえは日本の怖さを知らない」って言ったのね。
 それから、何年ぐらい経ってかな、母親が私に「日本名で暮らしていいか」って聞きにきたんですよ。私は「うん、いいよ」って言った。もういくら頑張ってもダメだったから。そしたら姉から電話がかかってきて、「あんたが自分の正義感を貫こうとするために、家族がどんな思いをして生きてるかわかってるのか」って言われた。いつだったか、兄貴からも、「本名で生きているおまえは親戚じゅうから嫌われてるんだぞ」って言われて…。
 私は、親がもっと楽に生きられるように、朝鮮人でもこの社会で生きていきたいと思えるように、そして自分自身も、私は朝鮮人だけど、日本で生まれて幸せだったって言って死んでいきたいと思って頑張ってきたつもりだったけど、でも、なんか負けちゃったなって思ったんです。
 
 私は日本国籍の男性と事実婚だったのですが、彼は、人権問題もよくやって頑張ってたんだけど、やっぱり耐えられなくなって、しばらくすると「君がいけない」って言い始めたのね。「そんな些細なことで怒っても」って。「なんでもかんでも君が問題にするからいけない」って。
野中 出しゃばって。
 そうそう。出しゃばって。「君が我慢してそんなの気にしなければいいんだ」ってずっと言われたのね。そうしたら私は、外で闘ってうちに帰ってきて、夫にまで説明しなきゃいけないじゃないですか。もうだんだん耐えられなくなってきちゃって、そしたら私より向こうが参っちゃって。その時思ったのね、人権は好きだけど当事者と一緒に生きることはできないんだなって。